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創価学会学会員な彼女と非学会員な私。

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折伏合戦(3) - 結婚と信心

2006-07-03 03:36:17 | 折伏
彼女の父親は、

「娘の結婚相手には、信心していてもらいたい。」

と以前からおっしゃっていた。そして、私はそう言われる度に、

「信心しているからといって幸せになれるとは限らないんじゃないですか?」
「信心するという以前に大事なものがあるんじゃないですか?」

などと反論して来た。

さて、このような私と彼女の父親との間でのやりとりを、彼女の父親は、事前にAさんに多少伝えていたようだ。

話が進むにつれ、この、信心と結婚の話に話題は移っていった。

Aさん:「お父さんは、結婚するなら○○(私)さんに信心して欲しいと思っているんです。
   お父さんは経験上信心が良いものだと信じているから○○(私)さんにも勧めているんです。」

私:「(私に信心を勧めたいという)気持ちは理解できます。
 でも、信心をする、しない、で決めるというのは、私という人間を見てもらえてないように感じるんです。
 それに、信心しているかどうかで人を判断するようには私はなりたくないのです。
 信心することで、そのような考えになってしまうのであれば、信心したくないのです。」

Aさん:「でも、お父さんは、結婚相手の人には信心していて欲しいと考えているです。」
彼女の父親:「信心していないと、意見が違って苦労することがあると思う。
       娘には苦労して欲しくないから、結婚相手には信心していて欲しいと思うんだ。
       それに何か夫婦の間で問題があった時に、信心をして夫婦が同じ方向を向いていた方が解決できるんじゃないかと思う。」
私:「信心していないと結婚は駄目と言われると、信心をしていない私は○○(彼女)と結婚に値する人間だと思われていないと感じてしまいます。
   だったら、彼女とは別れた方が良いと思ってしまいますし、実際今までも別れようかどうか迷って来ました。」

Aさん、彼女の父親:「………」
私:「池田さんも一家和楽のためには家族の一人だけが創価学会員でも良いとおしゃっていますよね?
   池田さんのご家族も全員が創価学会の方ではないですよね?
   信心は無関係じゃないかと思うんですが、、、。」

Aさん、彼女の父親:「………」

話をしていて私は思った。

「(お互いの我侭を言い合っているだな。)」

お互いどこまで譲り合えるかの問題なのだろう。
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折伏合戦(2) - 結婚する決心

2006-06-27 04:13:02 | 日常
会館内に入ると、管理人らしき方が私達を会館の奥の方へ連れて行って下さった。

会館の奥の方にはテーブルが幾つか置いてあり、テーブルの脇に椅子が幾つか並んでいた。それらのテーブルの中の1つの横に壮年の男性が待っていた。私とお話をすることになっている相手の方である。一見すると良い感じのする壮年の方である。

お互いに自己紹介を軽く済ませ、私達は席に着いた。

話し合いが始まろうとした瞬間、彼女はトイレへ向かった。
どうも、この日、私に会う前までは(内容は良く分からないが)学会活動をしていたらしく、疲れているようである。眠そうで仕方なさそうだ。


そして、彼女不在のまま、遂に、話し合い(対話)が始まった。

相手の学会員の方(以降Aさん)は、開口一番、

「率直に聞きます。○○(私)さんは彼女と一緒になりたいんですか?」

とおっしゃった。

私は何と答えるか悩んでいた。

彼女と付き合い始めた当初なら、即座に「はい」と答えていただろう。
しかし、彼女や彼女の父親に「結婚相手には信心してもらいたい。」と言われた事のある私には、その言葉は出せなかった。「私よりも○○(彼女)のために信心するという人が他にいるのではないか。そういう人と○○(彼女)は付き合った方が良いのではないか。」とずっと悩んでいたからである。

