乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:

 在野の政治研究家乾龍が『漂流日本の闇』を斬る! 日々の政治・経済等の時事ニュースの深層を探る。

【沖縄県】:米軍ヘリ窓落下、警察が調査…児童見守られ登校

2017-12-14 13:31:30 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【沖縄県】:米軍ヘリ窓落下、警察が調査…児童見守られ登校

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【沖縄県】:米軍ヘリ窓落下、警察が調査…児童見守られ登校

 沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校のグラウンドに米海兵隊の大型輸送ヘリコプター「CH53E」の窓が落下した事故で、県警宜野湾署は14日午前、米軍の許可を得て米軍普天間飛行場内に入り、CH53Eの写真を撮影するなどして調査した。

窓が落下した「CH53E」の同型機を調べる関係者ら(14日午前9時40分、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場で)=中嶋基樹撮影

   窓が落下した「CH53E」の同型機を調べる関係者ら(14日午前9時40分、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場で)=中嶋基樹撮影

 翁長(おなが)雄志(たけし)知事は同日上京し、防衛省などに事故について抗議する。一方、同小の児童たちは、教職員や地域住民らに見守られながら登校した。

 米軍基地内で日本の警察による調査が行われるのは異例。沖縄防衛局(嘉手納町)によると、同飛行場内にあるCH53Eは同日午後1時現在、飛行をしていないという。しかし、事故機とは別機種のヘリなどが飛び立つ姿は確認された。

 同局にはこの日、各政党の地方組織のメンバーが相次いで訪れ、原因究明や再発防止などを申し入れた。

 元稿:讀賣新聞社 主要ニュース 社会 【事件・事故】  2017年12月14日  13:31:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【著書紹介】:日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか Part1-①

2017-12-13 23:58:00 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【著書紹介】:日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか Part1沖縄の謎 基地と憲法 全文

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【著書紹介】:日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか Part1沖縄の謎 基地と憲法 全文 

 みなさん、はじめまして。矢部宏治(やべこうじ)と申します。

 私は一昨年、 「 〈戦後再発見〉双書(創元社刊)」という歴史シリーズを立ち刊行をつづけています。第一巻目の『戦後史の正体』(孫崎享うける著)は、おかげさまで二二万部という大ヒットになりましたので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

 このシリーズがスタートして少したったころ、読者からメールでこんなメッセージをいただきました。
 三 ・ 一一以降、日本人は「大きな謎」を解くための旅をしている。

 本当にそうだと思います。二〇一一年三月、福島原発事故が起きてから、私たち日本人は日々、信じられない光景を眼にしつづけているからです。

 なぜ、これほど巨大な事故が日本で起こってしまったのか。
 なぜ、事故の責任者はだれも罪に問われず、被害者は正当な補償を受けられないのか。
2
 なぜ、東大教授や大手マスコミは、これまで「原発は絶対安全だ」と言いつづけてきたのか。
 なぜ、事故の結果、ドイツやイタリアでは原発廃止が決まったのに、当事国である日本では再稼働が始まろうとしているのか。
 そしてなぜ、福島の子どもたちを中心にあきらかな健康被害が起きているのに、政府や医療関係者たちはそれを無視しつづけているのか。

 だれもがおかしいと思いながら、大きな流れをどうしても止められない。解決へ向かう道にどう踏み出していいかわからない。そんな状況がいまもつづいています。

 本書はそうしたさまざまな謎を解くカギを、敗戦直後までさかのぼる日本の戦後史のなかに求めようとする試みです。

 このあと説明する米軍基地の問題を見てもわかるように、私たちが住むこの日本という国は、とても正常な国家とは言えないのではないか。そのためこれから私たちは、原発や放射能汚染をめぐって大変な事態に直面するのではないか。しかもそうした被害は、二〇一三年二月に成立した特定秘密保護法によって、すべて国民の眼から隠されてしまうのではない
か。さらにはそうして情報が隠いん蔽ぺいされるなか、今後、日本は政府の勝手な解釈改憲によって、海外で侵略的な戦争をするような国になってしまうのではないか。

 そう考え、暗く、重い気もちになることもあります。

 しかしその一方、明るく、勇気づけられるような出来事に、日々遭遇することも多いのです。

 それは日本のいろいろな場所で、いろいろな人たちが、この「大きな謎」を解くための旅をスタートさせているからです。

 私は二〇一〇年から沖縄の米軍基地問題を調べ始め、その後、東京で東日本大震災に遭遇し、福島の原発災害問題にも直面することになりました。本文中にあるように、沖縄の米軍基地問題の取材はまさに驚きの連続、つい最近まで誇りに思っていた日本という国の根幹が、すっかりおかしくなっていることを痛感させられる結果となりました。

その一方で、うれしい発見もあったのです。そうした問題を調べ、自分で本を書くようになってからわずか数年のあいだに、本当に数多くの尊敬すべき人たちと出会うことができたからです。

 いろいろな市民グループ、お母さんたち、官僚、政治家、弁護士、ジャーナリスト、学者、医師、ミュージシャン、俳優、経営者、会社員......、立場はさまざまですが、みな、それぞれのやり方で、この「大きな謎」を解くための旅をつづけている人たちです。そういう人たちは、日本全国に、いろいろな分野にいます。点在していますから目立ちませんが、決
して数は少なくありません。

いま、私たち日本人が直面している問題は、あまりにも巨大で、その背後にひそむ闇もかぎりなく深い。

 しかし、だからこそ逆に、自分の損得勘定を超えて問題に取り組む人たちの姿が、強い輝きをもって私たちの心に訴えかけてくるのです。

うまく目的地にたどりつけるかどうかは、正直わからない。ただ自分たちは、それぞれの持ち場で最善をつくす義務がある。そして崩壊し始めた「戦後日本」という巨大な社会を、少しでも争いや流血なく、次の時代に移行させていく義務がある。おそらくそれが、 「大きな謎」を解くための旅をしている人たちの、共通した認識だと思います。

 私もまた、そういう思いでこの本を書きました。

 本書がみなさんにとって、そうした旅に出るきっかけとなってくれることを、心から願っています。

目次
はじめに 
PART 1 沖縄の謎―基地と憲法 
PART 2 福島の謎―日本はなぜ、原発を止められないのか 
PART 3 安保村の謎1―昭和天皇と日本国憲法 
PART 4 安保村の謎2―国連憲章と第2次大戦後の世界 
PART 5 最後の謎―自発的隷属状態とその歴史的起源 
あとがき 

凡例
 *引用中の 〔〕 内は著者が補った言葉です。 傍点、 太字、 註も著者によるものです。 引用中の漢字、 カタカナは一部、 ひらがなに替えるなど、 現代語訳で表記している箇所があります。
 *図版のキャプションは編集部によるものです。
 *PART2の記述については、 一部、 『本当は憲法より大切な 「日米地位協定入門」 』 (前泊博盛編著/創元社) のなかで本書の著者が執筆した内容と、 重複する箇所があります。

PART 1 沖縄の謎 基地と憲法


建物をかすめるようにして、普天間基地へ降りていく米軍機 須田慎太郎

沖縄で見た、日本という国の真実

きっかけは沖縄への、たった二週間の撮影旅行でした。
いまから四年前、写真家と二人で沖縄本島へ渡り、島のすみずみまで歩いて二八ある巨大な米軍基地をすべて撮影する。そして本にするという企画だったのです。
そのとき眼にしたいくつかの風景は、やや大げさに言えば、私の人生を少し変えることになりました。自分が見て、聞いて、そして知った現実を、ひとりでも多くの人に伝えたいと強く思うようになったのです。
たとえば、下の写真をご覧ください。これはその最初の撮影旅行のときに泊まったホテルの屋上から見た風景です。沖縄本島の中部の高台にある、コスタビスタ というホテルの屋上(現在、閉鎖中)から南側を見おろしたところで、遠く左上に見えているのが有名な普ふ天てん間ま基地です。


丘の上から見た米軍住宅地区と普天間基地?c須田慎太郎
米軍住宅
1945年4月に米軍が上陸した海岸
普天間基地

 この屋上にのぼると、普天間基地から飛びたった米軍機が、島の上をブンブン飛びまわっている様子がよく見えます。沖縄というのはご存じのとおり、も ともと南北に長く、東西が狭い形をしているのですが、とくにこのあたりは地形がくびれているので(東西の幅がわずか四キロしかありません)、東側と西側の 海が両方よく見えるのです。その美しい景色のなかを、もう陸上・海上関係なく、米軍機がブンブン飛びまわっているのが見える。
 あとでくわしく説明しますが、米軍の飛行機は日本の上空をどんな高さで飛んでもいいことになっています。もちろん沖縄以外の土地ではそれほどあからさまに住宅地を低空飛行したりはしませんが、やろうと思えばどんな飛び方もできる。そういう法的権利をもっているのです。
 でもそんな米軍機が、そこだけは絶対に飛ばない場所がある。
 どこだかわかりますか?
 この写真のなかに写っています。そう、写真の中央にゴルフ場のような芝生にかこまれた住宅地があるのですが、これは基地のなかにある米軍関係者の住宅エリアです。こうしたアメリカ人が住んでいる住宅の上では絶対に低空飛行訓練をしない。
 なぜでしょう?
 もちろん、墜落したときに危ないからです。
 冗談じゃなく、本当の話です。この事実を知ったとき、私は自分が生まれ育った日本という国について、これまで何も知らなかったのだということがわかりました。いまからわずか四年前の話です。

 ■米軍機はどこを飛んでいるのか

 下の図の米軍機の訓練ルート(二〇一一年八月の航跡図)を見てください。中央に太い線でかこまれているのが普天間基地、その両脇の斜めの線が海岸線です。普天間から飛び立った米軍機が、まさに陸上・海上関係なく飛びまわっていることがわかる。


  でも基地の上、図版の中央上部に、ぽっかりと白く残された部分がありますね。これがいまお話しした、米軍住宅のあるエリアです。ここだけは、まったく飛んでいない。
  一方、普天間基地の右下に見える楕円形の部分は、真ま栄え原はらという沖縄でも屈指の繁華街がある場所です。そうしたビルが立ち並ぶ町の上を非常に低空で 軍用機が飛んでいる。さらに許せないのは、この枠のなかには、二〇〇四年、米軍ヘリが墜落して大騒ぎになった沖縄国際大学があることです。

 ★普天間飛行場所属のヘリが2011年8月におこなった旋回訓練の航跡図|沖縄防衛局調査。

 つまり米軍機は、沖縄という同じ島のなかで、アメリカ人の家の上は危ないから飛ばないけれども、日本人の家の上は平気で低空飛行する。以前、事故 を起こした大学の上でも、相変わらずめちゃくちゃな低空飛行訓練をおこなっている。簡単に言うと彼らは、アメリカ人の生命や安全についてはちゃんと考えて いるが、日本人の生命や安全についてはいっさい気にかけていないということです。
  これはもうだれが考えたって、右とか左とか、親米とか反米とか言ってる場合ではない。もっとずっと、はるか以前の問題です。いったいなぜ、こんなバカげたことが許されているのでしょうか。
  初めてこの事実を知ったとき、当然のことながら米軍に対して強い怒りがこみあげてきました。こいつらは日本人を人間あつかいしていないじゃないかと。
  しかし少し事情がわかってくると、それほど単純な話ではない。むしろ日本側に大きな問題があることがわかってきます。ここでもうひとつ地図を見てください。
  次ページの下の地図は、アメリカ西海岸のサンディエゴにある、ミラマー基地という海兵隊の航空基地とその飛行訓練ルートです。これは伊い波は洋よう一いちさん(元宜ぎ野の湾わん市長)の講演を聞いて知ったことですが、この基地は山岳地帯にあって、しかも普天間基地のなんと二〇倍の広さがあるので、基本的に基地の敷地内だけで 飛行訓練ができるようになっているのです。グレーの部分が基地の敷地、斜線の部分が飛行訓練ルートです。これくらいの広さがなければ、アメリカではそもそ も基地として成立しないわけです。(「米軍基地の京都への設置を問う学習集会」での講演/二〇一三年一一月二九日)
  さらに基地の左端から海岸に向かって、飛行ルートが延びていますね。滑走路の延長線上ではなく、滑走路から四五度の角度に延びている。なぜそうなっている かというと、滑走路の延長線上に住宅や学校があるからで、その上は飛べないため、斜めに谷たに間あいのルートを飛んでいるのです。
  つまりアメリカでは法律によって、米軍機がアメリカ人の住む家の上を低空飛行することは厳重に規制されているわけです。それを海外においても自国民には同 じ基準で適用しているだけですから、アメリカ側から見れば沖縄で米軍住宅の上空を避けて飛ぶことはきわめて当然、あたりまえの話なのです。
  だから問題は、その「アメリカ人並みの基準」を日本国民に適用することを求めず、自国民への人権侵害をそのまま放置している日本政府にあるということになります。
  もう一度、七ページの写真を見てください。米軍にとって他国のはずの日本で、いったいなぜ、このような信じられない飛行訓練が放置されているのでしょうか。

海兵隊ミラマー航空基地の滑走路と飛行訓練ルート
海兵隊ミラマー航空基地の滑走路と飛行訓練ルート(mcas safety zone map San Diego county airport land use commission compatibility policy map )
滑走路 飛行訓練ルート (斜線部)

 「日本の政治家や官僚には、インテグリティがない」

 こうした沖縄の状況は、もちろんアメリカ政府の要望にこたえる形で実現したものです。ですからアメリカ側の交渉担当者は、日本側がどんどん言うこ とを聞いてくれたら、もちろん文句は言いません。しかしそういうふうに、強い国の言うことはなんでも聞く。相手が自国では絶対にできないようなことでも、 原理原則なく受け入れる。その一方、自分たちが本来保護すべき国民の人権は守らない。そういう人間の態度を一番嫌うのが、実はアメリカ人という人たちなの です。だから、心のなかではそうした日本の態度を非常に軽蔑している。
  私の友人に同い年のアメリカ人がいて、新聞社につとめているのですが、こうした日本の政治家や官僚の態度について、彼は「インテグリティがない」と表現し ていました。「インテグリティ(integrity)」というのは、アメリカ人が人間を評価する場合の非常に重要な概念で、「インテグレート」とは統合す るという意味ですから、直訳すると「人格上の統合性、首尾一貫性」ということになると思います。つまりあっちとこっちで言うことを変えない。倫理的な原理 原則がしっかりしていて、強いものから言われたからといって自分の立場を変えない。また自分の利益になるからといって、いいかげんなうそをつかない。ポジ ショントークをしない。
  そうした人間のことを「インテグリティがある人」と言って、人格的に最高の評価をあたえる。「高潔で清廉な人」といったイメージです。一方、「インテグリ ティがない人」と言われると、それは人格の完全否定になるそうです。ですからこうした状態をただ放置している日本の政治家や官僚たちは、実はアメリカ人の 交渉担当者たちから、心の底から軽蔑されている。そういった証言がいくつもあります。

 沖縄の米軍基地をすべて許可なしで撮影し、本にした

 こうしたとても信じられない現実を知った驚きが、沖縄から帰って私が米軍基地の本を書いたり、「はじめに」でふれた「〈戦後再発見〉双書」という歴史シリーズを立ちあげる原動力になりました。
  米軍基地の本というのは、先にふれた撮影旅行でつくった沖縄・米軍基地の観光ガイドブックです。(右下写真)
  沖縄にある二八の米軍基地をすべて許可なしで撮影し、解説を加えています。「〈戦後再発見〉双書」は、私がこの本を書いたことがきっかけで、スタートすることになりました。
  いま、米軍基地をすべて許可なしで撮影し、本にしたと言いましたが、本当はそんなことをしてはいけないのです。だいたい軍事基地というのは、海外では近くでカメラを出しただけで没収され、連行されてしまいます。 

 『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること――沖縄・米軍基地観光ガイド』(2011年/書籍情報社)

 ロシアの専門家である孫崎享うけるさん(『戦後史の正体』著者・元外交官)に最初にお会いしたとき、「よくこんな本をつくりましたね。ロシアだったら、あなたとカメラマンはまちがいなく射殺されてますよ」
  と言われました。沖縄で車の運転を頼んだ年配のドライバーも、「戦前の日本軍だったら死刑さぁ」と言っていました。
  もちろんいまの日本では、そんなことはありませんが、最悪逮捕されることはありえると思っていました。というのは、撮影を始めてからわかったことですが、 米軍を日本に駐留させるにあたってつくられた「刑事特別法」という特別な法律があって、そうした撮影が軍事情報の漏洩と判断されたら、一〇年以下の懲役に なってしまうからです。これは安倍政権が二〇一三年に成立させた特定秘密保護法の原型ともいうべき法律で、非常に重い罪が設定されているのです。

 ◆二〇一〇年六月、鳩山・民主党政権の崩壊

 それなのに私のような気の小さい人間が、なぜそんなことをしたかと言いますと、それはいまからちょうど四年前、非常に怒っていたからです。なにに対してかというと、鳩山民主党政権の無残な崩壊に対してでした。
  鳩山由紀夫さんの歴史的評価は、さまざまだと思います。 政治は結果責任だという考えからすれば、非常に低い評価しかあたえられない。事実、鳩山政権の登場した前とあとで、日本の政治は信じられないほど悪くなっ ています。その責任はきわめて重い。多くの人が、もう民主党のことは思い出したくもないと思っている。実は私もそうなのです。
  しかし二〇〇九年の八月、多くの日本人が、さすがに自分たちはもう変わらなければいけないと思った。そのことは事実です。戦後ずっと、日本はかなりうまく やってきた。アメリカの弟分(ジュニア・パートナー)としてふるまうことで、敗戦国から世界第二位の経済大国にまでのぼりつめた。しかしそのやり方が、さ すがに限界にきてしまった。多くの人がそう思ったのではないでしょうか。
  だから戦後初の本格的な政権交代が起こった。国民の支持も非常に高かった。なにかやってくれるんじゃないか。日本が変わるべきときに、変わるべき方向を示 してくれるんじゃないか。いまはすっかり評価を落としてしまいましたが、当時はそういう大きな期待を集めた政権でした。

 ◆本当の権力の所在はどこなのか?

 けれども二〇〇九年九月に成立した鳩山政権は、わずか九カ月しか続きませんでした。とくに問題だったのは、その倒れるまでのプロセスです。
  最近のことですので、みなさんよくご記憶だと思いますが、まず鳩山政権が誕生する半年前の三月三日、当時民主党代表だった小沢一郎氏の公設秘書が、政治資 金規正法違反の容疑で逮捕されました。いわゆる「小沢事件*」の始まりです。鳩山さんはそのときはまだ、同党のナンバー2である幹事長でした。
  遅くとも半年後には総選挙が予定されており、そこで首相になることが確実視されていた野党第一党の党首を、まったくの冤罪(その後、裁判であきらかになりました)で狙い撃ちしたのですから、これは完全な国策捜査でした。
  しかし本書では、この三月の時点での検察の攻撃を問題にするつもりはありません。もちろんあってはならないことですが、実は歴史のなかでこれは非常によく あるケースだからです。検察というのは、独立性は高いが行政組織ですから、政権の座にいる権力者(この場合は自民党)が政敵を失脚させるために検察を使 う。これは日本でも海外でもよくある話です。
  ところがこの二〇〇九年のケースが異様だったのは、九月に民主党が政権をとったあとも、検察からの攻撃がやまなかったことでした。鳩山首相と小沢幹事長、 つまり国民の圧倒的な支持を得て誕生した新政権のNO1とNO2を、検察がその後もずっと野党時代と変わらず攻撃しつづけた。検察からリークを受けた大手 メディアも、それに足並みをそろえた。
  この時点で日本の本当の権力の所在が、オモテの政権とはまったく関係のない「どこか別の場所」にあることが、かなり露骨な形であきらかになったわけです。

 *?この時点では「西松建設事件」。のちにこの事件は公判を維持できなくなり、政権交代後、「陸山会事件」が訴因に加えられました。この二つをあわ せて、「小沢事件」と呼びます。「西松建設事件」での秘書の逮捕から二カ月後、小沢氏は民主党代表を辞任し、その後おこなわれた党内選挙の結果、鳩山氏が 代表に就任し、三カ月後の総選挙で勝利しました。

官僚たちが忠誠を誓っていた「首相以外のなにか」とは?

