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JAL123便墜落事故-真相を追う-2015年の慰霊

本日、御巣鷹の尾根に慰霊に行って参りました。静かな参拝を望んでおりましたが、覚悟はしていたものの、慰霊の場所にふさわしくない方々に付きまとわれ、たいへん残念な思いをいたしました。

付きまとってきた方々の年齢は概して60~70台。姿格好から推察するに、自衛隊OB、それも陸上自衛隊のOBとお見受けしました。

私は、123便事件についてはその首謀者、そして手先となって働くを止む無しとした人々や国家機関までも含め、事件の真実を国民に公表するならば、一時は糾弾されてもいずれはその勇気ある発言は受け入れられ、許されるだろうことを信じ、それを訴え待ち続けていたつもりです。

事件後30年が経過しようとする本年、後ろめたさの一欠けらも感じられない、あなた方の行動に私は大いに失望しています。

30年前のこの場所で、日が昇り明るくなり本格的な救助活動が始まった後、犠牲者救助に訪れたはずの陸上自衛隊員(正規隊)が現場で実は何をしていたのか、公表する準備があります。隠し立ては無駄です。それがどのような行いなのか、胸のポケットによく聞くことです。そして、公儀の立場から自衛隊3軍に宣告が下されることを予告しておきます。


脅すような言動は私の本意ではありません。どうぞ本当のことを国民に伝えてください。あなた方の心の苦しみは、犠牲者の苦しみであり、また、あなた方のご先祖・ご家族の苦しみです。あなた方が秘密を墓場に持っていったところで、苦しみの連鎖はこの国をこれからも苦しませ続けます。あなた方の心にほんの少しでも良心が宿っているなら、取るべき行動は一つしかないはずです。



図1:三国峠に落ちていた御巣鷹山への案内板


図2:「お前など相手ではない」と威圧しながら、コソコソと付いてくるのは
   どういうことなのか?


図3:図2の工作員が使用していた車両。尾行が覚束ないのは歳のせいか?


図4:ここで教えているのは、国民に嘘を吐くノウハウなのか?


* * *


愛しきよし 我家の方ゆ 雲居立ち来も
倭は国のまほらま 畳づく 青垣 山籠れる 倭し麗し
命の 全けむ人は 畳薦 平群の山の 白橿が枝を 
髻華に挿せ 此の子

第十二代 景行天皇 御製


倭心無き防人は防人にあらず、即刻この国を去るべし。


御巣鷹の尾根の麓より
管理人 日月土


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