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「仲間は助けるが同志は助けない」デモ?~四トロ同窓会二次会掲示板より(2)

2012年08月19日 17時09分52秒 | 福島原発震災・脱原発
(1)からの続き

●Re: 事実認識がだいぶ違うようです 投稿者:プレカリアート@携帯 投稿日:2012年 8月18日(土)09時03分21秒

野間易通さんへのお返事です。

> 以下はまったくの個人の意見で反原連スタッフの中でもごく少数派ですが、私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。

普通は同志=仲間じゃないの。実際に個人としてどこまで救援に取り組めるかはまた別問題としても。ところがそうじゃないという事は、参加者を単なる利用価値のある人間、自分の手駒としか見ていないからじゃない。

●仕事前ですので手短に 投稿者:草加耕助 投稿日:2012年 8月18日(土)09時43分5秒

野間易通さんへのお返事です。

要するに、ありとあらゆる主張(歓迎しないものを含む)に対して、オープンにしていますよ、別に何を主張してもらってもかまいませんよということですね。もちろんモノには限度があることは承知していますが。

了解しました。ごちゃごちゃ文句を言う前に、とりあえず野間さんを信じてもう一度行動してみます。

ただ、「再稼働反対」以外のこと(「野田はやめろ」とか)を主張して、「主催者」を「自称」する人から、やめてほしいと言われた話は、ごく普通に聞きます。実際に書くのはリアルの友人から聞いた話だけですが、ネット上のつきあいの方を含めると、もっと多いです。書いてきたプラカードを下ろせと言われた人もいます。どの例も、断ったら「主催者」はそれ以上は何も言わずに立ち去ったということです。

被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われて、官邸前には行かなくなった方というのも、私のリアルの知り合いです。そんなの無視してやればできるということなんでしょうが、「主催者」にそう言われた時点ですっかり失望してしまったようです。ただし反原連を非難するのではなく、「とても心配している」とのことです。

なお、こういう例や人間を(たとえ匿名でも)、表に引っ張り出す気はないし、「ここが変だよ反原連」みたいな論陣を張る気もありません。それはこの本人たちが自分でそういうことをやろうと思わない限り、私が代行的に「問題を大きくする」気はない。そこまで反原連に悪意はないです。相手(反原連)を変えよう、態度を改めさせてやろう、けしからんので喧嘩しようという気が私にはないのです。

それを怠惰というなら言えばいいですが、そもそも喧嘩する気がないのです。ますは評価と連帯が先だと思っています。苦言は二の次、その苦言をどう受け止めるかもご本人たち(反原連)が決めること。相手を変えようとするのではなく、その態度を見て、自分たちなりの反原発運動をやっていけばいいと思っています。道が別れるならそれはそれでしょうがない。その私(たち)に対して、また苦言なり意見を言うのも自由だと思います。ただ罵りあいはしたくないですね。

まあ、どうしてもというなら、こういう知り合いをご紹介してもいいですが、私も、その当人も、もうあんまそういうことを深く追求してエネルギーをさくほど、反原連に腹をたてているわけではありません。「証拠をみせろ!」「表で論争しろ!」とかいうことではなく、今後の内部討論やよりよいネットワークのために是非とも話を聞きたいとか、そういう謙虚(友好的)な姿勢で接するならあってくれるかもしれません。

http://bund.jp/

●時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)10時14分43秒

>はい。で、「何をし」たら、「有効」と判断するのですか?
>あなたはそこを何も示していない。

私は「一参加者」に過ぎません。
その私に「主催者」と自称するあなたが聞くのでしょうか?
本末転倒ではないでしょうか?
というか、「主催者」の責任も知らない人が「主催」することに危惧を覚えます。

こうした大規模な行動の場合、警備の警察との間で「摩擦」が起こるのはある意味当たり前。
それは主催者がどんなに気をつけても起こり得るのです。
しかし、そうした一般的な「摩擦」の背後には、警備側の思惑も潜んでおります。
昨年、「素人の乱」主催のデモで、いきなり大量逮捕が行われたことがありましたが、
あれなどは典型的です。警備側は、こういう運動を「沈静させたい」のですよ。
抗議行動のような行為はやめさせたい。そのために逮捕などを脅しに使う。
また運動それ自体を「逮捕者を出すようなイケナイ行動」という印象操作する。
素人の乱がいったいどんな悪いことをしたというのでしょうか?
あの逮捕事件をきっかけに一時は動員数が減りました。警察の目的はそれだったのです。

