アフガン・イラク・北朝鮮と日本

戦争も人権抑圧もNO!万国のプレカリアート団結せよ!

「我が窮状」を支持するが故に敢えて異論を呈す

2008年09月26日 23時31分45秒 | 反改憲・戦争協力
我が窮状(YouTube)


 歌手の沢田研二が、この度「我が窮状」という新曲を出して、憲法9条擁護を訴えているのだとか。それが次の歌詞の曲です。

♪麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
 忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない
 英霊の涙に変えて授かった宝だ
 この窮状 救うために 声なき声よ集え
 我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ

 麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ
 老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ
 諦めは取り返せない 過ちを招くだけ
 この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう
 我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない

 この窮状 救えるのは静かに通る言葉
 我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう♪

 沢田研二(ジュリー)といえば、70年代に「危険なふたり」「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」などの曲で一世を風靡したポップス歌手じゃないですか。丁度私の中学生ぐらいの頃の曲で、テレビの歌謡番組ではいつも流れていた。但し、歌っていた時の衣装が当時としては奇抜なものだった事もあり、一部の中年オヤジからは目の敵にされていた感も無きにしも非ずで。

 しかし私の中では、歌よりも寧ろ、当時よく見たテレビドラマ「寺内貫太郎一家」の中の、あのワンシーンが、鮮やかに記憶に残っています。
 彼のテレビドラマは、東京の下町で石屋を営む貫太郎オヤジ(主演:小林亜星)を中心に、その長男(同:西城秀樹)やお手伝いさん(同:浅田美代子)などが登場するものですが、その中で、貫太郎一家の中の、樹木希林扮するジュリー・ファンの祖母が、アイドルのポスターの前で年甲斐も無く「ジュリー」と叫ぶ、あのシーンです。

 いずれにしても、今までは凡そ政治とは無縁な存在だと思われていた、その沢田研二が、還暦を前にして、こんな素晴らしい新曲を出すとは思ってもみませんでした。
 出だしの「麗しの国~」から終盤にさしかかる「この窮状~」までの部分からは、今の日本の現状を憂えるジュリーの想いがそのままストレートに歌われていて、非常に良かったです。もう、まるで美空ひばりの「一本の鉛筆」を彷彿とさせる様な感じで。「君が代」なんて時代錯誤な内容の今の「国歌」なぞ、一刻も早く葬り去って、一瞬「この歌を国歌にすれば良いのに」と思った位で。

 ただ、その一方で、この歌を聴いてみて、どうしても少し引っかかるものがあるのです。せっかくそれまで盛り上がっていた歌詞の内容が、ここで少し興ざめしてしまう様な、そういう感じがどうしても否めないのです。

 そのまず第一は、最終節の「我が窮状 守りきれたら(守れないなら、守りきりたい)」の歌詞の内容についてです。何故ならば、この歌詞のままでは、「窮状(悲惨な状態)を守りたい(守らなければ)」という、意味不明の文章になってしまうからです。「9条」を「窮状」と言い換えたからそうなったのでしょうが、その結果、意味が通らなくなったのでは何もならないのでは。

 そして第二に、今の憲法9条を取り巻く情勢は、必ずしも窮状とは言えないのでは?―という想いがあります。
 これが2002~04年頃の、北朝鮮・拉致問題の表面化やイラク戦争開戦で、ブッシュ・ネオコンや靖国派右翼が大手を振ってまかり通り、ネットウヨク言論花盛りの時代なら、確かに「憲法9条はもはや風前の灯火」の感が強かったので、「9条」を「窮状」と言い換えるのも在りかな、とは思うのですが。
 しかし今は、当時とは大分様相が変わりつつあるのでは。確かに、教育基本法が改悪され、「テロ特措法の恒久法化」や「改憲大連立」の策動も続いているので、そういう意味では、予断を許さないのは事実ですが。
 でもそれ以上に、格差社会の深刻化を他所に、「高齢者はうば捨て、ワーキングプアは使い捨て、セーフティ・ネットは破り捨て、食の安全・安心は投げ捨て、政治家は恥も外聞もかき捨て、その挙句に政権放り出し」といった政治が常態化する中で、国民の側から自民党政治に対して、「我々に偉そうに愛国心や道徳教育の説教を垂れている、お前ら自公与党が実際にやっている事は一体何なのよ?」という、ある意味本質的とも言える鋭い問いかけが為されるに至っている訳で。
 そして海の向こうの、自民党政治の後ろ盾・米国でも、アフガン・イラク戦争や、ハリケーン被災やサブ・プライム問題に為す術も無い、ブッシュ・ネオコンは既に過去の人となりつつある。
 「窮状」に陥っているのは「9条」ではなく、寧ろ「自民党や財界、右翼・改憲派」の方ではないのか、と。(中には、未だにそれに気付かず、相変わらず小泉・麻生のポチやっているバカも依然として居ますが)

