新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

南東北ドライブ旅行記 #1-6

2017-06-22 22:05:23 | 旅行記

「南東北ドライブ旅行記 #1-5」のつづきも、会津若松市飯盛山からお送りします。

建物好きの私、こんなを持っています。

奇想遺産―世界のふしぎ建築物語
鈴木 博之, 藤森 照信, 隈 研吾,
松葉 一清, 山盛 英司
新潮社

いつの間にやら絶版になってしまったようですが、「まえがき」を抜粋しますと、

日々の生活では思いつきもしない「奇想」に基づいて構築された建築、記念碑、そして大地の造形。新鮮な驚きを期待する好奇心が、不思議な形を求めてやまないから、観光は今や世界の主要産業なのだ。
「奇想遺産」とは、そうした旅人たちの記録帳に描かれた不思議な遺産を抜き出してきたものである。

というこの本が、私とさざえ堂(旧正宗寺三匝堂)との最初の出会いだった気がします。
そして、ぜひともさざえ堂上り下りしてみたい と思っていました。

で、サクラが飾り立てた石段の先にあったのが、さざえ堂

あまり広くない敷地どぉ~ん と立っているので、なかなか全体像の写真を撮りづらかったのですが(しかもが降ってきた)、こんなもんでいかがでしょうか?

さざえ堂

 

さざえ堂の名のとおり、ねじれまくった建物です。

ブラタモリでも紹介されましたので御存知の方も多いと思いますが、見かけ以上に「奇想のなのはその内部構造でして、「奇想遺産―世界のふしぎ建築物語から引用しますと、

木造の六角堂で、上りのスロープを回っててっぺんまで到達。中央にかかる太鼓橋を渡って下りのスロープに入り、入口とは別の出口へ。途中、二つのスロープは交差しない

というもので、かつては、このお堂上り下りすることで、四国三十三観音一筆書きお参りできるというものだったそうですが、今は観音像はなくなってしまい、ただ上って下るだけの建物になってしまっています。
もっとも、だからこそ、内部を写真撮影できるのですが…

こんなスロープギシギシいわせながら上っていくと、

てっぺん「太鼓橋」を渡り、(天井に貼られまくっている千社札うっとうしい)

そこからスロープギシギシ下ります

ものの5分間ほどで、四国三十三観音のお参りは完了 だったんですな、昔は。

それが、

会津さざえ堂のもともとの呼称は「正宗寺円通三匝堂」。明治の神仏分離寺が廃され、飯盛山主飯盛本家が保持してきた。明治前期に荒れ放題となり、修理を重ねて復旧。国の重要文化財となった。(「奇想遺産―世界のふしぎ建築物語より)

だそうで、明治政府の神仏分離令「忖度」した廃仏毀釈で、どれだけの文化財・文化遺産失われたことか と、毎度のことながら、憤った私でした。

さざえ堂の出口近くには、修理学術調査の実施を記念する木札がありました。

「荒れ放題」になっても、残ってさえいれば、その後の修理でなんとかなるものなのですな。
もっとも、関係者の尽力あってのことですが…

ところで、二重らせん構造「さざえ堂」は、この会津のお堂特有のものではなく、「奇想遺産―世界のふしぎ建築物語からもう一度引用しますと、

(1960年代に実測調査した)小林氏(日大教授)の研究に基づく創建年は1796年。世界に目を向けると、フランス革命と産業革命興隆の直後にあたる。社会の変動、都市の拡大と技術の進化がフランスの空想建築家のようなそれまでになかった空間を夢想させるひとびとを出現させた。わが国ではこの時代に、江戸をはじめ各地にさざえ堂が建築された

だそうで、

さざえ堂と呼ばれる仏堂は、青森県弘前市群馬県太田市埼玉県本庄市などに現存する。

とな。
上に挙げられている3つの「さざえ堂」の写真を見ると、この会津のさざえ堂奇抜な外観飛び抜けている気がします。

これは見ものですぞ

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