お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

活動拠点をやいと屋知足斎の日記に移しました

筒井天王祭

2006年05月19日 00時04分33秒 | 山車祭り
来る6月、2,3,4日(金土日)と名古屋市東区筒井町界隈で「筒井天王祭」が行われます。古くから伝わる「疫病除け」の祭ですが、祭礼の目玉は何と言っても2輌の山車筒井1,2丁目付近の(旧称筒井1,2,3丁目)建中寺前の山車「神皇車」と、筒井三丁目と4丁目付近(旧称 車道4丁目と筒井4)情妙寺前「湯取神子車」金曜の夜から曳かれます。
 神皇車の本陣(不動会館)建中寺の門横に「天王社」があり、これがまた小さい。同じく、湯取車山車蔵前に鎮座する「天王社」
これもまた小さい。祭礼のお社の小ささと曳かれる山車の大きさのアンバランスさが、筒井天王の魅力かもしれません。


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曳かれる山車の仔細ですが、かなり今までに比べてテンションが低いです!?

神皇車
江戸時代は廣井村 新屋敷(現在 中村区 柳橋魚市場付近?)で三の丸天王社の車楽へ笹提灯を奉納し、提灯で彩る
「御見舞車」として作られました。新屋敷は明治になって区画整理等で消滅し、山車は建中寺前に買われました。昔の文献などで当たっているのですが、江戸期、新屋敷で神皇車がどうだったか?私はあまり知りません。と言いますのも昔の文献の絵と今の山車では異なっている。明治期に消滅した「新屋敷」の資料が少ない、からです。
 それでも、心ある研究家によって調べられています。その研究を待ちたい。

 明治期に筒井町に来るにあたって山車を修復し、また度々修復されました。
昭和に入って、高覧、屋根が朱、青い大幕となり現在の形となります。
 屋根の「朱」水引幕の「白」大幕の「青」輪カケの「黒」(こげ茶?)の色の妙は言うに及ばず、ただお見事としか言葉が出ません。(色の組み合わせでは四神相応となりますが)名古屋でもっとも目立つ山車となりました。
 幕は水引に「十二支」と大波の幕十二支は「森高雅」の下絵とも。確実な事はわかりませんが、かなりの実力者によって書かれた事がうかがえます。


湯取車
情妙寺前の山車「湯取神子車」は桑名町(現在 中区錦)で曳かれたもの、今は無き東照宮祭で曳かれた山車を天保年間、桑名町が山車を全て造り替えるにあたり、古車を買いました。
明治期に水引と大幕を新調し、山車の修復も行い、原型はこの頃できたものと思われます。昭和から平成にかけて山車を修復し、現在に至っています。
 幕は桑名町伝来と思われる「雲龍」の水引と三色の胴幕、雲龍の下絵は森高雅とも。(森高雅の師匠、中林竹洞が桑名町生まれですので、中林竹洞下絵も捨てがたいと思っているのは、

私だけです。
明治期に造られた幕は 南外堀町「渡辺杏堂」下絵による四瑞(龍、神亀、鳳凰、麒麟)の水引、猩々緋の大幕の文字は「黒門町」の「渡辺圭一」と云われております。

 近年になって「雲竜」の水引、三色の胴幕は復元され、明治期の幕四瑞の水引と猩々緋の大幕も復元されました。


神皇車カラクリ人形
神皇車のカラクリは大将人形である「神功皇后」が戦に赴く時、海が多いに荒れた脇に控える「武内宿禰」が海の様子を見る。困ったものだと思っていたら「巫女」が神がかり、一瞬にして「龍神」に変化します。龍神が海を鎮めたところで、よくやったと神功皇后が誉めるカラクリ。

 他町に無い特徴は何と言っても龍神(巫女)巫女が龍神にへんげしますが、その時、顔だけでなく、衣装も変わります。他町のカラクリでは「顔だけ」が多いですが、ここは、がらっと変わる。衣装の変わり方を観まするに「歌舞伎」の「1人2役」を思い起こさせます。1人2役と聴いて私は歌舞伎の風雲児「市川猿之助」の得意技を思い浮かべますが、皆様はどうでしょう?

 また、平成に入ってから人形の修復をしました、能面師でもある後藤師の手により、顔の剥げた部分などが復元されました。龍神の顔、またザイフリの顔など、名古屋屈指の人形となりました。


湯取車カラクリ人形
湯取車のカラクリは大将人形に「阿倍晴明」をモデルにしたといわれる神官を置き、その前で神子が大将に湯取神事の許しを請います。大将が首を縦に振ると、神子が四方を回り(四方を祓う意味があるのか?)山車前面に突き出た「釜」の前に来ます。
 そこで「神がかり」となり神子が激しく動くと釜から「湯の花」に見立てた「紙吹雪」が山車全体を舞い上がります。
 その時、前棚の二体の人形太鼓うちと笛吹き(笛を吹く仕草が鼻をこすっているように見えるので 鼻こすりと呼ばれます)が囃子の大太鼓の音に驚き、笛吹きは目をパチクリさせて、囃子ます。