 そして最終的に鳩山政権を崩壊させたのは、冒頭で写真をお見せした米軍・普天間基地の、県外または国外への「移設」問題でした。外務省自身が「パンドラの箱」と呼ぶ米軍基地の問題に手をつけ、あっけなく政権が崩壊してしまった。
  たいした覚悟も準備もなく、そんなことをしたのが悪かったと批判する人もいます。その気もちもわかります。でもやはり、それは問題の本質ではないんですね。重要なのは、

 「戦後初めて本格的な政権交代をなしとげた首相が、だれが見ても危険な外国軍基地をたったひとつ、県外または国外へ動かそうとしたら、大騒ぎになって失脚してしまった」

 という事実です。つらい現実ですが、ここをはっきり見ないといけない。しかも鳩山さんの証言にあるように、そのとき外務官僚・防衛官僚たちが真正面から堂々と反旗をひるがえした。
  普天間の「移設」問題が大詰めをむかえた二〇一〇年四月六日、鳩山さんが外務省と防衛省の幹部を首相官邸に呼んで秘密の会合をもち、「徳之島移設案」という最終方針を伝えた。そのあと酒をくみかわしながら、
 「これからこのメンバーで、この案で、最後まで戦っていく。力を合わせて目標にたどりつこう。ついてはこういった話し合いが外にもれることが、一番ダメージが大きい。とにかく情報管理だけはくれぐれも注意してくれ」と言った。
 「この情報だけは絶対、外にもらすなよ」と念を押したわけです。
  しかしその翌日、なんと朝日新聞の夕刊一面に、その秘密会合の内容がそのままリークされた*。つまり、 「われわれは、あなたの言うことは聞きませんよ」
  という意思表示を堂々とやられてしまったわけです。官僚たちは、正当な選挙で選ばれた首相・鳩山ではない「別のなにか」に対して忠誠を誓っていたと、鳩山さんは語っています。(「普天間移設問題の真実」友愛チャンネル/二〇一三年六月三日)
  この鳩山さんの証言は翌年、彼が首相を退陣してからちょうど一年後の二〇一一年五月に「確かな証拠ハードプルーフ」によって裏づけられることになりました。ウィキリークスという機密情報の暴露サイトが、この問題に関するアメリカ政府の公文書を公開したのです。
  その内容は、日本のトップクラスの防衛官僚や外務官僚たちが、アメリカ側の交渉担当者に対して、「〔民主党政権の要求に対し〕早期に柔軟さを見せるべきで はない」(高見澤將林たかみざわのぶしげ・防衛省防衛政策局長/現内閣官房副長官補・安全保障担当)とか、「〔民主党の考え方は〕馬鹿げたもので、〔いず れ〕学ぶことになるだろう」(齋木昭隆さいきあきたか・外務省アジア大洋州局長/現外務事務次官)
  などと批判していたという、まったく信じられないものでした。

 *?「朝日新聞」二〇一〇年四月七日夕刊(一面)「米軍普天間飛行場の移設問題で、鳩山首相が六日夜、首相公邸で内閣官房や外務・防衛両省の実務者 でつくる作業部会の初会合を開いていたことがわかった。(略)/首相は(略)普天間のヘリ部隊の大部分を鹿児島県・徳之島に移す方向で米側、地元自治体と 調整するよう指示し、今後の交渉日程や交渉ルートなどを確認したとみられる。/作業部会では、先に米側に伝えた検討状況について、現時点で米側から返答が ない現状も報告された。(以下略)」 

 ◆昔の自民党は「対米従属路線」以外は、かなりいいところもあった

 私は自民党に関しては昔、本をつくったことがあったので(『巨悪vs言論』立花隆/文藝春秋)、自民党にこうした米軍基地の問題、より正確に言え ば対米従属の問題が、絶対に解決できないことはよく知っていました。二〇〇六年にアメリカ国務省自身が認めているように、自民党は一九五五年の結党当初か ら、CIAによる巨額の資金援助を受けていた。その一方でCIAは、社会党内の右派に対しても資金を出して分裂させ、民社党を結成させて左派勢力の力を弱 めるという工作もおこなっていました。(Foreign Relations of the United States, 1964-1968 ; vol.29, Part 2: Japan, United States Government Printing Office.)
  つまり「冷戦」とよばれる東西対立構造のなか、日本に巨大な米軍を配備しつづけ、「反共の防波堤」とする。そのかわりにさまざまな保護をあたえて経済発展 をさせ、「自由主義陣営のショーケース」とする。そうしたアメリカの世界戦略のパートナーとして日本国内に誕生したのが自民党なわけですから、米軍基地問 題について「アメリカ政府と交渉して解決しろ」などと言っても、そもそも無理な話なのです。
  多くの日本人は、実はそうしたウラ側の事情にうすうす気づいていた。だから政権交代が起こったという側面もあった。というのも、いま振り返ってみれば、 森・小泉政権以前の自民党には、かなりいいところがあったわけです。防衛・外交面では徹底した対米従属路線をとったものの、なにより経済的に非常に豊か で、しかも比較的平等な社会を実現した。その点は多くの日本人から評価されていたのだと思います。
  しかし、その自民党路線がついに完全に行きづまってしまった。それなら結党の経緯からいって、彼らには絶対にできない痛みのともなう改革、つまり極端な対 米従属路線の修正だけは、ほかの党がやるしかないだろう。さすがの保守的な日本人もそう考え、最初はためらいながら、しかし最後は勇気をもって、戦後初の 本格的政権交代という大きな一歩を踏み出したのだと思います。

 ◆日本国民に政策を決める権利はなかった

 ところが日本の権力構造というのは、そんな私たちが学校で習ったようなきれいな民主主義の形にはなっていなかった。鳩山政権が崩壊するまで私たち は、日本人はあくまで民主主義の枠組みのなかで、みずから自民党と自民党的な政策を選んできたのだと思っていました。進む道がAとBがあったら、必ずA、 つまり対米従属路線を選んできたけれど、それは自分たちの判断でそうしてきたのだと。
  しかし、そうではなかった。そもそも最初から選ぶ権利などなかったのだということがわかってしまった。日本の政治家がどんな公約をかかげ、選挙に勝利しよ うと、「どこか別の場所」ですでに決まっている方針から外れるような政策は、いっさいおこなえない。事実、その後成立した菅政権、野田政権、安倍政権を見 てみると、選挙前の公約とは正反対の政策ばかりを推し進めています。
「ああ、やっぱりそうだったのか……」
  この現実を知ったとき、じんわりとした、しかし非常に強い怒りがわいてきました。自分がいままで信じてきた社会のあり方と、現実の社会とが、まったくちがったものだったことがわかったからです。
  その象徴が、冒頭からお話ししてきた米軍基地の問題です。いくら日本人の人権が侵害されるような状況があっても、日本人自身は米軍基地の問題にいっさい関 与できない。たとえ首相であっても、指一本ふれることはできない。自民党時代には隠されていたその真実が、鳩山政権の誕生と崩壊によって初めてあきらかに なったわけです。
  いったい沖縄の米軍基地ってなんなんだ、辺へ野の古こってなんなんだ、鳩山首相を失脚させたのは、本当はだれなんだ……。
  よく考えると、それほど重大な問題について、自分はなにも知らないわけです。それで出版業者と言えるのか。これは絶対に一度、自分で見に行くしかない。写真をとって本にするしかないと思いました。

 ◆原動力は、「走れメロス的怒り」

 その本(『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』)を出したあと、東京の書店さんのトークショーでそんな話をしていたら、読者の方から、「矢部さん、それは『走れメロス的怒り』ですね」  と言われたのです。
「えっ? 『走れメロス』ってそんな話だっけ」
  と思って、帰って太宰治の文庫本を引っぱりだして読んでみると、たしかにそうなんです。
  この小説は、後半の友情物語のところ、 「ぼくは一瞬だけ、君を疑った。だからぼくを殴れ」 という場面が非常に有名ですけれど、物語の始まりは政治を知らない羊飼いが、王様のおかしな政治に怒って抗議しにいく話なのです。そしてつかまってしまう。
  冒頭部分を少し読んでみます。
 「メロスは激怒した。必ず、かの邪じゃ知ち暴ぼう虐ぎゃくな王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧ぼく人じん 〔羊飼い〕である。笛を吹き、羊と遊んで暮してきた。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明、メロスは村を出発し、野を越え山越え、 十里はなれたこのシラクスの市にやって来た」
  私が沖縄に撮影旅行に行ったのは、まさにこうした感じでした。政治を知らぬ、羊飼い的怒りからだったのです。
 「それまで笛を吹き、羊と遊んで暮してきた」などというのは、まさに私にぴったりの表現なのです。私は大学を出たあと、大手広告会社に入ったのですが、 たった二年で会社を辞めて、あとは小さな出版社をつくって美術や歴史など、自分の好きなジャンルの本ばかりつくってきた、そういうきわめて個人主義的な人 間です。ほとんど選挙も行ったことがありませんでした。そうした完全なノンポリが、子どものような正義感で写真家と二人、沖縄に出かけていったというわけ です。

 ◆沖縄じゅうにあった「絶好の撮影ポイント」

 そこから写真家の須田慎太郎さんと一緒に、まったくの無許可で、しかもできるだけ米軍基地に接近して写真をとっていきました。実はそうしたスタイ ルで基地を勝手に撮影した写真集というのは初めてだったのです。それはある意味当然で、米軍と日本政府の判断によっては、勝手に基地の写真をとると逮捕さ れる可能性があるからです。
  あとからわかったことですが、問題を整理するとこうなります。
  われわれ日本人には、国内の米軍基地について、もちろん知る権利がある。近隣の住民にとって非常に大きな危険があり、しかも首相を退陣に追いこむような重 大問題について、米軍からの発表資料だけですませていいはずがない。どこにどういう基地がどれくらいあって、日々、どういう訓練をしているか、自分たちで 調べる権利がある。
  しかしその一方、軍事基地なわけですから、すでにのべたとおり刑事特別法という法律がつくられており、そうした撮影が軍事機密の漏洩と判断された場合、一〇年以下の懲役となる可能性がある。そのアウトとセーフの境目はだれにもわかりません。
  でも沖縄というのは面白いところで、いろいろな場所に「さあ、ここから基地をとれ」というような建物があるんですね。 たとえば嘉か手で納な基地という一 番重要な空軍基地の前には、四階建てのドライブイン(「道の駅かでな」)があって、その四階のデッキが基地を撮影するためにわざわざつくったような絶好の スペースになっている。そこに飛行機マニアがいつも大勢たむろして、望遠レンズで米軍機を撮影している。そういう状況があるのです。
  有名な普天間基地にも、すぐ近くの嘉か数かずの高台という場所に公園があって、そこに地球儀の形をした展望台がある。オスプレイがとまっているところが非常によく見えます。
  どの米軍基地にも、近くにそうした基地を監視するポイントが必ずあって、近くまで行って聞くと住民の人たちがその場所までつれていってくれる。そのおかげで「沖縄米軍基地・観光ガイドブック」もできたわけです。
  だから基本的に、撮影中に逮捕されることはないだろうと思っていました。もちろんわれわれが基地を撮影するときは、フェンスぎりぎりまで接近します。そし て米兵に見つからないよう、すばやく撮影します。ですから非常に怖かったのですが、うまく撮影できたあとは、違法かどうか、弁護士にチェックしてもらえば いいと思っていました。もともとあきらかな法律違反があったら商業出版というのは成り立ちませんので、弁護士によるチェックは不可欠だと思っていました。

 ◆「左翼大物弁護士」との会話

 それで掲載する写真がほぼ決まったとき、写真家の須田さんと一緒に、そうした問題にくわしい弁護士さんのところに行って、原稿をチェックしてもらったのです。ふたり並んで机に座って、
「先生どうでしょう、いろいろ軍事施設や訓練なども写ってますけど、この本をこのまま出したらぼくらはつかまるんでしょうか」
  と聞きました。法的にまずい写真があったら、はねてもらおうと思っていたのです。
「まあ、この写真とこの写真は、やめておいたほうがいいでしょうね」
  そういうふうに助言してもらえると思っていた。
  そうしたらその弁護士さんがジーッと長い時間をかけて、一ページ一ページ原稿を丹念にめくって見て、最後にふっと顔をあげて言ったのが、
 「あのね、矢部さん。この本ねぇ………………絶対に売れますよ」と。
  まったく意外な言葉だったのですが、その時点でそんなことを言われたのは初めてだったので、すっかりうれしくなって、
 「いや先生、大変ありがとうございます。そう言っていただけるなんて、本当に光栄です」
  と、まずお礼を言いました。でも考えてみると、今日はそんな話をしにきたわけじゃない。
  そこでもう一度、「でも今日はそういうお話ではなく、この本をこのまま出したら、ぼくと写真家がつかまるかどうか聞きにきたのです」
  と聞いてみた。すると今度は、 「つかまったら、もっと売れますよ」  と言われてしまった。話が全然かみあわないわけです。
  あとで聞いたらその人は、一九六〇年代にかなり有名な学生運動のリーダーだった人で、当時、ひどいときは年に半分くらいは刑務所に入っていた。もう七〇代で、話し方は非常に紳士的なのですが、ぼくらの態度には不満だったようで、「なんでこんないい企画、面白い企画をしておいて、つかまったらどうするとか、そういうくだらない話をするんだ」
  というのが本音だったようです。いやいや、ぜんぜんくだらなくない。商業出版ですから、つかまることはやりたくないし、できない。
  そのあとよく話を聞いてみると、つまりこういうことでした。彼の長年の経験によればこういう「公安関係の問題」(ということになるのだそうです)は、基本 的に「つかまる、つかまらない」は法律とは関係がない(!)。公安がつかまえる必要があると思ったら、なにもしていなくてもつかまえるし、必要がないと 思ったら、つかまえない。
  公安がよくやるのは、近づいていって、なにも接触してないのに自分で勝手に腹を押さえてしゃがみこんで、「公務執行妨害! 逮捕!」とやる。これを「転ころび公こう妨ぼう」というそうです。それは一種の伝統芸のようなもので、その名人といわれる公安までいる。そういうものだと。
  ひとしきりそうした話を教えてくれたあと、その弁護士さんは最後に、「まあ、基本的には、本を書いた人間をつかまえると、逆に本が売れて困ったことになるから、あなたたちがつかまることはないと思いますよ」 と、少しつまらなそうな顔で言ってくれました。

 ◆沖縄の地上は一八パーセント、上空は一〇〇パーセント、米軍に支配されている

沖縄本島と米軍基地  話をもどしますと、最初に沖縄に行ったあと、一度東京にもどってから出直して、今度は普天間基地の近くにアパートを借りて、約半年かけてその本をつくりま した。四年前までなにも知らなかった、まったくの初心者の目から見た米軍基地問題、日本のおかしな現状のレポートということで、逆にわかりやすい面もある かと思います。さらに数枚、写真を見ながら、ご説明します。
  私もそれまで二度ほど、沖縄に遊びに行ったことはあったのです。でも台湾から船で渡ったり、ゴルフなどして遊んでいただけで、米軍機による住宅地の低空飛 行についてはまったく知りませんでした。飛行機というのはアッという間に飛んできて、飛びさってしまいますので、実際に住んでみないとその危険性はよくわ からないのです。
  じゃあその沖縄の米軍基地の全体像はいったいどうなっているのか。右上がその地図です。沖縄本島の一八%が米軍基地になっています。那覇市の右上にあるのが有名な普天間基地、その上が先ほどふれた嘉手納基地、ずっと上の三角にトンがったところが辺野古岬です。
  実はこうした沖縄の米軍基地の取材を始めるにあたって、専門家の力はまったく借りませ上んでした。というのも、そもそも沖縄に知り合いがひとりもいなかっ た。それで沖縄県のホームページを見ていたら、米軍基地についての情報がとてもよくまとめてあったので、とりあえずそれをプリントアウトして、それだけを 片手に米軍基地めぐりを始めてみたのです。
  だから写真家の須田さんと二人で沖縄に渡る前に、前ページ上の地図は見ていた。そして米軍基地が沖縄本島の一八パーセントを占めているという話を読んで、
「面積の二割近くが米軍基地か……。それは沖縄の人たちも大変だな」
  などと話していたのです。
  ところがそれはあまかった。というのは、たしかに基地そのものは地上面積の一八パーセントだけれども、そこから飛び立った米軍機は一〇ページの図にあるように、基地の上空以外も飛ぶわけです。陸地の上だけでなく、海の上も飛んでいる。
  その理由は「嘉手納空域」というのですが、つい最近まで沖縄の上空は前ページ下の図のようにすっぽりと、米軍の管理空域になっていたからです(二〇一〇年 三月にその管理権が米軍側から日本側へ返還されたことになっていますが、形だけの返還で、実態はほとんど変わっていません)。
  だからいま「面積の一八パーセントが米軍基地だ」と言いましたが、上空は一〇〇パーセントなのです。二次元では一八パーセントの支配に見えるけれど、三次 元では一〇〇パーセント支配されている。米軍機はアメリカ人の住宅上空以外、どこでも自由に飛べるし、どれだけ低空を飛んでもいい。なにをしてもいいので す。日本の法律も、アメリカの法律も、まったく適用されない状況にあります。

日本じゅう、どこでも一瞬で治外法権エリアになる

 さらに言えば、これはほとんどの人が知らないことですが、実は地上も潜在的には一〇〇%支配されているのです。
  どういうことかというと、たとえば米軍機の墜落事故が起きたとき、米軍はその事故現場の周囲を封鎖し、日本の警察や関係者の立ち入りを拒否する法的権利をもっている。
  こう言うと、「ちょっと信じられないな」と思われる方もいらっしゃるでしょう。しかしこれは議論の余地のない事実なのです。その理由は一九五三年に日米両政府が正式に合意した次の取り決めが、現在でも効力をもっているからです。(『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』前泊博盛編著/創元社)

 「日本国の当局は、(略)所在地のいかんを問わず合衆国の財産について、捜索、差し押さえ、または検証を行なう権利を行使しない」(「日米行政協定第十七条を改正する議定書に関する合意された公式議事録」一九五三年九月二九日、東京)

 一見、それほどたいした内容には思えないかもしれません。しかし実は、これはとんでもない取り決めなのです。文中の「所在地のいかんを問わず(= 場所がどこでも)」という部分が、ありえないほどおかしい。それはつまり、米軍基地のなかだけでなく、「アメリカ政府の財産がある場所」は、どこでも一瞬 にして治外法権エリアになるということを意味しているからです。
  そのため、墜落した米軍機の機体や、飛び散った破片などまでが「アメリカ政府の財産」と考えられ、米軍はそれらを保全するためにあらゆる行動をとることができる。一方、日本の警察や消防は、なにもできないという結果になっているのです。

 ◆矢部宏治 やべ ・こうじ
 1960年、 兵庫県西宮市生まれ。 慶応大学文学部卒。 (株)博報堂マーケティング部をへて、1987年より書籍情報社代表。 著書に 『本土の人間は知らないが、 沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)、 共著書に 『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)。 企画編集シリーズに「〈知の再発見〉 双書(既刊165冊) 」「J.M.ロバーツ世界の歴史・日本版(全10巻) 」 「〈戦後再発見〉 双書(既刊3冊) 」 (いずれも創元社)。集英社インターナショナル1

 集英社インターナショナル 主要出版物 【日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 矢部宏治・著】 2015年05月10日 09:30:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【著書紹介】:日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか Part1-②

2017-12-13 23:57:50 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【著書紹介】:日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか Part1 沖縄の謎 基地と憲法 全文

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【著書紹介】:日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか Part1 沖縄の謎 基地と憲法 全文 

