新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

「ビバ初め」札幌旅行記 #3-2

2017-05-05 23:04:00 | 旅行記/美術館・博物館・アート

南東北ドライブ旅行から帰ってきて、またまた完結していない旅行記が3つに増えてしまいました。
今月末には鹿児島に出かけるわけですから、さっさと書きかけの旅行記を完結させねば

ということで「『ビバ初め』札幌旅行記 #3-1」のつづきです。
「札幌旅行記」としていますが、旅行3日目の主な舞台は小樽です。

小樽にやって来るのは、2011年4月以来3度目
前回は街の中心部にある金融資料館を始めとした古い建物たちがお目当てでしたが(旅行記はこちら)、今回は時間の都合もあって、小樽市総合博物館・本館に絞り込みました。

小樽駅前から乗った路線バス手宮で下車し、雪道をちょっと歩くと(小樽も札幌同様にしっかりと歩道も除雪されていました)、

博物館の入口

かと思ったら、とても使われているとは思えないほどに埋もれていました
実際、「手宮口」という出入口なんですが、冬期閉鎖されているのだそうで、マックスバリュの駐車場をショートカットして正面入口に向かいました。

アクセスマップ

立派な建物ですが、どことなく刑務所を連想してしまうのはなぜ?

さて、最初の展示は、、

7100形蒸気機関車しづか号でした。

 説明板を転記しますと、

北海道(幌内鉄道)で最初に走った「義経号」・「弁慶号」と同じ形式の蒸気機関車です。1884年(明治17)アメリカのポーター社で造られ、翌年5月、ここ手宮に陸揚げされました。
火の粉止めの付いた煙突、カウキャッチャーなどが特徴のアメリカンスタイルで、合計8両輸入されました。そのうち1号から6まで義経・弁慶・比羅夫・光圀・信広・しづか、と名前が付けられました。

だそうです。
「弁慶号」鉄道博物館(てっぱく)で何度か拝見しました。

「義経号」(京都鉄道博物館蔵)、「弁慶号」「しづか号」は知ってましたけれど、 「比羅夫号」「光圀号」「信広号」は知りませんでした。「光圀号」徳川"黄門"光圀「比羅夫号」阿倍比羅夫から採ったのだろうけれど、信広さんって誰? 現代も普通にいらっしゃいそうですけど…

図録によれば、「蝦夷地南部を統治した松前藩の始祖・武田(のち蠣崎)信廣から採られたのだとか。
なるほどねぇ~
それしにても、仕方ないとはいえ、すべて、完全に和人の視点からの命名ですな

   

ところで、この小樽総合博物館本館は、鉄道博物館としての色彩の濃い博物館です。

冒頭の「しづか号」だけに限らず、展示は鉄道を軸にして小樽や北海道の歴史を勉強することができました。
その意図と背景は、公式ガイドブックのタイトル「鉄道と歩んだ街 ここから始まった北海道の鉄道史」が端的に示していると思われます。

日本で最初に鉄道が開通した区間は、新橋⇔横浜(現桜木町駅)で、1872年10月のこと。
その1年半後1874年5月には、神戸⇔大阪が開通したのですが(京都までの延伸は1877年2月)、一方、北海道で最初の鉄道が開通したのは、日本で4番目1880年11月のことで、手宮⇔札幌間(3番目は1880年2月に鉱山専用鉄道の釜石鉄道)。

この「手宮」というのが、小樽総合博物館本館のある地点です。

この鉄道は、幌内炭鉱(現・三笠市)の石炭小樽港から本土に輸送することを目的として設立された官営幌内鉄道で(1882年11月には幌内まで全通)で、本土への玄関として小樽栄えるきっかけになったのが、この鉄道だったんですな。

上に載せたのは開業当時の手宮駅のジオラマで、下はその平面図

ジオラマの奥の方に桟橋が見えますが、この桟橋1911年11月大変身を遂げます。
手宮高架桟橋という巨大構築物が造られ、

桟橋は二重構造で、手宮駅を発車した貨車は機関車に押し上げられて桟橋上へ。横付けした船に石炭を積み、空になると下側の線路から下り勾配を自走して帰る仕組みでした。

だそうですが、説明を読んだだけでは判り辛いのですが、見事な動く模型が、その仕組みを説明してくれました。

全体像がこちらで、海上部の長さが289m海面からの高さが19mという偉容です。

石炭を満載した貨車を陸側(左側)から機関車が押し上げて行き、所定の位置で停止すると、貨車の側面からスロープを通じて船の船倉に石炭流し落とす

空になった貨車は一両づつ切り離されて、空走して桟橋の先端(右側)まで移動したあと、スイッチバックして下層にこれまた空走して手宮駅に戻ったのだとな。

重力をうまく利用した仕組みだと思いますが、各貨車制御(ブレーキのみ)は、作業者が貨車に同乗して操作していたんでしょうね…。
危険いっぱいの作業だったんだろうな… 

しかも、この巨大構築物木造だったいうのですから唖然

公式ガイドブックによれば、

巨大な高架桟橋は、驚くべきことに木材を積み上げて造られたものでした。それだけに老朽化は早かったようで、昭和に入ると小樽築港地区に新たな石炭積み出し施設が造られたこともあり、昭和19(1944)年に高架桟橋は廃止となっています。

だそうです。

そういえば、前日、北海道開拓の村で観たこちらの建物(記事はこちら)、

「手宮駅長官舎」は、この駅の官舎だったんですな。
上に載せたジオラマの写真とは別方向から撮った写真に官舎3棟写っていました (中央奥です)

なんとも楽しい

こうして、複数の経験や知見が結びつく瞬間って、喜びを感じるなぁ~。

自己満足に陥っている気配濃厚ですが、もうちょいお付き合いくださいませ。

つづき:2017/05/19 「ビバ初め」札幌旅行記 #3-3

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