そこで、私は、以下のように答えた。

「答えるのが難しいですね。私だけが(一緒になりたいと)思っているだけじゃ駄目ですし。」

我ながら、男らしくない言葉である。
しかし、このような事は第三者の方に相談する前に、彼女と私の間でじっくり話して行くべき事だと私は思ったので、意図的にお茶を濁したのである。


そうこうしていると彼女がトイレから戻ってきた。
Aさんは同じ質問を彼女にもぶつけた。

「○○(彼女)さんは○○(私)さんと一緒になりたいんですか?」

彼女は、

「えっと、、、」

と言い、顔を赤らめ、無言のままであった。
私の予想通りの彼女の反応である。
二人きりの時でさえ、「まだ、分からない」としか彼女は私に言ってくれない。
実際、分からないのだろうし、確信を持てないのだろう。
ましてや、恥ずかしがり屋の彼女が、第三者の初対面の人相手にはっきりとした答えを言える訳がない。

Aさんは言う。

「お父さん(彼女の父親)、まだ待った方が良いかもしれませんね。二人が一緒になろうと決心した後で信心の話をした方が良いでしょう。」

私は思った。

「(その信心する、しない、が決心を鈍らせてるんだけど。)」

私は彼女に信心を止めることを求めているわけではない。
信心していない私でも良いと言って欲しい、今のままの私を受け入れて欲しいのである。

非学会員の我侭なのかもしれない。
しかし、我侭を許しあいながら生きていけるような人間関係を私は望んでいるのである。
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折伏合戦(1) - 序章

2006-06-26 01:50:00 | 折伏
彼女の父親は私を創価学会に入会させたくてしょうがないようである。

先日も、彼女の父親は、私が他の学会員の方と話をする機会を作って下さった。この学会員の方は、私と似たような職業を生業としている方であった。私と話が合うだろうということで、彼女の父親が探して下さったのである。彼女の父親ですら初対面の人であるらしい。

今回は、この学会員の方との話し合い(対話?)について書いておこうと思う。


さて、彼女からは、

「○日(話し合いのあった日)は、一緒に○○でご飯を食べてから、○時に私の家に行こう。」

と言われていたので、当日、レストランで待ち合わせて彼女と一緒に食事を取り、彼女の家に向かった。彼女の家を訪ねると、彼女の父親と母親が居り、時間になるまで雑多な話をしていた。

私は彼女の家で話し合うのだと思い込んでいたのだが、よくよく聞いてみると、創価学会の会館で話し合うことになっていたようである。前もって言って欲しいと思ってしまった。彼女にそのことを告げると、

「何も言ってなかったっけ?ゴメンね。」

だそうである。

何はともあれ、彼女の父親の運転で、彼女と私は創価学会の会館へ向かうことになった。彼女の家を去る際には、彼女の母親に、

「せいぜい反論してきておいで。」

と笑顔で言われ、

「はい。」

と私は笑顔で答えて、私は彼女の家を後にした。


道に迷ったりして、多少約束の時間に遅れたが、何とか会館付近に着いた。そこで、彼女と私は先に車を降り、会館に向かった。一方、彼女の父親は車を駐車場へ停めに行った。

彼女の父親よりも一足先に、彼女と私が会館の前に行ってみると、会館は暗く、正面にある敷地への入り口の鍵も閉まっていた。まるで休館している図書館のようであった。仕方がないので、会館の周りを見渡していると、鍵の開いているところがあり、彼女と私はそこから会館の敷地内へ恐る恐る入って行った。

「何か泥棒みたいだな。」

と、私が独り言のように呟くと、

「そうだね。」

と彼女も頷いた。

彼女と一緒でなければ、、、外部の人間である私だけだったら、、、怪しまれていたに違いない。私一人で会館に入ろうとすること自体有り得ない事であるが。。。


そして、会館の敷地へ入ると、管理人らしき方が現れ、

「待ち合わせをしている人?」

と彼女と私に尋ねてきた。最初は意味が良くわからなかったのだが、話を聞いていると、どうも、通常、この時間帯には会館は閉館(?)しているのだそうだ。私達が話し合いをするということで、わざわざ会館を空けてもらったようである。