 ◆沖縄国際大学・米軍ヘリ墜落事故

 そのもっとも有名な例が、二〇〇四年に起きた沖縄国際大学・米軍ヘリ墜落事故でした。 二〇〇四年八月一三日午後二時一七分、普天間基地のとなり にある沖縄国際大学に飛行訓練中の米軍ヘリが墜落し、爆発炎上しました。左ページの写真の右下に見える建物が沖縄国際大学です。
  こうして訓練をしていた米軍機が沖縄国際大学に墜落し、ヘリの破片が大学と周辺のビルや民家に猛スピードで飛散しました。破片のひとつはマンションのガラ スを破り、直前まで赤ん坊がスヤスヤと眠っていた寝室のふすまに突き刺さったのです。ケガ人が出なかったのは「奇跡中の奇跡」だったと、だれもが口をそろ えるほどの大事故でした。
  さらに人びとに大きなショックをあたえたのは、事故直後、隣接する普天間基地から数十人の米兵たちが基地のフェンスを乗り越え、事故現場の沖縄国際大学になだれこんで、事故現場を封鎖したことでした。

事故後も沖基地縄と国憲際法大学(右端の建物)のすぐ近くで飛行訓練をする米軍ヘリ
事故後も沖基地縄と国憲際法大学(右端の建物)のすぐ近くで飛行訓練をする米軍ヘリ|c須田慎太郎

 そのとき沖縄のテレビ局(琉球朝日放送)が撮影した映像を、一度、世界中の人に見てもらいたいと思います。自分たちが事故を起こしておきながら、 「アウト! アウト!」と市民をどなりつけて大学前の道路から排除し、取材中の記者からも力ずくでビデオカメラをとりあげようとする米兵たち。一方、その かたわらで米兵の許可を得て大学構内に入っていく日本の警察。まさに植民地そのものといった風景がそこに展開されているのです。
  つまり、米軍機が事故を起こしたら、どんな場所でもすぐに米軍が封鎖し、日本側の立ち入りを拒否することができる。それが法的に決まっているのです。警察も消防も知事も市長も国会議員も、米軍の許可がないとなかに入れません。いきなり治外法権エリアになるわけです。
  ひと言で言うと、憲法がまったく機能しない状態になる。沖縄の人たちも、普段はみんな普通に暮らしているのですが、緊急時にはその現実が露呈する。米軍は日本国憲法を超えた、それより上位の存在だということが、この事故の映像を見るとよくわかります。
  このビデオを見ると、
「沖縄の人は、なんてかわいそうなんだ」
  と、最初は怒りのような感情がこみあげてきます。しかしすぐに、そのかわいそうな姿は、本土で暮らす自分自身の姿でもあることが、わかってくるわけです。

東京も沖縄と、まったく同じ

横田基地と米軍基地  なぜなら左ページの図のように、東京を中心とする首都圏上空にも、嘉手納空域と同じ、横田空域という米軍の管理空域があって、日本の飛行機はそこを飛べな いようになっているからです。だから羽田空港から西へ向かう飛行機は、まず東の千葉県のほうへ飛んで、そこから急上昇・急旋回してこの空域を越えなければ ならない。そのため非常に危険な飛行を強いられています。
  まったく沖縄と同じなのです。法律というのは日本全国同じですから、米軍が沖縄でできることは本土でもできる。ただ沖縄のように露骨にやっていないだけ。先ほどご紹介した一九五三年の合意内容、
「どんな場所にあろうと、アメリカ政府の財産について日本政府は差し押さえたり調べたりすることはできない」
  というのも、アメリカと沖縄ではなく、アメリカと日本全体で結ばれた取り決めです。
  だから東京や神奈川でも、米軍機が墜落したら状況は基本的に同じ。日本側は機体に指一本ふれることはできないし、現場を検証して事故の原因を調べることもできない。米軍が日本国憲法を超えた存在であるというのも、日本全国おなじことなのです。
  くわしくはPART2(六六ページ)で説明しますが、占領が終わり、一九五二年に日本が独立を回復したとき、そして一九六〇年に安保条約が改定されたと き、どちらも在日米軍の権利はほとんど変わらず維持されたという事実が、アメリカ側の公文書でわかっています。つまり米軍の権利については、占領期のまま 現在にいたっているということです。

 ◆「占領軍」が「在日米軍」と看板をかけかえただけ

 もう一度、八ページの写真を見てください。右上に見えているのが一九四五年に米軍が上陸してきた海岸です。この画面の右側にずっと海岸がつづいて いて、その近くはすべて米軍基地になっています。二九ページの地図でいうと、嘉手納基地の左手の海岸です。いまから七〇年前、米軍はこの海岸に多くの軍艦 でやってきて、まず艦砲射撃で地上の建物をすべてふきとばし、そのあと上陸して一帯を占領しました。
  結局、そのときのまま、ずっとそこにいるわけです。沖縄に行って少し高台にのぼって地上をながめると、そのことがひと目でわかります。海岸に近い、非常に 平らで優良な土地を、それから七〇年間、米軍が占拠しつづけている。海沿いの部分だけは一部返還されて商業地区になっているので、車で走っているとわから ないのですが、少し高台にのぼると、
「ああ、米軍はあの海岸から一九四五年に上陸してきて、そのままそこに居すわったんだな」
  ということが非常によくわかります。
  つまり「占領軍」が「在日米軍」と看板をかけかえただけで、一九四五年からずっと同じ形で同じ場所にいるわけです。本土は一九五二年の講和条約、沖縄は一 九七二年の本土復帰によって主権を回復したことになっていますが、実際は軍事的な占領状態が継続したということです。

 本土の米軍基地から、ソ連や中国を核攻撃できるようになっていた!

嘉手納弾薬基庫地かとら憲嘉法手納基地の飛行場(上)をのぞむ嘉手納弾薬基庫地かとら憲嘉法手納基地の飛行場(上)をのぞむ|c須田慎太郎

 次にもう一枚写真を見ていただきます。下の写真は、先ほどご紹介した嘉手納という大きな空軍基地のとなりにある弾薬庫を写したものです。上にうっ すらと見えているのが嘉手納空軍基地の飛行場です。飛行場と弾薬庫のあいだは、一見、片側二車線の広い道路で分断されているように見えるのですが、実は地 下通路で結ばれ、自由に行き来できるようになっています。
  こうした弾薬庫に、もっとも多い時期には沖縄全体で一三〇〇発の核兵器が貯蔵されていました。これはアメリカの公文書による数字です。
  緊急事には、すぐにこうした弾薬庫から核爆弾が地下通路を通って飛行場に運ばれ、飛行機に積みこまれるようになっていた。そしてショックなのは、それが本土の米軍基地に運ばれ、そこからソ連や中国を爆撃できるようになっていたということです。
  つまりこの嘉手納基地から一度、本土にある三沢や横田、岩国といった米軍基地に核兵器を運んで、そこから新たに爆撃機が飛び立って、ソ連や中国を核攻撃で きるようになっていた。青森県にある米軍三沢基地などは、ソ連に近い場所にありますから、ほとんどその訓練しかやっていなかったといいます。
  中国やソ連の核がほとんどアメリカに届かない時代から、アメリカは中国やソ連のわき腹のような場所、つまり南北に長く延びる日本列島全体から、一三〇〇発の核兵器をずっと突きつけていた。
  アメリカは一九六二年のキューバ危機で、ソ連が核ミサイルを数発キューバに配備したと言って大騒ぎしました。あわや第三次世界大戦か、人類滅亡か、というところまで危機的状況が高まった。
  われわれもそのことは、ケネディ兄弟がかっこよく活躍する映画などで知っています。しかしアメリカ自身は、その何百倍もひどいことをずっと日本でやってい たわけです。こうした事実を知ると、いかに私たちがこれまで「アメリカ側に有利な歴史」しか教えられていなかったかがわかります。

 ◆憲法九条二項と、沖縄の軍事基地化はセットだった

 「えーっ、沖縄に一三〇〇発の核兵器があったの?」
 「しかもそれが本土の基地に運ばれて、そこから飛び立って中国やソ連を核攻撃できるよう
になっていただって?」
  とても驚きました。この年になるまで、まったく知らなかったからです。
 「じゃあ、憲法九条ってなに?」
  と当然、疑問をもつわけです。ソ連・中国からしてみたら、自分たちのわき腹に一三〇〇発も核兵器を突きつけておいて、
「憲法九条? 悪い冗談はやめてくれ」という話なのです。
  そこで歴史を調べていくと、憲法九条二項の戦力放棄と、沖縄の軍事基地化は、最初から完全にセットとして生まれたものだということがわかりました。つまり 憲法九条を書いたマッカーサーは、沖縄を軍事要塞化して、嘉手納基地に強力な空軍を置いておけば、そしてそこに核兵器を配備しておけば、日本本土に軍事力 はなくてもいいと考えたわけです。(一九四八年三月三日、ジョージ・ケナン国務省政策企画室長との会談ほか)
  だから日本の平和憲法、とくに九条二項の「戦力放棄」は、世界じゅうが軍備をやめて平和になりましょうというような話ではまったくない。沖縄の軍事要塞 化、核武装化と完全にセット。いわゆる護憲論者の言っている美しい話とは、かなりちがったものだということがわかりました。
  戦後日本では、長らく「反戦・護憲平和主義者」というのが一番気もちのいいポジションでした。私もずっとそうでした。もちろんこの立場から誠実に活動し、日本の右傾化をくいとめてきた方も多数いらっしゃいます。その功績は決して忘れてはなりません。
  しかし深刻な反省とともによく考えてみると、自分もふくめ大多数の日本人にとってこの「反戦・護憲平和主義者」という立場は、基本的になんの義務も負わ ず、しかも心理的には他者より高みにいられる非常に都合のいいポジションなのです。しかし現実の歴史的事実にもとづいていないから、やはり戦後の日本社会 のなかで、きちんとした政治勢力にはなりえなかったということになります。

 ◆驚愕の「砂川裁判」最高裁判決

 沖縄に取材に行って、こうしたさまざまな問題の存在を知りました。しかし最後までわからなかったのは、日本は法治国家のはずです。なぜ、国民の基 本的人権をこれほど堂々と踏みにじることができるのか。なぜ、米兵が事故現場から日本の警察や市長を排除できるのか。なぜ同じ町のなかで、アメリカ人の家 の上は危ないから飛ばないけれど、日本人の家の上はどれだけ低空飛行をしてもいいなどという、めちゃくちゃなことが許されているのか。
  調べていくと、米軍駐留に関するあるひとつの最高裁判決(一九五九年)によって、在日米軍については日本の憲法が機能しない状態、つまり治外法権状態が「法的に認められている」ことがわかりました。
  くわしくは、「〈戦後再発見〉双書」第三巻の『検証・法治国家崩壊――砂川裁判と日米密約交渉』(吉田敏浩・新原昭治・末浪靖司著/創元社)を読んでいた だきたいのですが、これは本当にとんでもない話で、普通の国だったら、問題が解明されるまで内閣がいくつつぶれてもおかしくないような話です。
  なにしろ、占領中の一九五〇年から第二代の最高裁判所長官をつとめた田中耕太郎という人物が、独立から七年後の一九五九年、駐日アメリカ大使から指示と誘 導を受けながら、在日米軍の権利を全面的に肯定する判決を書いた。その判決の影響で、在日米軍の治外法権状態が確定してしまった。またそれだけでなく、わ れわれ日本人はその後、政府から重大な人権侵害を受けたときに、それに抵抗する手段がなくなってしまった。
  そうしたまさに「戦後最大」と言っていいような大事件が、最高裁の法廷で起きたのです。いまから半世紀以上前の一九五九年一二月一六日のことです。
  法律の問題なので少し観念的な話になりますが、どうかお聞きください。

 ◆憲法と条約と法律の関係―低空飛行の正体は航空法の「適用除外」

憲法と条約と法律の関係 まず基本的な問題からご説明します。日本の法体系のなかでは、憲法と、条約、一般の法律の関係は下の図のようになっているそうです。

 もともと日米安保条約などの条約は、日本の航空法など、一般の国内法よりも強い。上位にあるそうです。これだけでも私などは「えーっ!」と驚いたのですが、みなさんはいかがでしょう?
  これは憲法九八条二項にもとづく解釈で、「日本国が締結した条約は、これを誠実に遵守する」ということが憲法で定められているからです。この点に関しては、ほぼすべての法学者の見解が一致しているそうです。
  その結果、どうなるか。条約が結ばれると、必要に応じて日本の法律(憲法以外の国内法)が書きかえられたり、「特別法」や「特例法」がつくられることになります。つまり下位の法律が、新しい上位の法律に合わせて内容を変えるわけですね。ここまではよろしいでしょうか。
  米軍機がなぜ、日本の住宅地上空でめちゃくちゃな低空飛行ができるのかという問題も法的構造は同じで、「日米安全保障条約」と、それにもとづく「日米地位 協定」(在日米軍がもつ特権について定めた協定です)を結んだ結果、日本の国内法として、「航空特例法」という左の法律がつくられているからなのです。太 字の部分だけで結構ですので、読んでみてください。

「日米地位協定と国連軍地位協定の実施にともなう航空法の特例に関する法律 第三項(一九五二年七月一五日施行)
前項の航空機〔米軍機と国連軍機〕およびその航空機に乗りくんでその運航に従事する者については、航空法第六章の規定は、政令で定めるものをのぞき、適用しない」

 初めてこの条文の意味を知ったときは、本当に驚きました。右の特例法で「適用しない」としている「航空法第六章」とは、「航空機の運航」に関する 五七条から九九条までをさします。「最低高度」や「制限速度」「飛行禁止区域」などについて定めたその四三もの条文が、まるまる全部「適用除外」となって いるのです! つまり米軍機はもともと、高度も安全も、なにも守らずに日本全国の空を飛んでよいことが、法的に決まっているということなのです。

アメリカ国務省のシナリオのもとに出された最高裁判決

砂川判決以降の法体系 けれども、いくら条約(日米安保条約や日米地位協定)は守らなければならないといっても、国民の人権が侵害されていいはずはない。そうした場合は憲法が歯止めをかけることになっています。下の右の図の関係です。
  条約は一般の法律よりも強いが、憲法よりも弱い。近代憲法憲法というのは基本的に、権力者の横暴から市民の人権を守るために生まれたものだからです。だか ら、いくら日本政府が日米安保条約を結んで、それが日本の航空法よりも強い(上位にある)といっても、もし住民の暮らしや健康に重大な障害があれば、きち んと憲法が機能してそうした飛行をやめさせる。
  これが本来の法治国家の姿です。
  ところが一九五九年に在日米軍の存在が憲法違反かどうかをめぐって争われた砂川裁判で、田中耕太郎という最高裁長官(前述したとおり、占領中の一九五〇年 から、独立の回復をまたいで、安保改訂のあった一九六〇年まで在職しました)が、とんでもない最高裁判決を出してしまった。簡単に言うと、日米安保条約の ような高度な政治的問題については、最高裁は憲法判断をしないでよいという判決を出したわけです*。
  するとどうなるか。安保に関する問題については、前ページの右下の三角形の図から、一番上の憲法の部分が消え、左下の図のような関係になってしまう。
  つまり安保条約とそれに関する取り決めが、憲法をふくむ日本の国内法全体に優越する構造が、このとき法的に確定したわけです。
  だから在日米軍というのは、日本国内でなにをやってもいい。住宅地での低空飛行や、事故現場の一方的な封鎖など、これまで例に出してきたさまざまな米軍の 「違法行為」は、実はちっとも違法じゃなかった。日本の法体系のもとでは完全に合法だということがわかりました。ひどい話です。その後の米軍基地をめぐる 騒音訴訟なども、すべてこの判決を応用する形で「米軍機の飛行差し止めはできない」という判決が出ているのです。

 そしてさらにひどい話がありました。それはこの砂川裁判の全プロセスが、検察や日本政府の方針、最高裁の判決までふくめて、最初から最後まで、基 地をどうしても日本に置きつづけたいアメリカ政府のシナリオのもとに、その指示と誘導によって進行したということです。この驚愕の事実は、いまから六年前 (二〇〇八年)、アメリカの公文書によって初めてあきらかになりました。
  判決を出した日本の最高裁長官も、市民側とやりあった日本の最高検察庁も、アメリカ国務省からの指示および誘導を受けていたことがわかっています。『検 証・法治国家崩壊』にすべて公文書の写真付きで解説してありますので、興味のある方はぜひお読みください。本当に驚愕の事実です。

*?正確には「日米安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度な政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は(略)裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする」(「判決要旨六」)という判決でした。

 ◆「統治行為論」という、まやかし

 この判決の根拠を、日本の保守派は「統治行為論」とよんで、法学上の「公理」のようにあつかっています。政治的にきわめて重要な、国家の統治にか かわるような問題については、司法は判断を留保する。それはアメリカやフランスなど、世界の先進国で認められている司法のあり方で、そうした重要な問題 は、最終的には国民が選挙によって選択するしかないのだと。
  一見、説得されてしまいそうになります。私も数年前、まだ有名大学の教授たちを無条件で信用していたときなら疑問に思わなかったでしょう。しかし少しでも批判的な眼で見れば、この理論があきらかにおかしいことがわかります。
  たとえば米軍機をめぐる騒音訴訟を例にとって考えてみましょう。高性能の戦闘機というのは、もう信じられないような爆音がしますから、当然健康被害が出ます。音というより振動です。体全体が衝撃を受ける。
  そこでたまりかねた基地周辺の住民たちが、基本的人権の侵害だとして、飛行の差し止めを求める訴訟を起こしています。でも、止められない。判決で最高裁 は、住民がそうした騒音や振動によって被害を受けているという認定まではするのです。でも、そこから先、飛行の差し止めはしない。そういう不思議な判決を 出すのです。
  最高裁はその理由を「米軍は日本政府が直接指揮することのできない『第三者』だから、日本政府に対してその飛行の差し止めを求めることはできない」とい う、まったく理解不能なロジックによって説明しています。この判決のロジックは、一般に「第三者行為論」とよばれていますが、その根拠となっているのが、 日米安保条約のような高度な政治的問題については最高裁は憲法判断をしないでよいという「統治行為論」であることはあきらかです。
  しかしよく考えてみてください。国民の健康被害という重大な人権侵害に対して、最高裁が「統治行為論」的立場から判断を回避したら、それはすなわち三権分立の否定になる。それくらいは、中学生でもわかる話ではないでしょうか。

 元裁判官で明治大学教授の瀬せ木ぎ比ひ呂ろ志し氏は、この最高裁の判決について、
「そもそも、アメリカと日米安保条約を締結したのは国である。つまり、国が米軍の飛行を許容したのである。(略)アメリカのやることだから国は一切あずか り知らないというのであれば、何のために憲法があるのか?」(『絶望の裁判所』講談社) ときびしく批判しています。もちろん、だれが考えてもこちらが正 論です。

 アメリカやフランスでも、日本のような「統治行為論」は認められていない

 実はアメリカにもフランスにも、日本で使われているような意味での「統治行為論」は存在しません。まずフランスを見てみましょう。日本の「統治行 為」という言葉のもとになったフランスの「アクト・ド・グヴェルヌマン(acte de gouvernement)」ですが、意外にも、
 「〔フランスの学界では〕統治行為論は、その反法治主義的な性格のゆえに、むしろ多数の学説により支持されていない」
「〔フランスの〕判例の中には統治行為の概念規定はおろか、その理論的根拠も示されていないうえに、一般に統治行為の根拠条文とされているものが一度も引用されていない」
  と、この問題の第一人者である慶応大学名誉教授の小林節氏は書いています。(『政治問題の法理』日本評論社)
  そして統治行為論の安易な容認は、「司法による人権保障の可能性を閉ざす障害とも、また行政権力の絶対化をまねく要因ともなりかね」ず、「司法審査権の全 面否定にもつながりかねない」と指摘しています。まさに正論と言えるでしょう。逆に言えば、砂川裁判以降、約半世紀にわたって日本の最高裁は、小林教授が 懸念したとおりのことをやりつづけているのです。
  一方、アメリカには「統治行為論」という言葉は存在せず、「政ポリティカル・クエスチョン治問題」という概念があります。そのもっとも初期の例は、一九世 紀にロード・アイランド州で内乱が起き、正統な政府であることを主張するふたつの州政府が並立した、そのとき連邦国家であるアメリカ合衆国の最高裁は、 「どちらが州の正統政府かという問題については、独自に決定できない」という判断を下したというものです。そのような、判決によっては無政府状態を引き起 こしかねない問題は、裁判所ではなく大統領の判断にゆだねるのが適当としたわけです。
  フランスと違うのは、アメリカでは判例のなかでこの「政治問題」という概念が、かなり幅広く認められているということです。なかでも外交や戦争といった分野では、それを「政治問題」として司法が判断を避けるというケースがたしかにある。
  しかしそれはあくまでも、「対外関係においては戦線(つまり自国の窓口)を統一することが賢明」(C・G・ポウスト)であるという立場から、絶対的な国益 の確保を前提として、一時的に権力を大統領ほかに統合するという考えなのであって、外国軍についての条約や協定を恒常的に自国の憲法より上位に置くという 日本の「統治行為論」とは、まったくちがったものなのです。

