乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:

 在野の政治研究家乾龍が『漂流日本の闇』を斬る! 日々の政治・経済等の時事ニュースの深層を探る。

【新刊紹介】:日本二千六百年史----推定焚書本 ■大川周明著

2017-12-18 08:46:00 | 学術・文学・アート・美術・古典

【新刊紹介】:日本二千六百年史----推定焚書本 ■大川周明著 

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【新刊紹介】:日本二千六百年史----推定焚書本 大川周明著

 ◆日本のタブーに触れた発禁の歴史教科書!削除された“不敬罪違反”部分を復原!

 昭和戦前の国民に多大な影響を与えた思想家・大川周明が、自身のアジア主義・日本精神復興を軸とする言論活動を集大成した、発禁の歴史教科書。削除された「不敬罪違反」部分を復原。

日本二千六百年史 新書版 [新書]
 
 ●目次
 第一章 序論
 第二章 日本民族及び日本国家
 第三章 日本国家の建設
 第四章 儒教及びシナ文明の伝来
 第五章 大化改新
 第六章 仏教は如何にして日本に栄えしか
 第七章 奈良朝の文化
 第八章 平安遷都
 第九章 貴族政治の堕落と武士勢力の台頭
 第十章 源氏と平氏
 第十一章  鎌倉幕府の政治
 第十二章  鎌倉時代の日本精神
 第十三章  宗教改革者としての道元禅師
 第十四章  蒙古来襲前後
 第十五章  建武中興
 第十六章  室町時代
 第十七章  戦国時代の文明史的意義
 第十八章  新時代の開拓者織田信長
 第十九章  海外発展精神の勃興とその挫折
 第二十章  督教の伝来
 第二十一章 切支丹禁制
 第二十二章 徳川時代の社会及び国家
 第二十三章 徳川初期の文化
 第二十四章 徳川時代の思想界に於ける新精神
 第二十五章 徳川時代に於ける泰西文明の摂取
 第二十六章 幕末日本の国難
 第二十七章 崩壊すべかりし封建制度
 第二十八章 尊皇と攘夷と倒幕
 第二十九章 明治維新
 第三十章  世界維新に直面する日本
 価格:1,512円(税込)
 販売開始日:2008年10月25日
 著者紹介(「BOOK著者紹介情報」より)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 ■大川 周明(オオカワ シュウメイ)
  昭和戦前の国民に多大な影響を与えた思想家。明治19年、山形県酒田市生まれ。荘内中学(石原莞爾らを輩出)、熊本第五高等学校を経て東京帝国大学に入学、インド哲学を専攻。卒業後、拓殖大学教授などを務める一方、アジア解放・国家改造の実践に奔走、軍部に接近し、革新将校との結びつきを強めた。昭和7年、五・一五事件に連座し禁固五年の有罪判決を受け服役。昭和12年に出所すると、すでに勃発していた日中戦争から、さらに日米戦争へと突き進まんとする国家的気運の中で、アジア主義・日本精神復興を軸とする言論活動を精力的に展開、同14年にその集大成として『日本二千六百年史』を上梓するや、本書は官憲の弾圧を受けつつも、たちまち数十万部を売り尽くす大ベストセラーとなる。また日米開戦のへき頭、NHKラジオで連続十二回演説し、国民・将兵の士気を鼓舞した。このため、戦後、日本思想界の象徴とみなされ民間人ながら東条英機らと共にA級戦犯に指定されたが、精神疾患を理由に免訴、釈放された。その後、コーラン全文の翻訳に傾注し、完結。晩年は農村復興運動などにも従事、昭和32年、七十一歳で死去。「小夜嵐、みねの落葉は、埋もれて、わが行く道は、知る人ぞ知る」の辞世を残した。
 
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 ◆大川周明『日本二千六百年史』
 
 序
 ヘカイトス、ヘロドツス、ツキヂデスの三人は、西洋史の鼻祖と呼ばるる古代希瞼の三大歴史家である。此等の歴史家は、約半世紀づつ隔てて世に出でたが、それぞれ歴史に就て下の如く言つたと伝えられる。先づ西紀前五百年代に出でたるヘカイトスは、歴史を以て過去の知識を現在に伝へるものとした。次で西紀前四百五十年代のヘロドツスは、歴史とは過去によつて現在を説明するものとした。最後に世紀前四百年代のツキヂデスは、歴史は過去・現在より推して未来を察知すべきものとした。即ちヘカイトスは歴史の重点を過去に置き、ヘロドツスは之を現在に置き、ツキヂデスは之を未来に置いたのである。三者の主張には、敦れも一応の道理がある。而も其の総てを綜合することによつて、歴史の全面目が初めて完全に発揮されるであらう。
 言ふまでもなく歴史は人類発展の径路を究めんとするものである。然るに人類発展の径路は、人類に内在する生命の発現なるが故に、一貫して綿々不断である。吾々は唯だ便宜のために過去・未来を区劃する。而も現在は過去より生れて刻々過去となり、未来は現在に孕まれて刻々現在となる。真個に実在するものは、滾々と不尽なる生命の流行だけである。それ故に吾々は、恒に永遠の現在に生きて居る。而して此の「現在」は其衷に無限の過去を宿し、無窮の未来を孕む現在なるが故に、歴史もまた過去・現在・未来に関するもの、一層詳細に言へば、過去によつて現在を説明し、現在によつて未来を察知するものとせねばならぬ。
 是く考へ来りて直ちに想起されるのは、水戸の彰考館である。彰考館は徳川光團によつて創立せられし水戸藩の修史局にして、大日本史が此処で編纂せられしことは天下周知の事実である。此の修史局を彰考館と名づけたのは、恐らく晋の杜預の『春秋左伝集解』序に、「彰㆑往考㆑来」とあるに拠れるものである。而して「彰㆑往考㆑来」とは、易の繋辞伝に「彰㆑往察㆑来」と謂ひ、また論語に「温㆑故而知㆑新」と謂へると、全く同一思想であり、過去を彰《あきら》かにして将来を察知するといふ意味である。歴史は正しく彰考である。従つて彰考館は、修史局の名称として、適切無比と言はねばならぬ。従つてまた彰考館の命名者は、古代希職の三大歴史家よりも、「層精確に歴史の本質を把握せるものと言はねばならぬ。
 さて日本歴史は、目本の国民的生命の発現である。此の生命は、肇国このかた一貫不断の発展を続け、日本国民に周流充実して今日に及んで居る。故に日本に生れし一切の国民は、皆な此の生命を自己の衷に宿している。吾等の生命の奥深く探り入れば其処に澄刺として躍動する生命がある。此の現実の生命を、時間秩序に従つて認識せるものが取りも直さず歴史である。かくて歴史とは、自我の内容を、時間秩序に従つて組織せる体系に外ならぬが故に、日本歴史を学ぶことは、日本人の真個の面目を知ることである。陸象山は、六経を以て自己の註脚に外ならぬとした。歴史もまた同然である。即ち六経は理論によつて自己を註脚せるもの、歴史は事実によつて自己を註脚せるもの、経史相侯つて初めて吾等の完全なる註脚たるべきものである。
 いま日本は正しく興亡の岐路に立つて居る。此の非常の難局に善処し、君国を富嶽の安きに置き、進んで壮厳なる理想の実現を期するためには、必ずや日本歴史を学んで、日本及び日本人の真実の姿を見究めねばならぬ。胡三省が司馬温公の資治通鑑を評せる文章の中に曰く、「古人の得たる所以を迹《たづ》ね、古人の失へる所以を鑑みるを知らずば則ち勝を求めて而も敗れ、利を図りて而も害あり。此れ必然なる者なり」と。吾等は必ず歴史によつて日本的生命を支配する法則を掴まねばならぬ。而して此の法則に従つて行動せねばならぬ。果して然らば国史を反省するの必要が今日の如く切実なるはない。旧著に若干の訂正を加へたる此の小冊が、斯かる意味に於て些かにても非常時に貢献し得るならば、予の最も欣快とする所である。
  昭和十四年六月
 
