陽花日々是好日

病気(慢性腎不全)と付き合いながら、いかに人生を豊かにしていくか試行錯誤の日々です。でも、のんびりいきます。

いろいろ思ったこと

2017-06-28 14:11:05 | 思い出

真央さんが亡くなられてから

いろいろ思いました。

35年前に他界した姉のこと。

 

つらかったなあ・・・。ホントに。

姉が自分の人生からいなくなるなんて、

思いもしなかったですから。

22歳のワタシは、楽観的で

そしてあまりに若く、無知でした。

 

姉は自分の病気を知っておりました。

臨床検査技師だったからです。

おそらく余命も知っていただろうし、

自分がどうなるかも知っていたと思います。

長くは生きられない病名を知らされた姉は、

どれだけ愕然としただろうか・・・。

それをひとりで抱えて暮らしていたんだ・・・。

そう思うと、今でもやりきれなくなります。

 

約9か月の入院中、

3度の手術を姉は受けました。

悪性リンパ腫。しかも進行が早くて、

見つかったときにはもう手遅れだったようです。

それでも姉は少しでも長く生きるために

つらい手術を選び、、

抗がん剤治療にも耐えていました。

 

姉はワタシにいつもマッサージを頼みました。

テニスをしていたので、

握力のある私のマッサージで

姉は痛みが和らぐのか眠ってしまうのでした。

だからワタシが病院に行くと、

「待ってたのよ。お願い。

お母さんのマッサージは効かないの。」

と言っていました。

だから、一日おきに病院に泊まり込み、

手が痛くなるまでマッサージしました。

でも、夜中にはさすがに私も疲れて

ベッドわきで寝込んでしまいます。

そうするとしばらくして姉が

「○ちゃん(私)、マッサージして。

痛いの。お願い。」

「うん。。。」

寝ぼけながらマッサージしますが、

睡魔との戦いに何度も敗れて寝込んでしまいました。

もっとマッサージしてやればよかった・・・。

今でも後悔することのひとつです。

 

「モルヒネを使いますがどうしますか?」

って先生が両親に尋ねていたとき、

それで姉さんが痛みから解放されて

眠れるのであればそれがいいなと

思っていました。

それが医療でできる最後の薬だとは知らず・・・。

ワタシは姉がちゃんと目が覚めて、

また治療すれば、

一生懸命看病すれば、

きっと治ると信じて疑いませんでした。

 

「喉が渇いた。

少し水を飲ませてくれる?」

というので、口に少し水を含ませました。

そのあと

「レオ(ぬいぐるみの名前)をとってくれる?」

と言いました。

それが姉とかわした最後の言葉です。

レオを渡すと姉は抱きしめて眠りました。

入れ替わりに褥瘡の処理に看護師さんが入ってきて、

ワタシはその場を離れてしまいました。

 

次に対面した時、

もう姉は旅立っていました。

穏やかな顔をしておりました。

ワタシは泣きながら足のマッサージをしました。

まだ温かい姉の足を一生懸命もんで

「気持ちいいやろ?」って話しかけましたが、

何も答えてくれませんでした。

「ごめんね、ごめんね。」って

何度も何度も言いました。

そばで父が

「人生は厳しい・・・。

 娘を亡くすとは・・・。」と言って、

これまで見たこともないほど泣いていました。

父は姉の病状をかなり以前に告げられていたそうで、

それを母にもワタシにも告げずにいました。

告げたら母もワタシも、

精神的に参るだろう、と思ったそうです。

父も苦しく、つらい毎日だったろうと思いました。

 

病院では多くの患者さんと知り合いになりました。

同室だったリウマチの女性、

お母さんが泊まり込みで看病していた骨肉種の女の子、

原因不明の病で寝たきりの女子高生・・・。

病室では笑いあうことも多く、

互いにいろんな話をすることができました。

病気があっても笑顔を忘れない姿勢に

ワタシはいつも励まされました。

そして姉の死に、皆、涙してくれました。

その後数年のうちに、皆旅だってゆきました。

振り返るとあの数か月は、

人生の学びの大切な時間だったと思います。

 

(長くなりました。)

 

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 歯医者さん報告~5~ | トップ | いろいろ思ったこと~つづき~ »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

思い出」カテゴリの最新記事