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道(真理)の実践


孔子・論語に、その時と場所を伝える聖なるメッセージ

2017-03-06 13:35:40 | Ray Nitchie Eldred

Ray:儒教の「儒」と云う字は、水にぬれた子どものようにしっとりとした思いで、動かず何かを当てにして待つ人、の会意があります。日本の「鎮守」や「侍」に通じる人生観を感じさせますが、孔子が論語に秘めた儒教の本質はまさに「道徳復興」のその「時」でした。

真理の探求は、古代から引き継がれる人類のライフワーク

人類にとってもっとも重要な真理の伝承がどのように刷り込まれているかをご紹介いたします。この例も、“かごめかごめ”のように解釈に諸説があります。

1、 孔子「論語」二十篇の前半十篇(古来より解釈が難解と言われ、それだけに注目されてきた編)

色斯擧矣、翔而後集。曰、山梁雌雉、時哉、時哉。子路共之。三嗅而作。

漢学者の解釈の一例

[書き下し文]色斯きて(おどろきて)挙がり、翔りて(かけりて)而して後集まる(とどまる)。曰く、山梁(さんりょう)の雌雉(しち)、時なるかな時なるかなと。子路これに共えば(むかえば)、三たび臭げて(はねひろげて)作つ(たつ)。

[口語訳]雉が人間の気配に驚いて突然飛び上がる、ぐるぐると飛び回ってから木に止まった。先生がおっしゃった。『山の橋にいる雌(めす)の雉(きじ)は、時機を心得ているな、時機を心得ているな。』と。子路が雉に近づいていくと、三度羽ばたきしてから飛び立っていった

[解説]人間が接近すれば飛び去って逃げ、木に止まって安心できれば動かない。雌の雉の俊敏な動作を観察した孔子が、『臨機応変な身の処し方』に感嘆した場面であろう。『あの雉は、時宜というものを知っている』と感慨深く雉を見ていた孔子だが、そんな孔子の内面も知らずにずかずかと豪胆な子路が近づいていった為に雉は飛んで逃げてしまったのである。


この郷党篇は、これまでは孔子の実践生活を記録してきたのに、この章のみが性格の違った記録で、なぜそうなのか、そのことがまず理解できず、さらにその内容が難解で、脈絡も不明で訳しても意味が読みとれず多くの学者を悩ましてきました。

孔子は晩年になって易をたてることが多く、東海の蓬莱島(日本)へ行くべき時期、日の出る国日本へ行く時を占っていました。その意義と目的がこの編に刷り込められていますが、もし、この30年来のように各宗教や哲学の情報、あるいはスピリチュアルメッセージや科学的な進歩によるニューエイジの知恵がなければ、このような解釈にはいたらなかったと思います。そして、これによって孔子と言う聖人の深遠な叡知の一端が伺うことができました。“かごめかごめ”童謡と同じように、その人だけに伝える暗号として、宇宙の圧縮起爆剤となってほしいと思います。

色斯擧矣、翔而後集。曰、山梁雌雉、時哉、時哉。子路共之。三嗅而作。

色斯擧矣、翔而後集

」は仏教の「色即是空」の「色」で森羅万象・万物を意味します。その欲に満ちたこの世の中で最も大事なものをもちげれば、天にびあがる(天にも登る心地)ようで、それはに、喜びと共に天国にまるかのように、この地上で現実になります。・・・ちょうどこれから体験するように、体をもったまま次元上昇する境地、即身成仏のことを表現しています。

曰、山梁雌雉、時哉、時哉:

山梁(山と山の尾根の左右の両岸に支柱を立て、その上に高く架けた木の橋)に止まっている尾根から尾根へ渡ろうとする、ちょうど現在人類が立っている位置、3次元から5次元へ昇華しようとしている様を写しだし、さらに「そのがきたら、そのは今だ」と雉の高らかな鳴き声が聴こえてくるようです。矢のように真っ直ぐ飛ぶ鳥を比喩して、その時は的を射なければならないことを聖託しています。因みに日本の国鳥は雉ですが、2012年から全国各地の山裾で雉が鳴くのが目立ち、ネット上でも多く伝えられました。雌の雉が創造の時の始まりである女神に象徴される和合の時代であることを伝えています。

子路共之、三嗅而作:

釈迦は十大弟子の摩訶迦葉ただ一人に真理を伝授しました。ここでは同じように孔子も「子路」と言う弟子にだけこの道を伝授したので、これを子路と共(静かに保った)にしたと言う意味になります。

そして、その時期が今の時期であることを伝えるため、「三嗅而作」の「」で現しました。それは三期といい、第一期は青の時代、伏儀時代(メソポタミア国家の時代)から商の太丁(ミケーネ・トロイが滅亡してギリシャ世界成立時)までの1886年間、第二期は赤の時代、周公から清の末期(紀元1900年・明治の中頃)までの3000年間、そして、第三期は今から未来10800年間を言います。この「三」はキリストが復活すると言う今の時期を言い、当時3日後と言ったのは奇跡の現実性を高め、信者を引きつけるための真実の封印でした。

また空海も唐に渡り慧果(けいか)という阿闍梨(師)を尋ねましたが、まだ縁が充ちず道が得ることができませんでした。辞世の句で弥勒の再来(三度目の生まれ変わる時)を待つと言い遺しました。道教・儒教・仏教の三教に通じれば「三」が青・赤・白の「三期」であることは当然知っていました。四国に八十八の札所を設けたのがその証になります。因みに赤の時代は、橋の色、神社の鳥居、寺院の柱や婚姻の衣装などみな赤でした。今はその三期目の白の時代の始まりの時にあたります。

次に、「」と言う字は、「鼻」という字の上の「自」と「犬」という字を下にして左に「口」と書きます。原辞書には、犬の臭覚の管は極細いため匂いを嗅ぎ分けることが出来る意味とあり、この一字は、鼻の微妙な針の穴のような「口」である、と解くことが出来ます。これは釈迦が弟子の摩訶迦葉にこの法灯を伝え「吾に正法眼蔵あり、涅槃の妙心、実相無相にして微妙の法門、不立文字、教外別伝、粘華微笑、玄嚢鼻直、これを摩訶迦葉に附嘱す。」と伝えた「玄嚢鼻直」の「鼻の真直ぐ上の玄なるところ」の意味は、まさに「嗅」という一字に当たります。そしてその時に「」、そのことを成し遂げる。そのこととは今まさに人類が対峙している所のこと、目前にしていることの真髄です。

3000年前から論語の中に組み込まれていたコードから,“かごめかごめ”のわらべ歌に秘められているように、日本にある「失われたアーク」が「真理」を護りながら、京都の祇園祭をはじめとする日本中のお祭りの神輿行列を楽しむ人々の調和に満ちた晴れやかな顔が、世界の平和に貢献してゆく姿を思い浮かべます。

Ray:諏訪湖のほとり、長野県岡谷市の市庁舎のホールに日本の国鳥の雉が天空を舞う絵が展覧されています。(題:惜春 作 杉原元人) 偶然はないと言われるように御柱の御膝元、諏訪で其の意義を知られる日を待つこの絵が、市庁舎を訪れる人々に気づかれる日が近いのではないでしょうか。孔子が発した天機の時、3000年の時を超え、日本のこの地から全国の八百万の鎮守の森に聖なる雉の澄み切ったなき声が響き渡っているように感じます。雉の背中に一輪の桜の花弁が見えます。

2016年12月14日撮影

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