 歴史が証明しているのは、日本の最高裁は政府の関与する人権侵害や国策上の問題に対し、絶対に違憲判決を出さないということです。「統治行為論」 はそうした極端に政府に従属的な最高裁のあり方に、免罪符をあたえる役割をはたしている。日本の憲法学者はいろいろと詭弁を弄ろうしてそのことを擁護しよ うとしていますが、日本国憲法第八一条を見てください。そこにはこう書かれているのです。
 「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」
  これ以上、明快な条文もないでしょう。この条文を読めば、もっとも重要な問題について絶対に憲法判断をしない現在の最高裁そのものが、日本国憲法に完全に違反した存在であることが、だれの眼にもあきらかだと思います。

 アメリカとの条約が、日本国憲法よりも上位に位置することが確定した

 深刻なのは、田中耕太郎が書いたこの最高裁判決の影響がおよぶのが、軍事の問題だけではないということです。最大のポイントは、この判決によって、
 「アメリカ政府(上位)」  >  「日本政府(下位)」
  という、占領期に生まれ、その後もおそらく違イ リーガル法な形で温存されていた権力構造が、
 「アメリカとの条約群(上位)」  >  「憲法を含む日本の国内法(下位)」という形で法リーガル的に確定してしまったことにあります。
  安保条約の条文は全部で一〇カ条しかありませんが、その下には在日米軍の法的な特権について定めた日米地位協定がある。さらにその日米地位協定にもとづ き、在日米軍を具体的にどう運用するかをめぐって、日本の官僚と米軍は六〇年以上にわたって毎月、会議をしているわけです。
  それが「日米合同委員会」という名の組織なのですが、左ページの図のように、外務省北米局長を代表とする、日本のさまざまな省庁から選ばれたエリート官僚 たちと、在日米軍のトップたちが毎月二回会議をしている。そこでいろいろな合意が生まれ、議事録に書きこまれていく。合意したが議事録には書かない、いわ ゆる「密約」もある。全体でひとつの国の法体系のような膨大な取り決めがあるわけです。しかもそれらは、原則として公表されないことになっている。

 ◆官僚たちが忠誠を誓っていたのは、「安保法体系」だった

 そうした日米安保をめぐる膨大な取り決めの総体は、憲法学者の長谷川正まさ安やす・名古屋大学名誉教授によって、「安保法体系」と名づけられてい ます。その「安保法体系」が、砂川裁判の最高裁判決によって、日本の国内法よりも上位に位置することが確定してしまった。つまり裁判になったら、絶対にそ ちらが勝つ。すると官僚は当然、勝つほうにつくわけです。
  官僚というのは法律が存在基盤ですから、下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体系)を優先して動くのは当然です。裁判で負ける側には絶対に立たないというのが官僚ですから、それは責められない。

日米合同委員会組織図
日米合同委員会組織図

海上演習場部会議長
水産庁漁政部長建設部会
議長 防衛省地方協力局
地方協力企画課長
港湾部会
議長 国土交通省港湾局長
道路橋梁部会
議長 国土交通省道路局長
陸上演習場部会
議長 農林水産省経営局長
施設調整部会
議長 防衛省地方協力局地方調整課長
議長 防衛省地方協力局沖縄調整官
施設整備・移設部会
議長 防衛省地方協力局提供施設課長
沖縄自動車道建設調整
特別作業班
議長 防衛省地方協力局沖縄調整官
SACO実施部会
議長 防衛省地方協力局沖縄調整官
気象分科委員会
代表 気象庁長官
基本労務契約・船員契約紛争処理小委員会
代表 法務省大臣官房審議官             
刑事裁判管轄権分科委員会
代表 法務省刑事局公安課長
契約調停委員会
代表 防衛省地方協力局調達官
財務分科委員会
代表 財務省大臣官房審議官
施設分科委員会
代表 防衛省地方協力局次長   
周波数分科委員会
代表 総務省総合通信基盤局長
出入国分科委員会
代表 法務省大臣官房審議官
調達調整分科委員会
代表 経済産業省貿易経済協力局長
通信分科委員会
代表 総務省総合通信基盤局長
民間航空分科委員会
代表 国土交通省航空局管制保安部長
民事裁判管轄権分科委員会
代表 法務省大臣官房審議官
労務分科委員会
代表 防衛省地方協力局労務管理課長
航空機騒音対策分科委員会
代表 防衛省地方協力局地方協力企画課長
事故分科委員会
代表 防衛省地方協力局補償課長
電波障害問題に関する特別分科委員会
代表 防衛省地方協力局地方協力企画課長
車両通行分科委員会
代表 国土交通省道路局長
環境分科委員会
代表 環境省水・大気環境局総務課長
環境問題に係る協力に関する特別分科委員会
代表 外務省北米局参事官
日米合同委員会合意の見直しに関する特別分科委員会
代表 外務省北米局日米地位協定室長
刑事裁判手続きに関する特別専門家委員会
代表 外務省北米局参事官
訓練移転分科委員会
代表 防衛省地方協力局地方調整課長
事件・事故通報手続に関する特別作業部会
代表 外務省北米局日米地位協定室長
事故現場における協力に関する特別分科委員会
代表 外務省北米局参事官
在日米軍再編統括部会
代表 外務省北米局日米安全保障条約課長
防衛省防衛政策局日米防衛協力課長
検疫部会
議長 外務省北米局日米地位協定室補佐
平成24年2月現在(外務省ホームページより)
日米合同委員会
日本側代表|外務省北米局長
代表代理|法務省大臣官房長
農林水産省経営局長
防衛省地方協力局長
外務省北米局参事官
財務省大臣官房審議官
米側代表|在日米軍司令部副司令官
代表代理|在日米大使館公使
在日米軍司令部第五部長
在日米陸軍司令部参謀長
在日米空軍司令部副司令官
在日米海軍司令部参謀長
在日米海兵隊基地司令部参謀長
*以下「代表」及び「議長」は、
日本側代表・議長を示す。

 しかも、この日米合同委員会のメンバーがその後どうなっているかを調べてみると、このインナー・サークルに所属した官僚は、みなそのあと、めざましく出世している。
  とくに顕著なのが法務省で、省のトップである事務次官のなかに、日米合同委員会の元メンバー(大臣官房長経験者)が占める割合は、過去一七人中一二人。そのうち九人は、さらに次官より格上とされる検事総長になっているのです。
  このように過去六〇年以上にわたって、安保法体系を協議するインナー・サークルに属した人間が、必ず日本の権力機構のトップにすわるという構造ができあ がっている。ひとりの超エリート官僚がいたとして、彼の上司も、そのまた上司も、さらにその上司も、すべてこのサークルのメンバーです。逆らうことなどで きるはずがない。だから鳩山さんの証言にあるように、日本国憲法によって選ばれた首相に対し、エリート官僚たちが徒党を組んで、真正面から反旗をひるがえ すというようなことが起こるわけです。
  この章のはじめで、私が沖縄に行ったきっかけは、「鳩山首相を失脚させたのは、本当はだれなのか」「官僚たちが忠誠を誓っていた『首相以外のなにか』とは、いったいなんだったのか」 という疑問だったと言いましたが、この構造を知って、その疑問に答えが出ました。
  彼らは日本国憲法よりも上位にある、この「安保法体系」に忠誠を誓っていたということだったのです。

 Part2 福島の謎 日本はなぜ、原発を止められないのか に続く 

 ◆矢部宏治 やべ ・こうじ
 1960年、 兵庫県西宮市生まれ。 慶応大学文学部卒。 (株)博報堂マーケティング部をへて、1987年より書籍情報社代表。 著書に 『本土の人間は知らないが、 沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)、 共著書に 『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)。 企画編集シリーズに「〈知の再発見〉 双書(既刊165冊) 」「J.M.ロバーツ世界の歴史・日本版(全10巻) 」 「〈戦後再発見〉 双書(既刊3冊) 」 (いずれも創元社)。集英社インターナショナル1

 集英社インターナショナル 主要出版物 【日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 矢部宏治・著】 2015年05月10日 09:30:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

コメント
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【著書紹介】:日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか Part2ー②

2017-12-13 23:57:30 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【著書紹介】:日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか Part2 福島の謎 日本はなぜ、原発を止められないのか 全文

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【著書紹介】:日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか Part2 福島の謎 日本はなぜ、原発を止められないのか 全文

 PART 2 福島の謎 日本はなぜ、原発を止められないのか

 ◆「日米安保・法体系(上位)」  〉  「日本国憲法・法体系(下位)」

 という関係は、一般の人には見えにくいものの、きちんと明文化されている問題です。だから順を追って、ていねいに見ていくと、だれの眼にもあきらかになる。しかし複雑なのは、さらにその上に、安保法体系にも明記されていない隠された法体系があるということです。
 それが「密約法体系」です。つまりアメリカ政府との交渉のなかで、どうしても向こうの言うことを聞かなければならない、しかしこれだけはとても日本国民 の目にはふれさせられない、そうした最高度に重要な合意事項を、交渉担当者間の秘密了解事項として、これまでずっとサインしてきたわけです。
 そうした密約の数々は、国際法上は条約と同じ効力をもっています。ですから四三ページの図で見たように、もともと日本の法律よりも上位にあり、さらに砂 川裁判最高裁判決によって、日本の憲法よりも上位にあることが確定している。約六〇年にわたって、そうしたウラ側の「最高法規」が積み重なっているのです。
 この「密約法体系」の存在を考えに入れて議論しないと、「なぜ沖縄や福島で起きているあきらかな人権侵害がストップできないのか」「なぜ裁判所は、だれが考えても不可解な判決を出すのか」「なぜ日本の政治家は、選挙に通ったあと、公約と正反対のことばかりやるのか」 ということが、まったくわからなくなってしまうのです。

 ◆アメリカで機密解除されたふたつの公文書

 この密約法体系は、まさに戦後日本の闇そのものと言えるような問題です。ですから本来非常に複雑なのですが、ここではそれを極限まで簡単にご説明したい と思います。アメリカで機密解除された次の公文書をふたつだけ読んでもらえば、戦後七〇年たってもなお、日本がまともな主権をもつ独立国でないことが、ど なたにもはっきりと理解していただけると思います。
 まずみなさんよくご存じのとおり、日本は第二次大戦で無残に敗北し、米軍によって六年半、占領されました。その間、一九五二年に日本が独立を回復するま で、米軍は日本国内で自由に行動することができました。もちろん日本の法律など、なにも関係ありません。まさに米軍はオールマイティの存在でした。占領と はもともとそういうものですから、そのこと自体はしかたなかったのかもしれません。
 しかし問題は占領の終結後、それがどう変わったかです。サンフランシスコ講和条約と日米安保条約を同時に結び、一九五二年に独立を回復したはずの日本の実態はどうだったのか。
 答えは「依然として、軍事占領状態が継続した」ということになります。沖縄だけの話ではありません。日本全体の話です。その証拠となるふたつの文書が、 アメリカで機密解除された公文書のなかから見つかっているのです。(『日米「密約」外交と人民のたたかい』新原昭治/新日本出版社)
 まずひとつ目が、一九五七年二月一四日、日本のアメリカ大使館から本国の国務省にあてて送られた秘密報告書です。当時、再選されたばかりだったアイゼン ハワー大統領は、世界中の米軍基地の最新状況を把握するため、フランク・ナッシュ大統領特別補佐官に命じて極秘報告書(「ナッシュ・レポート」)をつくら せていました。アメリカ大使館が作成した左の報告書は、そのナッシュ・レポートを書くための基礎資料として本国へ送られたものです。
 公文書なので少し読みにくいかもしれませんが、これだけはがんばって、次の引用箇所を全部読んでみてください。これは私たち日本人が現在直面する数々の問題を解決するために、どうしても知っておかねばならない最重要文書のひとつだからです。
 ちなみに文中に出てくる「行政協定」というのは、旧安保条約のもとで日本に駐留する米軍が、どのような法的特権をもっているかについて定めた日米間の取 り決めです。旧安保条約(一九五二年発効)に対応する取り決めが日米行政協定、現在の安保条約(一九六〇年発効)に対応する取り決めが日米地位協定という 関係になります。

 「在日米軍基地に関する秘密報告書」(矢部による英文からの部分訳 文中の番号も矢部による)
 「日本国内におけるアメリカの軍事行動の(略)きわだった特徴は、その規模の大きさと、アメリカにあたえられた基地に関する権利の大きさにある。〔安保条 約にもとづく〕行政協定は、アメリカが占領中に保持していた軍事活動のための(略)権限と(略)権利を、アメリカのために保護している①。安保条約のもと では、日本政府とのいかなる相談もなしに(略)米軍を使うことができる②。
 行政協定のもとでは、新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を保持しつづける権利も、米軍の判断にゆだねられている③。それぞれの米軍施設についての基本合意に加え、地域の主権と利益を侵害する数多くの補足的な取り決めが存在する④。
数多くのアメリカの諜報活動機関(略)の要員が、なんの妨げも受けず日本中で活動している⑤。
 米軍の部隊や装備(略)なども、地元とのいかなる取り決めもなしに、また地元当局への事前連絡さえなしに、日本への出入りを自由におこなう権限があたえ られている⑥。すべてが(略)米軍の決定によって、日本国内で演習がおこなわれ、射撃訓練が実施され、軍用機が飛び、その他の非常に重要な軍事活動が日常 的におこなわれている⑦」

 いかがでしょう? 米軍の特権を定めた日米行政協定について、この秘密報告書は、「行政協定は、アメリカが占領中に持っていた軍事活動のための(略)権限と(略)権利を、アメリカのために保護している①」「〔行政協定には〕地域の主権と利益を侵害する数多くの補足的な取り決めが存在する④」とはっきり書いています。アメリカ大使館自身が、大統領への調査資料のなかでその事実を認めているのですから、いくら日本の外務省や御用学者たちがその 内容を否定しても、なんの意味もありません。彼らはこの事実があきらかになると世論からバッシングを受ける側、つまり事実を隠蔽する動機をもつ立場にいる からです。
 この秘密報告書があきらかにしているのは、日本に駐留する米軍の権利については、占領期から独立(一九五二年)以降にかけて、ほとんど変わることなく維 持されたということです。この文書が書かれた一九五七年といえば、独立からすでに五年が過ぎ、三年後には安保条約が改定される、そんな時期です。しかし依 然として軍事占領状態が継続していた。そのことが、アメリカ大統領の要請にもとづいておこなわれた特別補佐官の極秘調査資料によって証明されているので す。

 ◆米軍の権利は、旧安保条約と新安保条約で、ほとんど変わっていない

 「いや、それは大昔のことですよ」
 日米の密約が公表されると、自民党の政治家は必ずこう言います。昔はそういう占領のなごりのようなものがのこっていたが、わが自民党の誇る岸信のぶ介すけ首相が、一九六〇年に政治生命をかけて安保条約を改定し、そうした不平等状態に終止符を打ったのだと。
 しかし、もうひとつ次の文書を見てください。これはその一九六〇年の新安保条約を調印する直前に、岸政権の藤山外務大臣とマッカーサー駐日アメリカ大使 (マッカーサー元帥の甥)がサインした「基地の権利に関する密約(基地権密約)」です。前出の秘密報告書と同じく、この文書も国際問題研究家で、こうした 「日米密約研究」という研究ジャンルそのものの創始者である新原昭治さんが発見されました。左の文中①が「米軍基地」のこと、②が新安保条約のもとで結ば れた「日米地位協定」のこと、③が旧安保条約のもとで結ばれた「日米行政協定」のことです。それぞれ置きかえて読んでみてください。(文中の番号は矢部に よる)

 「日本国における合衆国軍隊の使用のため日本国政府によって許与された施設および区域①内での合衆国の権利は、一九六〇年一月一九日にワシントンで調印さ れた協定②第三条一項の改定された文言のもとで、一九五二年二月二八日に東京で調印された協定③のもととで変わることなく続く」(一九六〇年一月六日)

 つまり米軍基地を使用するうえでの米軍の権利については、「これまでの取り決め(日米行政協定)と、これからの取り決め(日米地位協定)には、まったく変わりがありません」
 ということを、日本政府が約束しているのです。
 そしてこの一九六〇年以降、日米地位協定はひと文字も改定されていませんから、先の秘密報告書(一九五七年)とこの密約文書(一九六〇年)をふたつ並べ ただけで、現在の日本において、米軍が基地の使用については占領期とほぼ同じ法的権利をもっていることが論理的に証明されるのです。

 ◆オスプレイの謎

 右のふたつの文書を読んだだけで、現在の日本に起きている、いくつかの不思議な出来事の謎が解けます。
 まず、オスプレイです。
 みなさんよくご存じのとおり、オスプレイというのは米軍が開発した、非常に事故の多い特殊軍用機です。二〇一二年九月、このオスプレイの沖縄への配備が せまるなか、沖縄県のすべての市町村(全四一)の議会が「受け入れ反対」を表明し、一〇万人の沖縄県民が集まって反対集会を開きました。
 さらに翌二〇一三年一月には、沖縄のすべての市町村長と議長(代理を含む)が上京し、「オスプレイの配備撤回」や「辺野古への基地移設の断念」を求める「建白書(抗議要請文)」を安倍首相に手渡したのです。
 しかしそれでもオスプレイは、反対運動などなにもなかったかのように沖縄に配備され、訓練がおこなわれるようになりました。アメリカ本国では「遺跡にあたえる影響」や「コウモリの生態系にあたえる影響」を考慮して、訓練が中止になっているにもかかわらずです。
 有名な話ですが、配備直前の二〇一二年七月、民放のテレビ番組に出演した野田首相は、「〔オスプレイの〕配備自体はアメリカ政府の基本方針で、同盟関係にあるとはいえ、〔日本側から〕どうしろ、こうしろという話ではない」
 とのべました。日本国民の安全や生命がおびやかされているのに「どうしろ、こうしろという話ではない」とは、いったいどういう言い草か。このとき日本人はみなその無責任さに驚いたわけですが、六七ページの秘密報告書を読めば、彼がなぜそう言ったかがわかります。
「安保条約のもとでは、日本政府とのいかなる相談もなしに(略)米軍を使うことができる②」
「米軍の部隊や装備(略)なども、(略)地元当局への事前連絡さえなしに、日本への出入りを自由に行なう権限があたえられている⑥」
 と、はっきり書いてあります。一九五二年に結ばれた日米行政協定の第三条と第二六条がこうした権利の根拠となっています。
 そして『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』でくわしく論じたように、七〇ページのような数々の密約によって、そうした米軍の権利は現在まで基 本的に変わらず受けつがれていることがわかっている。密約といっても、外務大臣と大使が正式にサイン(イニシャルだけのサインでした)したものですから、 これは条約とまったく同じ法的効力をもつのです。
 さらにPART1でご説明したとおり、米軍が密約にもとづいてこれらの権限を行使したとき、日本国民の側に立って人権侵害にストップをかけるべき憲法は、一九五九年の砂川裁判最高裁判決によって機能停止状態におちいっている。
 つまり日本国首相に、この密約に抵抗する手立てはなにもないわけです。だからおそらく野田首相は、外務省からレクチャーされたとおりに「この国の真実」 を語るしかなかったのでしょう。もちろんそこに心の痛みや、知的な疑問がカケラも感じられなかったことは、きびしく指摘しておく必要がありますが。

