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『メソポタミア殺人事件』アガサ・クリスティー

2008年01月19日 | 推理小説
メソポタミヤの殺人 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 1-5))
アガサ・クリスティー
早川書房

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『メソポタミア殺人事件』アガサ・クリスティー(新潮文庫) 

 アガサの作品は私の母が全巻揃えています。
 ということでほとんど早川文庫で揃っているのですが、オリエントとかアクロイドとか有名どころは、当時海外翻訳ものといえばココと思われていた新潮文庫なのです。
 ですがご紹介するのは「早川ミステリー文庫」
 その理由は、

 本の表紙が面白いから

 真鍋博さんのイラストは読む前から様々な想像をかきたてた上に、
 読んだ後からなるほどとうなずいてしまうセンスいいデザインなのです。
 もしお暇があればこのブックカバーのシリーズを揃えてみてください。
 このブログでも可能なかぎり集めてみたいと思います。

 ということで、我が家では残念ながら真鍋氏のイラストではありません。
 なぜならこの『メソポタミア殺人事件』アガサの作品の仲でも代表的な作品だからです。

 アガサ・クリスティの一度目の結婚はかなり不幸なもので、とうとうアガサの失踪事件まで発展してしまったことはかなり有名な事実。
 結局アガサはこの最初の夫と別れて14歳年下の考古学者と結婚します。
 そしてこの結婚はかなり幸福な結婚で、アガサは夫の勤務地である発掘現場へと出かけ、そのときの体験を基に執筆した推理小説がこの『メソポタミア殺人事件』や『ナイルに死す』
 そしてかの有名な『オリエント急行殺人事件』なのである。

 この時代にこれだけも代表作が出、しかもほとんどオリエントの遺跡周辺というだけを見てもこの新しい夫はアガサにとって最高の夫だったのだと思う。
 まぁ、この時代、ヨーロッパの発掘家たちがオリエントの遺跡で何をしていたかという問題については、ここでは突っ込まないでおこう。言い出すとアガサの作品の中にある民族差別について言及していかなければいけなくなるからだ。
 そういう問題をとりあえず脇においておくと、この作品の中で登場する遺跡発掘の現場は現在でもおおむねこんな感じだ。
 私も学生時代、長野で発掘(縄文時代の墓地跡)活動に参加させてもらったが、こんな感じだった。
 日がな一日中発掘現場で発掘しているのではなく、発掘の様子を写真に取ったり、平面図やらを画いたり、発掘された品を洗浄したり、などなど発掘現場は発掘以外の仕事の方が忙しい。
 またどの仕事もそれぞれ非常に専門性が高いので、だいたい4,5人の小グループに分かれ、それぞれリーダーの指揮のもと動いていた。
 もちろん、宿泊場所の掃除や洗濯、食事の準備なども重要な仕事だ。
 私が参加した発掘現場は学生が行っているものだったので、夕食後には毎回その日の発掘の報告と概括なども行った。
 時にはお酒も入って真夜中まで喧々諤々と議論を戦わせている場面もよく見られた。
 発掘なんて全く華やかなものでも知的なものでもなく、
「ただの土方仕事やん!」
 だったけど、学生時代の思い出の中で一番幸福な思い出なことは確かである。

 さて、そんな和気藹々とした発掘現場に一人の異邦者が訪れる。
 その異邦者こそがこの「メソポタミア殺人事件」を執筆した看護婦である。
 彼女の記述によってこのメソポタミヤの発掘現場で起こった殺人事件のあらましが明かされていくのだ。

 と書けば、すでに「アクロイド」を読んだ読者はいきなり構えてしまうだろう。
 それはある意味で正解である。
 なぜなら事件の謎を解く鍵はすでにプロローグで用意されているのだから。

 とはいえ、私にはどうしても殺人の推移よりこの発掘現場の様子の方に興味が引かれた。
 何せ雰囲気が、私がお邪魔した発掘現場と同じなのだ。
 様々な国籍と過去そして素性を持つメンバーとか、様々な人間が出入りしている割には妙に閉鎖的で家族的だとか。
 だからか知れないけど最後の謎解きの時、妙に納得してしまった。
 「ああ、確かに」って。
 アガサがこの話を実際の発掘現場の雰囲気そのままで書いたのだということが、本当によく分かる。

 前々から、アガサの心理描写には卓越したものがあるが、これもそうである。
 特に「愛」の描き方がこの頃からさらに深みを増したような気がする。
 今までのアガサの作品が少女漫画的なら、この作品からは婦人雑誌的だろうか。
 読後になんとも言えない感慨が襲ってくるのもこの頃からだ。
 反対にトリックに関しては、エラリーを読んだあとだと、一発で分かってしまう。(冷静に考えると可能な人間は一人だけ)
 だが、アガサの真髄はそこではない。
 エラリーが悩んだ探偵の苦悩をひらりと飛び越えて、アガサの作品は登場人物の内面へとどんどん踏み込んでいくのである。


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