阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

京都文化博物館の「書 坑迫柏樹の世界 展」を楽しみました。     

2016年09月12日 | 船橋社中

まるで計ったように入口で船橋社中の社主さんとTHさんに出会いました。朝早い新幹線で東京から来られた社主さんを京都にお住いのTHさんが京都駅で迎えられたようです。
 私はJRと地下鉄烏丸線にのり、烏丸御池駅から5分ほどの京都文化博物館へ京都の街並みを楽しみながら歩いて到着しました。













5階と6階の二つのフロアーになるほど坑迫さんの書の世界が多様な貌を見せて広がっていました。
 書の展示をこれまでも見たことがありますが、これだけの多様性とボリュームの催しは初めて体験しました。
そして観覧者の数の多いことには驚嘆しました。老若男女、善男善女、学童たちが次々と会場を訪れていました。
さすが京都だなあと訪問者の多様性にも驚きました。





















人に思いを伝える手段としての書は文字そのものと「文字と文字の間」いわゆる余白がどれだけ大切か、

坑迫さんのトータルの文字と余白のバランスの凄みを会場で深く感じました。

そしてまた、時代に従って向上していく紙と墨の品質とも、書という芸術が大いに関係していることを知りました。

 書は文字と紙と墨の三位一体のものなんですね。


 また気迫のこもった大作「兵車行」に今に生きる書家としての坑迫さんの精神が伺えるのではというTHさんのご教示に納得でした。
(展のサイトから引用)
 久しぶりの書の世界という非日常の空間を同じ波長の方とあれこれお喋りしながら回遊したのは嬉しい時間でした。
坑迫先生にもお会いできて良かったです。今回の機会を作っていただいた船橋社中の社主さんありがとうございました。


 兵車行 杜甫

車轔轔 馬蕭蕭
行人弓箭各在腰
耶嬢妻子走相送
塵埃不見咸陽橋
牽衣頓足欄道哭
哭声直上干雲霄
道旁過者問行人
行人但云点行頻
或従十五北防河
便至四十西営田
去時里正与裹頭
帰来頭白還戍邊
辺庭流血成海水
武皇開辺意未已
君不聞漢家山東二百州
千村万落生荊杞
縦有健婦把鋤犁
禾生隴畝無東西
況復秦兵耐苦戦
被駆不異犬与鶏
長者雖有問
役夫敢申恨
且如今年冬
未休関西卒
県官急索租
租税従何出
信知生男悪
反是生女好
生女猶得嫁比鄰
生男埋沒随百草
君不見 青海頭
古来白骨無人収
新鬼煩冤旧鬼哭
天陰雨湿声啾啾

現代語訳:戦車の歌

車はゴロゴロ(と音を立て)、馬はヒヒン(と悲しげにいななく)

出征する兵士はそれぞれ弓矢を腰につけている

父母や妻子は走りながら彼らを見送る

その土煙で咸陽橋も見えない

見送る人は兵士の衣を引き、足をじたばたさせ、道をさえぎって泣く

その泣き声がまっすぐに立ち上り雲に達する

道端を通り過ぎる者が道を行く兵士に聞いたところ

行く兵士はただ「徴兵がたびたび行われているのです」と応える

ある者は十五歳にして北に送られ北方黄河を防衛し、

そのまま四十歳になった今は西に送られ屯田兵として出征する

出発に際しては村長が成人のはちまきをしてくれたが

帰ってきたときには頭は真っ白で、また国境に送られる

国境では戦いで流された血が海水のようにあふれているのに

武帝の国境を拡大するお考えはまだ止まらない

君たちは聞いていないか、いや聞いているだろう。漢の山東地方の二百州では

どの村もどの里もイバラやクコのような雑草ばかりが生い茂っていることを

たとえけなげな婦人がスキをとって耕したとしても

穀物が田畑に生えても、秩序も何もない

その上、秦の兵士たちは苦しい戦いにもに耐えるというので

どんどん駆り立てられるのは犬や鶏と変わらない

(兵士は言う)「あなたさまがお尋ねになっても

私はうらむ心を十分に言い尽くせましょうか

さしあたって今年の冬のように

関西地方の徴兵を中止にしないのに

県の役人は厳しく租税を取り立てています

租税なんていったいどこから出るのでしょう

よくわかりました、男を産むのは悪いことで

反対に女を産むことのほうがよいのです」

なるほど、女ならまだとなり近所に嫁にやることもできるが

男は(戦死して)雑草の茂みに倒れて埋もれてしまうだけだ

君たちは見ないか。あの青海のあたりでは

昔から白骨を片付ける人もなく

新しく死んだ者の魂はもだえうらみ、古く死んだ者の魂は嘆き叫び

天が曇り、雨で湿っぽくなったときに、むせび泣いているのを

引用元


コメント (1)
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