 ◆辺野古の謎

 もうひとつ、オスプレイと並んで有名な、辺野古の新基地建設をめぐる謎があります。
 一九九五年、沖縄の中部で三人の米兵が、商店街にノートを買いにきた一二歳の女子小学生を車で連れ去り、近くの海岸で三人でレイプしました。この事件を きっかけに、沖縄では米軍の駐留に対する大規模な反対運動がわき起こり、翌一九九六年には「世界一危険な飛行場」と言われた普天間基地の返還が合意されま した。
 ところがいつのまにか、普天間返還の条件として、沖縄本島北部の美しい辺野古の岬に、大規模な米軍基地を新たに建設するという日米政府の合意がなされていたのです。
 そもそも現在沖縄にある基地は、すべて米軍によって強制的に奪われた土地につくられたものです。戦争中はもちろん、戦後になってからも、銃を突きつけ、家をブルドーザーで引き倒し、住民から無理やり土地を奪って建設したものです。
 しかし、もし今回、辺野古での基地建設を認めてしまったら、それは沖縄の歴史上初めて県民が、米軍基地の存在をみずから容認するということになってしまう。それだけは絶対にできないということで、粘り強い抵抗運動が起きているのです。
 もしも日本政府が建設を強行しようとしたら、流血は必至です。日本中から反対運動に参加する人たちが押し寄せるでしょう。
 それなのに、なぜ計画を中止することができないのか。先ほどの一九五七年の秘密文書を見てください。
 「新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を保持しつづける権利も、米軍の判断にゆだねられている③」
 こうした内容の取り決めに日本政府は合意してしまっているのです。ですからいくら住民に危険がおよぼうと、貴重な自然が破壊されようと、市民が選挙で NOという民意を示そうと、日本政府から「どうしろ、こうしろと言うことはできない」。オスプレイとまったく同じ構造です。
 だから日本政府にはなにも期待できない。自分たちで体を張って巨大基地の建設を阻止するしかない。沖縄の人たちは、そのことをよくわかっているのです。

 ◆日本には国境がない

 「でもそれは基地の問題だけだろう。軍事関係の問題だけだ。占領の継続とか、日本全体が独立国家ではないとか、おおげさなことを言うな」
 と言う方もいます。しかし三五ページの図をもう一度よく見てください。太平洋上空から首都圏全体をおおう巨大な空域が米軍によって支配されています。日本の飛行機はそこを飛べませんし、米軍から情報をもらわなければ、どんな飛行機が飛んでいるかもわかりません。
 そしてその管理空域の下には、横田や厚木、座間、横須賀などといった、沖縄並みの巨大な米軍基地が首都東京を取りかこむように存在しており、それらの基 地の内側は日米地位協定によって治外法権状態であることが確定しています。このふたつの確定した事実から導かれる論理的結論は、「日本には国境がない」という事実です。
 二〇一三年にアメリカ政府による違法な情報収集活動が発覚したとき(いわゆる「スノーデン事件」)、「バックドア」という言葉がよく報道されました。つ まり世界中にあるさまざまなデータベースが、表面上は厳重に保護されているように見えても、後ろ側に秘密のドアがあって、アメリカ政府はそこから自由に出 入りして情報を入手していたというのです。
 日本という国には、まさに在日米軍基地というバックドアが各地にあって、米軍関係者はそこからノーチェックで自由に日本に出入りしている。自分たちの支 配する空域を通って基地に着陸し、そのまま基地のフェンスの外に出たり入ったりしているのです。だからそもそも日本政府は、現在、日本国内にどういうアメ リカ人が何人いるか、まったく把握できていないのです。
 国家の三要素とは、国民・領土(領域)・主権だといわれます。国境がないということは、つまり領域がないということです。首都圏の上空全域が他国に支配されているのですから、もちろん主権もない。日本は独立国家ではないということになります。

 ◆「バックドア」から出入りするCIAの工作員

 だんだん書いていて悲しくなってきましたが、いくらつらくても、「はじめに」で書いた「大きな謎を解く」ためには、現実をしっかり直視しなければなりません。この問題に関連してもうひとつ、非常に重要な事実があるからです。
 それは米軍基地を通って日本に自由に出入りするアメリカ人のなかに、数多くのCIAの工エージェント作員が含まれているということです。こう言うと、「ほら始まった。やっぱりこいつは陰謀論者だ」と思う方がいるかもしれません。しかし、ちがうのです。先ほどご紹介した大統領特別補佐官への秘密報告書をもう一度見てください。そのなかに、はっきりとこう書かれているのです。
 「数多くのアメリカの諜報活動機関(略)の要員が、なんの妨げも受けず日本中で活動している」(六八ページ⑤)とちゃんと書いてありますよね。驚くべきことではないでしょうか。こうした権利も一九六〇年の密約によって、現在までなにも変わらず受けつがれている。
 現在でも米軍やCIAの関係者は直接、横田基地や横須賀基地にやってきて、そこから都心(青山公園内の「六本木ヘリポート」)にヘリで向かう。さらに六 本木ヘリポートから、日米合同委員会の開かれる「ニューサンノー米軍センター」(米軍専用のホテル兼会議場)やアメリカ大使館までは、車で五分程度で移動 することができるのです(→三五ページ)。それでも日本政府はなんの抗議もしないわけです。

 上●「六本木ヘリポート」から、ニューサンノー米軍センターとアメリカ大使館への経路右
 下●日米合同委員会が開かれる「ニューサンノー米軍センター」|c須田慎太郎
 左下●「六本木ヘリポート」―六本木トンネルの上の青山公園内にある。青山墓地の向こうに新宿の高層ビルが見える。|c須田慎太郎

 先にふれたスノーデン事件のとき、電話を盗聴された各国(ドイツやフランス、ブラジルなど)の首脳たちがアメリカ政府に激しく抗議するなか、日本の小野寺防衛大臣だけは、「そのような報道は信じたくない」と、ただのべるだけでした。日本の「バックドア」は情報空間だけでなく、首都圏上空や米軍基地という物理空間にも設けられている。そのことを考えると、 いまさらそんな盗聴レベルの問題について抗議しても、たしかに意味はありません。そう答えるしかなかったのだと思います。

 ◆外国軍が駐留している国は独立国ではない

 六本木というのは東京の都心中の都心です。そこに「六本木ヘリポート」というバックドアがあり、CIAの工作員が何人でも自由に入国し、活動することが できる。そしてそれらの米軍施設内はすべて治外法権になっており、沖縄や横須賀や岩国と同じく、米軍関係者が施設外で女性をレイプしても、施設内に逃げこ めば基本的に逮捕できない。これはまちがいなく、占領状態の延長です。
 PART1でお話しした私の本(『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること――沖縄・米軍基地観光ガイド』)のメイン・タイトルにある 「沖縄の人はみんな知っていること」、それは同時に「本土の日本人以外、世界中の人が知っていること」でもあるのですが、それは、「外国軍が駐留している国は独立国ではない」という事実です。
 だからみんな必死になって外国軍を追いだそうとします。あとでお話しするフィリピンやイラクがそうです。フィリピンは憲法改正によって、一九九二年に米軍を完全撤退させました。
 イラクもそうです。あれほどボロ負けしたイラク戦争からわずか八年で、米軍を完全撤退させています(二〇一一年)。綿わた井い健たけ陽はるさんという映 像ジャーナリストがいますが、彼がイラク戦争を撮影した映像のなかで、戦争終結直後、五〇歳くらいの普通のイラクのオヤジさんが町で大声で、こんなことを 言っていました。
 「アメリカ軍にアドバイスしたい。できるだけ早く出て行ってくれ。さもなければひとりずつ、銃で撃つしかない。われわれはイラク人だ。感謝していることも あるが、ゲームは終わった。彼らはすぐに出て行かなければならない」(『Little Birds イラク戦火の家族たち』)
 普通のオヤジさんですよ。撃つといってもせいぜい小さなピストルをもっているくらいでしょう。しかし、これが国際標準の常識なんだなと思いました。占領軍がそのまま居すわったら、独立国でなくなることをよく知っている。
 前出の孫崎享さんに言わせると、実はベトナムもそうなんだと。ベトナム戦争というのは視点を変えて見ると、ベトナム国内から米軍を追いだすための壮大な戦いだったということです。

 ◆三つの裏マニュアル

 このように「戦後日本」という国は、占領終結後も国内に無制限で外国軍(米軍)の駐留を認め、軍事・外交面での主権をほぼ放棄することになりました。
 もちろんそのようにアメリカに従うことで、大きな経済的利益を手にしたことも事実です。また、東西冷戦構造が存在した時代は、その矛盾もいまほど目立つことはありませんでした。
 しかし冷戦が終わったいま、国内(くり返しますが、決して沖縄だけではありません)に巨大な外国軍の駐留を認め、その軍隊に無制限に近い行動の自由を許 可するなどということは、どう考えても不可能になっています。辺野古の新基地建設やオスプレイの問題によくあらわれているように、どうやっても解決不能な 問題が生まれてしまう。なぜなら、「自国内の外国軍に、ほとんど無制限に近い行動の自由を許可すること」と、「民主的な法治国家であること」は、絶対に両立しないからです。
 その大きな矛盾を隠すために、「戦後日本」という国は、国家のもっとも重要なセクションに分厚い裏マニュアルを必要とするようになりました。
 できた順番でご紹介します。それは、
 ① 最高裁の「部外秘資料」(一九五二年九月:正式名称は「日米行政協定に伴う民事及び刑事特別法関係資料」最高裁判所事務総局/編集・発行)
 ② 検察の「実務資料」(一九七二年三月:正式名称は「合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権関係実務資料」法務省刑事局/作成・発行)
 ③ 外務省の「日米地位協定の考え方」(一九七三年四月:正式名称同じ。外務省条約局/作成)
 の三つです。これらはいずれも、独立した法治国家であるはずの日本の国内で、米軍および米兵に事実上の「治外法権」をあたえるためにつくられた裏マニュ アルです(三つとも、日米合同委員会における非公開の「合意議事録」の事例をマニュアル化する形でまとめられたものです)。
 それぞれのマニュアルについてくわしくお知りになりたい方は、①と②については『検証・法治国家崩壊』の著者である吉田敏浩さん著の『密約―日米地位協 定と米兵犯罪』(毎日新聞社)を、③については前泊博盛さん編著の『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(「〈戦後再発見〉双書」第二巻 創元 社)をぜひお読みください。

 ◆殺人者を無罪にする役所間の連係プレー

 ごく簡単に説明しておきますと、たとえば在日米軍の兵士が重大な犯罪をおかすとします。女性をレイプしたり、車で人をはねたり、ひどい場合には射殺した りする。すると、そのあつかいをめぐって、日本のエリート官僚と在日米軍高官をメンバーとする日米合同委員会(→五一ページ)で非公開の協議がおこなわれ るわけです。
 実際に二一歳の米兵が、四六歳の日本人主婦を基地のなかで遊び半分に射殺した「ジラード事件」(一九五七年・群馬県)では、その日米合同委員会での秘密合意事項として、
「〔日本の検察が〕ジラードを殺人罪ではなく、傷害致死罪で起訴すること」
「日本側が、日本の訴訟代理人〔検察庁〕を通じて、日本の裁判所に対し判決を可能なかぎり軽くするように勧告すること」
 が合意されたことがわかっています。(『秘密のファイル』春名幹男/共同通信社)
 つまり、米軍と日本の官僚の代表が非公開で協議し、そこで決定された方針が法務省経由で検察庁に伝えられる。報告を受けた検察庁は、みずからが軽めの求 刑をすると同時に、裁判所に対しても軽めの判決をするように働きかける。裁判所はその働きかけどおりに、ありえないほど軽い判決を出すという流れです。
 ジラード事件のケースでいうと、遊び半分で日本人女性を射殺したにもかかわらず、検察は秘密合意にしたがい、ジラードを殺人罪ではなく傷害致死罪で起訴 し、「懲役五年」という異常に軽い求刑をしました。それを受けて前橋地方裁判所は、「懲役三年、執行猶予四年」という、さらに異常なほど軽い判決を出す。 そして検察が控訴せず、そのまま「執行猶予」が確定。判決の二週間後には、ジラードはアメリカへの帰国が認められました。
「アメリカとの協議(外務省)→異常に軽い求刑(法務省→検察庁)→異常に軽い判決(地方裁判所)→アメリカへの帰国(外務省)」
 という役所間の連係プレーによって、あきらかな殺人犯に対し事実上の無罪判決が実現したわけです。

 ◆日本のエリート官僚が、ウラ側の法体系と一体化してしまった

 PART1でご紹介した砂川裁判でも、米軍基地の違憲判決を受け、それを早急にくつがえそうと考えた駐日アメリカ大使が日本に対して、東京高裁を飛び越して最高裁に上告せよ、そしてなるべく早く逆転判決を出せ、と求めています。
 このときはまず、

 「駐日アメリカ大使」→  「外務省」 →「日本政府」→「法務省」→「最高裁」
 (D・マッカーサー二世)(藤山愛一郎)  (岸信介)  (愛知揆一)  (田中耕太郎)

 という裏側の権力チャネルで、アメリカ側の「要望」が最高裁に伝えられました。
 先にふれた三つの裏マニュアルは、こうしたウラ側での権力行使(=方針決定)を、オモテ側の日本国憲法・法体系のなかにどうやって位置づけるか、また位置づけたふりをするかという目的のためにつくられたものなのです。
 お読みになっているみなさんは、かなりウンザリされてきたかもしれません。でも、もう少しだけがまんして読んでいただきます。この米軍基地問題に関してくり返されるようになった「ウラ側での権力行使」には、さらに大きな副作用があったからです。
 つまり、こうした形で司法への違法な介入がくり返された結果、国家の中枢にいる外務官僚や法務官僚たちが、オモテ側の法体系を尊重しなくなってしまったのです。
 それはある意味当然で、一方的に彼らを責めるわけにはいきません。一般の人たちがオモテ側の法体系にもとづいていくら議論したり、その結果、ある方向に物事が動いているように見えたとしても、最後にはそれがひっくりかえることを彼らエリート官僚たちはよく知っている。
 ウラ側の法体系を無視した鳩山政権が九カ月で崩壊し、官僚の言いなりにふるまった野田政権が一年四カ月つづいたことがその良い例です。鳩山さんには国民 の圧倒的な支持があり、一方、野田さんが首相になるなどと思っていた人は、だれひとりいなかった。それでも野田政権は鳩山政権の倍近くつづいた。米軍関係 者からの評価が非常に高かったからです。
 PART1の最後で、日米合同委員会のメンバーとなったエリート官僚の出世についてお話ししました。そのように歴代の検事総長を含む、日本のキャリア官 僚のなかでも正真正銘のトップクラスの人たちが、この日米合同委員会という「米軍・官僚共同体」のメンバーとなることで、ウラ側の法体系と一体化してし まった。そして、すでに六〇年がたってしまった。その結果、日本の高級官僚たちの国内法の軽視は、ついに行きつくところまで行きついてしまったのです。 

 ◆矢部宏治 やべ ・こうじ
 1960年、 兵庫県西宮市生まれ。 慶応大学文学部卒。 (株)博報堂マーケティング部をへて、1987年より書籍情報社代表。 著書に 『本土の人間は知らないが、 沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)、 共著書に 『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)。 企画編集シリーズに「〈知の再発見〉 双書(既刊165冊) 」「J.M.ロバーツ世界の歴史・日本版(全10巻) 」 「〈戦後再発見〉 双書(既刊3冊) 」 (いずれも創元社)。集英社インターナショナル1

 集英社インターナショナル 主要出版物 【日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 矢部宏治・著】 2015年05月10日 09:30:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【著書紹介】:日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

2017-12-13 23:57:10 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【著書紹介】:日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 矢部宏治・著

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【著書紹介】:日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 矢部宏治・著

 ◆概要

 日本の戦後史に隠された「最大の秘密」とは何か?
 その謎を解き、進むべき未来を提示する。


  ●なぜ、日本の首相は絶対に公約を守れないのか?
  ●なぜ、人類史上最悪の原発事故を起こした日本が、
   いままた再稼働に踏みきろうとしているのか?
  ●なぜイラクから戦後8年で撤退した米軍が、2014年の今、
   沖縄で新たな基地を建設し始めているのか?

 不思議なことばかり起こる現在の日本。しかし、あきらめてはいけません。
過去の歴史、なかでも敗戦から独立までの6年半の占領期を見直せば、そうした矛盾を生みだす原因が、あっけないほど簡単に理解できるのです。
 秘密を解くカギは、「昭和天皇」「日本国憲法」「国連憲章」の3つ。
さあ、あなたもこの本と一緒に「戦後70年の謎」を解くための旅に出て、日本人の手に輝ける未来をとりもどしましょう。

 大ヒットシリーズ「〈戦後再発見〉双書」の企画&編集総責任者が放つ、「戦後日本」の真実の歴史。公文書によって次々と明らかになる、驚くべき日本の歪んだ現状。精緻な構造分析によって、その原因を探り、解決策を明らかにする!
目次
 PART1 沖縄の謎――基地と憲法
 PART2 福島の謎――日本はなぜ、原発を止められないのか
 PART3 安保村の謎①――昭和天皇と日本国憲法
 PART4 安保村の謎②――国連憲章と第2次大戦後の世界
 PART5 最後の謎――自発的隷従とその歴史的起源
著者プロフィール
矢部宏治(やべ・こうじ)
1960年、兵庫県生まれ。慶応大学文学部卒業後、(株)博報堂マーケティング部を経て、1987年より書籍情報社代表。著書に『本土の人間は知らない が、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)。共著書に『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)。企 画編集シリーズに「〈知の再発見〉双書(既刊165冊)」「J.M.ロバーツ 世界の歴史(全10巻)」「〈戦後再発見〉双書(既刊3冊)」(いずれも創 元社刊)。

 集英社インターナショナル 主要出版物 【日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 矢部宏治・著】 2015年05月10日 09:30:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

[書評]『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 』  矢部宏治 著

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:[書評]『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 』  矢部宏治 著

 ◆「バカの壁」にひびが入った

  節操ないことだが、バリバリ護憲の本も、バリバリ改憲の本もつくったことがある。それも、どちらにもかなり親身に肩入れして。その結果、「で、あな たは護憲改憲どっちなの? 9条についてはどう思うの?」と問われると、「えっと、一応護憲がいいんだけどゴニョゴニョ」という情けない現状に至ってい る。

 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治 著、集英社インターナショナル) 定価:本体1200円+税

 私の脳内には、憲法をめぐる「バカの壁」がある。ひとつ。日本国憲法を書いたのはGHQだということは、歴史的事実として争いがないレベルなんだとは思う。だけど「中身が良ければ誰が書いたっていいんじゃない?」とひとりごちて思考停止。

 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治 著、集英社インターナショナル)

  さらに。9条の条文を素直に読んだら、どう考えたって自衛隊は違憲。かといって自衛隊を廃止するのは非現実的だと思うし、改憲して戦争OKの国にな るのはイヤだし(もうなってるという話はありますが)、戦後70年、これでなんとかやってきたんだから、「寝た子は起こさず。現状維持がいいんじゃな い?」とひとりごちて思考停止。

 そして。「これまでなんとかやってきた」という認識そのものが欺瞞でしょ? 日本はアメリカに依存し服従 してぬくぬくと金儲けに邁進してきたんだ から。……と言われると、対米従属は良くないと思うけど、沖縄に全部押し付けてきたのも良くないけど、でも自主独立外交なんてどうやったって無理でしょ?  と完全にお手上げ。

 本書の著者は、『戦後史の正体』をはじめとする「〈戦後再発見〉双書」(創元社)の企画・編集責任者である。

 なぜ戦後70年経っても沖縄のみならず日本全国の上空をアメリカ軍が自由に飛び回れるのか。福島第一原発の未曽有の大事故で、なぜ原発が廃止にならないどころか誰ひとり刑事責任を問われないのか。

 その答えを、「日本国憲法の上位に安保法体系が位置する」という戦後日本の歪んだ権力構造から解き明かしたのが本書だ。問題意識・内容ともに、「〈戦後再発見〉双書」の『戦後史の正体』『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』『検証・法治国家崩壊』に連なっている。

  基地問題と原発問題をつなぐ謎解きが巧みに展開され、つい「これ陰謀論じゃない?」と茶々を入れたくなる面白さなのだが、もちろんそんなことはな く、全編にわたりきわめて実証的。既存の戦後史研究をきっちりトレースしているだけでなく、1940年代~50年代のアメリカ公文書の原文(!)にも著者 自ら当たっている。

 同業の編集者として脱帽したり嫉妬したりする点が山とある本なのだが、それでも私にとって一番インパクトが大きかったのは、やはり憲法について論じているところだ。

 まずひとつ。「中身さえ良ければ誰が書いたっていい」問題については、「良くない。全く間違っている」。その国の主権者が自ら憲法を書いていることは立憲主義の本質であり、そんな非常識なことをやっているのは日本だけだと断言する。……やっぱりそうなんだ。

 次いで9条問題。これを解決するには9条1項(戦争放棄)と2項(戦力および交戦権の放棄)を分けて議論する必要がある。

 説明をものすごく乱暴に省略して結論だけ紹介すると、1項は、1928年のパリ不戦条約の流れをひく、国連憲章の理念そのもので、このような不戦条項は他国の憲法にもあり、日本特有のものではない。

 9条問題とはすなわち2項問題である。1項は今のままで国連憲章を中心とする「国際法の原則」に拠って立つことを示しさえすれば、2項はある意味、技術論。専守防衛の縛りをかけた最低限の防衛力を持つことを決めておけばよい。……そうおさめればいいのか。

  そして対米従属問題。国内に外国軍を駐留させているのは独立国ではない。米軍撤退を憲法に明記すべきである。そんなことできるのか? できると断 言。お手本はフィリピン。米軍を完全撤退させながらアメリカとの安全保障条約を維持している「フィリピンモデル」こそ、大戦敗戦国が主権を回復する唯一無 二のセオリーである。……そんなやり方があったんだ!

