腹話術人形けんちゃんの日記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

50時間のバスの旅で死にそうになる(1986年)・2017年5月15日(月)

2017-05-15 08:23:39 | 日記
 心地よい秋風が吹く1986年10月3日の午前11時30分に、那覇空港を飛び立った中華航空機が台北、シンガポール経由で、

赤道を超えてジャカルタに到着した。夜の10時でした。

 翌日は、今回の目的地であるスマトラ島のパダンに向けて出発した。

大学の学生の時に読んで感動した小田実の[何でも見てやろう]に少しでも近づこうと乗合バスに乗った。

その時は50時間も乗ることになるとは想像もしていなかった。

 外国人は私だけで現地の人で満席だった。その中に小さな子供を連れた若い母親がいて50時間もの間、疲れた様子もなく、

たんたんと子供の世話をしている姿に感心した。

 私は、きつくて、立ったり、座ったりした。全然眠れなくて非常に疲れた。

道路は舗装されていたが、前からバスがくると、やっとすれ違える狭さである。乗り心地は良くなかった。5時間走って40分の休憩を繰り返す。

 休憩の時に小さな子供が群がって来て靴磨きをせがむ。100ルピア(当時のレートで日本円の20円)を払う。

どんな小さな村にも必ずモスク(イスラム教の礼拝所)があり、信者達が跪いて祈っている。

 トイレには、チリ紙はなく、水が貯められていて、空きカンが置かれている。入口にPRIA・WANITAと書かれている。男と女を意味する。

トイレは休憩時間に利用する。

バスの中でジャカルタでの技術研修からの帰りの人と親しくなった。インドネシア語を教えてもらった。

Campur(チャンプルー)とgeleng geleng(ゲレンゲレン)という言葉があって、混ぜると気違いを意味する。

 ジャカルタを乗合バスで出発して50時間後に目的地のパダンに着いた。死ぬほど疲れた。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 沖縄~長崎~上海~南京~北... | トップ | デール・カーネギーの言葉・2... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL