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地方は結局「若者」を排除して自ら衰退する

2017-03-15 17:37:38 | 健康寿命・教育革命・コミュニティ・菜食〈ベジタリアン〉・道州制・NPO

東洋経済オンライン 3/15(水) 6:00配信

前回の記事「地方は儲からない『イベント地獄』で疲弊する」では、地方がいたずらに「やることばかり」を増加させ、「やめること」を意思決定できない無能なマネジメントによって衰退している話を解説しました。今回は、地方では人手不足などといいながら、多くの組織で有能な若い人材を排除し、自ら衰退を招いている構造について触れたいと思います。

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■地方の「上の世代」は若者を積極的に受け入れていない

 そもそも「地方から若者がいなくなる」などということは、新しくも何ともありません。

 若者がいなくなる原因については、「大学も含めて、東京にはさまざまな機能が集中しているから」「地方は相対的にインフラが貧弱で不便だから」「経済力が劣っており金融面でも不利」など、構造的な要因がいくつもあります。

 しかし、それだけではないのです。従来、地方を担ってきた上の世代が、若者を積極的に受け入れてきたのかといえば、そんなことはありません。

 自分たちの言うことを聞かない若者、自分たちの理解できない感性をもっている若者をないがしろにし、多様性を排除してきた結果、地域のさまざまな組織が社会変化に対応できなくなり、衰退が加速している側面が強くあります。全国でまちの再生に携わっていると、たとえば商店街の重鎮などが「いやー、うちのまちは閉鎖的で」などと、自虐的に話しかけてきたりします。

ダメなところほど、若くて有望な人材を使えない

 しかしながら、私はかれこれ20年近く、さまざまな地域の再生にかかわっているからわかるのですが、閉鎖的でない地域など、見たことがありません。全国津々浦々の人が何気なしに「うちのまちは閉鎖的だから……」と言うとき、それは「閉鎖的なことはその地方の伝統的なもの」であり、「排除している自分たちには直接的な責任はない」と肯定しようとしているにすぎないと私は思っています。

 何よりも重要なのは、排他的な地域をこれから変えられるか否かは、「今そこにいる人達次第」ということです。もし過去からの流れをまったく変えずに、力のある若者を排除していくと、その地域の未来に必要な「リーダーシップ人材」「サポート人材」「イノベーション人材」の3つを失っていくことになります。一つひとつみていきましょう。

■「うちのまちには”いい若者”がいない」は、ウソ

 まずは、「リーダーシップ人材」です。全国各地で、地元のさまざまな組織の上役は、口をそろえてよくこう言います。「いやー、うちのまちには”いい若者”がいなくて……」と。しかしながら、本当にそうかと言われれば、大抵の場合は間違っています。

 とある、残念な地方都市の商店街に行った時のことです。「若い世代に世代交代したいが、いい若者がいない」と例のごとく言われる年配の会長さんがいらっしゃいました。「いやー、そんなことはないでしょう。ほら、地元に〇〇〇〇さんという、魅力的な居酒屋を全国区で展開している人がいるじゃないですか!  彼みたいな商売上手な人に、次の世代の商店街を担ってもらえればベストですよ」とお話すると、「アイツは俺の話を聞かない。商店街の活動にも消極的だからダメだ」と言うのです。

 そりゃあ、衰退する商店街の事業なんて、大抵は駄目な取り組みばかりで、賢い事業者ほど、かかわりません。成果の出ない取り組みを延々と繰り返しているわけですから、全国区の居酒屋のトップが、そんな人の話を聞かないのも当然です。

上から目線の「若者は我慢が足りない」はあまりに傲慢

 「地元で人気のお店を経営している」ということは、「何が地元で求められているのか」を掘り起こすマーケット感覚に優れている証拠です。さらに「多数のスタッフを雇えている」ということは、マネジメント能力に長けているということです。そのような若くて有望な人材に重要な役割や立場を与えずして、どうしてその地域が発展するのでしょうか。

 結局、上役たちが欲しいのは「地方に必要な、いい若者」ではなく、自分たちにとっての「都合のいい若者」なわけです。上役の好き嫌いではなく、有能である人材を認め、役割を渡せるかどうかが、地方の未来を分けていきます。