 思考停止していたゴニョゴニョ問題に、自分が拠って立ちたい中道リベラルの立場から、こんな明快な「出口戦略」が示されたのは、私にとっては初めての体験だった(たんにお前が不勉強なだけだという批判があるだろうことは承知していますが)。

  それでも、話題のシリーズを手掛けた編集者の著作だと思って目に留まり、沖縄県知事選も近いからと思って読み始めたら、ただの反基地・反原発の本 ではない。天皇の戦争責任にも言及し、「護憲派」「改憲派」が触れられたくない点にも遠慮なく踏み込んでいる。我ながら鉄壁だと思っていた憲法をめぐる 「バカの壁」に不意打ちでひびが入ってしまったのだから、あー驚きました。

 *ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

 ◆小木田順子(こぎた・じゅんこ) 編集者・幻冬舎

  1966年、長野県生まれ。90年、PHP研究所に入社。PHP新書創刊に携わる。2005年、幻冬舎に入社し、幻冬舎新書の創刊に携わる。気がつ けば、編集者人生の大半を新書編集者として過ごしている。担当した本は村山斉『宇宙は何でできているのか』(新書大賞2011)、香山リカ『しがみつかな い生き方』、國分功一郎『来るべき民主主義』など。書評誌『いける本・いけない本』編集長も務める。

 ◆*三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
  年間8万点近く出る新刊の うち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみな らず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹 介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

 三省堂書店×WEBRONZA 神保町の匠 主要出版物 【日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 矢部宏治・著】 2015年05月10日 09:30:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

【書評】:日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 矢部宏治・著

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【書評】:日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 矢部宏治・著

 【是非ご一読されたし。】

 



 昨年の暮れに出会うなり、いきなり2014年の最重要本に上り詰めてしまった本書『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』。

  そのタイトル通り、我々がとりわけ3.11以降に目の当たりにしてきた「なぜ?」と首をかしげる国のあり方への疑問が次々と解けて行く。まるでサスペンス でも読むような引き込みで面白く読ませてしまう秀逸な著作。しかし、語られているのは厳然たる日本の現実だ。「事故を起こしたのに原発を輸出する国」、 「今でも海に汚染水を垂れ流しているのに事故は収束したという国」、「国民の健康や福祉には予算が足りないと言って増税するのに、戦闘機の開発や輸入には 1000億単位の予算が直ぐにつく国」。なぜ?

 薄々そう感じてきた人は多いだろうと思うが、まず、この事を分かっていない人にはあらかじめ言っておかなくてはならない。

 「戦争が終わって70年は経つが、現代の立憲国家として日本は今でも、まったく独立国ではない」

  機密を解かれた米国の公文書までをも原文で掘り尽くした筆者が提示する日本という国家の立脚点のモロさとその現実に時おり、希望を失いかける人もいるかも しれない。だが「人権」が「意識」からしか生まれないように、立憲国家思想が司る現在の国際社会における日本の「主権」は、日本人が自らの口で説得し、求 めていかなければならない。そのためには、国際法を熟知し、そのルールの中で毅然と国権を回復していくしかない。

 国連憲章の中で指定 さ れる「敵国条項」が、今だに適用され続けているのは実は「日本」のみ。ナチスドイツの負の歴史を必死の想いでかつ優秀に補い続けたドイツは40年以上の努 力が実って、事実上この条項を外されている。だが日本は、自国の防衛も主権もアメリカに預けたまま経済発展に邁進するというアドバンテージを与えられた事 によって、国家としての自己内省を置き忘れたままに来てしまった。国際社会における信用も、米国に依存したまま自己形成する努力を怠ってきてしまった。
  だが、70年前の敗戦がもたらした国際的信用の失墜というダメージは、当の日本人が忘れるほどには世界は忘れていない。むしろ、一部の米メディアによって デフォルメ化された「天皇という謎の精神指導者に司られた残忍な日本軍」というイメージは、その後も米軍の「想定敵国」としては重要な位置を占め続けてい る。最大800万の兵員を要した日本軍は「皇国史観」という米軍からすれば理解不能な精神武装を果たして、極めて統率力のある「やっかいな相手」だったと 聞く。それはマッカーサー本人の記述や、その後の徹底した武装解除にも顕われている。

 日本は今でも「こいつらに力を持たせすぎるのは危険」という指定を受けているのだ。

 そこで、平和ボケ中道リベラルの僕にも合点がいった事がある。

 数年前に聞いた話だ。
  僕が暮らしている沖縄北部で、マングース駆除のバイトをしていた知人がジャングルの中で訓練中のグリーンベレーに遭遇したという。彼らは白兵戦を想定した 訓練において「ファッキンジャップ!」と叫びながら人形にナイフを突き立てていた。「俺たちはいまだに仮想敵なのかよ!」と、むしろ時代錯誤な感じに可笑 しくすらなったものだ。だが、時代錯誤は僕のほうだった。
 米軍の戦闘機が365日、日本上空をくまなく「法規制ゼロ」で飛んでいるのも、まるで日本を標的に訓練しているみたいだ、と思っていたがそれも事実、その通りだった。在日米軍は、日本を攻撃するための訓練を日本でしている。云われてみれば、当然だ。
(厚 木、横田基地の空域が広範囲に米軍によって独占され、日本航空機の侵入が禁止されている。だから、羽田発の飛行機は一度、千葉方面に旋回してから急上昇を して飛び立っているのだ。これは以前から疑問で気流のせいかと思っていたが、米軍の占領状態に起因するものだという事実にも驚かされる。)


(本書より:横田空域)

  米軍と日本の官僚のトップによって形成された「日米合同委員会」は毎月2回のミーティングを60年以上ずっと続けており、日本の事実上の政治的なイニシア チブをとり続けて来た。「誰が政治家になっても変わらない」という良く聞く台詞は、暗に大衆がこうしたパワーバランスを察知している事を示す。


(本書より:日米合同委員会組織図)

 日米合同委員会で決定した様々な取り決め、合意や「密約」は原則公表されない事になっているが、厳然と日本の政治に大きく影響を与えている。ひとつの国のウラに、もうひとつの法体系が存在するのだ。一体このような「憲法違反」の状態がなぜ存在し得るのか?

  それは、後に「安保法体系」とも呼ばれるようになったこの日米が織り重なった支配構造を保持しながら、国際法的には主権国家としての体裁を整えるという法 的なトリック作りのために、そもそも憲法自体が100%占領軍であるGHQのコントロール下で書かれているからである。憲法草案から、敗戦の詔まで、すべ ての原文が英語である事に改めて、がく然とさせられる。

 本書では、この憲法草案をめぐる、昭和天皇とマッカーサー両陣営の極めて高度 な 政治的取り引き、駆け引きの検証にもかなりのボリュームが割かれている。ここにおいて、裕仁天皇の政治的役割、政治力、敗戦後の影響力、そしてその巧みな 行使についても深い検証がなされている。昭和天皇の政治における存在意義は、その死に至るまで大きなものであったようだ。なぜなら敗戦時、天皇家が背負っ ていたのは永い歴史が構成した日本の支配層そのものだからだ。敗戦ひとつでそれら全てが崩壊し得るはずもなく、またマッカーサーたちGHQも日本の占領政 策のために彼らの統治力を重んじていた。両者の思惑の狭間に、日本国憲法や戦後天皇制に宿る二重性が生まれる隙間があったとも云える。

  なぜ、日本は「自己決定権」を発揮しきれないのか。それは、立憲国家の大前提である「憲法」を「自分たちの手で書いていない」事にある、と著者は指摘す る。だから、タカ派的軍国退化した改憲でもなく、また左派的な「絶対護憲」という思考停止でもなく、憲法というものを徹底的に研究して、今こそ日本人は 1945年の荒野に立ち返って自分たちの憲法を書き上げなければならないタームなのだ、と読者全員を鼓舞する。

 原発問題、基地問題に右派も左派もない。全員が、この事実に目を向けなければ日本の実際的な「独立」は見えてこない。見るべき方向さえ誤らなければ、全ての議論は意味を持つのではないだろうか。

(店主)

 「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」 矢部宏治・著 (集英社インターナショナル) \1,296-(税込)

 なぜ戦後70年たっても、米軍が首都圏上空を支配しているのか。
 なぜ人類史上最悪の事故を起こした日本が、原発を止められないのか。
 なぜ被曝した子どもたちの健康被害が、見て見ぬふりされてしまうのか。
 だれもがおかしいと思いながら、止められない。
 日本の戦後史に隠された「最大の秘密」とは?

 大ヒットシリーズ「〈戦後再発見〉双書」の企画&編集総責任者が放つ、「戦後日本」の真実の歴史。
 公文書によって次々と明らかになる、驚くべき日本の歪んだ現状。
 精緻な構造分析によって、その原因を探り、解決策を明らかにする!


  PART1 沖縄の謎――基地と憲法
  PART2 福島の謎――日本はなぜ、原発を止められないのか
  PART3 安保村の謎(1)――昭和天皇と日本国憲法
  PART4 安保村の謎(2)――国連憲章と第2次大戦後の世界
  PART5 最後の謎――自発的隷従とその歴史的起源
 内容(「BOOK」データベースより)
  な ぜ、戦後70年たっても、米軍が首都圏上空を支配しているのか?なぜ、人類史上最悪の原発事故を起こした日本が、再稼働に踏みきろうとするのか?なぜ、被 爆した子どもの健康被害が、見て見ぬふりをされてしまうのか?なぜ、日本の首相は絶対に公約を守れないのか?だれもがおかしいと思いながら、止められな い。日本の戦後史に隠された「最大の秘密」とは?

 著者プロフィール
 矢部宏治(やべ・こうじ)
 1960年、兵庫県 生まれ。 慶応大学文学部卒業後、(株)博報堂マーケティング部を経て、1987年より書籍情報社代表。著書に『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知ってい ること―沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)。共著書に『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)。企画編集シリーズに「〈知の再発 見〉双書(既刊165冊)」「J.M.ロバーツ 世界の歴史(全10巻)」「〈戦後再発見〉双書(既刊3冊)」(いずれも創元社刊)。

 三宅書店 主要出版物 【日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 矢部宏治・著】 2015年05月10日 09:30:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【書評】:基地をめぐる法と政治

2017-12-13 23:57:00 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【書評】:基地をめぐる法と政治

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【書評】:基地をめぐる法と政治

 戦後61年、復帰後34年の間、基地があるがゆえに起こり続ける多くの悲劇。米国内で基地の再編縮小が叫ばれているにもかかわらず、沖縄に基地が居座り続ける現実。このテーマを、法学的・政治的視点から多面的に論じる。

 基地があるがゆえに起こった事故を、風化させてはならない…
 戦後61年、復帰後34年の間、基地があるがゆえに起こり続ける多くの悲劇。米国内で基地の再編縮小が叫ばれているにもかかわらず、沖縄に基地が居座り続ける現実。このテーマを、法学的・政治的視点から多面的に論じる。

g0007_基地をめぐる法と政治


 ■沖縄国際大学公開講座委員会刊

 元稿:編集工房 東洋企画 主要ニュース 主要出版物  【担当者:沖縄国際大学公開講座委員会】 2006年08月01日  09:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【HUNTER】:沖縄に「希望」はないのか?

2017-12-13 23:53:00 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【HUNTER】:沖縄に「希望」はないのか?

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【HUNTER】:沖縄に「希望」はないのか?

  「希望の党」「立憲民主党」と新党の設立が相次ぎ、総選挙の構図が固まった。自民・公明VS野党に違いないが、台風の目になると見られていた希望の党は、小池百合子代表(東京都知事)の「排除」発言で、スタート時の勢いを失いつつある。
 肝心なのは「公約」の中身だが、憲法や安保法制への対応に注目が集まる一方、日米関係と安全保障といった国の根幹にかかわる沖縄の基地問題については、何も語られていない。この国は、どこまで沖縄に冷淡なのか――。

■相次ぐオスプレイの事故
 昨年12月、沖縄県名護市沿岸に米軍普天間基地所属の新型輸送機オスプレイが墜落した。本土メディアの報道では「大破」「不時着」などという見出しになっていたが、どう見ても墜落。機体はバラバラの状態だった。墜落地点は、普天間飛行場の移設先となっている同市辺野古と大浦湾を挟んだ安部(あぶ)の海岸付近。沖縄県民に大きな衝撃を与えたのは言うまでもない。

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普天間飛行場のオスプレイ

 当然、米軍はオスプレイの運用に慎重になるものと思われていたが、さにあらず。今年9月までの間に、普天間基地所属の同型機が相次いで事故を起こす状況となっている。他の航空機ならあり得ない事態。操縦が難しいと言われるオスプレイは、機体そのものに欠陥がある可能性が高い。

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 これが本土に関係することなら大騒ぎ。改めて辺野古移設の是非が、総選挙の争点になってもおかしくあるまい。しかし、安倍晋三首相が解散を表明して以来、本土メディアが希望の党の小池代表に、辺野古移設の是非について確認を求めたという記事は見たことがない。

■辺野古には無関心の小池新党
 4日、希望の党本部に電話を入れ、普天間飛行場の辺野古移設について、同党がどのような方針で臨むのか聞いた。返ってきたのは「決まっていません」の一言。公約発表まで何も答えないのだという。しかし、この日までに明らかとなった同党の公約の柱は、憲法改正、消費増税の凍結、国会議員定数と歳費の削減、原発ゼロなど9項目。基地問題には一切触れていない。辺野古移設は沖縄ローカルだと考えている証拠であり、それは小池氏ら同党幹部が、この国の安全保障に関する本質的な問題を理解していないことの表れだ。

 もっとも、憲法改正や安保法も認めるという同党のこと、辺野古移設に反対するはずがない。小池氏は辺野古移設を推し進めた元防衛相。期待もしていなかったが、それにしても公示まで6日という時点で「決まっていない」はお粗末すぎる。「三都物語」と言うだけあって、彼女が関心を持っているのは大都市のことのみ。当然、沖縄県民の思いなど忖度しない。

■置き去りにされる沖縄の民意
 大手メディアも冷淡だ。テレビや新聞の記者が、希望の党の関係者に「辺野古移設はどうするのか」という問いかけをした場面は皆無。沖縄県では基地問題が最大の争点だというのに、本土は民進の分裂劇ばかり追いかけている。日本国内にある米軍基地の7割超を引き受けているのは沖縄だが、この国の安全保障に最大の寄与をしている地域には何の配慮も示されない。

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埋め立て工事が進む辺野古沿岸。奥がキャンプ・シュワブ

 沖縄では、2014年1月の名護市長選、11月の知事選と辺野古移設反対を唱える「オール沖縄」が完勝。前回の総選挙と昨年の参院選では、すべての自民党候補が敗れている。同県の民意が「基地移設反対」であることは明らかだ。しかし、安倍政権はこれを無視して辺野古での基地建設を強行しており、現在もキャンプ・シュワブのゲート前で反対派の抗議活動が続いている。沖縄と本土の民主主義は別物とでも言うのか?

 小池さんは「希望の持てる国」を目指して国政政党を立ち上げたと胸を張ったが、これまでの対応を見る限り、辺野古移設に反対するつもりはなさそうだ。“沖縄には希望はないのか”と問いたい。

  元稿:HUNTER 主要ニュース 政治・社会 【社会ニュース】  2017年10月05日  08:20:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【HUNTER】:沖縄(上)

2017-12-13 23:52:50 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【HUNTER】:沖縄(上)

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【HUNTER】:沖縄(上)

0-DSC05081.jpg 住民の集団自決があったことで知られる沖縄県読谷村の戦争遺跡「チビチリガマ」が、何者かによって荒らされるという事件が起きた。チビチリガマは、沖縄戦の悲劇を後世に伝えていくための重要な場所。平和学習の場としても知られており、沖縄の心を踏みつけにする蛮行である。
 安倍政権のもと、戦争犯罪を否定する輩がやたらと増えた。極端に右に寄った自称「保守」による沖縄への侮辱、差別も露骨になっている。政府・自民党に、選挙結果が示した民意さえ無視される沖縄県民……。“戦争被害”は、いまも続いているのに、大半の本土メディアはその現状を大きく報じようとしない。
 今月初旬、旧盆を迎えた静かな沖縄を取材した。

 ■温度差
 昭和20年4月1日の米軍上陸は、読谷村の西海岸から。翌日2日に、チビチリガマへ避難していた住民約140名のうち83名が集団自決したとされ、約6割が18歳以下の子供だったという。つまり、チビチリガマは犠牲者の墓。遺族会の意志により立ち入りが禁止されてきたが、重要な沖縄戦の遺跡として読谷村の文化財に指定され、平和学習の場としても利用されてきた。チビは「尻」、チリは「切る」という意味だそうで、チビチリガマの名称は、そこが浅い谷の底にあり、谷川を流れる細い川はガマへ流れるが、どこへ流れ着くのか分からないという事からこの名が付いたのだという。

 報道によれば、ガマに残されていた遺物のびんやつぼ、急須などの遺物が割られ、遺骨が集められている箇所まで荒らされていた他、子供達が捧げた折り鶴が引きちぎられ、入り口に建立されていた「世代を結ぶ平和の像」の石垣が破壊されていたという。戦争犠牲者に対する冒とくも、ここまで来れば凶悪な犯罪だ。しかし、事件を報じる本土メディアのニュースの扱いは、決して大きいとは言えない。本土で悪質な墓荒らしや戦争遺跡の破壊が起きれば、どれだけ騒ぐことか。温度差は、確かにある。

 ■普天間、オスプレイ、沖縄差別
 先月29日、エンジントラブルを起こした米軍の新型輸送機オスプレイ1機が、大分空港に緊急着陸。11日後の今月8日にようやく離陸した。同機の所属は普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)。最終的に戻るのは沖縄である。

0-DSC05335.jpg
*市街地の中心を占める米軍普天間飛行場の全景

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*普天間基地に駐機されているオスプレイ

 大分空港に緊急着陸したオスプレイは普天間に戻るが、本土メディアが報じるのは同機の離陸まで。欠陥機がその後どうなるかまで、追うことはない。本土内では大騒ぎ。しかし、沖縄の現状を伝えるのは一部の報道機関だけだ。“温度差”で片づけるには、あまりに違うこの対応。「遠い沖縄なら仕方がない」という、ある種の差別が存在する。

