新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

大阪でビバった旅行記 #2-10

2017-07-06 21:54:29 | 旅行記

来週末から大阪遠征です。また旅行記ネタが仕込まれるわけなんですが、一方で今年1月末大阪遠征記延々と続いておりまして これはなんとかせねば

というわけで、「大阪でビバった旅行記 #2-9」のつづきです。

高校の修学旅行以来、かなぁ~り久しぶりにやって来ました、「銀閣寺」こと「東山慈照寺」

室町幕府8代将軍ながら、政(まつりごと)よりも、趣味に没頭したことで有名な足利義政が造営した山荘です。には、足利氏の紋、「丸に二引両紋」が…。

そして、すぐに「銀閣」こと「観音殿」

「銀閣」と対に語られることの多い「金閣」こと「舎利殿」(訪問記はこちら)に比べると、2階建てだし、金箔はもちろん銀箔だって張られていないし、かなり地味庭園広大かつ開放的「金閣寺」こと「鹿苑寺」とは逆に、かなりこぢんまりとしていて、銀閣(観音殿)の正面にはが迫り、圧迫感すら感じられるほどです。

でも、これが数寄者足利義政にとって理想の隠遁場所なんですな

足利義政がこの山荘を造営し始めたのは、11年間にわたって続いた戦乱 応仁の乱が終わってから5年後のこと。本人にしてみれば、「もう現実に向き合うのはイヤ 自分の世界没頭させていただきます」というつもりだったのでしょうけれど、応仁の乱で町を焼き尽くされた京都の庶民や、争いに疲れ切った武士たちにとっては、はぁ~  ってな感じだったのではなかろうか…

でも、そんな「KY」な施設が、約540年の時を経て、国内外から観光客を集めることになるとは、なんともいえない感慨が湧き上がってきます。唯一、足利義政公は草葉の陰「にんまりかも…

ところで、銀閣寺といえば、銀閣(観音殿)の建物と共に、盛り塩あるいはプリンのような向月台と、白砂が敷かれた銀砂灘(ぎんしゃだん)が思い浮かびます。

向月台は、その上に登ってを愛でる装置、銀砂灘は、中国の西湖のさざ波を模した装置らしく、どちらも江戸時代になってから現代の姿になったらしい…

でも、観音殿1階に座して、東山から登るを眺めることを想像すれば、向月台銀砂灘室町時代から今のような形で存在して、足利義政審美眼を楽しませたような気がしてなりません。

私も観音殿からを愛でてみたい…と思ったのでした。

つづき:2017/07/07 大阪でビバった旅行記 #2-11 (完結編)

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