何か悪いな、という気持ちが私の心の中で生じていた。
そう思う自体は悪いことではない。
しかし、この感情を話し合いまで引きずっていてはいけない。
対等な立場で自分の意見が言えなくなるからだ。

ところで、話は逸れるが、会館が閉館している間は警備システムが動作し、会館にはロックがかかるらしい。どうでも良い事ではあるが、結構ちゃんとセキュリティ対策をしているのだなと思ったのと同時に、お金を掛けているのだなと感じた。

さて、管理人らしき方(実際にはそうではない)と話をしていると、彼女の父親が私達に追いついてきた。彼女の父親も何処から入るのか迷ったらしいが、結局、私達と同じところから、こっそり敷地内へ入って来たらしい。


そして、管理人らしき方と軽く話しをした後、ついに、私と彼女と彼女の父親は、話し合いの場である、会館の中へと入って行ったのである。
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「頂きます」という言葉

2006-06-22 03:11:01 | 日常
日本では、ごはんを食べ始める時には、両手を合わせて「頂きます」と言う習慣がある。私も子供の頃から、両親に「頂きます」と言うようにと厳しく言われてきた。

ところで、この「頂きます」という言葉には、

「私の命のためにあなた(調理のために命を失った生物)の命を頂きます。」

という意味があるそうだ。深くて良い言葉だと私は思った。

他の生命の犠牲があるからこそ私は生きているのである。
命を尊ぶことを忘れないように「頂きます」という言葉とその原意を忘れずに大事にして行きたいと思う。
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畜生?

2006-06-19 02:33:45 | 折伏
今日、折伏大会(?)のようなものがあり、私も誘われ行ってみた。

主に、支部長の方とお話をしていたのだが、その席には、彼女の妹、母親、彼女もいた。

この方達との会話(対話というべきか?)の中で次のようなことを話しているときがあった。

支部長:「狐や鰯の頭に祈っていてもしょうがないんですよ。狐というのは畜生の1つです。畜生に対して祈っていても、畜生のような表情になるだけなんです。」
私:「狐は畜生なのですか?」
支部長:「はい。」
私:「命を持ったもの全てに畜生だとか区別はないと思います。」
支部長:「祈ることができるのは人だけなのです。畜生は祈ることができないのです。」
私:「人以外の生物は祈る事が本当にできないんですか?勝手に祈れないと思っているだけじゃないんですか?」
彼女の妹:「祈れるって証拠があれば別だけど。」
私:「(祈れないっていう証拠もないんだけど、、、)...」(心の中で)
私:「人を含めて、生きている物の命に畜生だとかの区別はないと思います。」
彼女の妹:「命には差はないけど、境涯の少い、多いの違いはあると思うよ。」
私:「生き物によって境涯の差とかは無いでしょう。」
彼女の妹:「あると思うけどなぁ。」
私:「境涯や何かで生き物に差を付けて考えるのは間違っていると思います。そういうような考え方しかできないなら私に創価学会は必要ありません。」

かなり、私も暴走した一日だった。
しかし、私の言いたかったことは、人間の物差しだけで他の生き物の命を測って欲しくないということであった。
疲れた一日だった。

#それにしても、日本代表には一点取って欲しかった。
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胸に突き刺さる言葉

2006-06-17 04:38:58 | 日常
去年(2005年)の10月頃、私は、彼女に別れを持ち出した。

その時彼女に言われた言葉で、私には心に引っかかっていたものが幾つかある。

「結婚する相手が信心をしてもらわないと私(彼女)は幸せになれないと思う。」
「私のために信心してくれないのは、私(彼女)がその程度にしか思われていないと感じちゃう。」
「○○(私)とは、とりあえず付き合ってる。将来どうなるか分からないから。」

