アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

「憲法『押しつけ』論の幻」(小西豊治著2006年)を読む

2016年10月12日 | 教育、憲法、報道
「憲法『押しつけ』論の幻」(小西豊治著2006年)
―なぜ、「押しつけは幻」なのか? 「押しつけ=幻」の根拠はなにか?

自民党の押しつけ論
 昨年4月に発行された自民党の政策マンガ『ほのぼの一家の憲法改正ってなぁに?』のなかに、次のようなフレーズがある。

 「えっ 日本の憲法にアメリカの憲法が入ってんの!?」(13頁)、「そりゃ 日本国憲法の基を作ったのがアメリカ人だからじゃよ」(15頁)、「こうして、日本国憲法は外国人の手によって、わずか8日間で英文の草案が固められた」(19頁)、「うちのルールを隣の家の人に口出しされているみたいなものじゃない」(23頁)などである。

 本書は明治憲法の元首天皇制から新憲法の国民主権への転換がアメリカに押しつけられたのか、それとも日本に内在していたのかを考究している。著者は日本国憲法の最も重要な部分、天皇制と人民主権に関して検証しているが、憲法9条問題については一切触れていない。

時代状況
 明治憲法が改正され、新憲法が生まれる1945~6年の労働者階級をみると、日本共産党は共和制(天皇制の解体)を唱えていたものの、「米軍=解放軍」規定で根本的な部分で屈服していた。社会党は国家主権(一部天皇主権容認)の立場で、人民主権には思い及んでいなかった。

 アジア人民は数千万人を殺戮した天皇制(皇軍)の根底的解体を望んでいたが、日本の労働者人民はアジア人民とともに、天皇制を解体する道を選択せず、象徴天皇制という妥協の道を選択した。かろうじて9条によって皇軍の解体を果たすことが出来たが、後日「自衛隊」として復活した。

 憲法研究会は高野岩三郎の天皇制廃止・共和制案(第4回研究会)を採用せず、象徴天皇制を提案した。翌年高野は『新生』2月号で「何が故に単に儀礼的機関に過ぎざる天皇制を存置するの要ありや」「…反動分子が天皇を担ぎ上げて、再挙を計ることも決して絶無なりとは断じがたい。したがって私はこの際あっさりと天皇制を廃止して、主権在民の民主制を確立」すべしと述べている。

 GHQは象徴天皇案に飛びついて、天皇制は延命し、復古天皇制への道が残された。高野の心配は的中し、戦後、元首天皇制復古の動きがくりかえしおきている。さて、著書の「押しつけ=幻」の根拠はなにか―象徴天皇制と人民主権の成り立ち―について著者の主張を見ていくことにしよう。

象徴天皇制は憲法研究会のオリジナル
 まず第1に、象徴天皇制についてみていこう。当初のGHQ民政局には「天皇制」をどうするかの案を持ち合わせていなかった。10月8日にマッカーサーが近衛に「12項目の指針」を出したが、天皇制については「天皇大権の縮小」しか提案していない。12月6日に民政局のラウレルは「日本の憲法についての準備研究と提案」を総司令部に提出しているが、そのなかで「天皇は年1回30日限度の国会停止を命じうる」として、天皇大権を制限する程度にしか考えていない。

 12月26日に憲法研究会(鈴木安蔵ら)の「憲法草案要綱」が完成し、12月28日に報道されると、翌年1月2日アチソンから国務長官に研究会案「憲法草案要綱」が送られ、1月11日にラウエルは「所見」を書いた。ここでようやく民政局は象徴天皇制について認識することになったのである。

 しかし、2月3日のマッカーサー三原則では、まだ「天皇は国家の元首の地位にある」としていたが、2月13日のマッカーサー案に「皇帝ハ国家ノ象徴ニシテ又人民ノ統一ノ象徴タルヘシ」と象徴天皇制が現れるのである。

 著者は象徴天皇制は憲法研究会のオリジナルであり、その「象徴」という用語については、岩淵証言「天皇を象徴にするということは、ここ(研究会)ではじめて出て来たものであった。これは杉森と室伏が考えだしたのである」、三宅証言「室伏君は…、そこで『象徴』がいい…」がある。

アメリカには人民主権宣言はない
 第2に、人民(国民)主権についてみていこう。アメリカ独立運動の最中、ヴァージニアの権利章典で「すべて権力は人民に存し、したがって人民に由来するものである」(1776年6月12日)と人民主権が宣言されたが、アメリカ憲法には人民主権宣言がない。

 それはフランス革命(1789年)の「人及び市民の権利宣言(あらゆる主権の原理は本質的に国民に存する)」、「フランス共和国憲法」(1958年)、「ワイマール憲法」(1919年)に引き継がれたが、アメリカには定着しなかった。したがって、GHQ民政局のメンバーには、人民主権宣言の知識を持ち合わせていなかったと、著者は書いている。

 他方日本では、土佐立志社「日本憲法見込み案」(1880年頃)の第88条には「国帝は反逆重罪に因りて其位を失す」とあり、政府の圧政に反逆し、抵抗する権利、新政府樹立権(革命権)が認定されており、これは人民主権規定である。鈴木は立志社憲法案や植木枝盛から学び、憲法研究会案に反映させていた。

 したがって、日本国憲法の「国民主権」規定はGHQに押しつけられたのではなく、憲法研究会の鈴木安蔵らによって、「憲法草案要綱」に採り入れられ、マッカーサー草案に反映されたのである。

 以上2点が著者小西豊治さんの主張である。小西さんは1948年に石川県珠洲市で生まれ、歴史学・政治学者である。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« こんなに恥ずかしい「押しつけ... | トップ | 偽装詩は嫌いだ »
最近の画像もっと見る

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。