官邸前行動とは、「国政に異議を申し立てる」行為です。
それが大きければ大きいほど現政権にとっては都合が悪い。
だから「政治は正しく行われている」というポーズをとるためにも
こうした街頭における反対運動はできればない方がいいのです。
警察による「警備」行動はこの政府の思惑を背景に行われています。
だから中立の立場から抗議行動を管理するのではなく、
できるだけ運動が後退してゆくように考えて行動をします。
逮捕はその手段のひとつです。その事は念頭においておくべきでしょう。

呼びかけた主催者は、その呼びかけた集会を無事に、安全に終わらせる義務があります。
呼びかけっぱなしで、「あとは自由勝手にしろ」ではすみません。
だからある程度の「指示」は必要なことなのです。
しかし、それでも時には逮捕者が出ます。「逮捕」とは「捕まえる」の意味に過ぎず、
ただちに起訴されるわけではありませんが、一定の時間、拘束されるのです。
そのような行為を警察が行うにはよっぽど「正当な理由」がなくてはなりません。
しかし、一連の反原発行動の中で「正当な理由」など指摘されていません。
現に、逮捕はしても起訴もされていないことからも、この逮捕の不当性を物語っています。

逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
逮捕の状況を調べ、その不当性を主張すること

などがあります。有効性を持った対応とはこういう事です。
だから参加者も主催者の呼びかけに安心して応えられるんじゃないでしょうか。
こうした責任は「主催者」にあります。
他の「主催者」に聞いてごらんなさい。常識ですよ。

>私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。

「仲間は助けるが同志は助けない」って、いったいどこから出てくる屁理屈でしょうか?
まあ、呆れるという他はありませんね。
なお、「ここ10年」ではありません。救援連絡センターの歴史はもっと古いです。
ぜひ、活用していただきたいと思います。

>一部労組の旗を排除したりという行為があったことはたしかですが、それは方針の不徹底による反原連側の過ちです。

了解しました。ではこれからは労組が旗をもってきても大丈夫だという事ですね。
ついでに私の見解を申しますが、所属を示すかどうか、は基準としてもしょうがないと思います。
それは「日の丸」と「労組の旗」との比較においてそう思います。
「日の丸」は「所属を示す」のでしょうか?
広い意味で「日本国民である事を示す」という事になるかも知れませんね。
しかし私は日の丸によって、そんな「集団の一部である」と思われることに不快感を持ちます。
野間さんもご存知のように日の丸は君が代と共に、明治政府以来「侵略の象徴」でもあったからです。

原発被害を訴え、危険なものを押しつける政策に反対する行動の中に
そのような侵略・抑圧の象徴を持ち込むのは、言い換えれば
「他者を抑圧するような者が抑圧されている人々の行動に参加する」という事に他なりません。

一方、労働組合とは、労働者の団結を象徴するものです。
労働者個人と、経営者とでは労働者の方が圧倒的に不利な立場にあります。
だから労働者は団結して経営者と対等の立場となる事ができるのです。これは憲法でも保障された権利です。
だから、こうした反原発の行動に対して非常に親和的であると思います。
むしろ労働者の闘いに学ぶことさえできるのではないでしょうか。
労働運動がもっと反原発運動の主流となる必要を感じます。この運動に「勝つ」ためには。

●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)12時55分10秒

まっぺんさんへのお返事です。

> 逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
> 逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
> 弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
> 逮捕の状況を調べ、

ここまで、反原連は全部やってますね。

> >私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
>
> 「仲間は助けるが同志は助けない」って、いったいどこから出てくる屁理屈でしょうか?
> まあ、呆れるという他はありませんね。
> なお、「ここ10年」ではありません。救援連絡センターの歴史はもっと古いです。
> ぜひ、活用していただきたいと思います。

いや、「救援の歴史」ではなく、救援の担い手の話です。よく読みましょう。また、救援連絡センターを使うかどうかは、逮捕された人の意向を尊重すべきです。方針が合わない人もたくさんいますので。

> >一部労組の旗を排除したりという行為があったことはたしかですが、それは方針の不徹底による反原連側の過ちです。
>
> 了解しました。ではこれからは労組が旗をもってきても大丈夫だという事ですね。

「大丈夫」というのは、どういう意味でしょうか?
主催の呼びかけで「歓迎しない」とされている行為をすることが、何にたいして「大丈夫」なのですか?

