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 大航海時代 その5 トルデシリャス条約

2008年10月06日 | 大航海時代
ヨーロッパの歴史 より

 そして、スペインのコロンブスがアメリカ大陸に到達すると(彼はインドと信じていたが)、1494年、これを受けてスペインとポルトガルはトルデシリャス条約を結びます。簡単に言えばアメリカ方面はスペインのもの、インド方面はポルトガルのもの、という世界を2分割して支配しようと言う、とんでもない条約です。図に線を引いておきましたので、確認してください。(リンク先で確認)


Wikipedia トルデシリャス条約 より 抜粋

(1)1494年6月7日にスペインとポルトガルの間で結ばれた条約で、当時両国が盛んに船団を送り込んでいた「新世界」における紛争を解決するため、教皇アレクサンデル6世の承認によってヨーロッパ以外の新領土の分割方式を取り決めた。

(2)スペインはこの条約のおかげでアメリカ大陸の全域で優先権を持つことができた。ただ、現在のブラジルにあたる領土は1500年にペドロ・アルヴァレス・カブラルが到達したため、ポルトガルに与えられた。

(3)フランス、イギリス、オランダといった国々はこの条約によって領土獲得の優先権から締め出される形となった。この状況を打破するには、スペインやポルトガルの船団に対して海賊行為をおこなうか、(このころはまだ難しかった)教皇の決定を無視するかという選択肢しかなかった。
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(1)アレクサンデル6世は、チェーザレ・ボルジアの父ということで有名な、ルネサンス時代の典型的ななまぐさ坊主。スペイン出身で、スペインに都合の良い回勅を出すが、スペイン・ポルトガルの話し合いにより、彼の回勅は覆された。

(2)現在ブラジルはポルトガル語だが、その他の南米はスペイン語。

(3)Wikipedeia 「大航海時代」に他のヨーロッパ諸国が同条約を無視したことが書いてある。

イギリスによる北米探検(1497年)であり、イギリス・フランス・オランダによる一連の北米探検のはじまりとなった。スペインは、より多くの天然資源の見つかる中央アメリカおよび南アメリカの探検に人的資源を集中させていたため、北アメリカの探検に注いだ努力は限られていた。1525年には、フランスによって派遣されたジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノが現在のアメリカ合衆国東海岸を探検しており、記録に残る最初に北米東海岸を探検したヨーロッパ人となった。フランス人ジャック・カルティエは1534年にカナダへの最初の航海を行った。
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サラゴサ条約

Wikipedia トルデシリャス条約 より

マゼラン艦隊の生き残りを引き継いだフアン・セバスティアン・エルカーノが世界一周航海をなしとげてヨーロッパへ帰還すると、新しい疑問が起こってきた。それは地図上に南北に線をひいてスペインとポルトガルの境界をさだめていても、地球が丸いなら不完全なもので、もう一本線をひかなければ分割の意味をなさないのではないかという当然の疑問であった。

特に両国は当時、東南アジアのモルッカ諸島の帰属をめぐって熾烈な争いを繰り広げていた。モルッカ諸島は当時の貴重品であった香辛料の一大産地だったからである。なお、この時代の「モルッカ諸島」というのは現代でいうところのマルク諸島、ブル島やセラム島を指している。さらにはモルッカ海を囲む島々も「モルッカ諸島」に分類され、香辛料の産地として有名であった。

こうしてアジアにおける線引きのための交渉がおこなわれ、新たに発効されたのが1529年4月22日に批准された「サラゴサ条約」である。サラゴサ条約はモルッカ諸島の西297.5リーグを通る子午線を第二の境界とした。これは位置的にはブル島の東1425km、東経144度30分の位置にあたっている。この子午線はニューギニア島中央部を通る。この条約を結んでアジアにおける地位を保全してもらうかわりにポルトガルはスペインに賠償金を支払っている。これによってポルトガルのマカオにおける権益が承認された。スペインはオーストラリア全域における優先権を獲得したが、ポルトガルによる調査を禁止した形跡はない。

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