上記の全てが当時の私にとっては重い言葉であった。
彼女との付き合いを今まで続けていたものの、これらの言葉がいつも私の心の中で響いていた。

さて、今日、

「こういうことを○○(彼女)に言われたことが気になってて、これから○○とどうした方が良いんだろうって悩んでる。」

と彼女に伝えてみた。すると、

「そんなこと言ったっけ?」

というあっけらかんとした答えが返ってきた。
そう、彼女はそういう人なのであった。
しかも、私が耳にして鵜呑みにしていた彼女の言葉と彼女の意図は違うところにあったのだそうだ。

「別に○○(私)が信心する事と○○と結婚する事とは別問題だよ。別に信心してないといけないって訳じゃないよ。」
「『とりあえず』って言ったのは、どうでも良いって訳じゃなくて、結婚してないからとりあえずって言っただけだと思うよ。」

半年近く悩んだ私が馬鹿だったのである。

なお、彼女の名誉のために書いておくが、彼女の本心から言った言葉を彼女はちゃんと憶えている。しかし、とりあえず言ってみた言葉は綺麗さっぱり忘れてくれるのである。
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無宗教の人は信用できない?

2006-06-09 22:07:29 | 折伏
昨日、座談会に誘われたので、懲りずに行ってみた。

座談会では、ゾーン長(もしくは、地域の偉い○○長)の方がいらっしゃり、色々とお話しされていた。また、私は座談会終了後、ゾーン長と一対一でお話しする機会があった。

その話の中で、次のような事をゾーン長の方はおっしゃった。

「欧米諸国の宗教を信じている人の中には、無宗教の人を信用できないという人もいます。
宗教とはそれくらい(人の信用度を決める)重要なものなのです。」

信仰することが重要であるということがおっしゃりたかったのであろう。
このゾーン長だけでなく、創価学会の方は同様の事をおっしゃる。

しかし、宗教や思想の違いで私は人を信用するかどうかを決めたくはない。
その人の行動や発言を基に、その人を信用して良いかどうかを私は決めたいし、そうしてきた。

宗教を信じることで、無宗教の人を信用できなくなるのであれば、宗教は私にとっては必要ない。

ゾーン長のような言葉を聞く度に、私は信用されていないのだな、と感じ、悲しくなるのである。
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乗り越えられない壁

2006-06-05 02:35:04 | 折伏
最近、仕事が忙しくなり、blog を書いていたことすら忘れかけていた。
文章を書くのが苦手なことも幸いし(?)、かなりの間、更新するのをサボってしまった。
ちょっと思い出したように、再び、書き出してみようと思う。


創価学会員である彼女とはまだ続いている。

彼女の家族や他の学会員の方に折伏を受けた。会合にも行ってみた。座談会にも行ってみた。副会長と呼ばれる方と話す機会を彼女の父親が作って下さったので、副会長の方にお会いしてお話もした(なお、副会長という方は、組織図的には会長の直下にあたる方なのだそうだが、全国に複数人いらっしゃるようだ)。

しかしながら、私は信心する気にはなれなかった。

誰一人として、私の考えを覆すような方はいなかった。

学会員の方は言う。

「自分の力で乗り越えられないような人生の壁に出逢った時に信心で乗り切ることができるんですよ。
 ○○(私)さんはそういった壁に出逢った事がないんですよ。」

私は思う。

自分一人の力では乗り越えられない壁もある。
そういう際に支えてくれるのは、友人であり、家族ではなかろうか。

人によっては支えとなるものが宗教であるかもしれない。
しかし、1つ宗教が全ての人の支えになるとは限らないのではないか。

「死」という壁もある。
いつしか誰もが遭遇する壁である。
しかし、その壁に遭遇するまでは、私は人生を全力疾走で駆け抜けたい。
最期の壁にぶつかって倒れる際にも、私は前向きに倒れたい。

P.S.

