「うん、スロベニアでもこれは報じられたよ、今となっては笑い話だけどね。
このチビ公は、ま、勇敢だったね。それに比べて父親の方は、子供を森に捨てたことと、公の場で謝罪することになったことで、信用を失ってしまった。
このニュースを僕が面白く感じるのは、実は自分もとんでもない悪ガキだったからなんだ。
小さい頃僕は、線路の上に大きな石を置いたらどうなるかを知りたくて、実行したことがあった。
(中略)
これで僕は父親にこっぴどく引っ叩かれた。
この後も、父親や、小学校1年から卒業するまで先生に何度も叩かれたけど、父や先生に憎悪を感じたことなんてなかったよ。
悪ガキを正す方法は、これは正しいやり方だと、僕は思っている。父親に役目だとも。
熊が出るような森に子供を置き去りにするのは、とても危ないやり方だ。
小さなトラブルを、この両親は大ごとにしてしまった。」
以上は、北海道7歳児置き去り事件について、トマシュさん(男の子2人の父親)の意見です。
さすがに、トマシュさんの過去の悪戯(これは運よく大事故につながりませんでした)は、子供の悪戯の域を超えてしまっているので、絶句ものです。(彼の現在を知る私には信じがたい話。)
しかし、彼は今回の話の以前から「体罰は男の子を育てる時に必要なときがある」と言っていたので、今回のメールの意見は私は彼らしいと思って読みました。
体罰に関しては、私は基本的に「すべきではない」と思っていますが、正直に言うと、私は息子が2、3歳から小学校1,2年くらいまでは、危険なことを止めなかったり(スーパーマーケットの駐車場の車の入場場所に出て行ってしまう、わざと迷子になる、高いところから親が見ているところで飛び降りようとする等、幼稚園入園前までの悪ふざけ。)、嘘をついたり、言いつけを頑なに守らなかったりした場合はは、腿を引っ叩く、頭をポンと叩くということをしていました。
(ただし、引っ叩いた後は、ハグをして、叩くことで叩く方も手も心も痛むこと、息子が大切だからやめてほしくて叩いた、と言うことを説明しました。小学校2年以降くらいからは、体罰ではなく、『反省文』を書かせました。書くまでゲーム、テレビ等禁止。
父親である夫は、息子を叩いたことも、罰を与えたことも、一度もありません。)
トマシュさんに書いた返事の末尾に私は、
「確かに、子供を森に置き去りにするより、体罰の方がこの親子にはよかったのかもしれませんね。
でも体罰は、熊が出る道に短時間でも子供を置き去りにしてしまうくらい軽率な父親には、歯止めが利かなくなる可能性もありますね。
ましてや、私は、この男の子は、実は最初は「自衛隊の小屋に隠れて父親を困らせてやろう」と言う気持ちもあったのではないかな、とも思ったりするのです。※
つまり、父、子とも双子みたい-「未熟な大人」と「大人びた一面がある悪ガキ」-なので、体罰も彼らには毒にしかならないと思います。」
(※スロベニアの友人宛てのメールには書きませんでしたが、
「子供は最初第三者に保護されていたけど、その人が騒ぎに驚いて小屋に連れて行った」「小屋で一緒に寝泊まりした人がいた」という可能性もあると思います。)
と書きました。
体罰は、私自身が昔したことがあったとしても、当時も今もこれは禁じ手であると思います。
しかし、反面、たとえば石を人や車にぶつけている子供がいたら、「お尻を叩いてでも二度としないようにしてほしい」とも思ってしまうんですよね。
難しい。
世界で体罰の容認度はこちらで:
ウィキペディア
体罰
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93%E7%BD%B0
基本的に体罰容認の立場をとるwebsiteから:
iRONNA
子供のしつけに「体罰」は必要か
http://ironna.jp/theme/572
巻末に「体罰」についてのアンケートがありますが、このアンケートはこのiRONNAの定期的読者によるものだということを割り引いてみるべきかと思います。
編集者一覧(リベラル系もいますが、保守系がほとんど。子宮頸がんワクチンの村中璃子氏を応援するWedge Infinityの大江紀洋氏やJapan In-Depthの安倍宏行氏もいます。)
http://ironna.jp/moderators