南林からの風のたより

とある国の、とある町の、とある大学の、とある学生たちと
気怠くも生気あふれる暮らしぶりを・・・

質問した学生たち!

2017-07-23 17:50:57 | 暮らし
  前任校で開催された講演会の時の話である。

 日本人講師の話が終わると、学生たちは我先にと手を挙げ、講師に質問した。的を射た質問もあれば、自分の考えだけで、講師の話を無視した質問もある。中には何を訪ねようとしているのかさえよくわからない質問もある。幸い教師の通訳もあり事なきを得た。とにかく、質問しようとする意欲は評価したい。

 しかしながら、この質問のレベルの差はどこから生じたのであろうか。
 原因はいくつか考えられる。日本語力、理解力、思考力、…。どれをとっても、日頃の自分の指導の至らなさを悔やむばかりである。

 そうはいっても、学生にとっては、習得した日本語を使って、教師以外の日本人と話すのは初めての経験であり、それなりに意思の疎通ができたことは、小さな自信にもなったことであろう。彼らには今後のさらなる精進を期待したい。

 この後、講師と話す機会があった。講師は「熱心な学生たちですね」とおっしゃってくださった。しかし、講演中ずっと寝ていた学生が一人いて、そのことばかり気にしていたわたしは、とっさにその言葉を受け入れることができなかった。講師はその寝ていた学生を気にすることもなく、学生の全体を熱心だと感じてくださったことは大変うれしかった。いや、日本人的なお世辞かもしれないが、・・・。

 実は、熱心に質問した学生たちにはちょっとした裏がある。前もって講演資料を見ていたわたしは、前日わたしの授業の中で、講演内容について簡単なレクチャーをした上で、質問してみてはどうかと学生たちをたきつけておいたのである。事前に予備知識を持って話を聞くのとわかりやすいし、質問をしようという気にもなりやすい。丁寧なお礼まで添えて質問をした学生も数人いたということは、専門外のわたしの話ではあっても、それを元にそれなりの準備をして講演を聞いてくれていたということであろう。学生たちが熱心という評価を得たのは当然のことかもしれない。

 しかし、現実には日本語でうまく意思の疎通ができなかった学生もいたのである。教師の助けがなければせっかく手を挙げても、質問は失敗に終わっていたかもしれない。その辺は日本語教師であるわたしにも責任の一端がある。とはいえ、多くの助けを得ながらもとにかく最後まで質問し、講師から何らかの答えを引き出し、自分なりに理解できたのであるから、その学生たちをよかったと褒めてやりたい。

 講演が終わった後、質問した学生たちの紅潮した顔を見て、一つのことを最後までやり終えること、それが自信につながるのだということを再認識した。
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