 第一章 序論
 吾等は永遠より永遠に亙る日本的生命の一断面である。意識すると否とに拘らず、吾等国民総体としても、将又個々の日本人としても、実に日本歴史の全体を宿して此世に立つて居る。今日の日本を知らずして、明日の日本を察し難き如く、過去の日本を知らずして、今日の日本を知るべくもない。吾等の現に生きつつある国家を、並に吾等自身を、正しく把握する為には、必ず国史を学ばねばならぬ。司馬温公が其の畢生の心血を注げる史書に『資治通鑑』と名づけたる如く、歴史はまさしく吾等の如実の姿を知るぺて鏡であり、歴史を学ぶことは真個の自己を知る所以である。真個の自己を知ることなくしては、正しき行動も素より不可能である。それ故に東洋に於ては、古来経史の二学を士人必修のものとした。経学は即ち哲学であり、史学は文字通り歴史である。古は学問と言へば修身治人の道を究めることであり、而して之を究めるために経史を学んだ。修身治人とは、道徳並に政治の意味なるが故に、修身治人の道とは、取りも直さず私人並に公人として正しく世に処する道ということである。
 歴史を学ぶことは是くの如く重要事なるに拘らず現代最も著しき傾向の一つは、実に歴史を無視することである。少くも今日の青年の多数は、自国の歴史に対して殆ど何等の興味を有せず、従つて心を濃かにして国史を学ぶことをしない。而して是くの如き非歴史的傾向が、改造運動に没頭する青年の間に最も顕著なることは、一層驚くべき事実である。なるほど改造は一面より言へばあらゆる旧きものの破壊である。この改造の機運は、世界戦によつて激成せられたる風潮にして、東と言はず西と言はず、社会国家の存するところ、皆其の波に洗はれざるはない。日本独り此の風潮の外に立つ能はざるは言ふまでも無い。かくて一切の旧きものは、風俗習慣も、制度文物も、乃至は思想信仰も、もはや旧きままにては存在することを許されず、総ぺてが改造即ち破壊の道程にあるものと思はねばならぬ。さり乍ら真個の改造は、たとへ破壊に始まつても、決して破壊に終つてはならぬ。その破壊は、必ず建設のための破壊でなければならぬ。
 然らば其の建設の原理は、これを何処に求むべきか。外国の先躍を追ふことも、確に建設の一方法である。或は最も容易なる方法でもあらう。吾等は国家社会を改造又は革新せる先躍として、ロシアを有し、ドイツを有し、またイタリーを有して居る。而して吾国の青年のうちには、徹頭徹尾ロシアに倣つて吾が国を改造せんと熱中するものもある。或はムッソリーニがイタリーを改革せるに倣はんとするものもある。純乎たる理論によつて建設を試むるも、また一方法である。而も現在のところ、吾が国に於て唱へらるる純理は、つひに西欧哲学及び科学の理論を出でない。かくの如き理論は、之を西洋に施してさへ実行を不能とするもの多く、之を日本に実現せんとすることは、正に一個の空想に等しい。両者ともに吾等の与し得ざるところである。
 如何なる世、如何なる国といはず、改造又は革新の必要は、国民的生命の衰弱・預廃から生れる。故に之を改造するためには、国民的生命の衷に潜む偉大なるもの・高貴なるもの・堅実なるものを認識し、之を復興せしむることによつて、現に横行しつつある邪悪を打倒しなければならぬ。簡潔に言へば、改造又は革新とは、自国の善を以て自国の悪を討つことでなければならぬ。そは他、国の善なるが如く見ゆるものを籍り来りて、自国の悪に代へる事であつてはならぬ。かくの如きは、精錡 成功しても木に竹をつぐに止まり、決して樹木本来の生命を更新するのではなく、之を別の竹たらしむに終るであらう。それ故に、建設の原理は、断じて之を他国に求むべきに非ず、実に吾が衷に求めねばならぬ。而して吾が衷に求むぺき建設の原理は、喉だ自国の歴史を学ぶことによつてのみ、之を把握することが出来る。いま改造の必要の当面しつつある時代に於て、我等はいよいよ国史研究の重要を痛感ずる。
 さて我国に於ける最初の且つ根本の歴史は日本書紀である。而して何故に朝廷が此の歴史を編修されたかを知ることば、国家と歴史との関係、従つて歴史の重要性を明かにずる上に、極めて肝心なることである。第一に国史の編修は、国民的自覚の所産である。自覚は反省を伴ふ。日本書紀はまさしく強大なる国民的自覚並に反省の所産である。然らば其の自覚は如何にして生れたか。そは日本民族の発展が、一定の程度に達せるためなりしことは言ふまでもないけれど、此の内面的事情の外に、直接にして且つ有力なる外面的刺戟ありしが故である。その刺戟とは、取りも直さず支那との接触である。「我」の確立は「非我」との対立に待つ。そは個人の揚合に於ても民族の揚合に於ても同然である。日本は支那との接触によつて、初めて強大にして明確なる国民的自覚を生じた。
 吾国は支那と交通して、推古天皇以来盛に階唐文明を摂取し、大化革新の如き、うち見たるところは恰も目本を以て小支那たらしめたるの観がある。それにも拘らず日本が、秋毫も昔乍らの日本魂を失はざりしことは、当時吾国の支那に対して採れる態度に徴して明白である。聖徳太子が階の場帝に対して、「日出処の天子、書を日没処の天子に致す、慈無きや」との国書を送れる如き、天智天皇が百済を援けて大唐帝国と戦へる如き、それが当時に於ける最も熱心なる階唐文明の採用者なりしだけ、それだけ吾等をして感激に堪へざらしむるものである。さればこそ桓武天皇の時、姓氏録を撰ばせらるるに際しても支那帰化民を蕃別の部に編入し、たとひ文化の点に於ては模範とせる支那であるとは言へ、之を取扱ふに外蕃を以てしたのである。之を今日の吾国の共産主義者が、ロシアを「吾祖国」と呼んで恥つるところなきに比ぶれば、正に天地雲泥の差と言はねばならぬ。
 かくの如く支那と接触し、その文明を採用すると共に、国民的自覚もまた強大となれるが故に、日本建国の由来、並に精神、これに伴ふ国体の尊厳を内外に明示するため、朝廷に於て、国史の編集を企てられたのが聖徳太子であり、天皇記《すめらみことのふみ》、国記《くにつふみ》、臣連《おみむらじ》、伴造《とものみやつこ》、国造《くにのみやつこ》、百八十部《ももあまりやそとも》並に公民《おほみたから》等の本記を撰修せられたが、国記を除く其の他の記
録は、不幸にして蘇我氏と共に亡び、国記もまた後に散快して其の内容を知るよしもなくなつた。其後天武天皇の時に至り、更めて国史撰修の業を創められ、それが元正天皇の時に完成せられて、日本書紀として今日に伝へられて居るのである。而して其間に元明天皇の時、太安万侶が勅を奉じて、稗田阿礼の伝請を撰録せる古事記が出来た。かくの如く修史事業の盛なりしは、疑ひもなく日本的自覚が極めて旺盛となれるが故である。