> ついでに私の見解を申しますが、所属を示すかどうか、は基準としてもしょうがないと思います。
> それは「日の丸」と「労組の旗」との比較においてそう思います。

その比較自体がおかしなことだと思います。

> 野間さんもご存知のように日の丸は君が代と共に、明治政府以来「侵略の象徴」でもあったからです。
>
> 原発被害を訴え、危険なものを押しつける政策に反対する行動の中に
> そのような侵略・抑圧の象徴を持ち込むのは、言い換えれば
> 「他者を抑圧するような者が抑圧されている人々の行動に参加する」という事に他なりません。

反原連はこういう一面的で単純な歴史観や国家観にくみしないので、日の丸については当初から「許容」しているのです。また、メンバーの中には、私やたんぽぽ舎の原田さんのように、日の丸が上がっていること自体にもっと積極的な意味を見出す人もいます。

> 一方、労働組合とは、労働者の団結を象徴するものです。
> 労働者個人と、経営者とでは労働者の方が圧倒的に不利な立場にあります。
> だから労働者は団結して経営者と対等の立場となる事ができるのです。これは憲法でも保障された権利です。
> だから、こうした反原発の行動に対して非常に親和的であると思います。
> むしろ労働者の闘いに学ぶことさえできるのではないでしょうか。
> 労働運動がもっと反原発運動の主流となる必要を感じます。この運動に「勝つ」ためには。

「団結を象徴する」というのは、労組以外の人にとってはあまりピンと来ない考え方のように思います。そういう考え方があることは理解しますが、その是非とは関係なく、労働運動の文脈を過度に持ち込むことは、外野から見ればマイナスに働いているように見えますね。反原発運動においては、労組の方にはもっと組合以外の人々と「団結」する方策を模索してほしいと思います。

https://twitter.com/kdxn

●Re: 仕事前ですので手短に 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)13時09分33秒

草加耕助さんへのお返事です。

> 要するに、ありとあらゆる主張(歓迎しないものを含む)に対して、オープンにしていますよ、別に何を主張してもらってもかまいませんよということですね。もちろんモノには限度があることは承知していますが。

その「限度」についてはわりと厳格です。シングル・イシューは大原則として維持します。草加さんが先の投稿で挙げた例は原発問題に直接関連するさまざまな主張で、シングル・イシューの範囲を逸脱しませんから、当初から何も制限されておらず、「歓迎しない」ものですらないです。

> ただ、「再稼働反対」以外のこと(「野田はやめろ」とか)を主張して、「主催者」を「自称」する人から、やめてほしいと言われた話は、ごく普通に聞きます。実際に書くのはリアルの友人から聞いた話だけですが、ネット上のつきあいの方を含めると、もっと多いです。書いてきたプラカードを下ろせと言われた人もいます。どの例も、断ったら「主催者」はそれ以上は何も言わずに立ち去ったということです。

私はプラカードを下ろしてもらったことや、下ろせといって断られたこともあります。それはどういうプラカードだったかというと、どこかの教職員組合の人が持っていた「中村都教委糾弾!」みたいな幟でしたね。要は別のイシューのものを掲げている場合は、これは下ろしてもらいます。

> 被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われて、官邸前には行かなくなった方というのも、私のリアルの知り合いです。そんなの無視してやればできるということなんでしょうが、「主催者」にそう言われた時点ですっかり失望してしまったようです。ただし反原連を非難するのではなく、「とても心配している」とのことです。

このことについてはツイッター上でもよく話題になっていますが、たいていの場合は誇張です。反原連は疎開裁判の人たちとも連絡をとりあって活動してます。官邸前のスピーチエリアで、ルールとなっている制限時間を超えてえんえんとしゃべり続けるとか、それを制止してもやめないような人たちの一部にそういう主張の人がおり、それが「被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われ」たという話として流布されているのが実情です。あと、「シュプレヒコールの中にこれを入れろ!」と言ってきて断った場合とか。いずれにせよIWJのアーカイブを見れば、多くの人が被曝問題や避難の問題について普通に官邸前で訴えているという事実が確認できると思います。

