心を癒す聖書の言葉 ~ 足立花畑キリスト教会ブログ ~

心が疲れてしまったあなたへ、聖書の言葉をお届けしたい… そんなブログです。

キリスト教葬儀の本を書きました

2024年11月02日 | ◆聖書の言葉
足掛け九年という、ほんの少しの間でしたが、携わらせていただいたキリスト教葬儀。そこには必ずと言っていいほど、キリスト者としてこの地上を生きた方の、確かな証しがありました。召されたキリスト者一人ひとりの葬儀での証しは、地上の人生を見据えながらも永遠の御国への希望を掲げるとと同時に、今を生きることの大切さを遺された者に語りかけているようでした。それは、召された方一人ひとりの「いのちの遺言」と言えるでしょう。『主はその母親を見て深くあわれみ、「泣かなくてもよい」と言われた。そして近寄って棺に触れられると、担いでいた人たちは立ち止まった。イエスは言われた。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」(ルカの福音書7章13-14節)』 著書『いのちの遺言』イーグレープ刊・2023.9.30発行より

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犬に気をつけて

2024年10月10日 | ◆聖書の言葉
『どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。』(ピリピ人への手紙3章2節)。パウロはイエス・キリストの福音だけでは救われないと主張するユダヤ人たちを「犬」と呼んでいてちょっとびっくりです。彼ら律法主義的なユダヤ人たちはイエス様の十字架と復活を信じる信仰だけで救われるのではなく、救われるためには割礼も必要だと主張しました。それでもそんな彼らの多くはそれを悪意からそう発言したのではなかったでしょう、悪意からと言うより彼らはかつての教えからアップデートできていなかったのです。携帯電話もパソコンもそうですがアップデート、バージョンアップは前のバージョンがあってこそできます。ですからまったく前のバージョンがインストールされていなければアップデートはできません。旧約聖書の知識があって新約聖書へのバージョンアップ、アップデートができるわけですから彼らの律法主義や宗教的伝統も、決してすべてが無駄なものではありませんでした。しかし時至って神は、イエス・キリストを通してその律法主義からイエス様の十字架と復活による救いへと私たちを導かれたのです。

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眠れない夜には

2024年09月08日 | ◆聖書の言葉
三浦賛美(みうらさみ)さんのコンサートに行ってきました。彼女のYouTubeは自分のいのちを大切に思えなくなってしまっている若者の心に、そのままの今のあなたを大切に思ってくれている神がいることを、さりげなく飾り気なく優しく語り掛けています。辛くて眠れない夜、さみさんの賛美歌を通してひとりでも多くの人が、自分のいのちの大切さに気づいて欲しいと祈りました。

YouTube「眠れない夜には」三浦賛美

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復活のイエス様と最初に出会った人

2024年08月05日 | ◆聖書の言葉
イエス様が十字架にかけられ墓に葬られ、弟子たちが皆「もう何もかも終わりだ」と失望のどん底にいた時、イエス様の復活の事実を最初に彼らに伝えたのは、他の誰でもなく罪深き女と言われていいたマグダラのマリヤでした。私たちはその事実をけっして小さく見積もってはならないでしょう。かつては自分の罪深さに苦しみ、人目さえ避けて生きてきたマグダラのマリヤ、彼女がもしパリサイ派の者に近づいていったら、きっと彼らはあわてて長服を手繰り寄せて遠ざかったことでしょう。でもイエス様はそんな彼女に復活の最初のお姿を現してくださったのです。『マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。』(ヨハネの福音書20章18節)

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それでも人生には意味がある

2024年07月09日 | ◆聖書の言葉
私たち信仰者にとっての備えとは何でしょう。それはやがて訪れる七年の患難の時も決して悪に屈することなく、イエス様にあって信仰を手放すことなく、堅く信仰に立ち神の御国へと携え揚げられる為の備えです。『むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。』(ペテロの手紙第Ⅰ- 4章13節)最後の裁きの直前の七年の患難は、今あなたがそして人類が経験している苦難、困難、災難を遥かに超えるものです。でもその時、あーあの苦難を私はイエス様への信仰によって乗り越えてきた、あー私はあの困難に打ち勝ってきた、あー私はあの災難だって教会で共に祈り、そして超えてきたではないかと思い出す時、それはあなたの信仰の力として、あなたを必ず助けることになるでしょう。それはこの地上の人生においては辛いことであることに間違いはありません。でも私たちは「なぜ私の人生にはこんなにも苦難、困難、災難があるのか」と考えるのではなく、この苦難、困難、災難には、どんな意味があるのだろうかと考えることが必要なのです。「夜と霧」を書いたヴィクトール・フランクルは、ユダヤ人としてナチスの強制収容所で妻と両親の命を奪われた後に『それでも人生には意味がある』と語りました。今あなたが経験している苦難も、困難も、災難も、それはやがてすべての人に訪れる患難を、あなたが乗り越える為のものである、とあなたが知る時、私たちは本当の意味で、今、自分の目の前にある苦難、困難、災難に対して、勇気を持って立ち向かうことが出来るのです。

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