 日本書紀が特に国号を冠したるは、ひとり国民をして建国の由来、精神を知らしむるのみならず、外国に対しても亦国体の尊厳を宣揚するの目的を以て撰修せられしものなるが故である。それ以外の歴史は、単に天皇記、国記、古事記といふ如く、特に「日本」と銘を打たない。外国といふは主として支那であるが、当時の支那は唐朝の盛時であり、吾国が盛に其の文物制度を取入れたる先進国である。その先進国に対して、吾が日本の壮厳なる国体を明示するために日本書紀を撰修したる事は、日本精神の不覇独立を立証して余りあるものである。それ故に其の文章は堂々たる漢文にして、漢籍の章句を籍り来りて大いに記事を潤飾して居る。そのために本居翁を初めとし、多くの国学者は古事記を尊重して日本書紀を疎んずる傾向がある。さり乍ら吾等は是くの如き態度に賛同し得ない。なるほど文章は漢文であり、形容修辞に苦心はして居るけれど、そのために些かも日本の真面目が蔽はれて居ない。そは日本書紀撰修者が、明確強烈なる日本的意識を以て事に従へる為でなければならぬ。特に神代巻に於ては「一書曰」として総べての異説を列挙し、些かも臆断を下さず、また事実を蔽はんとせざるところに、公平無私にして天空海潤なる日本精神が、わけても柄乎として現れて居る。古事記と共に最も尊重すべき古典なることは拒むべくもない。
 さて日本書紀三十巻が完成されたのは、元正天皇の養老四年のことであるが、朝廷に於ては、進奏の翌年即ち養老五年から、直ちに日本書紀の講莚を宮中に開かせられ、親王・太政大臣・左右大臣より参議に至るまで、皆講義を陪聴せしめられ、講義終れば陪聴者一同に饗応を賜はつた。之を寛宴と云ひ、寛宴中に日本書紀に現はれたる人物を題として和歌を詠ませるのが例となった砂そば国務に当るものをして、建国の大義を忘れざらしめんとする大御心に出でたるものと拝察される。かく一方に於て日本書紀の講義をすると同時に、他方に於ては目本書紀の後を承けて、つぎつぎに国史の撰修を行ひ、所謂六国史が出来た。
 かくの如くにして国史の尊重と国運の盛衰とが、常に形影相伴ふことに何の不思議もない。何となれば、国史を尊重することは、取りも直さず国民的自覚の強烈を意味するが故である。現に藤原氏専横の世となりてよりは、日本書紀の講義も国史の撰修も、両ながら中絶してしまつた。そは日本建国の糟神を明かにし、国体の本義を反省することは、明白に藤原氏にとりて不利なるが故である。而も建国の精神を没却して国家が栄える道理がない。平安朝の末期藤原氏専横時代の日本は、殆ど無政府ともいふべき乱脈に陥つた。
 後三条天皇は、政権を再び藤原氏の手より朝廷に収められ、白河天皇更に其の遺志を継ぎて、譲位の後に所謂院政を創められた。院政は最も人目を惹かぬ方法を以て、巧みに政権を皇室に回復する為の制度にして、吾等は之によつて偉大なる政治的才腕を天皇に於て見奉るものである。かかる雄志を抱かれしが故に、絶えて久しかりし国史撰修のことも思立たれ、藤原信西をして『本朝世紀』を撰述せしめられた。其後保元平治の乱を経て、政権全く武門に移るに及んでは、また朝廷に修史の御企てなく、日本書紀の講義も行はれなかつた。
 後醍醐天皇の建武中興は、たとひ囮天の偉業中道にして挫折したとは言へ、まがふべくもなき日本精神の勃興なるが故に、この精神の最も見事なる結晶として、北畠親房の『神皇正統記』が生れた。平安朝の末葉より鎌倉時代の初期にかけて、国史を等閑に附したることは、必然国体観念の昏瞑を招き、今よりして之を想へば、到底許し難き思想が行はれて居た。例へば慈鎮和尚の『愚管抄』に現はれたる思想である。慈鎮は関白藤原忠通の子であるが、其の著書の中には天皇のことを皆「国王」と書き、甚だしきは礼記の百王説を其侭に信受して「皇統百代限り」といふが如き妄誕至極の言をなし、実に「神の御代は知らず人代となりて神武天皇以後百代とそ聞ゆる。既に残り少なく八十四代にもなりける」とさへ述べている。八十四代と申ずは順徳天皇のことにして、いま十六代にして日本の皇統は亡ぶといふ驚くべき思想である。かくの如き時代の後を承け、わが北畠親房が「大日本は神国なり」と高唱し、神胤永く此世に君臨して、天壌と共に無窮なるべきことを明確に力説したのは、正に一句鐵昆嵜、虚空をして希有と叫ばしむものである。まことに『神皇正統記』は、前に遠く建国創業を望み、後に遥に明治維新を呼ぶところの国史の中軸にしてへ此の書一たび出でて大義名分の存するところ、晒乎として千載に明らかになつた。
 室町時代は、当初より国家的統一がなかつたが、応仁乱後は乱離一層を極めた。皇室の式微も此時を以て空前絶後どする。かかる時に当りて後土御門天皇が、日本書紀の講義を再興し、吉田兼倶を召して之を進講せしめられたことば、取りも直さず日本精神再、興の前兆であつた。爾来日本書紀の講義が次第に行はれ初め、親王.公卿を初めとし、地方の豪族も学者を招聰して之を聴聞するやうになつた。次いで後柏原天皇及び後奈良天皇が、共に鋭意朝廷再興に御心を砕かれた。後柏原と申上げるのは桓武天皇に、後奈良と申上げるのは平城天皇に対し奉れるものであるが、まことに此の両天皇は、桓武・平城の盛世を復興するために、苦心非常を極められた。後奈良天皇の如き、日常の供御にさへも差支へられ、臣民に農筆を賜はり、、その礼物を以て生活を続けられたほどの御窮困であらせられたに拘らずその御凪記の毎月朔日の条でば「万国治平・百蕃帰服・朝廷再興」又は「海内静讃・朝廷再興」と書かれて居る。この雄渾にして偉烈なる精伸は、やがて天下の人心をして、皇室に縄はしむる気風を開き、爾来戦国の諸雄、多く心を皇室に寄するに至り、つひに正親町天皇の世に、織田信長出でて皇室を再興し、天皇を奉じて天下に号令し、豊臣秀吉其後を承けていよいよ皇室を尊崇し、国民をして再び天日を仰がしめた。、
 徳川氏は皇室を宗教的に尊崇したが、全く政治的権力を奪ひ去つた。そは言ふまでもなく日本の国体より言へば変則の政治である。然るに徳川氏の史学奨励は、大いに国史の研究を促し、水戸藩の編修にかかる「大日本史」を初めとし、「保建大記」「中興鑑醤」’の如き、乃至は「日本外史」「日本政記」の如きハ国民をして国体の本義を反省せしむる幾拶の篭書世に現はれ、「つひに明治維新の機運を捉進するに至つた。
 以上の事実は、最も雄弁に史学の消長と国家の盛衰とが、常に相伴ひ来たれることを物語る。そは歴史が国家を隆興せしあるといふよりは、史学淀はつて覚醒せられたる日本精神が、輿国の力となゐのである.、それ故に吾等は、わけても現今の如き時代に於て、国史研究の重要性を力説したい。ただ正しき国史の研究のみが、吾等をして日本歴史の尊貴」日本晟族の偉大、日本国体の荘厳を体得せしめ、能く一切の非常時に善処するを得せしめるであらう。
 
