おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

自己満足と孤独

2017-12-18 11:38:11 | 福島

 ドリに何が起こるかわからないので、今年はもうランニングに出る機会はないと思っていた。完全復活とは行かないものの、二、三時間家を開けるくらいなら心配はないので、ドリが寝たのを確かめてランニングに出かけることにした。この前走ったのはいつだろうか、とにかくずいぶん昔のような気がする。こうして早々に犬に留守番を託せるなんて、本当に奇跡に近いのだ。

 久しぶりで体が重たいので、阿武隈川沿いの起伏の少ないコースを走る。行きは遠くに栃木の那須茶臼岳が白い雪を被っているのが見える。折り返してから正面に福島県を代表する安達太良山が白く輝いているのが見える。

 走っていると、誰と競争するでもなく、実に孤独なものだ。自分との戦いとカッコいいことも言えるが、実際には怠けたければ怠けるし、しんどくなれば適当に歩く。こういうとき、人は「自己満足だから」と言うが、どうやら本当のところは言い訳にしか過ぎない気がする。誰からも評価されず、それでも自分の進む道が間違っていないと信じている人も中に入るだろうが、僕のような凡人は、本当のところはみんなが評価してくれれば、案外自分では納得できなくても、満足しそうな気がする。

 人はいつから孤独な存在になるのかと言えば、やはり自我の目覚めを覚えてからだろう。自我がなければ他人もない。他人がなければ孤独もない。孤独から逃れようとすれば、要は我を忘れるのが手っ取り早い。集団でスポーツ観戦をしたり、コンサートで盛り上がったりする一体感は、ひねくれ者でない限り、孤独を忘れるためだとも言える。

 ひとりで黙々と走っていると、考えなくてもいいような考えが走馬灯のように頭を巡る。ドリのような犬でさえ、病気に耐えるのはドリ自身で、それは実に孤独なものだ。いくら僕らが寄り添い言葉をかけようが、その痛みを共有することはできない。それを思うと、ドリの復活劇には神々しささえ感じるのである。ああ、感謝感謝。

 それにしても久しぶりのランニングは、膝やら太ももやら、あらゆるところがつりそうだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする