阿部ブログ

日々思うこと

スターリンの実務能力と読書

2016年04月17日 | 雑感
以前からスターリンの凄まじい仕事ぶりに感心してきた。
特に、バルバロッサ作戦が開始され、最高総司令官となってからは、一日14時間から16時間、軍事作戦、人事、諜報、戦時経済、政治問題、外交に関する膨大な文書や暗号電文を読む必要があった。
スターリンはヒトラーと同じく夜型人間で、12時前には仕事を始めることは無く、執務を開始すると短時間の昼寝を挟んで、翌朝の4時~5時まで仕事をした。最高総司令部、人民委員会会議、共産党中央委員会、参謀本部など軍事機関はこれに従った。
一日の内、緊急事態が無くとも2回の戦況報告が行われ、その他、国家防衛委員会会議、最高司令部会議、人民委員部会議、共産党中央委員会会議、パルチザン司令部会議、MKGB会議などが開催された。
大祖国戦争前のスターリンは、暗号文書以外に読んだり、斜め読みした書籍は一日5冊から6冊(400ページから500ページ)と云われており、戦時になるとこれと同じ量の文書を読んでいた。そして単に読んだだけではない、最高司令官として決断し命令したのだ。

さて、スターリンの蔵書に関する興味深い記述がドミートリー・ヴォルコゴーノフ著の『勝利と悲劇』にある。
1925年スターリンは、個人用の蔵書を作るよう補佐官に指示し、具体的にメモを作成している。
「司書へのメモ 私の助言(および要望)
 1.本は著者別ではなく、問題別に分類すること。
  a.哲学
  b.心理学
  c.社会学
  d.経済学
  e.財政
  f.工業
  g.農業
  h.協同組合
  i.ロシア史
  j.他の国々の歴史
  k.外交
  l.外国貿易および国内商業
  m.軍事
  n.民族問題
  o.党・コミンテルンその他の大会および会議(ならびに決定、法令、法典は除く)
  p.労働者の状態
  q.農民の状態
  r.コムソモール(コムソモールに関する個々の出版物に掲載されたものすべて)
  s.他の諸国における革命の歴史
  t.1905年について
  u.1917年2月事件について
  v.1917年10月革命について
  w.レーニンおよびレーニン主義について
  x.ロシア共産党およびインターナショナルの歴史
  y.ロシア共産党における論争(記事、パンフレット)
  z.労働組合
  z1.小説
  z2.文芸批評
  z3.政治雑誌
  z4.自然科学雑誌
  z5.辞書類
  z6.回想録
 2.以上の分野のうち次の本は除く(別個に配置する)
  a.レーニン(個別に)
  b.マルクス(個別に)
  c.エンゲルス(個別に)
  d.カウツキー(個別に)
  e.プレハーノフ(個別に)
  f.トロツキー(個別に)
  g.ブハーリン(個別に)
  h.ジノヴィエフ(個別に)
  i.カーメネフ(個別に)
  j.ラファルグ(個別に)
  k.ルクセンブルク(個別に)
  l.ラディック(個別に)
 3.その他の書籍は著者別に分類する(教科書類、小雑誌、反宗教的書籍その他は分類から除き、別扱いとする)。 1925年5月29日 スターリン」
※『勝利と悲劇』上巻520ページから521ページ(出典:マルクス・レーニン主義研究所党中央文書保管所フォンド558、目録1,資料2510)

このメモは、補佐官の目の前で10分程度で書き上げられたと言う。ヴォルコゴーノフは驚きを隠せず「スターリンの視野の広さを認めないわけにはいかない。」と書いている。
スターリンの蔵書には、かなりの本のページにアンダーライン、コメント、書き込みがあるという。そしてレーニン著作集初版の全ての巻には、アンダーライン、感嘆符!、余白への書き込みがある。しかも二度三度と読み込んだ跡が見られる。それは赤、青や普通の鉛筆などで繰り返しアンダーラインされている箇所があるからだ。
スターリンは生涯、歴史に関心を持ち続けた。それは彼の蔵書にも現れている。ベリャルニノフの『ロシア史教程』、グイッペルの『ローマ帝国概説』、トルストイの『イワン雷帝』と『ロマノフ家』には細かく眼を通していたようだ。また中学、高校、大学の歴史教科書が集められており、スターリン自身が教科書の内容をチェックしている。また、様々な雑誌などの定期刊行物でスターリンが関心を持ちそうな記事は、補佐官たちにより報告・提出されている。そして、執務中の合間を見て30~40分程手を止めて文学書や論文に眼を通したと言う。
以外にもと言うか、彼ならばと言うことだが、海外に亡命した者の出版物も収集し、眼を通していた。特にトロツキーの出版物は全て収集され、翻訳された。そして例によって多数の栞が挟まれ、アンダーラインが引かれている。

スターリンは、土日も関係なく働き続けた。そして一日中、膨大な報告、密告、問い合わせに対する回答、電報、暗号電文、書簡に指示を書き込み、自身の見解を簡潔に書き込んだ。
ジューコフは、スターリンについてこう語っている。
「読書をよくし、実にさまざまな分野に広く通じた人物であった。驚嘆すべき実務能力、問題の本質をたちまちにして把握する能力があったればこそ、スターリンは一日にあれだけのさまざまな資料に眼をとおし、吸収することができたのであって、並の人間にはとうてい力のおよばぬことである。」
ヴァシレフスキーは、
「スターリンほどたくさんのことを記憶している人間には会ったことがない。スターリンは100人を超える方面軍司令官や軍司令官を一人残らず知っていたし、軍団や師団の指揮官の何人かまで記憶にとどめていた。戦争中すっとスターリンは戦略予備軍の構成を記憶していて、いつ何時でも部隊の名前を挙げることができた。」
このような能力は、南方熊楠やヒトラーは天性の才能として持っていたが、スターリンは大変な努力を払っていたのだ。そう言えば毛沢東も司書だったし読書家だった。

スターリンを褒めると、眉をひそめる人がいるだろうが、無能力者がソビエト/ロシアの最高指導者になることはない。   

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