 ◆大川周明著『日本二千六百年史』を読了 2015年8月15日 (土) 日々の風 

 昨日(2015年8月14日)、安倍首相が、戦後70年の談話を発表した。その内容は、保守派、リベラル派の両方に配慮した、幾分、ピンボケの内容だが、基本的に官僚の作文であろう。ただ、見方を変えれば、歴史認識は、バランスの取れたものであろう。

 しかしながら、安倍首相の本当の歴史認識は不明。為政者は、一定の哲学と歴史観を持ち合わせる必要があるが、この人に期待するのは無理だろう。しかし、結果的に、文書を残したことは、皮肉にも有意義だ(依然として、「積極的平和主義」を標榜していることは、大いに疑問がある。*注参照)。日本が引き続き平和国家を希求することが求められる。

 さて、先日、大川周明著『日本二千六百年史』(毎日ワンズ刊。復刻版)を読了した。若い方には分らないだろうが、二千六百年とは、一般に皇紀二千六百年と呼ばれるもので、1940年(昭和15年)が、神武天皇即位から2600年目に当たることから、本の題名になっている。この本は、前年の昭和14年に刊行された。

 また大川周明の考え方は、現在の保守層の考え方のベースにあるとも考えられる。以前に取り上げた原田伊織著『明治維新という過ち』とは真逆の考え方で、明治維新を肯定するものだ。よって、内外の敵に抵抗するにはテロも有効と考えていた過激思想の持ち主だろう。

 彼の論理的な考え方を軍部は、思う存分都合よく利用した。この著作でも、当局に都合の悪いと思われたところは、官憲により削除されている。ただ、彼も戦争を鼓舞するような活動をしている。結果的に、扇動主義者になってしまっている。

 戦後、民間人としては、唯一、A級戦犯に指定された。彼は、大東亜戦争の理論的指導者であり、思想家と捉えられたからだ。だが、後に、精神疾患を理由に免訴されている。実際に、精神疾患であったかは、疑問とされている。

 つまり東京裁判に於いて、彼の明晰な論理展開が、彼らにとって、煩わしいと思ったのだろう。彼が欧米列強のアジア侵略の歴史を明らかにしていたからだ(本書では、第26章に相当。他の著作として『米英東亜侵略史』がある)。

 しかしながら、彼の言説が正しいとしても、未だに保守派の人々が、彼の考え方に捉われるのはおかしい。「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言うが、日本は、大戦に負けたのであり、賊軍になったのであり、いつまでも、引かれ者の小唄を歌うのはどうかしている。

 また、国際連合は勝者の組織であり、常任理事国は連合国側の国々だ。日本は、未だに、常任理事国を夢想しているようだが、日本は敵国条項が適用されており、それは不可能というもの。ところが、安倍首相が集団的自衛権のための安全保障法案にこだわるのは、現実を無視した「夢想」に因があると考えられる。

 さて、長々と記してしまったが、大川周明著『日本二千六百年史』も、明治維新までの彼の歴史観は、是非はともかく、今でも参考になる。日本史全体を30章にまとめ、彼の歴史観を簡潔に記している。削除された「不敬罪違反」部分も復刻されており、彼の本当の考え方が分る。

 若い人たちに読むのを勧めるべきか迷うが、一つの考え方と割り切って、読まれるのなら、それも構わない。ただ、歴史とは、あまり簡潔に捉え過ぎると見誤る可能性もある。一つの参考にするのはいいが、注意深く、読まれることを望む。

 *注

 仮に日本の平和主義を拡大していくという意味なら違う言葉が望ましい。しかしながら、それは今までの日本が既にやってきたこと。今更、それを言明する必要もない。よって安倍首相が言う、「積極的平和主義」は、解釈が曖昧で、後年、多くの人を誤らせる可能性があるだろう。この言葉は削除が望ましい。

 また「戦争に関わりのない世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」としているが、残念ながら、若い世代も、その宿命から逃れることはできない。過去の歴史を心に刻む教育が必要だ。もっとも、心に刻む必要があるのは、まず安倍首相自身だ。彼は歴史認識も浅く、言葉が軽すぎる。