 ■辺野古で
 今月はじめ、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移転先である名護市辺野古を訪ねた。この時期、沖縄は旧盆。沖縄は旧暦で行事を行うことが多く、今年は新暦の9月3日から5日が沖縄のお盆にあたっていた。安倍政権によって強行されている移設工事も、お盆の前後1日を含めて休み。辺野古は、いつになく静かで、移設反対派のテントの人影もまばらだった。

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*臨時制限区域を示す浮具(フロート)の内側に海保の監視船。奥が米軍キャンプ・シュワブ

0-DSC05103.jpg
*辺野古海岸側から見たキャンプ・シュワブ内部

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*人影のないゲート前テント村

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*普段は工事車両が出入りし、数十人の警備員がいる基地の入り口

 本土で、沖縄の旧盆や、それによって移設工事も休みになっていることを知っている人がどれくらいいるだろう。たまたま見落としたか、あるいはまったく報道されていないのか――。どちらであるにせよ、大したニュースになっていないのは確かである。沖縄のことを、正確に伝えきれないもどかしさ……。辺野古海岸そばにある以前からあるテント村で、十数年前に沖縄に移住してきたという老婦人が「本土の人間は、沖縄のことをほとんど分かっていない」と寂しそうに呟いた。お盆が終われば、移設工事を強行する国と移設に反対する“国民”との睨み合いが復活。周辺は、再び騒然となる。それが沖縄の「日常」なのである。

(以下、次稿)

 元稿:HUNTER 主要ニュース 政治・社会 【社会ニュース】  2017年09月14日  09:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【HUNTER】:沖縄(下)

2017-12-13 23:52:40 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【HUNTER】:沖縄(下)

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【HUNTER】:沖縄(下)

0-DSC05137.jpg 自分の住む、あるいは生まれた都道府県の歴史を問われ、スラスラと答えられる人がどれほどいるだろうか。歴史に学ぶことが下手な日本人であることは疑いようがなく、つい70年ばかり前の戦争の記憶さえ薄れがちだ。
 しかし、沖縄では日常の中に「戦争」があり、いまも県民の暮らしに影を落とす。戦争と沖縄を結び付けているのが「基地」であることは言うまでもない。
 沖縄の米軍施設は31。区域面積は186,092千m2にのぼり、県土全体の約1割を占める。沖縄本島に限れば2割近くが米軍基地というのが実情。沖縄を除く46都道府県のどこを探しても、これほどの理不尽を押し付けられている自治体はあるまい。
 米軍普天間飛行場の移転先である名護市辺野古――。そこは、“戦後”を2度経験し、再び戦争の前線基地にされようとしている場所だ。

 ■辺野古
 辺野古はかつて米軍とともに栄えた土地。地域内のそこかしこに名残がある。キャンプシュワブのゲート前を通る道路から辺野古への入り口には、現状に合わない表示灯。「辺野古へようこそ」「WELCOME」の文字に、もの悲しさが漂う。

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 かつてここは、「アップルタウン」と呼ばれた。表示灯の下に、由来を記した看板が設置されている。

20170915_h01-02.jpg 沖縄戦で疲弊した辺野古は、新たな統治者となった米軍との共存に活路を求めた。キャンプ・シュワブのアメリカ兵が落とすカネは、終戦後の復興期、わずか140世帯に過ぎなかった辺野古に賑わいをもたらしたのである。中心となった街区は、まちづくりに協力した米軍少佐の名をとって「アップルタウン」と呼ばれ、1960年から始まったベトナム戦争が、辺野古に束の間の繁栄をもたらす。ピークとなった1975年には、約300世帯、2,000人を超える住民が暮らしていたという。

 アップルタウンでは多くのレストランやクラブが営業し、人気のロックバンドが演奏に訪れていたという。米兵や日本人の若者が溢れ、熱気に包まれた街だった。いまも、その名残はある。

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 比較的新しい家屋も点在するが、集落全体を包むのは虚脱感だ。ベトナム戦争終結から40年。辺野古には、明らかに“もうひとつの戦後”が存在している。アメリカは73年にベトナムから撤退。ベトナム戦争自体も1975年に終結し、辺野古は衰退の一途をたどる。

 ■犠牲
 普天間飛行場の辺野古移設が実現しても、この地域がアップルタウンの時代に戻ることはない。ベトナム戦争同様の紛争が起きるとすれば、相手国はおそらく中国。昔のベトナムとは桁違いの戦力を有する大国が相手なのだ。地理的関係を考えれば、沖縄は前線基地。のんびり音楽と酒に溺れることなどできまい。それでも、辺野古地区の一部住民の中には、新たな基地に依存することを望む人たちがいる。

 原発と同じ発想だが、政府が考えたのは「カネの力」。地元漁協に数十億円という途方もないカネをばら撒き、辺野古の三つの自治会には補助金というエサをぶら下げた。大半の県民が辺野古移設に反対する一方、辺野古地区だけが孤立する形になっている。責めることはできまい。米軍と国の方針に振り回され続けてきた辺野古の住民には、闘う力などないからだ。アップルタウンの「遺構」が、それを如実に物語っている。

 沖縄戦当時、米軍の艦船が埋め尽くしたというマリンブルーの海は、いま、美しく輝いている。普天間飛行場の移設先であるキャンプ・シュワブ沿岸部には臨時制限区域を示すフロートが設置されているが、周辺はジュゴンの生息域だという。なぜ沖縄の貴重な宝を埋め立てなければならないのか?なぜ沖縄だけが、戦争の犠牲になり続けなければならないのか?なぜ本土メディアは沖縄の思いを伝えきれないのか?沖縄取材の度に、そうした思いは募る一方だ。

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 元稿:HUNTER 主要ニュース 政治・社会 【社会ニュース】  2017年09月15日  09:45:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

 

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【直撃インタビュー】:沖縄の英雄を映画に 佐古忠彦氏「本土の人も・・・

2017-12-13 23:52:30 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【注目の人 直撃インタビュー】:沖縄の英雄を映画に 佐古忠彦氏「本土の人も見てほしい

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【注目の人 直撃インタビュー】:沖縄の英雄を映画に 佐古忠彦氏「本土の人も見てほしい

 先月公開された映画「米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー」が反響を呼んでいる。米統治下の沖縄で圧政に抗議する姿勢を貫いた政治家・瀬長亀次郎にスポットを当てたドキュメンタリーだ。8月12日に沖縄で先行上映されると、公開初日は100メートル以上続く行列ができ、定員300席が満席になった。監督は「筑紫哲也NEWS23」でキャスターを務め、沖縄の基地問題の取材を20年以上続けてきた佐古忠彦氏だ。

8月に公開された映画「米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー」が反響を呼んでいる(C)日刊ゲンダイ

 8月に公開された映画「米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー」が反響を呼んでいる(C)日刊ゲンダイ

  ――どうして“カメジロー”を取り上げようと思ったのですか?

 瀬長亀次郎は今も紛れもなく沖縄のヒーローなんです。戦後、沖縄人民党の結成に参加した彼は、琉球政府創立式典でひとりだけ宣誓と脱帽を拒み、米軍に目をつけられ、1954年10月に投獄されます。刑期を終えると、56年12月に那覇市長に当選しますが、再び米軍によって強引に失職させられてしまう。しかし、彼は不屈の精神を忘れなかった。米軍統治下の圧政に対し、闘い続けました。

 ――不屈の人ですね。

 戦後初の沖縄選出の衆院議員として当時の佐藤栄作首相に堂々と国会論戦を挑みました。演説がバツグンにうまく、ユーモアと方言を交えた米軍糾弾に沖縄県民は拍手喝采しました。演説会があると、家族総出で「今日は亀次郎があるよ」と、イベントみたいな感じで喜んで出かけたというから相当なものですね。稲嶺恵一元沖縄県知事も「高校生のころの憧れの人」とファンであることを公言しています。

  ――昨年8月、TBSで亀次郎に関するドキュメンタリー番組を放送した時に、ものすごい反響があったことが映画化のきっかけだと聞きました。

 深夜の49分間の番組だったのですが、数えきれないほどのメールと手紙で励ましや感想をいただきました。

  ――今度は映画が沖縄でも反響を呼んでいます。

 3年前の沖縄県知事選(2014年11月)で保革の構図が崩れてからの沖縄を取り巻く「空気」が、亀次郎が活躍した60年前と似ているのかもしれません。

  ――具体的にどんなところでしょう。

 前知事の仲井真弘多さんが辺野古移設に向けた埋め立てを承認したことによる市民の怒りが、翁長知事の誕生につながったわけです。この時、私は沖縄で取材をしていました。亀次郎が言っていたことのひとつに「小異を捨てずに大同につく」というものがあります。それぞれ異なる考えは持ちつつも、ここぞというときにはひとつになりましょうという意味です。もちろん、「瀬長亀次郎=翁長知事」ではありませんが、“オール沖縄”や現代の県民大会の原点が亀次郎の時代にあり、そのころの空気は、今にそのまま受け継がれているんじゃないでしょうか。

ユーモアと方言を交えた瀬長亀次郎の米軍糾弾に沖縄県民は拍手喝采した(C)TBS

   ユーモアと方言を交えた瀬長亀次郎の米軍糾弾に沖縄県民は拍手喝采した(C)TBS

 瀬長亀次郎みたいな政治家が今の国会にいたら

  ――亀次郎みたいな政治家が今いれば、国会ももっと面白くなるでしょうね。

 亀次郎は権力に堂々とモノを言い、立ち向かいました。佐藤首相との国会論戦でもひるむことなく対峙し、さまざまな答弁を引き出しました。時の総理を同じ土俵に引っ張り出し、時にタジタジにさせる様子を見て、沖縄の人には胸にストンと落ちるものがあったのだと思います。最近の国会を見ていると、亀次郎のように軸がブレず、人心をワシ掴みにして、「よくぞ国民の気持ちを代弁してくれた」と拍手喝采されるような政治家が見当たりません。亀次郎みたいなブレない政治家はこの国でも求められているのかもしれません。

  ――亀次郎を通して沖縄の戦後史を描けば、なぜ、沖縄の人が基地問題に声を上げ続けているのか、本土の人にも分かってもらえるかもしれないと考えたそうですね。

 報道番組に20年以上携わってきて、基地問題の理解について、沖縄と本土で大きな隔たりがあることをもどかしく感じてきました。沖縄でなぜ辺野古移設に反対の声が上がるのかがよく分からないまま、反対運動を批判する人も見受けられます。辺野古をめぐる国との裁判で、翁長知事を裁判所へ送り出すとき、熱い“翁長コール”が起きるのを不思議に見ている人もたくさんいるのではないでしょうか。こうした基地問題の全体像を広く多くの人に伝えるには、映画という手法がいいのではと思い、会社(TBSテレビ)に企画書を提出しました。

  ――映画化にあたってどんな取材をしましたか。

 映画初監督といっても、基本的に自分と沖縄在住の音声マンとカメラマンの3人での追加取材と撮影が中心。週末を使って沖縄と東京の行き来を繰り返しました。

  ――新事実はありましたか?

 公文書館にある米軍の秘密資料を読み直したり、亀次郎の次女で民衆資料館「不屈館」館長の内村千尋さんにインタビューしたり、亀次郎が獄中でつけたノート200冊に及ぶ日記の読み直しが中心でした。改めて実感したのは、沖縄を取り巻く状況は何ひとつ変わっていないということです。

  ――亀次郎の日記には「祖国復帰」という単語がたくさん出てきます。

 占領下の27年間、亀次郎がどんな思いで復帰を望んでいたかをヒシヒシと感じました。最近、沖縄独立論を時に耳にします。あれだけ祖国復帰を求め続けた沖縄県民が、ようやく帰った先はどうだったのか。1995年に米兵による少女暴行事件が起き、沖縄県民の間にくすぶっていた感情が爆発しました。その後、今に至るまで、民主党政権が誕生するなどの変化はあったものの、基本的な構造は何も変わらず、沖縄の人は不条理を感じ続けています。

 ――それが沖縄での映画のヒット要因ですか。

 先行公開された沖縄では「亀次郎さんを取り上げてくれてありがとう」「亀次郎さんに会いに来た感じがした」とお礼をいただきました。亀次郎は今も沖縄で愛され続けているし、映画のテーマは昔話のようでいて、今日性があると思います。

 ■「最低でも県外」の鳩山元首相を評価

  ――普天間基地の県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫元首相に対する評価も本土と沖縄ではまるっきり違うそうですね。

 「最低でも県外」と言ったことでメチャクチャな言われ方をして首相を辞任した鳩山さんですが、沖縄では評価する声が今もあります。県外移設を果たせなかったことを残念がる人がいる一方、「あそこでああ言ってくれなかったら、今ごろもう辺野古に基地ができていただろう」と言う人もいます。基地問題を本土の問題として引き上げ、一石を投じてくれたということなんだと思います。

  ――映画は東京・渋谷で上映され、大阪、横浜、仙台、福岡など全国で順次公開されます。

 米国の本土での占領体制が終わると、朝鮮戦争の後方部隊として岐阜と山梨に置かれていた海兵隊の基地は、占領下に置かれていた沖縄に移りました。それは本土で激しい反対運動が起きたためです。結果的に沖縄に負担を強いる措置だったことを忘れないでほしいですね。ぜひ本土の人にも見てほしい。

  ――基地問題は沖縄の問題だけではないと。

 当然だと思います。羽田空港を離着陸する民間航空機が、横田基地の米軍の空域を避けて迂回するために、どれだけ高額な燃料代がかかったり、飛行ルートの制限を受けていることか。亡くなった筑紫哲也さんはよく「日本は独立国なのに、なぜ、他国の軍隊がいまだに駐留しているのか」と言っていました。だったら米軍を日本から撤退させればいいのかという安全保障の問題になるわけですが、それがゴチャ混ぜになって主権を回復していったのが1950年代の日本。そこに踏み込み過ぎると隘路に入って極めて難しい議論になってしまうのですが、本土の人も沖縄の基地問題を身近な問題として捉えてほしいですね。 (聞き手=本紙・岩瀬耕太郎)

 ▽さこ・ただひこ 

 1964年生まれ。96~2006年、「筑紫哲也NEWS23」サブキャスター。「Nスタ」「報道LIVEあさチャン!サタデー」などに出演。映画はユーロスペース(渋谷)で上映中。9月16日から第七藝術劇場(大阪)、元町映画館(神戸)で順次公開。

  元稿:日刊ゲンダイ 主要ニュース 政治・経済 【政治ニュース】  2017年09月11日  07:15:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【映画】:米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー

2017-12-13 23:52:20 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【映画】:米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【映画】:米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー

 ◆イントロダクション

 本作は、「筑紫哲也NEWS23」でキャスターを務め、筑紫哲也氏の薫陶を受けた 佐古忠彦 初監督作品。作品の主旨に共感した 坂本龍一 による、オリジナル楽曲書き下ろし。さらに、語りには、名バイプレイヤー、大杉漣 が参加。

 アメリカ占領下の沖縄で米軍に挑んだ男、瀬長亀次郎のドキュメンタリー映画。

 なぜ、沖縄の人々は声を上げ続けるのか、その原点はカメジローにあった━。

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 第二次大戦後、米軍統治下の沖縄で唯一人"弾圧"を恐れず米軍にNOと叫んだ日本人がいた。「不屈」の精神で立ち向かった沖縄のヒーロー瀬長亀次郎。民衆の前に立ち、演説会を開けば毎回何万人も集め、人々を熱狂させた。彼を恐れた米軍は、様々な策略を巡らすが、民衆に支えられて那覇市長、国会議員と立場を変えながら闘い続けた政治家、亀次郎。その知られざる実像と、信念を貫いた抵抗の人生を、稲嶺元沖縄県知事や亀次郎の次女など関係者の証言を通して浮き彫りにしていくドキュメンタリー。

 JNNだけが持つ、当時の貴重な資料映像の数々をふんだんに盛り込んだTBSテレビが本気で製作した映画が遂に公開。

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 2016年TBSテレビで放送されたドキュメンタリー番組が、第54回ギャラクシー賞月間賞を受賞するなど高い評価を得ており、映画化を熱望する声を受けて、追加取材、再編集を行って映画化。沖縄戦を起点に、今につながる基地問題。27年間にわたったアメリカの軍事占領を経て、日本復帰後45年が経っても、なお基地が集中するなか、沖縄の人々が声を上げ続ける、その原点…。それは、まさに戦後の沖縄で米軍支配と闘った瀬長亀次郎の生き様にあった。JNNだからこそ保存されていた貴重な未公開映像やインタビュー、そしてアメリカ取材を交えて描き切る。
 
 ◆Story
 
 男は、ガジュマルをこよなく愛した。
 「どんな嵐にも倒れない。沖縄の生き方そのもの」だと。
 那覇市を、かつてたった11ヶ月だけ率いた、
 その男が好んで使った言葉がある。
 それは「不屈」。
 1945年の終戦後、沖縄で、民衆の先頭に立ち、
 演説会を開けば毎回何万もの人を集めた男。
 その名は、瀬長亀次郎。団結して立ち向かったのは、
 戦後沖縄を占領したアメリカ軍の圧政。
 祖国復帰へ向けて民衆をリードした、
 その人物は、アメリカが最も恐れた男だった━。
 
 ◆瀬長亀次郎 PROFILE

 1907年6月10日、沖縄県島尻郡豊見城村(現、豊見城市)我那覇に生まれ。沖縄県立二中(現、沖縄県立那覇高等学校)、東京・順天中学(現、順天中学校・高等学校)を経て旧制第七高等学校(現、鹿児島大学)に進んだが、社会主義運動に加わったことを理由に放校処分となる。

 1932年に丹那トンネル労働争議を指導して治安維持法違反で検挙され、懲役3年の刑を受ける。

 1936年に沖縄朝日新聞記者になり、1938年7月に兵役召集され「中支」へ。1940年に復員し、毎日新聞那覇支局記者として活動。戦後は田井等市助役として避難民の救援にあたる。1946年にうるま新報(現、琉球新報)社長に就任。翌1947年、沖縄人民党結成に参加。1950年に沖縄群島知事選挙に出馬するが、落選。しかし、1952年の第1回立法院議員選挙では最高得票数で当選を果たす。この選挙後に開催された琉球政府創立式典で宣誓拒否したことで占領軍から睨まれることとなる。

 1954年10月 沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑で逮捕される。弁護人なしの裁判で、懲役2年の判決を受け投獄された(沖縄人民党事件)。

 1956年4月に出獄後、同年12月に行われた那覇市長選に出馬する。米軍から妨害を受けるものの、当選を果たす。その後、占領軍出資の銀行による那覇市への補助金や融資、預金の凍結の措置に遭うが、多くの市民が米軍の弾圧から瀬長を助けようと、自主的な納税に訪れ、納税率は97%にもなったといわれる。これにより自主財源による公共工事再開など、市政運営の危機を脱する。一方、占領軍の意向も働き、反瀬長派は7度にわたる不信任決議を提出するが、いずれも不発に終わる。しびれを切らした占領軍は1957年、高等弁務官ジェームス・E・ムーア陸軍中将が布令を改定(米民政府高等弁務官布令143号、通称「瀬長布令」)、瀬長は追放され、投獄の過去を理由に被選挙権も剥奪された。市長在任期間は一年足らずであったが、那覇市政をめぐる米軍との攻防は、瀬長に対する沖縄の住民の絶大な支持を呼んだ。

 1966年12月に被選挙権剥奪規定廃止で被選挙権を回復。翌年、拒否されつづけたパスポート取得が17回目の申請で許可され、11年ぶりの上京。1968年 立法院議員選挙に最高得票で当選する。1970年、戦後初の国政参加選挙で衆議院議員に当選、以降7期連続当選を果たした。1990年に衆院議員勇退。2001年10月5日死去。享年94。

