進化する魂

フリートーク
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気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

「仕事」も「家族」も価値観として大差ない

2010-04-27 15:31:32 | 社会
このエントリは苦しい・・途中で書く気力を失ったので後半が・・

日本人を苦しめる「仕事は家族より優先」という異常な発想 (Rails で行こう!)
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20100426/1272289840

これもまた一側面ということですが、私なんかからするとちょっと違和感を感じます。

日本の経済成長が鈍化し、そして将来的にも向上する見込みがなくなると、日本のビジネス界には閉塞感が蔓延するようになりました。
そんな中、日本人の意識もずいぶんと変わってきているようです。
従来、生活水準の向上が人間に幸福をもたらしてくれるものだと思われていましたが、実はそうではないと今では多くの人が疑問を持ち、そして幸福をもたらしてくれる何かを模索し続けています。
その代表的テーマが「仕事より家族が大切なのか、家族より仕事が大切なのか」です。
しかし、私には、この命題が有意なものになるとは到底思えません。
「家族が自分に幸福をもたらしてくれる」という発想すら疑わしいと思うからです。

※ここでは「家族」を血縁的構造ということにしておきます。

これは実に不思議なのですが(考えれば不思議でもないけれど皮肉として)、なぜか人間が幸せになるための構成単位(あたかも必要十分条件)として「家族」を挙げる方が多いようです。
特に、人間の幸福について自説をお持ちの方に多い気がします。
が、私のような悲観的家族観を持つ人間は、この考えに非常に違和感を感じます。
というのも、私は「家族」というものそれ自体が幸福をもたらしてくれることは、まず有り得ないと考えるからです。
(これは普段から自分の家族と話し合う内容でもあるのですけれどね)

私がそう思うようになったキッカケは、自分の人生経験に由来しています。
私は物心ついてから、自分が自立するまでの間に、家族的幸福を感じたことがほとんどありません。
「幸福」というものは相対価値ですので、当然ながら、比較する生活なしに、その生活が幸せか不幸かを評価できるわけがないからです。
私にとっての家族的幸福とは、いつも後付け的なものでした。
「子を持って知る親の恩」という言葉は、後付けの説明として非常にわかりやすいと思います。
それに私は、親元で生活している間、自分の人生に不満しか持っていませんでした。
親兄弟に満足したこともありませんし、自分の利益になる場合にだけ、家族に対する感謝を感じていました。

思いつきかつ私事で申し訳ありませんが、自分の経験談を踏まえて自説を述べたいと思います。

私は父親の実家に祖父母と生活を供にしていました。
旧来の日本的家族にはよく見られた嫁姑問題もありましたし、私が中学生になると祖母が脳梗塞で倒れた後に痴呆症になったため、介護問題も経験しました。
父の兄弟には勘当された人もおりましたし、また異母兄弟的な問題も親世代にありまして、何かと問題の多い家族であった(旧日本的家族にはよく見られた光景)ではありました。
家計はその地域の平均よりも少し低い程度だったのではないかと思います。
また、私は誕生日やクリスマスにプレゼントをもらった記憶も、お年玉ももらった記憶もほとんどありませんし、服はいつもお下がりでした。
兄弟も多かったので、自分の部屋なんてものもありませんでしたので、家の中にプライベート空間など存在しませんでした。
当時、日本にはそういう家族も多く存在したろうから、私は、それが特別だとは全く思いませんでしたが、自分が幸せだとも思っていませんでした。
「貧しかったけれど心は豊かだったあの時代」的なことを大先輩達はおっしゃるのですが、私は大人になり親になった今でもそんなことは少しも思いません。
私には「心の貧しかった時代」としか思われません。

それにしても、痴呆の介護はかなり家族にとって精神的に苦痛を担うものでした。
毎日、家の中には怒号が響きます。
これがかなりストレスフルなのです。
受験勉強に勤しんでいる時もです。
私は自分がノイローゼになるかと思いました。
人間同士として理解し合えない人が家の中にいるわけですから、頭が固くなってしまった大人達からすれば、一方通行のコミュニケーションしか許されない痴呆老人は怒りを増幅してしまう存在です。
どんどん家族内不和が広がっていきました。
タダでさえ私の両親と祖父母とはうまくいっていなかったのに、それが更に悪化し、その上、私の親にも離婚の危機が訪れます。
もうだめだなと思いました。
ただでさえ、好きでなかった家族が大嫌いになりました。
今の生活ですら破綻しているのに、若い自分には明るい未来を考えることができませんでした。

当時の私には夢も希望もありません。(だから今でも若者に「夢を持て」などという人を疑いの目をもってみてしまう)
そんなものを持つのは贅沢だったのです。
未来なんてどうでもいいのです。
だって、自分にとっての人生とは、生まれてから"そんなもの"なのだから。
人生に価値があるなんて思っていないのです。
子供が自然状態で自分の可能性に覚醒するなんてことは有り得ません。
後天的な社会的教育効果なくして、社会的な将来像など思い浮かべるはずもないのです。
なぜなら、社会が人工のものだからです。
そうです。私にとっては、自分の人生すらどうでもよかったのです。
別に失うものもありませんでしたから、死んでも構わないと思っていましたし、どうせ死ぬならこのくだらない世の中を変えてやろうという危険思想に傾倒していきます。
間違っているのは自分ではなく社会の方だと真剣に考えていました。

当時、新興宗教団体の問題がクローズアップされていました。
社会的に閉塞感が立ち込め始め、多くの人が幸せを求めてさまよっていた時期です。
私は閃きました。
私が人生をかけるべきはまず精神革命だと。(なにやら昔よく聞いた話ですね)
高校生の時に私は家出をしました。
いわゆるグレですね。(私は賢いグレだと考えていますが)
将来的に有望そうな若者をスカウトして、自前で怪しい団体を組織しました。
チームみたいなものです。
代表は私と共同代表のもう1人です。

