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金正男の“友人”が初告白「キムちゃんは金正恩にも同情していた」

2017-04-24 11:09:56 | 軍事産業・ブッラク企業・巨悪医療・秘密結社

週刊SPA! 4/22(土) 9:00配信

 衝撃の暗殺事件から約2か月。故・金正日総書記の長男にして、金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄である金正男氏の遺体が3月末には北朝鮮へ移送された。この事件で現在、訴追されているのは、実行犯であるベトナム人女性とインドネシア人女性の2人のみ。国際刑事警察機構(インターボール)は北朝鮮国籍の4人を指名手配しているが、事件当日に北朝鮮に帰国したとみられているだけに、今後も逮捕される可能性は低い。事件の真相は、遺体の搬送とともに闇に葬り去られようとしているのだ。

⇒【写真】金正男のプライベート写真の数々

 こうした状況に怒りを隠さない人物がいる。シンガポール在住の中国系ビジネスマンのA氏だ。今回、金正男氏との思い出の写真を数多く提供してくれた人物でもある。

「なぜ、あんな気のいいヤツを平気で殺すのか……」

 そう話すA氏は「北朝鮮のロイヤルファミリーとしての彼でなく、友達の“キムちゃん”の素顔を多くの人に知ってほしい」と重い口を開いた。そこには、今まで語られることのなかった金正男氏の姿が……。

◆「キムちゃんは金正恩にも同情していた」

 息子・ハンソル氏との2ショットに、刺青を見せながらポーズを取る写真、とぼけた自撮り写真……。シンガポールに住む中国系ビジネスマンのA氏が見せてくれた写真の数々は、知られざる金正男氏の素顔を誰よりも饒舌に語っていた。

「子煩悩で父(金正日総書記)を尊敬し、人種問わず人が好きだった」

 こう話すA氏と金正男氏との出会いは、5年ほど前のシンガポール。バーで隣に座ったことが、親交を深めるきっかけになったという。

「『本物かな?』とチラチラ見ていたら目が合った。それで、『一緒にどうですか?』と声をかけたのが最初でした。何杯か飲んだところで、彼は『連絡先を教えて』『写真を撮ろう』と言ってきました。そのガードの緩さから、『別人か』と思ったことを覚えています。交換したメッセンジャーアプリの名前も『Kim F』だったので。翌日には、律義に『昨日は楽しかった。また飲もう』というメッセージをくれました。『いつでも!』と送ったら、すぐに返信が来て今度は2人で飲むことに。酔っぱらった彼が『おれは北朝鮮のロイヤルファミリーで』と話し始めたときは、驚いて噴き出しそうになりました(笑)」

 以来、A氏は金正男氏がシンガポールを訪れるたびに、一緒に飲み明かすようになったという。

「彼は『金正男』であることを全然隠しませんでした。かといって、偉ぶったりもしない。だから、慕う友達が多いんです。一度だけスイスのインターナショナルスクールに留学していた頃からの友人も紹介してもらいました。投資銀行などで働くエリートばかりでした。日本人の友達も多く、みんなに『キムちゃん』と呼ばれていたので、自然と私もそう呼ぶようになった。彼のおかげで私にも日本人の友達が増えたんです。友達みんなで彼のために誕生パーティを開いたこともあった。そういうときの彼はだいたい、パーティグッズなどで妙な格好をさせられていました。みんなで服を脱がせたりもした。すると、彼は刺青を見せながらポーズを取る。聞いたら、マカオで刺青を入れたようです」

◆金正男鉄板の宴会芸「ジョンナムスタイル」

 一時は故・金正日総書記の後継者としても名前が挙がっていた金正男氏。だが、シンガポールでの彼は単なる「底抜けにフレンドリーな男」だったという。それを如実に示すのが、彼ならではの“宴会芸”。

「カラオケに行くと、『ジョンナムスタイル』を歌い出す。韓国のPSYの大ヒット曲『江南スタイル』の替え歌です(笑)。乗馬のポーズで踊りながら、オッパ、ピョンヤンスタ~イルと歌っては大爆笑をとっていた。お決まりのギャグもありました。酔っぱらった彼は誰かれ構わず、『ヘイ、ブラザー』と絡むのですが、それを周りの人たちが『お前のブラザーは北にいるだろ!』とツッコむのです」

 A氏はマカオを訪れ、息子のハンソル氏とも酒席を共にしたことがあった。

「ハンソル君がいると、彼は少しだけ大人になる。少し偉ぶったりもする。ハンソル君に『たまには女でもひっかけてこい』って、無理やりナンパさせたこともありました(笑)。ご存じのように、彼にはほかにも2人の子供がいますが、人一倍ハンソル君をかわいがっていました。彼が亡くなってしばらくして、ハンソル君がネット上に動画をアップしましたが、たくましく育った彼を見たときは涙が止まらなくなりました……」

 大勢と酒席を共にするときはご機嫌だった金正男氏だが、時に深刻な表情を浮かべることもあったという。

「’13年に叔父の張成沢(当時の北朝鮮No.2)が殺されたときは沈んでいました。かといって政治的な話を突っ込んですることはできなかった。彼も詳しく話そうとはしないんです。話したら、危害が及ぶ可能性があると考えていたのかもしれない。だから、人前では常に明るく振る舞っていました。『暗殺を恐れた金正男は正恩に命乞いの手紙を送っていた』という報道もありましたが、私にはそれは信じられない。決して、弱音を吐くようなことはなかったので」

 A氏が知る限り、暗殺に怯える様子はなかったという。シンガポールでは常に一人で行動し、飲んだあとはタクシー乗り場で一人、行列に並んでいた。一方、金正恩朝鮮労働党委員長に同情的な言葉もたびたび漏らしていたという。

「たまに北朝鮮の話になると、決まって『俺は恵まれている』って話すんです。『父(金正日)がスイスに留学させてくれたから、世界を知ることができた』と。その一方で、正恩については『かわいそうだ』と。『北朝鮮しか知らずに育ってしまったら、“ああいうふうに”振る舞わざるをえない。かといって、北からは出られない。俺も同じ立場になっていたかもしれないと考えると、正恩のことは悪く言えない』と真面目な顔で話していました」

 今回、A氏が見せてくれた写真の金正男氏はいずれも陽気な笑顔を浮かべていた。スイス、マレーシアなどを訪れている際にも、A氏には頻繁にメッセンジャーアプリでとぼけた自撮り写真を送ってきたという。

 ただし、金正男氏には別の顔もあった。同じくシンガポールで親交を深めた別の人物は「スイス、マカオでのマネーロンダリングが彼の仕事の1つだった」「キム・チョルなどの名前で3つのパスポートを持っていた」などと話すのだ。大の日本贔屓としても知られ、日本でも妙に人気のあった金正男氏。彼は一体いくつの顔を持っていたのか……?

【“人質外交”で金正男氏の遺体を引き取った北朝鮮】

暗殺事件後、北朝鮮はマレーシア大使館員とその家族9人の出国を禁止。自国民が人質に取られたため、マレーシア政府は遺体の北朝鮮への搬送と北朝鮮人の出国を許可せざるをえない状況に追い込まれた。棺が載せられた便には、事件に関与した疑いがかけられている北朝鮮大使館の二等書記官や高麗航空の職員らも乗っていた……

<取材・文/日刊SPA!取材班>

日刊SPA!

最終更新:4/22(土) 9:00

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