 ■不屈館HPなどより

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<略歴>

 1907年 沖縄県島尻郡豊見城村(現、豊見城市)我那覇に誕生
 1932年 治安維持法違反で検挙され、懲役3年の刑で投獄
 1936年 沖縄朝日新聞記者になる
 1938年 兵役召集され「中支」へ
 1940年 復員し、毎日新聞那覇支局記者になる
 1946年 うるま新報(現、琉球新報)社長に就任
 1952年 第1回立法院議員選挙で最高得票数でトップ当選
 1954年 沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑で逮捕
 1956年 那覇市長選に出馬し、当選
 1957年 市長の座から追放 *瀬長布令
 1966年 瀬長布令の廃止により、被選挙権を回復。
 1968年 立法院議員選挙で当選
 1970年 戦後沖縄初の衆議院議員に当選 *以後7期連続当選
 1990年 衆院議員勇退
 2001年 死去 *享年94歳
 
 ◎沖縄と米軍基地の歴史的側面 

 ◆沖縄の米軍基地ができた歴史的背景

 豊かな自然と独特な文化を有する沖縄は、太平洋戦争において、史上まれにみる熾烈な地上戦が行われ、「鉄の暴風」と呼ばれたほどのすさまじい砲撃により、緑豊かな島々は焦土と化しました。

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 沖縄に上陸した米軍は、住民を収容所に強制隔離し、土地の強制接収を行い、次々と新しい基地を建設していきました。住民は土地を有無を言わさず奪われました。
日本本土では昭和31年(1956年)の経済白書で「もはや戦後ではない」とされ、高度経済成長が始まりましたが、ちょうどその時期に、本土の米軍基地の整理縮小の流れを受けて、本土から沖縄に海兵隊の移転が進みました。
戦後、沖縄は、昭和47年(1972年)の本土復帰まで27年間にわたり、米軍の施設権下にありました。本土復帰後も、本土では基地の整理縮小が進む中、沖縄には多くの米軍基地が日米安全保障条約に基づく提供施設・区域として引き継がれ、県民は過重な基地負担を背負うことになり、現在もその負担は重くのしかかっています。
 
 ◆米軍統治下における沖縄の状況
 
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 戦後すぐの昭和20年(1945年)から昭和24年(1949年)までの5年近く、本土では戦後の復興政策が図られる中、沖縄はほとんど放置状態で「忘れられた島」と言われました。これは、アメリカの軍部と政府側の調整に時間がかかり、明確な統治政策が図られなかったためです。
その後、昭和24年(1949年)5月にアメリカ政府は沖縄の分離統治の方針を決め、昭和25年(1950年)2月にGHQが沖縄を恒久的基地を建設する声明を発表し、沖縄の分離統治を決定しました。この時から米軍による沖縄の基地化が進んでいきました。
 昭和27年(1952年)にサンフランシスコ講和条により日本は独立国としての主権を回復しますが、その代償として、沖縄は日本本土から分断され、米国の施政権下に置かれました。沖縄には日本国憲法の適用もなく、国会議員を送ることもできませんでした。
 また、米軍の施政権下におかれた沖縄は、27年もの間、日本政府から十分な支援を受けることができませんでした。その結果として、昭和47年(1972年)に本土に復帰した時の沖縄は、道路、港湾、学校、病院、住宅など社会資本のあらゆるものが不足していた状況でした。
 
 ◎米軍基地問題
 

 ■沖縄にある米軍基地の状況

 沖縄県には、31の米軍専用施設があり、その総面積は1万8,609ヘクタール、沖縄県の総面積の約8%、人口の9割以上が居住する沖縄本島では約15%の面積を占めています。その規模は東京23区のうち13区覆ってしまうほどの広大な面積です。
 沖縄が本土に復帰した昭和47年(1972年)当時、全国の米軍専用施設面積に占める沖縄県の割合は約58.7%でしたが、本土では米軍基地の整理・縮小が沖縄県よりも進んだ結果、現在では、国土面積の約0.6%しかない沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の約70.6%が集中しています。(平成29年1月1日現在)

沖縄の米軍基地の規模

 ※ 米軍専用施設…自衛隊が管理する共用施設とは異なり、専(もっぱ)ら日米地位協定のもとで管理、運営され、基本的にはその運用に国内法が適用されず、また、立ち入り許可なども米軍の裁量によりなされる施設

 ※ 本ページで記載している面積、割合等は米軍専用施設のものであり、米軍が自衛隊等の施設を一時使用(共同使用)している面積は除いています。


米軍専用施設面積の割合



沖縄の米軍基地
 ◆佐古忠彦 監督 PROFILE
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1988年 TBS入社
1996年~2006年 筑紫哲也NEWS23
2006年~2010年 政治部
2010年~2011年 Nスタ
2014年~2017年 報道LIVEあさチャン!サタデー
Nスタニューズアイ
2013年~ 報道の魂(現 JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス)プロデューサー

 ◆近年では
 
2013年 「生きろ~戦場に残した伝言」
2014年 「生きろ~異色の司令官が伝えたこと」「茜雲の彼方へ~最後の特攻隊長の決断」
2015年 「戦後70年 千の証言スペシャル 戦場写真が語る沖縄戦・隠された真実」
2016年  報道の魂SP「米軍が最も恐れた男 ~あなたはカメジローを知っていますか」などを制作
 
 ■監督が考えるみどころ
 住民が暮らす場所で唯一の地上戦が行われ、とてつもない犠牲を強いられた上に、27年に及びアメリカに軍事占領された 沖縄の戦後の歩みは、日本本土とは全く違う。
 その沖縄戦後史を瀬長亀次郎の生きざまをとおしてみることで、いまの沖縄の闘いの意味が見えてくる。現代の人間が「あなたならどうする」と教えを乞う「亀次郎」が残した言葉。
 米軍機密資料に隠されていた占領軍と亀次郎の闘いの痕跡。
 歴史を解き明かす未公開映像と証言。
 そこにみえるのは、昔話ではない、私たちが生きる「いま」だ。
 

 ■米軍が最も恐れた男 その名は、カメジローは、アメリカ合衆国による沖縄統治に抗い活動した政治家瀬長亀次郎を描く、2017年公開のドキュメンタリー映画である。

 2016年8月21日TBSテレビで放送された『報道の魂』スペシャル「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか?~」[2]がもとになっており、追加取材・再編集を行い、未公開映像や関係者のインタビューも取り入れて映画化された[3]





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【HUNTER】:辺野古の海は誰のものか ―漁業権への疑問―

2017-12-13 23:52:10 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【HUNTER】:辺野古の海は誰のものか ―漁業権への疑問―

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【HUNTER】:辺野古の海は誰のものか ―漁業権への疑問―

辺野古-thumb-280x190-11433.jpg 安倍政権が先月25日、沖縄県名護市辺野古の新基地建設に向け、米軍キャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てる護岸工事に着手した。ついに始まった埋め立て工事。大量の土砂などが投下されれば、ジュゴンが生息するという辺野古の海は原状回復が困難となる。
 平成26年に事業開始を強行して以来、沖縄の民意を無視し続ける安倍政権。強硬姿勢の根拠となっているのは、辺野古沖の漁業権を地元漁協が放棄したという事実だ。漁業権放棄に伴う2度にわたる契約で、国から漁協に支払われた補償金は42億円と言われており、漁協が辺野古の海を売った形となっている。沖縄の海は、誰のものか――。
(写真は辺野古海岸。フェンスの向こう側、米軍キャンプ・シュワブの沿岸部が埋め立て予定海面)

 ■漁業権放棄をめぐる動き
 「名護漁協の漁業権放棄決議によって許可の前提となる漁業権が存在しなくなっており、岩礁破砕許可を取得する必要はない」と主張し、県の許可を得ないまま工事を続ける政府。一方、沖縄県側は「知事の承認を得ない漁業権の放棄は成立しない」として、岩礁破砕許可のない工事は違法だとする立場だ。漁業権のある、なしで争う構図だが、そもそも沖縄の海は県民全体のもので、漁協の判断だけに依拠して埋め立てにゴーサインを出せるものではあるまい。沖縄防衛局への情報公開請求で入手した文書で、漁業権をめぐる動きを確認してみた。

 はじめに、政府が「漁業権が消滅した」と主張する区域について確認しておきたい。下の図は、今年1月に沖縄防衛局と名護漁協との間で交わされた「損失補償契約書」添付図面の一部。平成26年と今年1月の契約によって、「臨時制限区域」(常時立ち入り禁止区域)とされる辺野古沖約560ヘクタール全域の漁業権が放棄されている。青い矢印で示したのが平成26年の補償契約によって事実上業業権が放棄された区域。赤い矢印で示したのが、今年1月に結ばれた補償契約によって漁業権が消滅したとされる区域である。

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 辺野古海域の漁業権を有していた名護漁業協同組合は平成25年、キャンプ・シュワブ沿岸海域の埋め立てに合意する特別決議を行い、翌26年5月に埋め立て工事に伴う漁業補償金として約36億円の支払いを受ける契約を沖縄防衛局と締結。同漁協の組合員は約90人、準組合員は約30で、一人当たり2,000万円前後の補償金が分配されたと言われている。下が、その時の契約書だ。

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 損失補償金と引き換えに、“埋め立て区域内の漁業権を放棄すること”、“工事着手から5年間、操業制限杙域内での漁を行わないこと”を定めている。この時の漁業権放棄は、キャンプ・シュワブ沿岸部にあたる167ヘクタールの区域についてのもの。当時の沖縄県知事は、辺野古の埋め立てを承認した仲井眞弘多氏で、政府が埋め立て工事を続けるために必要となる外側区域(約400ヘクタール)の岩礁破砕許可は、仲井眞県政下でスンナリ出るものと見られていた。

 状況を一変させたのは、この年の暮れ、「あらゆる手段を講じて辺野古の基地建設を止める」と公約して知事選に勝利した翁長雄志氏の登場だった。沖縄の心を売ったとして批判を浴びた仲井真氏を大差で破った翁長知事は、国との対決姿勢を鮮明に――。当然、岩礁破砕許可は出ない。

 そこで政府が考え出したのが、岩礁破砕許可を県に申請しないで済む方策。沖縄防衛局は昨年秋以降、密かに名護漁協側に接触。工事区域だけでなく、周辺の臨時制限区域の漁業権も併せて放棄する特別決議を行うよう漁協に働きかけていた。餌が、補償金の積み増しであることは言うまでもない。名護漁協は昨年11月28日、臨時総会を開いて、漁業権放棄の特別決議を行っていた。決議に伴う損失補償契約が結ばれたのは本年1月13日。下がその契約書で、補償額は黒塗りになっているが、マスコミ報道などで金額が約6億円であることが分かっている。

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 ■秘密裏交渉、ドタバタと6億円で決着

 前述したように、昨年秋から今年1月にかけての沖縄防衛局と名護業況側との交渉は秘密裏に行われたもの。表に出てくる公文書を見る限り、通常は時間をかけて行われる役所と民間側との交渉が、ごく短期間で進んでいた。

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 防衛局が、漁協に漁業権放棄の要請文を発出したのが昨年11月11日。名護漁協は、それからわずか17日で漁業権放棄の特別議決を行っていた。両者の間で交わされたやり取りを記す文書の記述を見れば、まさに出来レース。裏交渉の記録は、一切残されていない。名護漁協に支払われた補償金は計約42億円。漁協の組合員は、一人当たり数千万円のカネで沖縄の海を売り渡した格好だ。「苦渋の選択」(地元関係者)なのかもしれないが、海が漁協だけの判断で汚されていいはずがない。

 ■海は漁協のものではない
 海沿いで行われる原子力発電所の建設や公共事業で、権力側がまずターゲットにするのは漁協だ。漁業権放棄と引き換えに莫大な補償金が支払われ、事業にゴーサインが出される。だが、どう考えてもこの構図自体が間違いだ。漁業権は法的に認められたものだが、海は国民固有の財産。漁協にすべての権利があるわけではあるまい。ましてや、辺野古移設反対は、沖縄県の民意。辺野古のを抱える名護市の市長選、市議選、沖縄県知事選や衆参の選挙で、基地移設反対を訴えた「オール沖縄」が完勝してきたことでも明らかだ。県民の一部に過ぎない漁協がOKだから移設工事GOでは、民主主義は成り立つまい。辺野古の海は沖縄県民の宝、もちろん日本の宝でもある。「漁協が業業権を放棄したから、岩礁を破砕し、埋め立てを行ってもよい」という理屈には到底賛同できない。42億円で売り渡された辺野古の海が埋め立てられれば、どれだけカネを積んでも元には戻らないのである。

 元稿:HUNTER 主要ニュース 政治・社会 【政治・社会ニュース】  2017年05月11日  09:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【外務省】:核持ち込み「異論ない」 ■沖縄返還合意前に伝達

2017-12-13 23:51:50 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【外務省】:核持ち込み「異論ない」 ■沖縄返還合意前に伝達

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【外務省】:核持ち込み「異論ない」 ■沖縄返還合意前に伝達 

 【ワシントン共同】日米両政府が沖縄の施政権返還で合意した1969年11月の首脳会談直前、当時の愛知揆一外相の意向を受けた外務省幹部がキッシンジャー米大統領補佐官に対し、返還後、非核三原則に背く有事の沖縄への核兵器再持ち込みに「異論はない」と外交ルートで公式に伝えていたことが13日、機密解除された米公文書で分かった。

 機密解除されたホワイトハウス作成の会談録の一部=米カリフォルニア州のニクソン大統領図書館(共同)

 ※(写真):機密解除されたホワイトハウス作成の会談録の一部=米カリフォルニア州のニクソン大統領図書館(共同)

 1969年11月、米ホワイトハウスで会談する佐藤栄作首相(左)とニクソン米大統領。2人は沖縄返還に合意した(共同)

 ※(写真):1969年11月、米ホワイトハウスで会談する佐藤栄作首相(左)とニクソン米大統領。2人は沖縄返還に合意した(共同)

 佐藤栄作首相は外務省とは別に国際政治学者若泉敬氏を密使に立て独自に交渉、キッシンジャー氏との間で数日前、持ち込みを容認する密約を結ぶことで合意していた。愛知氏と外務省は密約を知らされていなかったが、返還交渉の決裂を懸念したとみられる。

 元稿:共同通信社 47NEWS 政治 【政策・日米両政府が沖縄の施政権返還】  2017年08月13日  17:39:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【沖縄の「核」生々しく】:米軍嘉手納基地 60年代の写真

2017-12-13 23:51:40 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【沖縄の「核」生々しく】:米軍嘉手納基地 60年代の写真

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【沖縄の「核」生々しく】:米軍嘉手納基地 60年代の写真

 本土復帰前の沖縄の米軍基地に配備されていた核兵器の写真と関連資料を共同通信が入手した。米公文書の発掘・収集を進めるワシントンの民間研究機関「国家安全保障公文書館」から提供を受けた。米国立公文書館(メリーランド州)などに所蔵されていた。

 ※出典復帰前沖縄の核兵器写真見つかる 実戦配備、生々しく | 沖縄タイムス+プラス

 
 

 複数の日本人専門家は、一九七二年までの米占領期間中に沖縄に配備されていた核兵器の写真は極めて珍しいと指摘している。米軍技師らが核弾頭を慎重に取り扱う様子が写っており、アジア最大の「核兵器庫」だった沖縄における核実戦配備の実態を生々しく伝えている。

 写真は三枚で、核兵器は日本に投下された原爆の数十倍の破壊力を持つ水爆「マーク28」、複数のミサイルに搭載可能な核弾頭「マーク7」、極東ソ連と中国を射程に収めた核巡航ミサイル「メースB」の三種。

 写真のキャプションによると、撮影者は米空軍当局者。マーク28とマーク7は、米ソが核戦争の手前まで行った六二年十月のキューバ危機のまっただ中に、米空軍嘉手納(かでな)基地で撮影された。六二年四月に撮られたメースBについては「沖縄」とだけ記されており、撮影地の詳細は不明。

 メースBは六〇年代初頭に沖縄に導入され、読谷村など計四つの発射基地に配備された。メースBをめぐっては、嘉手納基地に駐留した当時の米軍ミサイル技師が、キューバ危機の最終局面で「間違って発射命令が出されたが、寸前で回避された」とも証言している。

 元稿:東京新聞社 夕刊 主要ニュース 社会 【話題・在沖米軍基地・核兵器】  2016年02月20日  15:15:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【沖縄核密約「今も有効」】:米政府元高官・ハルペリン氏、本紙に証言

2017-12-13 23:51:30 | 在日米軍基地・再編問題・防衛・武器

【沖縄核密約「今も有効」】:米政府元高官・ハルペリン氏、本紙に証言

 乾龍の『漂流日本の羅針盤』・【最新ニュースから見え隠れする闇】:【沖縄核密約「今も有効」】:米政府元高官・ハルペリン氏、本紙に証言

 1966年から69年にかけて沖縄返還交渉の米側担当官を務めたモートン・ハルペリン氏が都内で本紙の取材に応じ、「有事」の際に沖縄への核兵器の持ち込みを認めた日米密約について、「確かに存在しており、今も有効だ」と語りました。密約を否定する日本政府の説明が虚偽であることを裏付けると同時に、今なお米軍が沖縄で占領時代の特権を保持していることが浮き彫りになりました。「
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(写真)モートン・ハルペリン氏

 沖縄核密約(日米共同声明に関する合意議事録)は、69年11月21日に当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が交わしたもの。メースBなど、沖縄に配備されていた核兵器を本土返還までにすべて撤去する一方、「重大な緊急事態」の際には再び核を持ち込む権利を米側に認めました。

 日本政府は当時、沖縄返還は「核抜き・本土並み」だと説明していました。しかし、佐藤氏の密使だった若泉敬氏(故人)が94年に刊行した著書で「合意議事録」の存在を告白。同書によれば、若泉、ハルペリン両氏が密約作成を主導していました。2009年には佐藤氏の自宅からも合意議事録の原文が発見されています。

 ところが外務省は民主党政権下で実施した一連の密約調査で、合意議事録は「発見されなかった」と存在を否定。同省が10年に公表した有識者委員会の報告書も、「必ずしも密約とは言えない」と結論づけ、その長期的効力について「否定的に考えざるをえない」としていました。

 これに対し、ハルペリン氏は密約の存在と効力について「イエスだ。議事録は(両首脳によって)署名されたものでもある」と述べ、外務省の説明を明確に否定。「公益が優る場合は、国民に開示されるべきものだ」とも語りました。


 ■政府は再調査し破棄を

 民主党政権下で行われた日米密約に関する調査は、日本への核持ち込み密約(1960年1月の討論記録)への評価に見られるように、日米の合意文書そのものの存在は認めつつ「密約ではない」として本質をゆがめ、国民をだましてきた国家的犯罪を見逃しました。

 沖縄核密約(合意議事録)に関して政府は、調査期間中に張本人である佐藤栄作元首相の自宅から原文が発見されたにもかかわらず、存在そのものを否定するという異様な姿勢です。しかし、沖縄返還交渉の米側担当官であるハルペリン氏がその存在と有効性を証言したことは重大です。政府は再調査を行い、密約を破棄すべきです。

 ハルペリン氏は、72年の沖縄返還後、「すべての核兵器は撤去されたことを保証する」とも述べています。しかし、密約が「有効」である以上、米軍はいつでも核兵器を持ち込む権利を有しているのも事実です。沖縄返還後の74年7月、米空軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)所属のF4ファントム戦闘機が同県の伊江島射爆場で核模擬爆弾の投下訓練を行った事実も、日本共産党の調査で明らかになっています。

 「非核三原則」を掲げる日本に核兵器が持ち込めるのであれば、それ以外の通常兵器は何でも自由に持ち込み、使用できるということにつながります。

 深夜・早朝を問わぬ飛行訓練や、イラク・アフガニスタンなどへの自由出撃をふくめ、植民地的な米軍の特権が今なお沖縄で維持されているのです。 (竹下岳)

 元稿:しんぶん赤旗 朝刊 主要ニュース 政治 【政策・米国・沖縄返還故障・沖縄核密約(日米共同声明に関する合意議事録)】 2014年09月22日  04:15:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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