乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:

 在野の政治研究家乾龍が『漂流日本の闇』を斬る! 日々の政治・経済等の時事ニュースの深層を探る。

会津と友好へ…白虎隊の碑、山口・美祢に建立

2016-10-16 12:46:30 | 学術・文学・アート・美術・古典

会津と友好へ…白虎隊の碑、山口・美祢に建立

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:会津と友好へ…白虎隊の碑、山口・美祢に建立 

 戊辰(ぼしん)戦争で敗れ、自刃を図った白虎隊の唯一の生存者が引き取られたと言い伝えられる山口県美祢市東厚保の小杉地区に、この伝承を記念する「恩愛の碑」が建てられた。

除幕式に参加した一元さん(左端)や吉井さん(右端)ら

     除幕式に参加した一元さん(左端)や吉井さん(右端)ら

 除幕式が15日、地元で行われ、長州藩士や白虎隊士の子孫らが出席。過去の憎しみを乗り越え、未来に向かって手を携える尊さを訴えた。

 記念碑は県産の御影石で作られ、縦約1メートル60、横1メートル80の屏風(びょうぶ)形。歴史愛好家らでつくる「白虎隊の会下関支部」(下関市)と美祢市民で構成する実行委員会が寄付を募り、約450万円かけて建てた。

 同支部によると、白虎隊は1868年、長州藩などからなる新政府軍の攻撃を受け、敗走。一部が自刃を図ったが、飯沼貞吉(1854~1931年)が生き残った。小杉地区の庄屋だった高見家では、長州藩士の楢崎頼三(1845~75年)が飯沼を保護し、高見家に預けたと言い伝えられているという。

 飯沼の世話をしたとされる高見フサの子孫で、同支部長の吉井克也さん(69)が、この伝承について調査。2008年に飯沼の孫の一元さん(73)(東京)と知り合った。一元さんが記念碑の建立を提案し、吉井さんらの呼びかけで昨年5月、実行委が発足した。

 除幕式には、一元さんの兄弟や楢崎の子孫・松葉玲子さん(81)(東京)らも参加。飯沼や楢崎の名が刻まれた記念碑が披露された。傍らに設置された説明板には、助かった後も自刃を図った飯沼に対し、楢崎が「今からは日本人が心を一つにして、この国を強くて豊かな国にせんにゃいけんのじゃ」と諭した逸話が記されている。

 松葉さんは「楢崎が当時、危険を顧みず、見返りも求めずに貞吉を守った英断が今日につながった。石碑をきっかけに、二人の関係を知ってもらい、平和を考えるきっかけにしてほしい」とあいさつ。碑の近くでは、会津特産の「みしらず柿」と、萩の「夏みかん」の苗が植えられた。

 吉井さんは「恩讐(おんしゅう)を越えたつながりが実際にあったことを知ってもらう場になってほしい」、一元さんは「会津では今も山口県に対し、悪感情を抱く人がいる。記念碑は、過去の恨みをひきずらず、新たな関係を作るための礎となってほしい」と話した。(江口武志)

 【白虎隊】

 会津藩が組織した部隊の一つで16、17歳の男子によって編成された。戊辰戦争では、新政府軍に敗れ、飯盛山(福島県会津若松市)で隊士約20人が自刃を図り、飯沼貞吉を除く全員が亡くなった。

 元稿:讀賣新聞社 主要ニュース 社会 【話題】  2016年10月16日  12:46:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

『山口県』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 造船の街、進水式を観光資源... | トップ | 中国、17日に有人宇宙船打... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。