 湯取車の命ともいえる「釜」このカラクリは尾張に伝わる文字を書く「文字書き」や杭を渡る人形に比べれば単純なカラクリですが、釜から湯の花を飛ばすと言うアイデアによって、単純ながら見栄えの良いカラクリとなりました。しかも「釜」のかたちにより、空気が真上に飛ぶのではなく、釜底の丸みのお蔭で、山車前部に緩やかに紙吹雪が飛びます。先人の知恵に驚かされます。平成に入り(つい最近ですが)二代目萬屋仁兵衛師により、人形全般が修復されました。


神皇車囃子
神皇車の囃子は「車切」「狂言神楽」山車のすれ違い時に使う「早神楽」ゆったりとした「神楽」
篠笛で吹く「帰り囃子」など。「早神楽」は東区では神皇車のみとなります。
特筆すべきは「帰り囃子」その昔若宮八幡社祭礼に出された「門前町」陵王車が明治に文明開化を記念して「開化」という囃子を作った。この曲がたいそう名曲だったそうです。門前町の陵王車は無くなり「開化」の流れを受ける囃子は神皇車の「帰り囃子」中村区の唐子車「開花」の2つ。

 神皇車の「帰り囃子」は「開化」からかなりアレンジが加えられたそうですが、
哀愁をおびた名曲となって現在も伝わります。どれぐらい凄いかは、この囃子を聴いたとある少年があの囃子を吹きたいと、囃子方を目指すくらい。

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つまりこの記事を書いている私ですね。神皇車とは縁なく別の山車に関わるようになりましたが、あの時の衝撃により囃子方となったわけですから、人生が変わったと言っても、言い過ぎではない。

 特に筒井天王祭終わりが近づいた夜、提灯をつけての町内曳きの時「帰り囃子」がはやされますが、その時の後姿を見ると、永遠のものは何一つ無い「哀愁の美学」棟方志功氏の「ねぶた祭の後姿」日本人の美意識に訴えるものがあるのでしょう。


湯取車囃子
湯取車の山車囃子は「雨降囃子」「車切」「しんぐるま」(進車)「道行」など。
笛は神楽笛を使います。湯取山車囃子は独特の進化を遂げたようで、神楽笛を使うから「熱田神楽」の影響(熱田神楽の影響を言う人は私1人ですが…)他の山車と同じく名古屋文化の影響を受けたと思われます。
 他地区の山車は「能管」を使いますから、かなり異質ともいえます。(熱田神楽を使う山車も他にありますが、湯取ともかなり違う)言ってみれば「オンリーワン」なわけですが、オンリーワンにはオンリーワンなりの悩みもあり、オンリーワンが良いかわかりません。

「雨降囃子」はかつて東照宮祭に曳かれた「橋弁慶車」の帰り囃子と伝えられております。他町では摺り鉦をいれ「帰り囃子」(山車が本陣へ帰る時に使う囃子)として使いますが、湯取は、大太鼓、付け太鼓、笛のみで、帰りを問わず、祭礼全般で使います。大太鼓の打ち方に特徴があります。
「車切」は山車前輪を地面に付けたまま、山車を曲げる時、「しんぐるま」は山車が帰る時に使います。

 京都「洛中洛外図」の祇園祭の山鉾は、見るものに迫ってきて、足早に去って行くように描かれています。「しんぐるま」はそのような囃子。景気よく帰っていく囃子。神皇車の「帰り囃子」とは対照的ですが、これも日本人の美学でしょう。


祭礼
金曜日(前夜祭)は夜のみ、土曜日(前日)は昼と夜、日曜日(千秋楽)も昼と夜。
湯取車は「徳川園山車揃え」にも参加します。午前中に徳川園に到着ですね。
 昼は、お祭町内曳き、土曜日は湯取、お祭町内曳き、日曜は神皇お祭町内曳き2輌揃って曳かれます。(カラクリは家々で奉納)
 夜は、それぞれのお祭町内を曳きまわした後筒井町のとある辻で「出合い」(2輌の山車が対面)夜九時頃、その時、カラクリ人形奉納、山車をぶん回し、宿へ帰っていきます。

goo地図ですと夜の出合いの場所は

gooナビですとこんな感じ

地下鉄桜通線「車道」下車徒歩5分ですね。夜の出合い終わった後、帰っても差し支えないと思います。(土曜日だとなお安心)

ヤフー地図だと

多数のご来場をお待ちしております。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
筒井町天王祭もちろん行きますよ (UKOKKEI)
2006-05-19 20:07:46
 筒井町天王祭、もちろん今年も3日共行く予定ですよ。