 ◆読書のおすすめ 日本二千六百年史----推定焚書本

 先日、お若い男性諸氏が5・6人、 どどっとドクスメに入って来られました。 きっとスーツを着て、未来への希望なのでしょう、 目がキラキラしておりました。あまりにも感じのいい若者たちでしたので、 声をかけてみると「どういう本を読んだらいいでしょう」 と問われるので「やっぱり縦糸の読書がいいでしょう」 とお答えしました。 時代が変わっても変わらない本、たとえば禅に関する本、 そして、活きた歴史に関する本などをオススメしました。 活きた歴史というのは、本に登場する人物の喜怒哀楽が 感じられる歴史本のことです。特に稗史に関するものは、 啓発本などよりも、真に肚の底から、やる気、勇気が湧き出てくるものです。 いざ!という時に素早い決断力や実行力が必要です。 いくら論理的な手法を知ってはいても、そんな時に「絵に描いた餅」に なってしまってはなんにもなりません。 斎藤一人さんからオススメいただいた「俄 上下巻」や 「田中清玄自伝」や「少年日本史」などは、読んでいるとその登場人物の 涙やくやしさ、そこに確かに存在した、ヒーローではない、 一個人の人間臭さを感じられるとき、己の損得しか考えていない ケツの穴の小ささに気づくことができ、そこから何かしら大いなるパワーが みなぎって来ることを感じられたらしめたもんです。 そんなことを考えていたら、ドクスメスタッフ小川選手に 「大川周明」という人物の存在を教えたもらいました。 さっそく読んでみると、これがまた驚く内容に血がたぎりました。 こちらの本は、戦前、1939年に発売となり、 当時発売されるとすぐに数十万部の大ベストセラーと なったそうです。 しかし、その内容が正直すぎて、多くの箇所を当局から 黒く塗りつぶされてしまったようです。 こちらの本は、2008年に出版されたものですが、 その黒く塗りつぶされてしまった箇所をとっぱらって、 原書のままの復活本です。実に興味深い本なのです。 この本の「序」には下記のようなことが書かれております。 『 ヘカイトス、ヘロドツス、ツキヂデスの三人は、西洋史の 鼻祖と呼ばるる古代希瞼の三大歴史家である。 此等の歴史家は、約半世紀づつ隔てて世に出でたが、 それぞれ歴史に就て下の如く言つたと伝えられる。 先づ西紀前五百年代に出でたるヘカイトスは、歴史を以て 過去の知識を現在に伝へるものとした。 次で西紀前四百五十年代のヘロドツスは、 歴史とは過去によつて現在を説明するものとした。 最後に世紀前四百年代のツキヂデスは、歴史は過去・現在より推して 未来を察知すべきものとした。 即ちヘカイトスは歴史の重点を過去に置き、ヘロドツスは之を現在に置き、 ツキヂデスは之を未来に置いたのである。 三者の主張には、敦れも一応の道理がある。 而も其の総てを綜合することによつて、歴史の全面目が 初めて完全に発揮されるであらう。  言ふまでもなく歴史は人類発展の径路を究めんとするものである。 然るに人類発展の径路は、人類に内在する生命の発現なるが故に、 一貫して綿々不断である。吾々は唯だ便宜のために過去・未来を区劃する。 而も現在は過去より生れて刻々過去となり、未来は現在に孕まれて刻々現在となる。 真個に実在するものは、滾々と不尽なる生命の流行だけである。 それ故に吾々は、恒に永遠の現在に生きて居る。 而して此の「現在」は其衷に無限の過去を宿し、 無窮の未来を孕む現在なるが故に、歴史もまた過去・現在・未来に関するもの、 一層詳細に言へば、過去によつて現在を説明し、 現在によつて未来を察知するものとせねばならぬ。 』 いかがでしょう。 戦前は、戦争に勝つんだという国民全体の”希望”があり、 戦後は経済復興という”希望”がこの日本にはありました。 しかし、現代はどうでしょう。日本人全体でそこに向かって行こうという ”希望”を見つけ出していると言えるでしょうか? 大川周明が言っているように、 「過去によつて現在を説明し、現在によつて未来を察知するものとせねばならぬ」 本当の活きた歴史を学ぶことは、未来を察知し、 希望を語ることなのではないでしょうか。 大川周明という人物は知れば知るほど面白いかたで、 いわゆる東京裁判にて、民間人では唯一A級戦犯となり、 その裁判に出廷したとき、パジャマ姿にスリッパで登場し、 ちょうど周明が座っていたところの前に東条英機が座っており、 後ろから東条の頭を突然ひっぱたいたという奇行をしたことでも 有名ですね。それゆえ、精神異常と判断され無罪釈放となってしまいました。 それが、本当に精神疾患だったのか、はたまた演技だったのかは、 噂になるところですが、真実は闇のままです。そこがいい!ですよね。 この本を読んでいると、自分の悩みなどが、どんどん小さく小さく 感じられるようになり、エネルギーが満ちてきます。 私なんかも、鎌倉時代の「もののふ」のところを読んでいるとき、 思わず「うおっおーーー!!!」と叫んでしまいました。 みなさんもこの本を読んで、ぜひ叫んでみてください。力が湧きますよ。 ただ他人に迷惑にならないようにお気をつけくださいね。(笑)

 元稿:毎日ワンズ社 主要ニュース 主要出版物 【政治・社会・思想書】 2017年11月01日  09:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【「クレヨンしんちゃん」】:駅やスーパー、しんちゃん色に…春日部で大作戦

2017-12-17 18:51:30 | 学術・文学・アート・美術・古典

【人気アニメ「クレヨンしんちゃん」】:駅やスーパー、しんちゃん色に…春日部で大作戦

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【人気アニメ「クレヨンしんちゃん」】:駅やスーパー、しんちゃん色に…春日部で大作戦

 埼玉県春日部市を舞台にした人気アニメ「クレヨンしんちゃん」のテレビ放送25周年の記念企画(実行委員会主催)の一環として、同市で15日、「オラのかすかべ大作戦!」が始まった。

東武スカイツリーライン春日部駅西口に登場したクレヨンしんちゃんの看板(15日、春日部市で)

  東武スカイツリーライン春日部駅西口に登場したクレヨンしんちゃんの看板(15日、春日部市で)

 東武スカイツリーラインの春日部駅西口では、駅名看板(横3メートル、縦70センチ)が、しんちゃんと仲間の「かすかべ防衛隊」のキャラクターが演奏しているデザインに変わった。来年1月21日まで掲げられる。

 イトーヨーカドー春日部店では、全国を巡回していた「25周年記念 クレヨンしんちゃん展」の最終回が始まり、アニメ原画などを展示。同店の屋上看板の一部がアニメに登場する総合スーパー「サトーココノカドー」のデザインに変わり、しんちゃん柄のオリジナルネクタイが本数限定で販売されている。1月8日まで。

 元稿:讀賣新聞社 主要ニュース カルチャー 【ニュース】 2017年12月17日  18:51:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【春秋】:「ガリ切り」の名人があちこちにいた――などと書いても、

2017-12-05 03:30:30 | 学術・文学・アート・美術・古典

【春秋】:「ガリ切り」の名人があちこちにいた――などと書いても、若い読者は首をかしげよう。

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【春秋】:「ガリ切り」の名人があちこちにいた――などと書いても、若い読者は首をかしげよう。

 その昔、手軽にプリントを作るには謄写版印刷機が欠かせなかった。ロウ引き原紙に鉄筆でガリガリと音をたてて文字を書くからガリ版と呼び、その作業をガリ切りと言ったのだ。

 ▼上手なのは、まず学校の先生だった。インクにまみれつつ、見事な「学級だより」を刷る人が少なくなかった。もうひとつ、熟練のガリ切り職人を多く生んだのは住民運動や学生運動である。粉砕! 阻止! 立ち上がれ! 鉄筆でぎっしりと、こういう言葉を刻んだビラが大量に印刷されて街に、キャンパスにまかれた。

 ▼消えてしまったはずの、そんな印刷物に千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で出合った。10日まで開催の「『1968年』無数の問いの噴出の時代」なる企画である。全共闘や反公害運動が最も高揚した68年を軸に据え、ナマ資料から往時を考える野心的な試みだ。あの時代が歴史展示となるだけの歳月が過ぎたのだろう。

 ▼500点に及ぶ資料に感嘆し、そうそう「ベ平連」は……などと語り合っている人たちの多くは団塊らしき世代だ。ガリ切り自慢だった人もいるに違いない。帰りがけには、往年の「タテカン」を模した案内板の前で記念写真。あまたの記録が来場者の記憶を揺さぶってやまないようだ。国立博物館の、思わぬ挑発である。

