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道(真理)の実践


創世記第3章「ケルビムと回る炎の剣で守らせた命の木」の秘密[4-4、神の子、物質無の神話]

2017-06-28 22:23:32 | 神・聖櫃(アーク)・神殿文明

キリスト教で1千年王国とは、3~5次元の理想郷で、この世が天国のようになる(佛国土)ことですが、以下のBlogでは「神の国に帰る《命の木の道を守らせた》天使ケルビムへの祈り」について解説しています。天使ケルビムは契約の箱を守っています。旧約聖書では契約の箱は王しかその上に上がることが出来ない「命の木の道への足台(Footstool)」と言われています。聖書の中で、偶像崇拝を戒めている中でなぜ天使ケルビムに守らせたか、契約の箱を金で覆うように伝承したかが重要です。※足台とは異次元へのゲートと考えています。王制では王だけがその資格があるとされてきましたが、実際にはできませんでした。ソロモンの宮殿などを建設しましたが伝承の具になっています。

唯一絶対之創造神(聖書のヤハウエではない)は、この場合の「金」の解字について、金の字を分解すれば上に「人」その中に「王」そして陰陽(男・女)の2点あり、人の下に王があり、男女が和合して「金」なり、と説いています。黄金の国の基、長寿の基は「金」であらわす事ができます。東(木)・南(火)・西(金)・北(水)ですから、金は西方極楽浄土に至り、金星(ビーナス)は、お釈迦様も菩提樹の木の下で明星の光をかりて悟り(道)を得た、そのように「金」の持つ意味のもつ伝承は、この時期、日本において極めて重大です。

諏訪の御左口神(みしゃくじ神)は、諏訪大明神垂迹(すいじゃく)神社以前(漢字渡来以前)から存在していたと考えられていて、一説には必要な時に空にある精霊を形あるものに「着ける(付ける・降ろす)」という特徴があるとされています。日本神道の概ねの神事の特徴ですが、諏訪大明神垂迹神社以前から何がどう伝承されているのか、さらに御左口神のルーツをたどってゆきます。

諏訪の御左口神(みしゃくじ神)は、ヤハウェもしくはケルビムだと考えています。その「時」、その「場所」、そして「契約の箱」が日本の神殿に納まり、「真理(道)」によって、永遠の命のゲートが拓き、人類の夢が結実することになります。神との契約は、みなさんの心の中で成就します。歴史はその証として「今」ここに帰着しようとしています。

 

転載:父から真実を求める君へ

作成日時 : 2015/06/01 19:19  

〈023-01 祈りにより神の国に帰ることは、創世記第3章に符合する〉

 「祈り」によって「神の国」を観ることができる。即ち「汝らの内に、既に今此処に存在する神の国」に吾々が気付くには、「祈り」によらなければならない。ということをキリストはユダヤ民族に示したのである。このことは実は創世記第3章の《神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた》(創世記3:24)の記述に符合している。

〈023-02 「生命の樹」を守る〝天使ケルビム〟とは「祈り」のこと〉

 人間をエデンの園から追放したヤハウェ(心の法則)は、「生命の樹」に人間が近づかない様に、天使ケルビムに守らせたとある。〝ケルビム〟の語源となる〝ケルプ〟とは「祈り」を現している。即ち「祈り」を行うものは「天使ケルビム」なのである〝天使ケルビム〟のみが「生命の樹」に寄り添えるのである。

〈023-03 〝楽園追放〟は「物質世界からは神の国は見えない」という意味〉

 このエデンの園からの追放という意味を、旧約聖書の解釈では「罪」「罰」「悪」という風に捉えているが、実は真の意味はそうでは無いのだ。〝エデンの園から追放した〟という本当の意味は物質世界から見ると、神の国は見えなくなる」という意味なのである。

〈023-04 「智慧の木の実を食べた」事で、客観世界を観察可能にした〉

 〝エデンの園から追放した〟これは「罪」でも「罰」でも「悪」でもないのである。〝エデンの園から追放した〟ということは、「物質がある」という見方が出来たということである。そのことを「智慧の木の実を食べた」ことに象徴している。「智慧の木の実を食べた」ことによって、自他分離の客観世界において、「神の世界の映し」を観察でき始めたことを現している。

〈023-05 客観世界を観察できた事で、「神の世界」を鑑賞できた〉

 「神の国の映しの世界」を客観的に観察できた事によって、はじめて「神の国」の素晴らしさを鑑賞することができたのである。この事は神の計画であり、実に祝福すべき一大事なのである。

〈023-06 〝祈り〟によって「神の国」を直接観る事ができる〉

 即ち、現象世界は「神の国の映しの世界」を見ているのであって、直接「神の国」は見えない(観察できない)のである。「神の国」を直接観る為には、〝祈り(瞑想)〟によって観るようにしなさい。ということを神が教えてくれていたのである。それが、《神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた》(創世記3:24)に当たるのである。

〈023-07 唯物思想、原罪思想では「神の国」に入ることは出来ない〉

 又、「回る炎のつるぎ」とは、唯物思想、原罪思想等の「神への祈り」以外の方法で「生命の樹」(神の国)に近付こうとする者は、「回る炎のつるぎ」によって裁かれて、近づくことができないことを象徴している。唯物思想、原罪思想を持ちながら「神の国」に入ることは出来ないのである

〈023-08 「富める者の神の国に入ること能わず」は創世記第3章に符合〉

 《富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい》(マルコによる福音書10:25)と示したキリストの言葉は、この創世記第3章の「生命の樹」(神の国)が「回る炎のつるぎ」で守られていることと符合している。さらに、キリストが「祈り」によって、「神の国」を見出したことは、創世記第3章の「生命の樹」(神の国)が「天使ケルビム」によって守られていることに符合している。

ヤハウエと天使ケルビム

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