 更に第三点として、単に「9条」擁護だけを「老いたる」の奮起だけに求める姿勢では、時代の要請に応えているとは、もはや言えないのではないか?―という想いもあります。
 生存権や人としての尊厳を謳った「25条」や、男女平等を謳った「24条」、法の下の平等を謳った「14条」は、蔑ろにされていないのか?また、蔑ろにされているのは日本人の人権だけか?例えば、アフガン・イラク・パレスチナ・北朝鮮・チベット人民の人権は蔑ろにされていないのか?
 寧ろ実際は、ネットカフェ難民や日払い派遣労働者の惨状からも明らかな様に、それらの全てが蔑ろにされているのが現状ではないでしょうか。そうであれば尚更の事、「日本国憲法第9条」は勿論の事、それ以外の日本国憲法の人権条項や、世界人権宣言で謳われた「人としての尊厳や権利」を守れと、何故主張しないのか?それを何故、日本の「老いたる」だけでなく、世界中の「老いたるにも若きにも」訴えないのか?「オキナワ、バクダッド、ノース・コリア、チベットから、民衆は自由をめざす!」と堂々と歌い上げた、ソウル・フラワー・ユニオンの「うたは自由をめざす!」コンサートの様に―という想いもあるからです。

 そこで一つの提案なのですが、この沢田研二の「我が窮状」の歌詞を、下記の様に置き換えるというのは、どうでしょうか。

●最終節「我が窮状 守りきれたら~」の「我が窮状」を、「この生命(いのち)」に変える。その事で、単に「憲法9条」擁護だけでなく「憲法25条」や「世界人権宣言」の擁護も訴える、という意味合いを持たす。
※その前節の「この窮状 救いたいよ」は、それはそれで意味が通じるので、そのままでOK。
●二番の第二節「老いたるは」を、「老いも若きも」に変える。
●出だしの「麗しの国 日本に生まれ~」の部分は、一番はそのままにして、二番・三番の「麗しの国 ××に生まれ~」の「××」には、それぞれ「アフガン・イラク・パレスチナ・北朝鮮・チベットその他」から適宜選んで挿入する事で、歌詞の内容に国際性を持たせる。

 勿論、メロディーや語呂合わせとの兼ね合いもありますので、具体的な改編の中身については、もっと揉んで欲しいのですが。そうすれば、この沢田研二の「我が窮状」の歌詞も、更に良いものになるのでは?
 後ほど、沢田研二さんの事務所にも、以上の趣旨で、問題提起のメールを送ろうと思っています。 

(参考記事)
・しらほぶろぐ:沢田研二/我が窮状
 http://pub.ne.jp/shiraho4353/?entry_id=1660231
・お玉おばさんでもわかる政治のお話:沢田研二 我が窮状
 http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-437.html
・カナダde日本語:沢田研二の『我が窮状』を広めて九条を守ろうよ
 http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-1098.html
・大津留公彦のブログ2:団塊の世代へのメッセージ(我が窮状)
 http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-d90b.html
・拙ブログ:9条輸出こそ真の国際貢献 改憲派こそが奴隷の一国平和主義
  http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/a6a347b3b09e3429ac31289818787646
・沢田研二 公式サイト
 http://www.co-colo.com/
・沢田研二 - Wikipedia
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E7%94%B0%E7%A0%94%E4%BA%8C
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ウェブログ
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