 元稿:日本経済新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【春秋】  2017年12月05日  03:30:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【春秋】:いい国つくろう鎌倉幕府――。

2017-12-05 03:30:00 | 学術・文学・アート・美術・古典

【春秋】:いい国つくろう鎌倉幕府――。

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【春秋】:いい国つくろう鎌倉幕府――。

 語呂合わせで覚えた年号は忘れにくいものだ。ところが、最新の学説では成立の時期をめぐり他に5説あるという。高校生向け参考書に紹介されていた。源頼朝が守護・地頭の任命権を握った年として1185年が学界で最有力説らしい。

 ▼研究成果を反映し、語呂も変わるかもしれない。「歴史とは現在と過去の尽きることのない対話である」とのE・H・カーの言が浮かぶ。こちらも、そうした「対話」の結論なのか。このほど、歴史の教員らで作る研究会が高校の日本史や世界史で学ぶ用語を今の半分の1600語ほどに減らそう、との提言案をまとめた。

 ▼用語は1950年代の3倍弱にも増えたという。先生は教えきれず、生徒の方も暗記を嫌って敬遠する。大胆に人名などを削り、かわりに「気候変動」や「グローバル化」など大きな流れの理解につながる語を追加したそうだ。「暗記ものという固定観念を脱し、考える楽しさを伝える教育に」とは研究会会長の弁である。

 ▼とはいえ、削除案にはちょっと驚く。蘇我馬子、新撰組、坂本龍馬、クレオパトラ……。ヒーローや悪役に導かれ歴史に関心を持つ生徒も多いだろうに、学びの好機を逸することになりはしまいか。将来「過去との対話」が成立しなくなるのでは、と心配にもなる。パイプを閉ざすことにならぬよう、切に願いたいものだ。

 元稿:日本経済新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【春秋】  2017年12月04日  03:30:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【筆洗】:<間もなく新宿行き快速電車がまいります。

2017-12-01 06:10:15 | 学術・文学・アート・美術・古典

【筆洗】:<間もなく新宿行き快速電車がまいります。そのまましらばくれてお待ち下さい><車内では席をゆすり合いましょう>。

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【筆洗】:<間もなく新宿行き快速電車がまいります。そのまましらばくれてお待ち下さい><車内では席をゆすり合いましょう>。

 井上ひさしさんの作品には言葉の病(無論、想像上の)にかかる人がよく描かれる▼「しばらく」を「しらばくれて」と口走るのは「似た音への置換」症状が出る駅員さん(『言語生涯』)▼「しいぞ、おかしい!配列がことばの狂っている!はぐちぐだ」。これは、「言語不当配列症」。「あれどう。したんだろうぼくの喋(しゃべ)り方すこし。ヘンだぞ」。こっちは、句読点の位置がおかしくなる「ベンケイ病」。いずれも戯曲『国語事件殺人辞典』にある▼日本語をめぐる、この「症状」は笑えない。主語と述語の関係など文章の基本構造が理解できていない中高生がかなりの割合でいるという、国立情報学研究所の調査結果である▼「幕府はポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」と「ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」。これを同じ意味と解釈した中学生は全体の約43%、高校生でも約28%とは深刻である。これでは教科書を理解するどころか日常生活にも困るだろう▼特効薬は読書しかあるまい。まず読み、理解できなければ誰かに尋ねる。理解できなかった理由を考える。この習慣で、かなり改善できるはずだ。「別にいいや」としらばくれては治らぬ。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2017年11月29日  06:10:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説②】:チーム解決力 素直に喜んで良いのか

2017-12-01 06:09:05 | 学術・文学・アート・美術・古典

【社説②】:チーム解決力 素直に喜んで良いのか

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【社説②】:チーム解決力 素直に喜んで良いのか

 日本の高校生は、チームで協力して問題を解決する能力が高いらしい。経済協力開発機構(OECD)の調査で分かった。ただ、人間の能力の源泉は、多様多彩でもある。素直に喜ぶべきだろうか。

 OECDが開発し、世界の十五歳を対象に初めて実施した協同問題解決能力調査の結果だ。五十二カ国・地域が参加し、日本の平均点はシンガポールに次いで二位。OECD加盟の三十二カ国ではトップだった。

 授業や給食、清掃、部活動、体育祭や文化祭…。日本の学校教育は集団行動をふんだんに採り入れている。役割を分担し、協力して物事を成し遂げる能力がうまく培われている証左かもしれない。

 公開された問題例は、生徒がコンピューター上の仮想人物二人とチームを組み、目標の達成を目指すという設定だった。そのやりとりの過程を調べた。

 仮想人物たちに対し、提案したり、手助けしたりすべき場面が表れる。チームとして最も効率良く目的を果たすために、生徒は自らの立場を考え、適切と思う応答を選択肢から選ぶ仕組みだった。

 とはいえ、世界上位の成績をどう評価するかは難しい。というのも、生身の人間同士なら当然に想定され得るやりとりでも、目標までに遠回りとなるような応答をすると不正解とされたからだ。

 例えば、相手に「そうだね」と理解を示すのも、あるいは「よくやったね」と褒めたり、「大丈夫だよ」と励ましたりするのも誤りだった。仲間を気遣い、和を尊ぶ傾向のある日本の生徒は、特にこうした問いにつまずいた。

 素早く目標を達成するという道筋から外れた“無駄口”というわけだ。しかし、実社会では、多様な文化的背景や価値観、道徳感情、性格特性を持った人々の協力が欠かせない。理屈以前に、互いの違いを尊重することは大切だ。

 仮に設計上の制約があったとしても、現実を度外視したような調査は、教育現場に誤ったメッセージを送ることにならないか懸念が拭えない。

 もっとも、調査と同時に行われた生徒アンケートの結果は興味深い。

 相対的な指標では、日本の生徒は共同作業より独りで生み出す成果を重んじ、チームでは利己的な行動に価値を置くが、シンガポールの生徒はほぼ逆だ。同じ好成績でも、協力の仕方が違うのか。

 人間の能力の源泉は、地域によって多彩なのだろう。画一的な尺度でみた優劣に一喜一憂すまい。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2017年11月25日  06:10:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【筆洗】:「灯を凝視しつつその美しさを観照したまえ。瞬きしてこれを・・・

2017-11-18 06:10:35 | 学術・文学・アート・美術・古典

【筆洗】:「灯を凝視しつつその美しさを観照したまえ。瞬(またた)きしてこれをいま一度見直したまえ。そこに君の今見ているものは前にはなかった、そこにかつてあったものはもはやないのである」

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【筆洗】:「灯を凝視しつつその美しさを観照したまえ。瞬(またた)きしてこれをいま一度見直したまえ。そこに君の今見ているものは前にはなかった、そこにかつてあったものはもはやないのである」