 おそらく3日共、昨年とほぼ同じ時間帯にお邪魔すると思います。



 そう言えば昨年の金曜日は、初めて夜の「出会い」を見ることが出来ました。

 しかし筒井町に行く前に寄った隣町についつい長居をしてしまい、着いたのは湯取車のぶん回しが終わった直後でした(爆)。

 今年は隣町は早目に切り上げて、「出会い」の行事を全て見ようと考えています。



 また土曜日は筒井町に着いた途端に雨が降り出して山車の曳き廻しが中止になり、時間を持て余す羽目になってしまいました。

 その日見るつもりだった車道駅方面への揃い曳きは日曜日に見ることが出来ましたが、その代わりに当日見るつもりだった建中寺方面への揃い曳きが見られませんでした。

 今年はこのようなことが起こらないように、3日共好天の下で祭りが行われることを祈っております。



 最後になりますがアキ様、祭礼中の体調管理には十分に気を遣ってくれぐれも昨年のような「干しアキ」にならないようお気を付け下さい。
なつかしい (アキ)
2006-05-19 21:33:39
 「干しアキ」懐かしいです。水の取り過ぎでの下痢も怖い、熱中症も怖い。昨年は干上がって、唇が割れまくりました。色々経験しましたが、経験を糧にしていきます。昔に比べて、呼吸器など弱ってきたかもしれません。それでも、トレーニングメニューなどでカバーできます。衰えることはありません。

 昨年の名古屋まつりから天王祭、徳川園の強行日程をこなしたのは、良い経験かもしれません。個人的には土曜夜がもっとも調子が良いかも?日曜の夜がもっともサプライズが多いかもしれません。私も予測できない。今年もどうなる事やら・・

 よろしくね。
今年の祭りは暑かったです (UKOKKEI)
2006-06-04 21:49:33
 アキ様今晩は。

 筒井町天王祭、今年も3日共お邪魔させて頂きました。

 今年は昨年のように雨のため予定が変更になるという事態は起こりませんでしたが、暑かったです。



 さて今年一番印象に残ったのは、毎日「お色直し」をした湯取車です。

 その中で私は、日曜日の姿が気に入っています。

 久し振りに、あの大幕を飾って太陽の下を曳かれる湯取車を見ることが出来ました。



 そして金曜日の夜の出会いを最初から最後までしっかりと見ることが出来たこと、土曜日にこの記事でも取り上げられている神皇車の「帰り囃子」をじっくりと聞くことが出来たこともいい思い出です。



 最後にアキ様、3日間お疲れ様でした。

 そして、ありがとうございました。
金土は赤で統一、シャア専用湯取車でしたね (アキ)
2006-06-05 18:37:53
 曇りなら、楫方、囃子方、人形方のスタミナの消費が抑えられると願っていましたが、最高の晴天、3日だけは灼熱の太陽が恨めしく思えました。

旧雲龍に筒井町、猩々緋の大幕、旧式のシャア専用湯取車ですね。そして四瑞の水引と新しい猩々緋の大幕、そして千秋楽は新雲龍に「筒井町」と大書された三色幕、夜は、旧式雲龍に旧式三色幕。ここまでするかとも思えるほどのお色直し、名古屋は結婚式が「ど派手」と言われますが、その片鱗を見ちゃったかな?

 こっそり私もお色直ししておりました。兵児帯、角帯、結び方を変えていました。貝の口やら時代劇の片結びやら、草履の時もあれば、足袋に下駄。手ぬぐいもこっそり違っていたり… 暑さのため着替えていると、変化をつけたくなるものです。

 このブログで神皇車帰り囃子を紹介しているのも不思議なような気がしますが、同業者が聴いていても名曲です。あの帰り囃子で出合いの後、本陣へゆっくりゆっくり進むのが日本の文化です。後姿しか確認できませんが、最近は山車が行く速さが速いかな?そう急がんでもええと思いますが。

 土日と出会いの後本陣へ帰る「帰り車」帰り囃子(しんぐるま)を聴いていると、今まで気が付かなかった帰り車の魅力に気が付きました。日曜日は湯取車がゆっくりと帰りましたが、この時の切師の後姿が文句なしにカッコいい。湯の字がカッコよかった。写真でとれるアングルではなく、山車の中でしか見ることのできない光景です。切師の衣装 弁慶は「選ばれし者」しか着れませんが、その後姿を見ることが許される私も幸せ者かもしれません。

 サッカーやプロ野球の背番号と同じものじゃないかな。背番号と同じく重みもあるし。

 祭は単純に良いものです。



 このブログのサイドバーもっと緑を濃くすると日曜日の湯取車になりますね。緑に白の文字。近く変えます。

 3日間本当にありがとうございました。また何処かの祭でお会いしましょう。
私もいきました (yanegami)
2006-06-05 20:26:48
アキさん、こんにちは。

筒井天王祭、私もいきました。

3日土曜日だけでしたが、この日は西枇杷島でもお祭があったので、筒井ー西枇間を三往復して写真撮っていました。

それにしても晴れてよかったですね!
ハガキ届きましたよ (アキ)
2006-06-05 22:33:43
 yanegamiさんこんばんは。祭礼準備の為、ブログの記事は休んでいましたが、そこそこ巡回しておりました。筒井も観て頂けたのですか、ありがとうございます。

 西枇杷島は清洲市となりましたが、祭礼ではちゃんとにしびの名が残っていますね。愛 地球博に参加したのでにしびは大盛況だったのではないでしょうか?

 車道の屋根神様跡の地は現在家は立っていません。私も観た事があるわけではありませんが、あそこに在ったんだと、伝える必要があるかもしれません。口伝がいいのかな?



 写真展のハガキ届きました。このブログで写真展紹介してもいいっすかね?