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【政治アカデメイア】: 小泉元首相が喝破した「友情と打算の重層構造」

2016-10-11 06:00:30 | 社説・解説・コラム

【政治アカデメイア】: 小泉元首相が喝破した「友情と打算の重層構造」 編集委員 清水真人

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【政治アカデメイア】: 小泉元首相が喝破した「友情と打算の重層構造」 編集委員 清水真人

 「変人宰相」と呼ばれた小泉純一郎(74)が首相を退任して10年になる。折しも9月に元自民党幹事長の加藤紘一(享年77)が死去。2人に元副総裁の山崎拓(79)を加えた政界の盟友関係「YKKトリオ」も終幕を迎えた。政治史に語り継がれるのは、盟約を喝破した小泉のこのセリフだろう。「YKKは友情と打算の重層構造だ」――。

 9月28日。山崎が衆院から毎年支給される手帳に書きためたメモを基に政界の内幕を描いた『YKK秘録』(講談社)の出版記念会が都内で開かれた。3人の盟約を軸にした記述だけに、小泉も駆けつけた。「酒を飲んだ後、よくあんなメモを取っていたなと感心する。政局が注目を浴びたYKKの時代と違い、政界が停滞している。少しは活気を出せ、という気持ちも込めた出版だろう」と述懐した。

 ■YKKトリオ、「加藤の乱」で敵対

 加藤は保守本流と呼ばれた派閥「宏池会」でプリンス扱いされ、1990年代後半に3年近く幹事長を務めた。これほど「いずれ首相になる」(小泉)と確実視された政治家はまれだった。それが暗転したのは、2000年11月の「加藤の乱」だ。不人気だった首相の森喜朗に反旗を翻し、内閣不信任決議案に賛成する寸前まで行きながら、同志を切り崩されて腰砕けに終わった。

2000年12月、都内のパーティーで握手する(左から)加藤紘一氏、山崎拓氏、小泉純一郎氏=共同

  2000年12月、都内のパーティーで握手する(左から)加藤紘一氏、山崎拓氏、小泉純一郎氏=共同

 山崎は「友情を全うする」と加藤と行動を共にしたが、小泉は同じ派閥の釜の飯を食った森を守る立場から「乱」を鎮圧する側に回った。『秘録』によると、その直後の山崎の誕生パーティーに、招いていないはずの小泉が現れた。「YKKは友情と打算の二重奏だ」「私が友情でこの場に来たとお思いでしょうが、さにあらず打算で来たんですよ」と言い放ったという。

 皆があっけにとられる中、山崎は小泉が「次は俺を頼むよ」と言わんとしたのだと受け止める。01年春、森が退陣すると、小泉は自民党総裁選に3度目の出馬。加藤と山崎も支援した。最大派閥の数の力を頼みに再登板を狙った元首相の橋本龍太郎に対し、小泉は世論の高支持率を背にまさかの大勝利を収める。山崎は「『加藤の乱』こそ小泉政権を生んだ」と振り返る。

 政治家の回顧録は多角的な検証が必須だ。まず小泉は招かれもしない会合に押しかけることはしていない。「YKKは友情と打算の二重奏だ」ではなく、正確には「友情と打算の二重構造だ」と発言した、と記憶している。さらに、このセリフを最初に吐いたのは、2人の盟友の決起を冷徹に「派閥の論理」に従って潰し、勝者の非情さが際立ったこの瞬間ではなかった。

 時計の針をYKKを結成した1991年まで巻き戻す。当時の最大派閥で権勢を誇った竹下派(経世会)に対抗し、政界の世代交代も進める狙いで、宮沢派(宏池会)の加藤と渡辺派の山崎が相談して安倍派(清和会)の小泉を誘った。加藤と山崎は衆院初当選直後から既に20年近く交友を深めてきたが、ここで同期の「変人」小泉を同志としたのは3派連合を形づくる派閥力学からだ。

 YKKは「YK+K」だった。「拓さん、俺を首相にしてくれるか」「心配するな。ワシが幹事長として支えれば百人力や」。加藤と山崎は毎日、電話してはこんな会話も交わす間柄。小泉は政治の師だった元首相の福田赳夫が創った派閥「清和会」をこよなく愛してはいたが、若手の面倒を見たりはせず、孤高の影がつきまとった。首相候補は派閥領袖級と相場は決まっており、小泉はらち外だった。

 ■総裁選で二度孤立した小泉氏

 YKKの連携は90年代の党内力学を揺るがし、世代交代の歯車を回した。半面、政局ではYKとKは敵対する場面も目立った。95年の総裁選。最大派閥が担いだ本命の橋本龍太郎を支持した加藤は幹事長、同じく山崎は政調会長の要職を射止め、権力の階段を駆け上がる。小泉は、支援していた現職総裁の河野洋平が土壇場で出馬を断念したのを受けて急きょ立候補したものの、惨敗した。