■「若者は『キツい仕事』を安く引き受けて当然」は傲慢

 次に「サポート人材」です。若者に、自分たちにできないことを頼むときの「頼み方」にも大きな問題があるのです。結果として、サポート人材を失っているケースが多々あります。

 よく「地方活性化のために、若者のアイデアと行動力に期待したい」と言いながら、実際は自分たちがやりたくないことを押し付け、若者に支払う報酬は自分たちよりも低く設定するのに何の躊躇もなかったりします。

 さらに、せっかく手を挙げてきた若者たちに「期待ほどではなかった」などと、「上から目線」で批判的な評価を平気で下したりします。そんなことをしているうちに、本当に誰も来なくなります。

 私が20代のころ、とある地方経営者が集まる会議において、「最近の若者は我慢が足りない」と経営者の方々が盛り上がる現場に出くわしたことがあります。そのとき、私は「従業員の我慢が足りないのではなく、むしろ従業員に不当な処遇をしているのではないですか?  この場所に『従業員の我慢に頼らない経営』を考える人はいないのですか?」と言って、場がシーンと静まり返ったのを思い出します。

 地方の経営者たちがこんな考え方では、地方に必要な業務を遂行してくれる人材層は、より恵まれた機会を求めて、別の都市へと移動していくわけです。

「年齢が若いだけの保守的な人」が残ったら、もうおしまい

 自分にできないことは年齢にかかわらず、むしろ「自分たちより高い報酬を支払ってでもやってもらう」という覚悟なくして、地方に良い人材が集まることはありません。

■若者の感性を完全否定したら、そのまちは「おしまい」

 さらに、3つ目は「イノベーション人材」の喪失です。若者が特段の迷惑をかけていないことでさえも、自分たちに理解できないことは、頭ごなしで「ダメだ」「劣化している」と決めつけがちです。匿名性の低い地方においては、そのような圧力によって、新たな芽がつぶされてしまう危険性があります。

 たとえば、北九州市の成人式などはマスコミによって、「変な格好しているヤンキー」くらいに報道されたりして、つぶされそうになったことがあります。しかし、実際には地元でまじめに働く若者たちが何十万円もかけて衣装を作ったり、レンタル衣装を借りて、自分たちの文化として発信しているのです。そもそも、それだけのおカネを持っているということは、しっかりと働き、さらに計画的に預金を積み立てているからこそ、できることです。北九州市の知人によれば最近では「同じような衣装を着て写真を撮りたい」とわざわざ北九州市に来る人さえいるそうです。

 このごろはよく「イノベーション人材を地方へ!」などという話で盛り上がりますが、そもそもイノベーションとは、従来のサービスや構造が、新しいものに置き換わることを意味します。自分たちに理解できない若者文化などを攻撃し、排除してしまっては、イノベーションもへったくれもありません。自分が理解できないことを否定しないことが、地方でイノベーションを起こす第一歩なのです。

 もし、いま挙げたような「3つの人材」を排除していくと、結果として地方には上役の言いなりになる、「年齢こそ若いものの考え方は保守的で硬直的な人たち」が残っていきます。その結果、どうなるかは言うまでもありません。

 今、実権を握る人はまずは役職を降り、若者に意思決定を委ね、事業報酬などはフェアに転換することが大切です。たとえば、宮城県女川町は、2011年の東日本大震災を契機に、官民のさまざまな組織で、意思決定を若い世代に委ねました。私も女川は被災前から知る地域だったため、その転換が被災後のまちづくりに大きな影響を与えるのを目の当たりにしました。過去の閉鎖性を未来につなげず、むしろ今の世代で大きく転換を果たし、若い人材に機会を与えることが求められています。

さて、4月25日(火)に「地方創生」や「日本の明日」について考える「超・生産性会議」(主催:東洋経済新報社、参加申し込み受付中)が東京・品川で開催されます。私も登壇しますので、ぜひお越しください。

木下 斉

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最終更新:3/15(水) 11:00

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