塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来『ケサル王』 174 語り部:地獄で妻を救う

2016-12-10 11:20:26 | ケサル
     ★ 物語の第一回は 阿来『ケサル王』① 縁起-1 です  http://blog.goo.ne.jp/aba-tabi/m/201304


語り部:地獄で妻を救う



 長い語りの後、土の上で胡坐をかいていた語り部は立ち上がり、胸の前で翻っている語り部の帽子の五色の布を後ろへ振り払い、声を伸ばして歌い始めた。

  髪を彩る金と銀の飾り物
  それは、空に瞬く群星のよう
  国王の御手に届けましょう

  サンゴとメノウの首飾り
  あざやかな草原の花のよう
  国王の御手に届けましょう

  身を包むあでやかな絹の衣
  まるで、天にかかった虹のよう
  国王の御手に届けましょう

  頭上の白い兜
  魔国の火によって鍛えたもの
  国王の御手に捧げます

  身を守る白い甲冑
  アダナムが自ら縫い上げたもの
  国王の御手に捧げます

  腰の矢入れの三本の金の矢
  国王からの賜りもの
  国王の御手に捧げます

  アダナムは魔国に生まれ
  後に国王に仕えた者
  死に臨みお別れは出来ずとも
  リン国の長き栄えを祈りましょう


 このくだりを切々と語るとり、聴衆の間からすすり泣く声が漏れて来た。

 その時、一人の若いラマが立ちあがり、大声で語りを中断した。
 語りの中で尊師と仏法を非難している、とジグメを責めた。
 「仏法の加護を拒絶出来る者などいるはずがない」

 一旦物語から離れると、ジグメは途端に気弱な人物に戻る。

 容赦ない攻撃はまだ続いていた。
 「なぜこの魔女の口を借りて人々を済度される尊師を攻撃するのだ」

 「オレはただ物語を語っただけで…分かるだろう…オレはただの仲肯で…」

 ジグメが言い終わるのを待たず、片腕を顕にしたラマは両手を打ち合わせ、よく通る声で言った。
 「尊師を攻撃し、仏法を敬わないとは。まさに妖魔そのものだ」

 たった今まで物語の世界に浸っていた人々も、この時現実に引き戻され、仏法と尊師を敬わない者に対して囃したて始めた。
 ジグメにとって、これはかつてない経験だった。仲肯が聴衆に追い払われようとしている。

 ジグメは立ち上がり言い訳しようとした。
 「みんな、分かってくれ、オレはただ伝えてるだけで…」
 ラマが再び強く手を打ち鳴らしたので、ジグメは衣装を纏めて一人その場を去るしかなかった。

 ジグメは怖かった。あれほど多くの人々から残忍で愛想尽かしの表情をされれば、怖くないはずがない。
 歩きながらもまだ全身が震えていた。だが、怖がってはならないと心に決めた。

 これは神から授かった物語であり、神が自分に語らせているのである。ならば、怖がることはない。
 あの場所に戻って物語を語り終えるべきだろうか――物語を完成させるのが語り部の使命なのだから。

 だが、ただそこまでの勇気はなく、やはり背を向けて歩き始めた。そのまま速足で歩き続け、その場から遠ざかった。自分がまだ怖がっているが分かった。これほどに怖がっている自分を憎んだ。

 疲れ果てるまで歩き、大きな松の木の下で足を止め、太い幹にもたれかかって息を整えた。





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