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ホンダの失敗と成功の繰り返し。(番外編vol.603)

2014年08月27日 09時09分12秒 | Weblog
1979年から1981年までホンダはWGP500ccクラスに、

4ストエンジンを搭載したNR500を使用していましたが、

1982年には4ストに見切りをつけ、2スト3気筒エンジンの「NS500」を投入します。

ライバル社のヤマハやスズキが2スト4気筒エンジンで定番化していたにも関わらず、

相変わらず新しいことにチャレンジするホンダだったんですよね。

コンセプトは「軽量コンパクトで勝てる」でした。

同じ時期に天才フレディー・スペンサー選手がWGP500ccクラスに参戦。

すぐに頭角を現し1983年にはこの「NS500」でワールドチャンピオンを獲得します。

改良に改良を重ね、4気筒に劣っていたトップスピードの差を縮めることに

成功していたようです。

1984年、ホンダはフレディー選手にのみ新型の2スト4気筒「NSR500」を与えますが、

上にチャンバー、下にガソリンタンクといった上下逆さまなレイアウトが、

セッティングするのにうまく行かず、中盤より結局「NS500」を使用。

残念ながらこの年はチャンピオンは逃すことになります。

1985年はホンダの年で、新型「NSR500」でフレディー選手の圧勝に終わります。

しかし旧式の「NS500」もランディ・マモラ選手やワイン・ガードナー選手に乗られ、

第7戦オランダGPでは1位、2位、3位を「NS500」が独占するかたちで獲得します。

「NS500」の優勝はマモラ選手によってもたらされたこのレースで最後となります。

マシン自体は1987年までプライベーターチームで使われ、

度々ワークスマシンに割って入る活躍を見せますが、

1988年にはすべてのチームに「NSR500」が行き渡り姿を消す事になります。

当時のWGPマシンの開発は目覚ましく、

1年の開発の違いが大きく勝敗を分ける時代でした。

逆にハイテクがなかったからこそ、

今に比べ思い切った新しいチャレンジが出来たのですが、

3気筒で戦った「NS500」は特にボクの記憶に強く残っています。