> それを怠惰というなら言えばいいですが、そもそも喧嘩する気がないのです。

というよりも、草加さんは事実ではない情報を伝聞として広めているので、そのこと自体が反原連からしたら「ケンカ売ってんの?」ってことになっちゃいますよ、ということです。「腕章をした黒ずくめの集団にとりかこまれた」なんてことが、起きるわけがない。そんな集団はいないのですから。そういう、細かい印象操作をそのまま流布するなら、せめて当事者から反論があった場合はきちんと対応すべきです。

> まあ、どうしてもというなら、こういう知り合いをご紹介してもいいですが、私も、その当人も、もうあんまそういうことを深く追求してエネルギーをさくほど、反原連に腹をたてているわけではありません。「証拠をみせろ!」「表で論争しろ!」とかいうことではなく、今後の内部討論やよりよいネットワークのために是非とも話を聞きたいとか、そういう謙虚(友好的)な姿勢で接するならあってくれるかもしれません。

この話じたいに、謙虚さがまるでないと思います。私は草加さんにたいして「デマを広めるな」と言っているだけです。自分が何に加担しているか、よく考えて行動してくださいね。

●「同志」と「仲間」の違いについて 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)13時17分1秒 返信・引用 編集済

プレカリアート@携帯さんへのお返事です。

> 普通は同志=仲間じゃないの。実際に個人としてどこまで救援に取り組めるかはまた別問題としても。ところがそうじゃないという事は、参加者を単なる利用価値のある人間、自分の手駒としか見ていないからじゃない。

いや、このへんの感覚を説明するのは難しいのですが、たとえば労働組合や左翼セクト、ノンポリ市民、右翼勢力が「反原発」の一点で集まっている場合、それは「同志」であってもそれぞれの人に「仲間」の感覚が薄いんじゃないかと思うんですね。当然、「利用価値」とか「手駒」という感覚もないです。利用したり動かしたりしませんから。

「官邸前の日の丸を下ろせ」という左翼からの主張は、集まっている人は仲間であるべきだから、仲間じゃないやつを排除しろという発想に立っているようにも思えるのですが、本来はさまざまな政治的傾向を持つバラバラの人が「反原発」という「同」じ「志」のもとに集まっているのだという感覚になれば、あんまり気にならないんじゃないのかなと。

ちなみに、7.29の救援については、救援会は逮捕者の「仲間」の方々が組織し、反原連はそれと連絡を取り合いながら支援するという形を取りました。

https://twitter.com/kdxn

●日の丸は 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト 投稿日:2012年 8月18日(土)14時20分16秒

在日外国人やアジア諸国民を運動から排除する。
ま、代々木とも気の合う、今の日本社会のレベルに相応しい「国民運動」路線だけどねw
ドイツ人やインド人もビックリ!!!www

だけど、ジョンやジミや清志郎が生きていたら、多分、泣くぜぇ。

●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)14時21分17秒

野間易通さんへのお返事です。

> > 逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
> > 逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
> > 弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
> > 逮捕の状況を調べ、
>
> ここまで、反原連は全部やってますね。

今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
そもそも「仲間は助けるが同志は助けない」とか
「呼びかけただけで、あとは知らないナリ」という、
責任についての奔放な態度を開陳されているあなたが
救援についてきちんと考えていたとは思えません。
まぁ、たんぽぽ舎なんかはそのへんしっかりしてますから
当然やっていると思いますが。

> いや、「救援の歴史」ではなく、救援の担い手の話です。よく読みましょう。また、救援連絡センターを使うかどうかは、逮捕された人の意向を尊重すべきです。方針が合わない人もたくさんいますので。

わたしは救援の担い手の歴史から申しているのです。
救援連絡センターは「外部から忽然と産まれた」のではありません。
運動の歴史の中で救援の担い手たちが協力し合っていっしょに作り出したのです。
えっと、少なくとも40年以上の歴史がありますよ。
被逮捕者の意向を尊重するのは当然のことです。
当然、その「意向を聞く」ことから始まりますよね?
それについて、人に聞く前に自分からやるべきだと思いますよ。主催者なら。

> > 了解しました。ではこれからは労組が旗をもってきても大丈夫だという事ですね。
>
> 「大丈夫」というのは、どういう意味でしょうか?
> 主催の呼びかけで「歓迎しない」とされている行為をすることが、何にたいして「大丈夫」なのですか?

