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道(真理)の実践


日本の2つの五稜郭~それは諏訪から函館へ白羽の矢が的を射る構図

2017-07-16 23:04:21 | 超古代・アトランティス・ムー・縄文・先住民・諏訪・御柱・カゴメ

長野県佐久市と北海道函館、長野県の諏訪湖の御柱の2つの柱、白羽が的をいるようにその新しい時代の門戸は、21世紀の聖地北海道を指し示しています。人類1万3千年の巡礼は真理の探求です。

1、長野県佐久市の龍岡城

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龍岡城
長野県
龍岡城五稜郭[1]
龍岡城五稜郭[1]
別名 龍岡五稜郭、桔梗城
城郭構造 稜堡式
天守構造 なし
築城主 松平乗謨(大給乗謨)
築城年 1864-1867年
主な改修者 なし
主な城主 大給松平氏
廃城年 1871年
遺構 櫓、石垣、土塁、堀
指定文化財 国の史跡
位置 北緯36度11分45.83秒
東経138度30分5.58秒

龍岡城(たつおかじょう)は、長野県佐久市田口にある日本の城跡。幕末期に築城され、龍岡藩(田野口藩)の藩庁が置かれていた。日本に二つある五芒星形の西洋式城郭のうちの一つであり[2]、もう一つの西洋式城郭である函館の五稜郭との対比から龍岡五稜郭、あるいは桔梗城とも呼ばれている。国指定の史跡

 

 2、函館の五稜郭

五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府により蝦夷地箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された稜堡式城郭である。同時期に築城された長野県佐久市龍岡城も稜堡式城郭であり「五稜郭」と呼ばれるが[1]、単に「五稜郭」といえば函館の城郭とする場合も多い[注釈 1]

予算書時点から五稜郭の名称は用いられていた[3]が、築造中は、亀田役所土塁(かめだやくしょどるい)[4]または亀田御役所土塁(かめだおんやくしょどるい)[5]とも呼ばれた[注釈 2]。元は湿地ネコヤナギが多く生えていた土地であることから、柳野城(やなぎのじょう)の別名を持つ[6]

五稜郭は箱館開港時に函館山の麓に置かれた箱館奉行所の移転先として築造された。しかし、1866年(慶応2年)の完成からわずか2年後に幕府が崩壊、短期間箱館府が使用した後、箱館戦争旧幕府軍に占領され、その本拠となった。明治に入ると郭内の建物は1棟を除いて解体され、陸軍の練兵場として使用された。その後、1914年大正3年)から五稜郭公園として一般開放され、以来、函館市民の憩いの場とともに函館を代表する観光地となっている。

国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されている。なお五稜郭は文化庁所管の国有財産[7]であり、函館市が貸与を受け、函館市住宅都市施設公社(指定管理者)が管理している[8]

 

 

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五稜郭
北海道
五稜郭タワーから望む五稜郭
五稜郭タワーから望む五稜郭
別名 亀田(御)役所土塁、柳野城
城郭構造 稜堡式
天守構造 なし
築城主 江戸幕府
築城年 1866年
主な改修者 なし
主な城主 なし
廃城年 1869年
遺構 土塁石垣、兵糧庫
指定文化財 特別史跡
再建造物 奉行所、板庫、土蔵
位置

北緯41度47分48.84秒
東経140度45分25.06秒

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