宮崎はこの時期、あっちこっちでスポーツキャンプが
行われています。

先日、両親の病院の帰りにちらっとセレッソ大阪を見ました。

そういえばいつだったか、
相方はサッカーの練習に持って行くシューズを
なぜか右足ふたつ持っていったんですよ。
しかも白と青の色違いだっていうのに・・・???
よほどあわてていたみたいで・・・・
練習場でみんなに大笑いされたらしいです。
ホントに天然です。。。
宮崎はこの時期、あっちこっちでスポーツキャンプが
行われています。

先日、両親の病院の帰りにちらっとセレッソ大阪を見ました。

そういえばいつだったか、
相方はサッカーの練習に持って行くシューズを
なぜか右足ふたつ持っていったんですよ。
しかも白と青の色違いだっていうのに・・・???
よほどあわてていたみたいで・・・・
練習場でみんなに大笑いされたらしいです。
ホントに天然です。。。
毎年のことではありますが、
立春を過ぎても早々に暖かくはなってくれません。
ここ宮崎も、さむ〜いです。
といっても、最低気温-1℃で、
最高気温10℃くらいなので、
雪は降りません。
霜も降りません。
雪の多い土地柄の方々は、毎日雪かきや
雪下ろしをしておられると聞きます。
高齢者の皆さんはどうしておられるのだろうか・・・。
また、透析に行かれる方は、雪でも行かねばならないので、
どんなに寒いだろうか・・・。
大変だろうか・・・。
遠くにいて皆さんの無事を祈るしかないんですが・・・。
暖かい春が待ち遠しいですね。

マンボウ・・・かな?
(弟のデジカメデータから。)
温かい海を少し感じていただけたら。
少し「思い出」カテゴリーに浸ってしまっていたので、
近況を・・・。
薬を追加してもらって5日目、
最初の違和感(動悸、ほてり等)がすっかりなくなり、
血圧も安定しました。
でも、腎臓に優しい暮らしを心がけ、
無理しない程度に仕事しています。
今は建物の調査業務で現場に行きますが、
一日一軒のゆるいスケジュールでやるようにしています。
で、2月14日は結婚記念日でした。
19年目に入ります。
仲良く現場調査に行って、
息の合った調査
をやっております。
本日も調査でありました。
んが
ふと車を見ると、タイヤが磨り減っているではありませんか。
「そろそろタイヤ交換しないと、アブナイんじゃないと?」
「うん。ボクもそう思ってる。」
「どこでしてもらうと?」
「リンガーハットかな。」
「ふうぅ〜ん・・・リンガーハットってタイヤ交換もしてくれると?
ちゃんぽん食べながら待てるっちゃね〜
」
「すみませ〜ん・・・
イエローハットでした・・・」
「いいとよぉ〜
あなたといると楽しいわ〜