 ▼そんな言葉を残したのは、レオナルド・ダビンチ。美と知の巨人にとって絵画とは「自然の存在の移ろいやすい美しさ」を、永遠に留(とど)めておくための術(すべ)だったという(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫)▼この絵も、はかない灯のように消えてもおかしくない運命だった。ダビンチ作「サルバトール・ムンディ(救世主)」を所有していた十七世紀の英国王チャールズ一世は、斬首された▼十八世紀半ばから百四十年近く所在不明となり、再び現れた時は巨匠本人の作とは思われなくなっていた。作品はひどく傷み、一九五八年に売られた時の価格は四十五ポンドというから、物価上昇を考えれば十数万円▼それから半世紀また行方知れずとなったが、再び世に出てダビンチ作と確認されると転売のたびに高騰し、きのうの競売での落札価格は五百億円余というから、ため息が出る▼落札者は明らかにされず、この「人類の宝」が今後、公開されるかも定かではない。ダビンチは「誰より多く持っている者は誰より失うことを恐れる」との言葉も残したそうだが、この絵を我が物にした人物は、「救世主」に心の平穏を得ることができるか。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2017年11月17日  06:10:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【大弦小弦】:幼いころ、近所の魚屋のおばちゃんが…

2017-11-14 07:02:00 | 学術・文学・アート・美術・古典

【大弦小弦】:幼いころ、近所の魚屋のおばちゃんが…

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【大弦小弦】:幼いころ、近所の魚屋のおばちゃんが…

 幼いころ、近所の魚屋のおばちゃんが魚をさばく作業にみとれた。リズミカルに動く包丁さばきは心地よく、顔を近づけすぎてうろこがぺたぺたと飛んできた

 ▼そんな思い出が浮かんだのも、沖縄市立郷土博物館で始まった企画展「切る!」を見たから。暮らしに欠かせない刃物を題材に、石器や刃先のそりが大きい島包丁など、生活の変化とともに形や質の変遷を紹介している

 ▼企画展のきっかけは数年前。ナイフで鉛筆を削っているところを想像してみよう-という宿題に困った小学生が博物館を訪れた。不憫(ふびん)に思った同館の川副裕一郎さんは一緒に挑戦。最初は怖がったが最後は楽しんでいたという

 ▼危険な側面も持つ刃物の扱いが変化するのは当然な流れ。懐かしい鋼の彫刻刀は、ステンレス製で刃先のカバー付きに姿を変えた。けがをしない工夫とともに進化を遂げた刃物もいいが、錆(さ)びて使えなくなった小刀も趣がある

 ▼磨製石器と棒を使って髪の毛を切ったり、サメの歯でナイフをつくり、実際に豚肉を切る実験も紹介。使われなくなったものを見つめ直す機会を提供する試行錯誤が面白い

 ▼「刃物を遠ざけた方がいいのか、そうじゃないのか、答えは出ませんでした」。川副さんたちは企画を前に話し合いや調査を重ねた。刃物と人間の長い歩み。素直に向き合うのも楽しい。(赤嶺由紀子)

 元稿:沖縄タイムス社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【大弦小弦】  2017年11月08日  07:25:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。 

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【大弦小弦】:好きな本の魅力を聴衆の前でPRし、投票で勝者を決める・・・

2017-11-14 07:01:40 | 学術・文学・アート・美術・古典

【大弦小弦】:好きな本の魅力を聴衆の前でPRし、投票で勝者を決める・・・

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【大弦小弦】:好きな本の魅力を聴衆の前でPRし、投票で勝者を決める・・・ 

 好きな本の魅力を聴衆の前でPRし、投票で勝者を決めるビブリオバトルというゲームがある。10年前に京都大の研究員が考案し、読書好きの人を中心に全国へ広がった。県内でも2013年ごろから開催されていて、8日には高校生の県大会も開かれる

 ▼発表者が1冊の本を選んで、その良さを制限時間内で訴える。聴衆が最も「読みたい」と思い、票を集めた本を「チャンプ本」として認定する

 ▼読書週間まっただ中の4日、県立図書館で開かれたバトルを観戦した。勝敗という要素が入っているからなのか、参加者が本を読んできて互いに感想を話し合う一般的な読書会とは趣が違う

 ▼参加した中学生や図書館職員ら25人が、小説や人気のコミック、民法解説書などを持ち寄った。人の興味や関心、感動のツボは十人十色だということが実感できた

 ▼「この本の良さを知ってほしい」との熱意の向こうに人柄まで見えてくるのも面白い。バトルとはいえ、本好きの集まり。「その本を読んだら成績は良くなりますか?」などユーモアのある質問もあって和気あいあいとした雰囲気だ

 ▼ドイツの哲学者ニーチェに「他人の自我にたえず耳を貸さねばならぬこと-それこそまさに読書ということ」との言葉がある。自分を開き、他者を知り、世界に触れる。読書の新たな楽しみがさらに広がるといい。(玉城淳)

 元稿:沖縄タイムス社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【大弦小弦】  2017年11月05日  09:15:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。 

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【大弦小弦】:まだ誰も見たことのないオペラ…

2017-11-14 07:01:20 | 学術・文学・アート・美術・古典

【大弦小弦】:まだ誰も見たことのないオペラ…

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【大弦小弦】:まだ誰も見たことのないオペラ…

 まだ誰も見たことのないオペラ。パンフレットにある宣伝文句に胸を躍らせながら劇場に足を踏み入れた

 ▼東京で先日上演されたプッチーニの名作歌劇「トスカ」。世界的映画監督の河瀬直美さんがオペラ初演出に挑んだことでも話題だ

 ▼名アリア(独唱)がいくつも登場する「トスカ」は、主要人物が次々と死んでいく「救いようのない悲劇」の異名を持つ。そんな作品に「希望の光を見いだす」という河瀬流の演出や、映像と舞台がどう調和するのかが見どころでもある

 ▼富士山、海、太陽。場面ごとに変化する美しい映像は、不思議なほど物語にマッチしていた。「救いようのない悲劇」なのに、どこか人間のはかない愛が伝わる。カンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた映画人のなせる技だろう

 ▼ネタバレは避けるが、絶望した主人公が身投げするまでを描いた終幕は圧巻。あっと言わせる演出への驚きと、ふわっと「希望」を感じる恍惚(こうこつ)感に浸った。もちろん、全編を通して、県出身のオペラ歌手、与儀巧さんを含めた出演者の歌唱が観客の喝采を浴びたのは言うまでもない

 ▼「音楽を聴くのに頭なんて必要ない」。世界三大テノールと呼ばれたオペラ歌手、ルチアーノ・パバロッティの言葉だ。きょうは文化の日。小難しく考えず、芸術の世界に埋もれてみるのも悪くない。(西江昭吾)

 元稿:沖縄タイムス社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【大弦小弦】  2017年11月03日  09:43:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。 

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【大弦小弦】:辞書づくりに携わる人たちを描いたベストセラー「舟を編む」…

2017-11-14 07:01:00 | 学術・文学・アート・美術・古典

【大弦小弦】:辞書づくりに携わる人たちを描いたベストセラー「舟を編む」…

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【大弦小弦】:辞書づくりに携わる人たちを描いたベストセラー「舟を編む」…

 辞書づくりに携わる人たちを描いたベストセラー「舟を編む」(三浦しをん著)。刻々と変わる言葉を追い続ける-。言葉は「生き物」だということをあらためて知り、いとおしく感じさせてくれる1冊だ

