阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

改築された「御影公会堂」。  御影郷土資料室に嘉納治五郎記念コーナーが出来た。

2017年04月19日 | あちこちうろうろ

朝の散歩で最近改装された国道2号線に面した「御影公会堂」まで歩いて、そのあとオアシス石屋川店から阪神新在家駅経由JR六 甲道駅まで足を伸ばした。6524歩  

講道館の創立者、嘉納治五郎は当地で生まれ育ちました。 wikipediaから:

1860年12月10日(万延元年10月28日)、摂津国御影村(現・兵庫県神戸市東灘区御影町)で父・嘉納治朗作(希芝)と母・定子の三男として生まれる。 嘉納家は御影に於いて屈指の名家であり、祖父の治作は酒造・廻船にて甚だ高名があった。その長女・定子に婿入りしたのが治五郎の父・治朗作である。初め治作は治朗作に家を継がせようとしていたが治朗作はこれを治作の実子である義弟に譲り、自らは廻船業を行って幕府の廻船方御用達を務め和田岬砲台の建造を請け負い勝海舟のパトロンともなった。柳宗悦の母は治五郎の姉である。ちなみに同じ嘉納家ではあるが嘉納三家と呼ばれる現在の菊正宗酒造・白鶴酒造とは区別される。 1870年(明治3年)、明治政府に招聘された父に付いて上京し、東京にて書道・英語などを学んだ。

御影公会堂と「火垂るの墓」:ロケ地紹介サイトから引用。こちら

阪神電鉄本線のガード下に避難できなかった清太と節子は、今度は反対方向にある海を目指します。
当時は砂浜が残っていましたが、現在はすっかりコンクリートで覆われています。
(時間:8分55秒)


海に出た清太と節子は、石屋川に沿って公会堂を目指します。
石屋川を境に西側が神戸市灘区で、東側が清太と節子たちが住んでいた武庫郡御影町でした。
御影町は1950年に神戸市に合併し、東灘区の一部になっています。
(時間:9分08秒)


川から土手に上がった清太と節子の前に、焼け野原になった街の光景が広がります。
そんな中、公会堂だけが焼けずに残っていました。
(時間:12分10秒)


この公会堂は現在の神戸市立御影公会堂で、1933年に御影町公会堂として建設されました。
1938年の阪神大水害、1945年の神戸大空襲、1995年の阪神・淡路大震災の3つの大災害を耐え抜いた歴史ある建造物です。


ちなみに、御影公会堂から石屋川と国道2号線を挟んだ斜向かいに「火垂るの墓」の石碑が立っています。


公会堂に向かって歩き出す清太と節子。その直後、空襲で駅舎の鉄骨がむき出しになった阪神電鉄石屋川駅が映ります。絵コンテに「阪神石屋川駅付近」という記述があるので、この駅で間違いないです。
現在も駅舎の一部が石屋川の上に架かっています。
(時間:12分34秒)


石屋川駅の次に国道2号線上で路面電車がストップしているカットが映ります。
当時、国道2号線上を阪神国道線が走っていました。
(12分38秒)


清太と節子は公会堂の近くにある二本松で母と待ち合わせをしていましたが、母はいませんでした。
実際に御影公会堂の近くには松の木がたくさん立っています。
しかし、映画にあるような特徴的な二本松はありませんでした。
(13分04秒)

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