おや? 「歓迎しない」けれども禁止ではないんでしょう?
逆に言わせてもらえば、現場で「反原連」の腕章によって参加者に命令的態度をとる人は
参加者から「歓迎」されていないことも踏まえておくべきでしょう。草加さんが書いている通りです。
呼びかけたのは反原連ですが、その呼びかけに応じて参加したのは我々です。
それに対する一定の指示は受け入れますが、現場では受け入れられない場合もあるということです。
労組の旗の登場については、あなたに余計な指図を受けるいわれはありません。

> 反原連はこういう一面的で単純な歴史観や国家観にくみしないので、日の丸については当初から「許容」しているのです。また、メンバーの中には、私やたんぽぽ舎の原田さんのように、日の丸が上がっていること自体にもっと積極的な意味を見出す人もいます。

知っていますよ。原田さんとは、テントの中で議論しましたから。
しかし原田さん以外はどうなんでしょうね。
ところで、原田さんが「積極的に」というのは誤解されかねない言い方ですね。
まるで彼が日の丸を「歓迎している」みたいな言い方じゃありませんか。原田さんがかわいそうです。
日の丸問題については、昨年、テントに「反原発」の極右団体が来たことに端を発しています。
その時の議論の結果として日の丸を掲げる団体などが「団体」として行動する事に反対するが
個人が日の丸を掲げて参加するのを反対はできない、というのがテントとしての見解でした。
だから、極右団体が日の丸を掲げて参加するのには大いに抗議するべきです。
もちろん、その文脈で例えば左翼もヘルメットをかぶって集団で登場するのは反対、という事になります。

日の丸と労組を比較できないという見解は、まったくその通りです。これについては
右翼の側が、「日の丸が駄目なら労組の赤旗も禁止しろ」という事を言ってきたからです。
つまり彼らは「日の丸」と「労組の赤旗」を比較するが、それはスジ違いというものです。
労組はすでに申したとおり、「労働者の権利を守るための団体」です。
しかし日の丸を掲げる極右団体はそれに比較できるような団体ではありません。
比較するなら「極左の党派」ということになります。
だから左翼が集団で党派として登場するのもはばかられることになります。

また私は日の丸を「禁止しろ」とまでは言っておりません。
主催者側にそんなことを要求するのではなく「反日の丸」意見を拡大してゆき、
参加者の力で排除するべきかと思います。

日の丸に対しては一参加者として非常な不快感を持っていることについては表明しておきます。
しかしその意見に対してあなたが「一面的で単純な歴史観や国家観」であると断定するのは、
それもまた「一面的で単純」であると思いますが、それよりも問題なのは、
そうした断定をする事は「主催者の権限」を超えた行為なのではないのでしょうか?

日の丸を許容したのは、意見の違いを超えて「反原発」一本で集まるためではないのですか?
それなら、当然にも参加している「反日の丸」勢力の人たちにむかって
「一面的で単純な歴史観や国家観」というのは参加者を「選別」する行為です。
主催者なら「日の丸も反日の丸も許容する」というだけでいいのではありませんか?

> 「団結を象徴する」というのは、労組以外の人にとってはあまりピンと来ない考え方のように思います。そういう考え方があることは理解しますが、その是非とは関係なく、労働運動の文脈を過度に持ち込むことは、外野から見ればマイナスに働いているように見えますね。反原発運動においては、労組の方にはもっと組合以外の人々と「団結」する方策を模索してほしいと思います。

ピンと来ないのは実態として知らないからなのでしょうね。「知識」として知ってはいても。
それは旧「新左翼」の一員である僕にも大いに責任のあることです。
世界の労働運動が、資本の側からの強力な攻勢にもかかわらず、生き残って闘いを継続しているのに
日本では労働運動はことごとく潰され、資本に屈服してきました。
現在、日本では反原発でも沖縄でも、他のどのような運動でも、
労働運動が主役となることがありません。敗北の結果として
次の世代に運動の伝統を渡すことができませんでした。
このままではだめだ、という気持ちは、野間さんにはわからないでしょうね。