コメントを下さっていた方々、御返事できずに申し訳ありません。
また閲覧して頂けた際にはコメントして頂けたらと思います。
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三連休

2006-01-11 02:02:03 | 日常
成人の日もあり、今年は7日、8日、9日と三連休になった。久々に仕事以外でいろいろとする事ができた連休であった。

まず、7日は、私の職場の同僚(女性)とその彼氏、及び、私の彼女の4人で食事を取る事になっていた。所謂ダブルデート(古臭い?)である。いつも私と彼女は二人きりで食事をする事が多かったので、私も彼女も楽しみにしていた。

さて、ダブルデート(オヤジ臭い)の前に時間があったので、彼女と喫茶店で待ち合わせ、一緒にコーヒーを飲んで時間をつぶす事にした。どうでも良い事を彼女と喋っていると、すぐに約束の時間が近づいて来たので、レストランの方に移動した。

私と彼女がレストランに着いてから、しばらくたった後、私の職場の同僚がやって来た。同僚の彼氏は来ていなかった。同僚の彼氏は急な仕事で来れるかどうか微妙になってしまったようだった。

結局、私と彼女と同僚と3人だけで食事をすることになった。

食事を始めて、しばらくすると、私の同僚が私と私の彼女に質問攻めを始めた。どうやって知り合ったのか、どうやって付き合い始めたのか、お互いの良い面は何なのかといった質問をしてきた。アルコールも入っており、主婦の方達の井戸端会議的な様相を呈していたが、面白可笑しく時間を過ごす事ができた。私の彼女も同僚も楽しく過ごせたようで、何よりである。

ただ、私の同僚が、私の彼女に、私の良い面は何処かと聞いた際に、

「改めて聞かれると、、、」

で、彼女の返答が止まってしまったのには、ちょっぴり凹んでしまった。彼女にとって私の良い面というのは何なのだろうと思ってしまった。やはり、創価学会に迎合するような行動だけしか、彼女にとっての良い事にはなり得ないのかもしれないと思ってしまった。考え過ぎなのかもしれないが、そういう考えが拭い切れないのである。

このようにして、少し私の胸にもやもやしたものが残り、三連休の一日目は終了したのである。
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帰省

2006-01-11 01:30:14 | 日常
今年は、大晦日から元日辺りには、彼女と彼女の家族と過ごしたので、少し遅れて実家の方に帰省することにした。実家と私の自宅は離れているので、あまり気軽に帰省はできない。帰省するのはいつも正月や盆くらいなものである。

さて、実家に私が帰省すると私の母はこう言った。

「スキーに行きたい。」

私の母はもうかなりの歳である。スキーするような年齢ではないだろうと私は思った。実際、母の同年代の友達は「体が言う事を聞かない」と言って、母と一緒にスキーに行ってくれないのだそうだ。それはそうだろう。還暦間近の年齢である。

私は親孝行だと思い、母と一緒にスキー場へ行く事にした。そして、宿の予約を取り、母をスキー場に連れて行くことになった(連れて行かれたというべきか)。なお、私の父は、スキーもスノーボードもしないため、実家でお留守番という事になった。どこの家庭でも父親はこのように取り残される存在なのだろうかと思うと、少し、寂しい気持ちになった。誘ったのだが、それでも私の父は実家で留守番をすると言った。

昼頃、スキー場に着くと、母はスキーを、私はスノーボードを取り出し、夕方まで個々人でずっと滑っていた。

やはり、大自然の中で行うスポーツをすると心も体もスッとする。日常の事を忘れ、ひたすら私は滑っていた。何も考えずに体を動かすと、やはり気持ちが良いのである。母の気分転換にもなればなと私は願っていた。


久々にちょっとだけ親孝行ができたかなと思える今回の帰省であった。

なお、実家から私の自宅に帰る際に、飛行機が雪のため欠航になってしまった。そのため、夜行バスで帰る羽目になってしまった。かなり体力的に厳しいバスであった。雪で困っている人が他にいないことを祈るばかりである。
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