あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

アラブ・エキスプレス展・アラブ美術の今を知る ・森美術館

2012-07-22 14:59:19 | 海外美術
まったくの無知状態で突入してきた、「アラブ・エキスプレス展」
アラビアのロレンスの長々しい男の物語を思い出す程度。
砂漠の荒涼とした強風とか、堅牢な石造りの建物とか、
駱駝で失踪するとか。

大体において、アラブが地球のどこに位置しているのかさえ怪しい。

地中海をめぐる様々な地域国、宗教の混沌、オイルマネーの絢爛、
そうそう、あの村上隆のドーハの展覧、五百羅漢100メートル。
ドーハのビル群のシャープな建築美。
女性はブルカを着てヘアスタイルとは別次元に。

モーリタリア、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、チャド、
エジプト、スーダン、エリトリア、レバノン、シリア、イラク、
クウェート、ヨルダン、バーレーン、サウジアラビア、
カタール、オマーン、イエメン、アラブ首長国連邦、

これらの国々がアラブワールド、と言うことらしい。
むむ~~~

Twitterでこちらにも民主主義の風が吹き始めたことも新しい動きだろう。

それにしても遠い認識。まぁ致し方がない、入りましょう。
この展覧会はカメラOKでしたので、理解の前に画像を
ご紹介です。



真っ先に目の前に入ってきた 真っ赤な女性。
よくみればアラブの女性としてはあり得ない姿であることを解説で教わる。
妄想というモノの産物なのか、遠目にレディ・ガガ様の姿にもみえたり。
今回はイヤホンガイドに色々教わることにした。
一度聞いたぐらいでは理解が深まる訳でもないのだが、
それでも、たよりない鑑賞の助けになった。







現代の写真や、ビデオでアラブの現実を垣間見る。
あまりにも日常の常識が遠すぎる。



このモノクロのアニメーションは
BGMが画面を引き立て、ともかく切なかった。
「私の父が建てた家(昔むかし)」
なんの説明も無くても悲惨な事態があったことを
想像しつつ、画面のステキさに引き込まれる。
ルドンの目を思い出したり。



イ・ブル展の時、ここに白いオオカミがテーブルの上から六本木の街に向けて
内蔵の汚物をはき出していた(白いビーズなどでキラキラ綺麗ではあったが)が、
今回は黒い噴水。
油田の王国は豊かさだけではない何かもはき出しているのだろう。
地響きのする物々しい音も黒い思いを引き出す効果があるし、
床に飛び散った黒いインク跡は
ただならない恨みの染みとなって心にも染みる。











アラブの女性たちの暮らし向きはどんな日常なのだろう?
顔を隠す、髪を隠す、ともかく姿を覆い隠し
社会から守られているのか?置いて行かれているのか?
隔離されているのか?
世界はどう見ているのか?
宗教の名の下にしてはいけないことの約束事が
厳しい現実とは裏腹に強烈なインパクトを
何でもして良い日本においてガツンとぶつかってくる。
幸せの尺度をこちらから振り回して良いわけもなく。
どうしようもない無力と無知とそして美しさに驚く。







ぐるっとまわり次の部屋に行くと
チープなキャバレーのような派手な電飾看板がチラチラ。
まるで木魚のようにガンガン単純な電子音がそのあたりをざわつかせている。
「I'M SORRY」
の看板。近くには特別に「I'M SORRY」飴を作ったので
お一つどうぞとあった。私もひとつバッグへ放り込んだ。
なぜ、そうぺこぺこしているのか、
作者のコメントが機関紙HILLS LIFEに掲載されていた。
 「作者のアービディーンはイラクバグダット生まれ、フィンランドに留学中に
 戦争が始まったので、そのままフィンランドで作家活動を続けた。
 彼がアメリカに行った際、人々からさかんに言われた言葉。
 「I'M SORRY」
 彼の戸惑いがアイロニカルな作品に結実しています。」
 (要約 あべまつ)







「リ・マッピング」
 エブティサーム・アブドゥルアジーズによる、白いアクリルの発光体。
アラブの国々をピースにして、集合体として一つの光源にしたてた。
流氷のようでもあり、幻のようでもあり。
モノクロの幻想的な空間で印象的だった。
他の作家による壁面の地図のパズルの作品があったが、
そちらも白だった。

画像は紹介できなかったが、
実は映像がとても素晴らしく、そのために時間が押せ押せになったのが心残り。

*ジャナーン・アル・アー二 シャドウ・サイト1
アラブの砂漠地帯というイメージを払拭するための
延々と土地を俯瞰する映像。
クリアーな画面からは一筋の道やら、たぶん爆撃を被った跡か?とか、
緑化されたところとか、ひたすら延々と言葉無く、
人の気配も無く淡々と進む画面に息をのんだ。

*アハマド・バシオー二 記録映像30日間同じ場所で走り続けて
なんともユニークな体験記録映像。
ビニールのコスチュームに水分補給のストローなどを装着して
ひたすら足踏み走りを続ける映像。
空しくなる。
しかし、本当に彼はその後エジプトの革命時に亡くなってしまった。

*スハ・ショーマン 神の御名において止めよ
祈りを捧げる場所において字幕が流れる。
何のために戦っているのか、
神は偉大だとはいうものの、人々は死んでいく。
赤児も、大人も。
無力なのはなぜなのか。
モーツァルトのレクイエムがBGMで淡々と流れる。
どうしようもない、文化生活の違いを知らされて愕然とする。
それでも世界の時は流れているのだ。
誰が始めたのか?
あぁ、人々に幸あれ。

作家たちの中の女性の存在も大きな要素のようだ。
アラブでも女性はパワフルなのだ。

会場を出た後には
ライブラリーも充実。
ある程度今日の生活に疑問を持たずに済んでいる日常と
次の瞬間、銃口が向けられるかもしれない日常や、
女性として隔離されている文化圏にそれは違うと
どうやって言えるのか、などなど摩訶不思議な無力感に
つきまとわれ、脱力はするが、現実を見る、その機会は貴重だし、
もっと広く鑑賞の機会があればと想った。




それと、サイトの充実振りが素晴らしいです。こちら→アラブ・エキスプレス展

蛇足ながら、村上隆のドーハでの五百羅漢100メートルのマネージメントの
ぬかりなさも比類ないタレント性が溢れていると感服。

この展覧のブロガー内覧を企画してくださった「青い日記帳」の Takさんには
いつもながら、感謝御礼を申し上げ、
この展覧の広がり、盛り上がりを微力ながらも応援致します。

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