●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)14時40分33秒

まっぺんさんへのお返事です。

> > > 逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
> > > 逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
> > > 弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
> > > 逮捕の状況を調べ、
> >
> > ここまで、反原連は全部やってますね。
>
> 今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。

意味がわからない。反原連が、組織としてやってます。
当然会議で合意を経たものですし、実務の担当者とそうでない人がいます。

> そもそも「仲間は助けるが同志は助けない」とか
> 「呼びかけただけで、あとは知らないナリ」という、
> 責任についての奔放な態度を開陳されているあなたが
> 救援についてきちんと考えていたとは思えません。
> まぁ、たんぽぽ舎なんかはそのへんしっかりしてますから
> 当然やっていると思いますが。

自分の考えと同じでないと「きちんと考えてない」とするのはいかがなものか。運動が大きくなってきた場合、責任範囲を限定的・分散的にしておかないとこういう個人主体の運動体そのものがつぶれてしまいます。大きな組織でないと運動ができなくなる。そういうことを避ける方策を考えるのは当然でしょう。

> わたしは救援の担い手の歴史から申しているのです。
> 救援連絡センターは「外部から忽然と産まれた」のではありません。

救援連絡センターの歴史ではなく、「誰が救援連絡センターや弁護士と連絡を取り、救援会を組織するか」の話。それを「担い手」と言ってます。救援連絡センターが「担い手」なら、そこに連絡すりゃすむ話ってことになっちゃいますが、ちがうでしょ?

> > 主催の呼びかけで「歓迎しない」とされている行為をすることが、何にたいして「大丈夫」なのですか?
>
> おや? 「歓迎しない」けれども禁止ではないんでしょう?

そうです。「主催の呼びかけに応じて集ま」る人が、主催が「歓迎しないことをやる」のは、何にたいして「大丈夫」なんでしょうか?

> 一参加者としては非常な不快感を持っていることについては表明しておきます。
> しかしその意見に対してあなたが「一面的で単純な歴史観や国家観」であると断定するのは、
> それもまた「一面的で単純」であると思いますが、それよりも問題なのは、
> そうした断定をする事は「主催者の権限」を超えた行為なのではないのでしょうか?
> 主催者なら「日の丸も許容する」というだけでいいのではありませんか?

「反原連はそのように考えない」と表明することは当然反原連の「権限」の範疇でしょう。というか、そもそも権限云々とは関係がない。

> > 「団結を象徴する」というのは、労組以外の人にとってはあまりピンと来ない考え方のように思います。そういう考え方があることは理解しますが、その是非とは関係なく、労働運動の文脈を過度に持ち込むことは、外野から見ればマイナスに働いているように見えますね。反原発運動においては、労組の方にはもっと組合以外の人々と「団結」する方策を模索してほしいと思います。
>
> ピンと来ないのは知らないからなのでしょうね。

そうです。仲間内の了解事項を共有しない人が集まるから、人数が増えていったんだと思います。

> 労働運動が主役となることがありません。敗北の結果として
> 次の世代に運動の伝統を渡すことができませんでした。
> このままではだめだ、という気持ちは、野間さんにはわからないでしょうね。

先の投稿でも書いたように、私自身は労組にもっと参加してほしい。もっといえば、独自のデモもどんどんやってほしいと思ってます。労働運動に関わってきた人が「このままではだめだ」と本当に考えるなら、今までのやり方を見直すことにもっと積極的でいいんじゃないかな。「労組の幟は団結の象徴だから上げさせろ!」なんてことを主張する前に、原発をどうやったら止められるかを労組以外の人たちと一緒になって考えていく姿勢を持ってほしいと思います。

実際、組織動員をするが組合の幟は持ってこないという方針の労組はすでにいくつかあるようです。7.16の代々木でもそういう方針が主催の側から伝えられたと聞きますが、あんまり守られてなかったみたいですね。

https://twitter.com/kdxn

http://6305.teacup.com/mappen/bbs?page=1&

(3)に続く
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