いつものことですが、ちょっと脱線してしまったので話を少し戻します。
(ついつい語りたくなってくるのは歳のせいでしょうきっと)
私にとって血縁による「家族」なんてものは単なる貧しかった時代の生活を構成する単位でしかなく、そこに思い入れはあれど、自然状態での絶対価値など認められないものです。
血のつながりが人間関係や幸福とに根本的な相関関係があるなら、人間社会で最も殺人事件が起きる現場が家庭であるはずがありません。
私には、「家族」に幸せを求めることは、「会社」に幸せを求めることとなんら大差ないように見えます。
たとえ生物学的に、遺伝子の優位性を支持する学説があったとしても、そんなものが与える影響は社会的影響に比べて誤差みたいなものだと私は考えたいです。
「生みの親より、育ての親」という言葉を支持したいと思います。

絆とは、血によって結ばれるものでは決してありません。
「人間」という言葉が「人と人の間」と書くが如く、人は人との関係性の中に意味を見出す生き物です。
「家族」も「血縁」も一つの関係性に過ぎず、人生の意味を規定できるほど強いものではありません。
現に社会によっては子育てを家族で行う必然性はなく、人生になければならないものではないのです。
「家族」の喪失は「心のふるさと」の喪失を意味しません。
何度もいいますが、家族なんてものは幸福の必須要件ではありません。
我々は「家族」や「血縁」よりももっと強い関係性を見出すことは可能です。
いや、可能でなければなりません。
もし不可能なら人類は絶望する他ありません。
もしそうなら、人類が存在する時点で「家族」という不幸が宿命付けられているからです。
社会の構成単位が家族しかありえないのだとしたら、その時点で社会的不幸が埋め込まれてしまいます。
そんな自ら死地に赴くような馬鹿みたいなことをしてはなりません。

と、何か観念的というか希望的というか、単なる意見的なものになってしまったのですが、きっと今とても体調が悪いことに起因して全く筆が進まないことと関係があると思います。
ただ、ここでの要点は「家族」なるワードや構造にこだわる必要はない。
それは絶対的価値観などではなく、単なる人類の長い歴史の中の一幕に過ぎないと言いたいのです。

などと考えいていたら、池田信夫氏が非常によいエントリを書かれていたので紹介します。

新たな「アゴラ」は見出せるか - 『〈私〉時代のデモクラシー』(池田信夫)
http://agora-web.jp/archives/991626.html


古代ギリシャでは、ポリスの公的領域であるエクレシアと家庭の私的領域であるオイコスの間に、公的でも私的でもない「広場」としてアゴラがあった。これは現代風にいえば中間集団だが、現在の「後期近代」とよばれる時代の特徴は、こうした中間集団が崩壊し、社会が国家と<私>の二極に分解しつつあることだ。

トクヴィルは、アメリカでは孤独な<私>を結びつける教会や結社などの人工的な中間集団をつくる努力が意識的に行なわれていることを見出した。

[中略]

1980年代に社会主義が崩壊する一方、福祉国家が財政的に破綻し、「小さな政府」に向かう後期近代に入った。これにともなう社会の<私>への分解を批判したのがコミュニタリアニズムである。他方、日本では、伝統的な共同体が会社に横滑りする形で近代化が進行したため、公的な福祉支出は小さく、会社が個人を守り、彼らの人生に意味を与える役割を果たしていた。

この擬似近代化は経済的には成功したが、そこには<私たち>のデモクラシーがないため、90年代以降の長期不況で会社共同体が崩壊すると、人々は所得だけではなく人生の意味を見失い、自殺が激増した。

[中略]

自民党政権の崩壊は、この意味では歴史の必然というより遅すぎたのだが、それに代わって登場した民主党政権は、こうした変化をまったく理解せず、前期近代の遺物にすぎない社民的イデオロギーや労働組合に依拠して所得移転を行なおうとして政策が破綻してしまった。この閉塞状況を脱却するには、会社への幻想を捨て、<私>が新たに集まるアゴラを創造するしかない。

しかし、もともと人工的な中間集団の伝統がない日本では、NPOなどの「新しい公共」はお遊びにしかならない。ネット上の言論が出発点になるかもしれないが、新たなアゴラの形成は、はるかな未来の希望にとどまる。本書もこうした問題を指摘しているだけで、新たなアゴラを示しているわけではないが、それを批判するのは酷だろう。そんな答を見出した人は、まだ世界のどこにもいないのだから。


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2 コメント

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はじめまして (みや心)
2010-04-29 22:05:53
仕事をしながら両親の介護をしています
体力よりも精神的に大変です

仕事と家族を比べることなどしないです
別のものだから

淡々と介護をしています
自分が育てられたような接し方で
介護返しです

介護にのめり込み過ぎると自分の家族が
壊れます
家族のあり方って難しいですね
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ありがとうございます (advanced_future)
2010-04-30 19:00:51
>みや心さん
コメントありがとうございます。
最近コメントがなかったので非常に嬉しいです。

介護の辛さ、お察しします。
人間は生まれてすぐ親から介護されます。
その恩返しを老介護で親に返す。
と言われますね。

私はこう思います。
人類は常に新しい問題に向き合わねばならない。
それは、人類が進化しているからに他ならないと。
難しい病が克服されれば、より難しい病が問題になる。
一つ悩みが解決されれば、より難しい悩みが生まれるのだと。

楽になることはない。
幸せとは楽とは違うものなのでしょうね。

今後もコメント頂けると嬉しいです。
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