                 ◆「YKKの時代」の歩み

 
1991年 山崎拓、加藤紘一、小泉純一郎3氏でYKKトリオを結成
加藤氏が官房長官、山崎氏が建設相に
1992年 小泉氏が郵政相に
1994年 YKK主導で派閥横断の「グループ新世紀」を旗揚げ
加藤氏が自民党政調会長に
1995年 小泉氏が総裁選に出馬。橋本龍太郎氏に大敗
橋本支持の加藤氏が幹事長、山崎氏が政調会長に
1996年 小泉氏が2度目の厚相に
1998年 小泉氏が総裁選に再び出馬。小渕恵三氏、梶山静六氏に後れて3位
加藤、山崎両氏は小渕氏を支持。加藤派と山崎派を旗揚げ
1999年 加藤、山崎両氏が総裁選に出馬。小渕氏に敗れ非主流派に
2000年 森喜朗内閣の打倒を狙った「加藤の乱」が挫折
2001年 総裁選で小泉氏が橋本氏を破り、首相に。山崎氏を幹事長に
2002年 加藤氏が前事務所代表の脱税事件を受け議員辞職
2003年 安倍晋三氏が幹事長に。山崎氏は副総裁に就くが衆院選で落選
「小泉・安倍枢軸の時代」へ

 その橋本の退陣を受けた98年の総裁選。加藤と山崎は最大派閥の領袖で、本命の小渕恵三の支持に動く。当初は「俺は出ない」だった小泉だが、小渕派から梶山静六が造反して出馬すると知るや「経世会が割れたのか!これで面白くなったな!」と目の色を変え、再び立候補した。だが、加藤も山崎も小泉支持に転じることはなく、小泉は3位とまたもや惨敗に終わった。

 1度目は河野の不出馬で無投票選挙を避けるための急な立候補だった。2度目は小泉自身が「出ない」と言ったのに、小渕派が割れて勝機あり、と変心した事情もあった。だから、YKにも言い分はあるが、盟友関係のはずなのに、自民党の政治家にとって最大の決戦場である総裁選で、小泉は2度まで見殺しにされたとも言える。いったい何のためのYKKなのか――。

 特に2度目の敗戦は、小泉には衝撃だった。最下位の3位に沈んだのはよもやだった。盟友に突き放され、清和会から小泉を裏切って梶山に流れた票の固まりもあった。それでも、小泉は「俺より背負う荷物が重い加藤さんと拓さんの方が苦しかったんだよ」と当時、自前の派閥旗揚げにもがいていた2人の思惑に理解を示して見せた。その時、このセリフが口を突いた。

 「YKKは友情と打算の重層構造だ」

 小泉は後に「二重構造」とも言うが、最初に口にしたのは「重層構造」だ。98年8月5日付の日本経済新聞政治面に「YKK、友情・打算の重層」と見出しのついた記事が残る。これは「加藤の乱」を抑え込み、上から目線で吐いた言葉ではない。盟友にそっぽを向かれ、総裁選に2連敗した屈辱のどん底で、こう割り切ってみせ、自らに言い聞かせるほかなかったのだ。

 

 「友、ライバル、時に政敵」

 勝者と敗者が入れ替わった「加藤の乱」後に小泉のセリフを聞いた山崎は「友であり、ライバルであり、時に政敵となりうる」という意味で「3人を的確に表した言葉だ」と妙に納得したと記す。「加藤は期せずして小泉の踏み台となった。その媒介をしたのが私」と自認する。

 小泉から見ても、YKKは「YK+K」だった。「拓さんは根暗だと言う人もいるけど、酒飲んであんな楽しい人はいないぜ」と山崎とは心底ウマが合った。片や加藤は、3人の会合で政策論議を吹っかけても「あまり政治家は議論や勉強をしてはいけない」と乗らない小泉に「変わり者」だと嘆息した。小泉は「加藤さんは分かっていないな。政策は昼間に議論すればいいさ」。微妙な距離感だった。

 01年、首相に就いた小泉は山崎を「精神安定剤」として幹事長に据え、首相主導の政権運営を敢行する。加藤は腹心の秘書の脱税事件を受けて議員辞職に追い込まれた。復帰後は小泉流の構造改革路線や「劇場型政治」に距離を置き、やがて著書で「小泉氏は平成のトリックスター」だと批判に回る。山崎は03年に落選し、ここをYKK時代の「事実上の終えん」とする。

 「全ての農家を守ろうとして、全ての農家を守れなかった」

 自民党農林部会長の小泉進次郎(35)はいま、かつて農林族で鳴らした加藤が戦後農政を総括したこの言葉をよりどころに、改革断行を説く。若手議員を集めて社会保障や財政を議論する「2020年以降の経済財政構想小委員会」には、加藤の三女で後継者の鮎子(37)を参加させる。2人は米コロンビア大の同窓だ。世代交代の歯車が止まることはなく、政界に「友情と打算」が交錯し続ける。=敬称略

 ※政治アカデメイアは原則隔週火曜日に掲載します。

 元稿:日本経済新聞社 朝刊 主要ニュース ビジネスリーダー  【コンフィデンシャル】  2016年10月11日  06:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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