また来世でも一緒になろうね。

」
「もちろん

」
すみません、のろけでした。。。
弟が一年生になると、頭のハゲを小さくする手術を受けた。
頭の包帯が痛々しかった。
「これくらいの小さなお肉をとったとよ。」と
ワタシに小さな指で丸を作って報告してくれたっけ。
包帯がとれると、ハゲがホントに小さくなっていた。
弟は髪を短く切って、男の子らしくなり、
次第に友達からいじめられなくなって、
逆にたくさんの友達を作っていった。
子供心にほっとしたのを覚えている。
中学生になってテニスを始めた。
めきめきと上達し、県でもトップクラスに入るほどになった。
県外にも試合に行ったり、いい仲間ができたりして、
かなり充実した中学生生活を送った。
生き生きした弟の姿を見るのはとても嬉しかったし、
同級生が「カッコイイ弟さんやね。」と言ってくれたりして、
ちょっと自慢だったりした。
高校生になって、弟は少しやんちゃになった。
つまりちょっとぐれた。
自分が本当は何がしたいのか見失ってしまった・・・。
学校の勉強にもなかなかついていけないようだった。
仲間とも違う高校だったので淋しかった、
ということもあったのかもしれない。
ワタシはワタシで、自分自身の道を歩むことに必死だった。
自分の視野の片隅に、
家族からひとり離れていく弟が見えていたのに。。。
その頃から姉の具合が良くなく、
「将来歩けなくなるかもしれない。」
そう宣告を受けた。
家族は病気の姉中心の暮らしに変わっていった。
父と母、そしてワタシは、福岡で学生生活を送っている弟のことを
「楽しく学生生活を送ってる」とばかり思っていた。
しかし、弟も病んでいたのだった。
大学に行かなくなり、退学することになった。
心の病だった。
弟は本当に優しく、まじめすぎるほどまじめで、
そして、とてもとても繊細な神経の持ち主でもあったのだ。
そこから私達家族のつらく苦しい日々が始まった。
姉が他界すると、今度は弟の病が悪化。
この頃のことは、詳しくは書けない。
本当にいろいろあって・・・。
でも、入院してりっぱに立ち直ってくれたのであった。
就職もして、昇進して、部下を持つまでにもなったのであった。
しかし、弟の人生、そこから山アリ谷アリ。
両親もワタシも、弟が違う世界に入り込んでいることに気づく。
「そんなとこにひとりでいないで、こっちにおいで。」
本当は、何度もそう言いたかったのに、
出てくる言葉は厳しいものだった気がする。
どうしてもっと優しく言えなかったのだろう。
今は後悔することばかりだ。
小さい頃のように、心の手を離しては
いけなかったのに・・・。
弟にとって姪は生きがいで、宝で、
そして、「彼女」でもあった。
幼い姪に貢ぎまくっていた。
とにかく、可愛くて可愛くてしかたない存在だった。
「これ以上誰かを好きになることはないね。」
弟がそう言ってたのを思い出す。
子供ができたことで、家族に笑顔が増えた。
また、たまにではあるが、弟と昔話で笑いあう時間が持てた。
ワタシがいつも悪がきから守っていたことなんか、
すっかり忘れられてて、
「それくらい恩義に感じてくれてもいいじゃん?」
って言ったら、
「オレが3歳くらいって、覚えているわけないがね!」
「確かに・・・」
そんな昔話をする相手が、もういない。
弟との楽しかった時間、優しい時間・・・
もう思い出でしかない。
「哀しみは消えない。
一生消えない。
でも、新しい日がやってくる。
姉のいない新しい日を私たちは生きねばならない。」
姉が他界して学んだことのひとつだ。
どんなに淋しくても、哀しくても、つらくても、
生きねばならないのだ。
弟が他界して、今度はふと思った。
「明日はやってくるのか?」
それは、誰にもわからない。
夜、突然心臓の発作を起こして亡くなってしまった弟、48歳。
老若男女、関係なく、明日の保証はない。
分かっていることは、今日があるってことだけだ。
明日優しくするんじゃなくて、
今日優しくしよう。
明日「どうしてるの?」って聞くんじゃなくて、
今日メールしてみよう。
明日「ありがとう」って大事な人に伝えるんじゃなくて、
今日「ありがとう」って言おう。
弟に伝えたかった、言いたかったことがたくさん残ってしまった。
そして、弟の話をもっと聞きたかった。
ふたりで昔話で笑いあいたかった。
いや、3人で・・・だな。


だから、今日は、大事な人たちと笑いあい、
「ありがとう」を伝え、
「どうしたの?」と優しくし、
「ごめんね。」とわび、
人の良いところだけを見るようにし、
自分にできることをコツコツやって、
いつもどおり眠ることにしよう。
明日は約束されていないのだから。
弟からもたくさん教えられたし、
これからも教わりそうだなぁ。
ありがとう、ミコねえちゃん。
ありがとう、ケイちゃん。
ふたりはワタシの人生の道しるべです。
30年近く前に26歳という若さで逝った姉。
姉の自慢は、長く細い指だった。
ワタシの指は太くて短い、どちらかというと不器用な手。
姉のきれいな手がうらやましかった。
そして、姉はとても器用だった。
編み物が得意で、マフラーなど一日で編んでくれた。
レースのテーブルクロス、セーター、
今やはりの縄編みのロングカーデガンなど、
みごとな作品がいくつも姉の死後に残された。
入院中も文化刺繍をよくやっており、
その作品もまだ実家に飾ってある。
編み物をするときの姉の指の動きがきれいだった。
毛糸の玉を床に落として、それをたぐるしぐさも。。。
編み物を教わるときには、古いセーターをほどいて
ふたりで湯のしして、再利用したっけ。
(今考えるとエコだし、羊毛100%の贅沢なものを
着ていたんだねぇ・・・)
ワタシの本好きも編み物好きも姉の影響。
でも、姉がいなくなって以来、編み物はできなくなった。
姉が逝った年に自分が編んでいたセーターが
去年の夏に実家の押入れからでてきた。
ブルーの毛糸で裏身ごろだけ完成したものと
残りの毛糸が、虫くいもなくでてきた。
「
どんなのを作ろうとしていたんだっけ?」
考えても思い出せないし、
一緒に入っていた編み物の本にも同じ身ごろのものがない。
ついでにちょっとだけ編んでみたら
ワタシの指は編み方を覚えていた・・・
スイスイと目が進んでいく。
同時にぽろぽろと涙もこぼれてゆく。
姉の指の動きと自分の指の動きがリンクして・・・。
今年は、編みかけの身ごろをほどいて、
姪にセーターを編んでやろうと思う。
彼女の好きなブルー
だし。
新しい編み物の本を買わなくちゃね。