 ▼言葉は時代とともに意味や使い方も変化し、新しく誕生する。10年ぶりに改訂される岩波書店の「広辞苑」(第7版)で、そんな節目と出合えるだろう

 ▼「上から目線」「LGBT」「がっつり」「クラウド」。新たに1万項目を追加。インターネットの普及で日常生活でもよく使われるようになったIT・ネット用語や、アニメ・漫画などの分野も重点に置いたという

 ▼新しく加わった語義も興味深い。「やばい」は「のめり込みそうである」、「盛る」は「おおげさにする」、「弾ける」は「羽目をはずして浮かれる」。すでに定着していたと思っていたが、手元にある第4版には確かに見当たらない

 ▼分析し直した意味には思わずほっとするものも。「さする」は「軽くこする」から、「(痛みや寒さをやわらげるために)手のひらを軽く押し当てて前後または左右に何度も動かす」に。説明から温かさがにじみ出る

 ▼手軽に検索できるネットに手が伸びがちだが、辞書を引いて言葉をじっくり楽しむのも心地いい。時間をかけて編纂(へんさん)され、情報を提供してくれる「広辞苑」は「やばい」。(赤嶺由紀子)

 元稿:沖縄タイムス社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【大弦小弦】  2017年11月01日  07:33:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。  

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【正倉院展】:宮仕えの不条理、古文書にも…非ないが連帯責任

2017-11-11 18:16:30 | 学術・文学・アート・美術・古典

【正倉院展】:宮仕えの不条理、古文書にも…非ないが連帯責任

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【正倉院展】:宮仕えの不条理、古文書にも…非ないが連帯責任

 奈良市の奈良国立博物館で13日まで開催中の「第69回正倉院展」で展示されている「続修正倉院古文書(ぞくしゅうしょうそういんこもんじょ) 第四十四巻」には、備品を勝手に返したことについての始末書や、舟の無断借用の釈明、病人への見舞金の支出といった様々な文書がまとめられている。

「続修正倉院古文書 第四十四巻」に収められている始末書。文末に、丈部益人(後ろから3行目)や唐東人(同4行目)の署名も見える(奈良市の奈良国立博物館で)=吉野拓也撮影

  「続修正倉院古文書 第四十四巻」に収められている始末書。文末に、丈部益人(後ろから3行目)や唐東人(同4行目)の署名も見える(奈良市の奈良国立博物館で)=吉野拓也撮影

 約1250年前の天平人の〈人間ドラマ〉を垣間見ることができる。

 762~772年の国営の写経所に関わる文書17通を1巻にまとめたもの。内容は多岐にわたり、うち1通が始末書だ。

 丈部益人(はせつかべのますひと)という人物が、東大寺の法会で使った備品の机の敷物を正規の手続きを踏まずに返したことをとがめられ、同僚らしい唐東人(からのあずまひと)と連名で、点検で敷物の数が合わなかった場合、弁償することを約束させられている。

 唐東人は持ち出した当人ではないのに連帯責任を負わされており、宮仕えの不条理さを感じさせる。

 元稿:讀賣新聞社 主要ニュース カルチャー 【ニュース】  2017年11月11日  18:16:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【地軸】:ブックマルシェ

2017-11-11 03:15:00 | 学術・文学・アート・美術・古典

【地軸】:ブックマルシェ

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【地軸】:ブックマルシェ

 週末、松山の住宅街にある幼稚園は本好きであふれていた。県内外の書店が古書などを所狭しと並べる「ブックマルシェ」▲

 懐かしい雑誌や外国の美しい絵本、手に入れられずにいた小説…。思いがけない出会いに胸を踊らせながら、本の隙間を歩く▲

 探していた一冊に出会えたときの気持ちを、批評家の若松英輔さんが随想につづっていた。「時空を超えてやってきた、未知の、しかし、旧友と呼びたくなるような存在と巡り会ったよう」。まさにその感覚▲

 買ったばかりの本を庭のベンチで読む親子に心和む。スタッフと言葉を交わせば、応援する作家や手渡したい思いが見えてくる。本の「市場」は人もつなぐ場。「日々書いて描いて創り出す人たちに感謝しながら」―。添えられた手書きの店案内を大切にしまった▲

 ヨシタケシンスケさんの「あるかしら書店」(ポプラ社)に出てくる町外れの小さな空想書店を思い出す。客のリクエストに応えて差し出されるのは、種をまき手間を掛けて育てる「作家の木」の話や、いい本を未来に残すため「プロが右往左往する」本屋さんの解説本など、ちょっと変で、哲学的。くすっと笑い、感じ入る▲

 地域の書店はネット通販や電子書籍に押され、減り続けている。けれど棚の一冊一冊を手に取れば、オンラインでたどり着けない世界が広がる。秋の読書週間。まちを歩いて、ふらっと寄ってみようか。新たな「物語」と出会いに。

 元稿:愛媛新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【地軸】  2017年11月06日  03:15:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【新語・流行語】:ちーがーうーだーろー!も候補に…

2017-11-09 22:08:30 | 学術・文学・アート・美術・古典

【新語・流行語】:ちーがーうーだーろー!も候補に…

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【新語・流行語】:ちーがーうーだーろー!も候補に…

 今年話題になった言葉を選ぶ「2017ユーキャン新語・流行語大賞」(「現代用語の基礎知識」選)の候補30語が9日、発表された。

 藤井聡太四段の活躍が目立った将棋界のほか、政治や芸能などに関する言葉がノミネートされた。年間大賞とトップ10は12月1日に発表される。

  元稿:讀賣新聞社 主要ニュース 社会 【話題・2017ユーキャン新語・流行語大賞】 2017年11月09日  22:08:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。 

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【話題のニュース】:新語・流行語大賞の候補に30語 「忖度」や・・・

2017-11-09 16:54:30 | 学術・文学・アート・美術・古典

【話題のニュース】:新語・流行語大賞の候補に30語 「忖度」や「インスタ映え」

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【話題のニュース】:新語・流行語大賞の候補に30語 「忖度」や「インスタ映え」

 今年話題になった言葉は―。「現代用語の基礎知識選 2017ユーキャン新語・流行語大賞」の候補30語が9日発表され、「忖度」や「インスタ映え」などが入った。選考委員会は「負の言葉が多い年だった」としている。大賞の発表は12月1日。

 3月、取材に応じる森友学園の籠池泰典理事長(当時)。国有地売却をめぐり官僚の「忖度」の有無が問題となった=大阪府豊中市

 3月、取材に応じる森友学園の籠池泰典理事長(当時)。国有地売却をめぐり官僚の「忖度」の有無が問題となった=大阪府豊中市

 忖度は、首相官邸の意向を役人がおもんぱかったと指摘される森友、加計学園問題を象徴するキーワードに。インスタ映えは、日常の写真をスマートフォンなどでアップする写真共有アプリ「インスタグラム」の定着に伴い、広く意識されるようになった。(共同)

 元稿:東京新聞社 主要ニュース 社会 【話題】  2017年11月09日  16:54:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。 

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