容子の部屋

日記を思いつくままに綴っていきます。

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瀬島龍三氏死去

2007年09月05日 01時14分56秒 | その他

 

瀬島龍三氏が亡くなった・・・との報道を見てこの方に対する心からの愛惜の念を覚えます。

瀬島氏は 1911年に富山県に生まれ、38年に陸軍大学校を卒業し、39年から大本営陸軍参謀、後に海軍参謀を兼務し、旧日本軍の中枢で作戦計画の策定に当たった方だと聞きました。終戦後旧ソ連軍に連行され、11年間も、シベリアに抑留され帰国しました。普通なら戦後の日本社会は瀬島氏のまったく知らない日本社会に変貌して適応する事は相当困難だったと思います。

しかし、この方の才能を評価していた知人によって、この元大本営参謀が、民間会社に勤務し、この伊藤忠商事株式会社でその才能は瞬く間に順応してこの企業に貢献し会長にまでなられ、その辣腕ぶりと、どんなこんなにも負けない意思の強さは、山崎豊子氏の小説【不毛地帯】のモデルになるほどでどんな環境下に置かれようとそれを自己の意思で好転させる素晴らしい人物だと思います・・・

後年、中曽根政権時代の臨時行政改革推進審議会として土光会長を補佐して、中曽根政権の念願だった行政改革3法案を見事成立するために努力された方です・・・治の世界でも活躍したや瀬島龍三(せじま・ 

 また、71年には、いすゞ自動車と米ゼネラル・モーターズ(GM)の資本提携(2006年解消)を仲介し、中堅商社・安宅産業の吸収合併を担当し、伊藤忠の国際化、総合商社化に手腕を発揮した方でまさに怪物だったと思います。その他、日本テレビ放送網監査役や亜細亜大学理事長、西本願寺門徒総代なども務めたていたそうです。

政治面では徹底した黒子役に徹し、 中曽根元首相からの依頼で、83年には韓国との関係が冷え込んだ日韓関係の修復のため、、密使として地ならしをしたのもこの瀬島氏だと言われます。

最後にこんなエピソードを書きます。それは昭和天皇は瀬島氏に「瀬島は戦前戦後と大変御苦労であった。これからも体に気をつけて国家、社会のために尽くすように・・・」 とそのようなお言葉を頂いたそうです・・・

 読売新聞参考)

                       

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4 コメント

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かなりの人物だったようです ()
2007-09-05 10:01:47
 容子さん、瀬島龍三氏のことを詳しくご存知のようですね。あの当時は、陸軍士官学校や海軍兵学校は、東大にも劣らぬ俊英が入ったようです。
 瀬島氏は土光さんの右腕となって、中曽根内閣を支えました。この人の「大東亜戦争の実相」という本は私の蔵書して残してあります。
 それから山崎豊子の「沈まぬ太陽」にも明らかに瀬島氏と分かる人物が登場しています。
Unknown (容子)
2007-09-05 17:19:47
亮さま

この方も私の好きな日本人の一人です。今でもこの瀬島氏については色々な見方があるようですが、私はこの方の武人のような生き方に惹かれます。

日本人の中にこのような高潔で、国家に殉じる生き方をされた方がいつの時代でも私の興味の対象です。

この方に限らず、有名・無名に関わりなく、その与えられた場で命を燃焼させる人は幸せなのではないかしら・・・
Unknown (ごん太の遠吠え)
2007-09-05 21:26:55
瀬島さん、頭脳明晰の秀才戦後の活躍もすごい働きであります が 東京裁判では陛下に不利な発言をしたとか言われております、氏の心が何処にあるのか不明な部分もあるようなコメントもたくさんありますね。
武人そのもののような生き方・・ (容子)
2007-09-05 23:18:45
ごん太の遠吠えさま

そうらしいですね。この方と親しかった産径の記者で阿比留瑠比氏の記事によると、頭のいい人にありがちな冷たさは無く、この阿比留氏など心酔しているようです。

他方、このかたの経歴からか不信感をもっている人もおります。

私はこのようにある意味神に選ばれ,使命をもって生まれたのではないかと・・・思うほどです。

下記に阿比留氏のアドレスを記入しました。よろしかったら覗いてみてください。


http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/

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