新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

2016年師走の仙台旅行記(その5)

2016-12-12 23:48:28 | 旅行記

「2016年師走の仙台旅行記(その4)」のつづきです。

鹽竈神社神紋は、八重桜でした。

それも、ただの八重桜ではなく、天然記念物に指定されている「鹽竈ザクラ」だとか。

境内の鹽竈ザクラの傍らに建てられた立派石碑によれば、

この桜は、第73代堀河天皇の御製に見られる様に、平安時代には既に当社境内に生育していました。主な特徴は、めしべが変化して2枚~3枚の青い葉となり、花輪が甚だ短く、花弁は35枚から50枚で、縦じわがあり、先端が2~5の微凹の鋸歯状になっており、5月初旬に開花します。
この桜は、当社の御社紋になっております。
堀河天皇御製
あけくれに さそな愛て見む 鹽竈の 桜の本に 海人のかくれや 

ふむふむ
でも、950年近くも昔の歌に出てきたって生きながらえていられるものでしょうか?

と、Wikipediaを見ると、

サトザクラ系のシオガマザクラは花弁が約40片からなる大輪の八重ザクラである。その歴史は古く、堀河天皇の御製に「鹽竃櫻」と見あることから、平安時代には品種として成立していたものと考えられている。古くから著名なサクラとして昭和15年(1940年)には国の天然記念物に指定された。
その後高齢木のため枯死したため、昭和34年(1959年)に天然記念物の指定が解除された。しかし枯死直前に鹽竈神社の庭師である松木操により接木がされ、京都のサクラ研究家である佐野藤右衛門の指導を受けて「塩竈桜保存会」が苗木を育成した。
保存会の努力により育った苗木は、鹽竈神社境内に54本植えられ、このうち31本が昭和62年(1987年)12月17日に国の天然記念物として再指定された。

だそうです。
堀河天皇が歌に詠んだDNAが現代に伝えられているかもしれないと考えると、ワクワクします。

   

表参道の石段の上には随身門が立っていて、その中には、外側に定番矢大臣・左大臣がいるのですが、

内側に佇んでいたのは、

鹿ちゃん木像でした。
春日大社と同様、武甕槌神鹿に乗って鹿島から塩竃までやってきたのでしょうかねぇ…

   

帰りは、来たときとは別のルート表参道を通って本塩釜駅に向かうことにしました。
もう一か所、お参りしたい神社がありましたし…。

で、随身門を抜けると、、、

おわぁぁ~ 何だ、この高低差 この傾斜

高い場所を見上げるよりも、見下ろした方が、その高さを実感できるものですが、それにしてもこの光景は…
高所恐怖症の気のある人にとっては、心臓に悪いはず

しかも、石段を下り始めると、擦り減ったのか、石段自体が下に傾いている感じだし、そこかしこに枯れ枝・枯葉が積もっていて、危なっかしいったらありません。
が積もったり、凍結したときはもちろんのこと、が降って石段が濡れただけでも、かなり危ないぞ、これは 

と、ビクビクして石段を降りたように書いていますが、実際はスリルを楽しんでおりまして、途中で見かけた狛犬・獅子を鑑賞できるくらいの余裕はありました。

この吽形獅子? 狛犬?

威厳なく痩せていて、どちらかといえば「貧相」の部類に入ると思うのですが、こんな狛犬・獅子は、以前にも拝見したことがあります

そう、これまた伊達家ゆかりの仙台大崎八幡宮(記事はこちら

もしかすると、このやせぎす狛犬・獅子鹽竈神社のペアも、大崎八幡宮同様、W狛犬っぽい)は、「伊達好み」だったのかも…

その辺りの解明中長期的な課題といたしまして、このペアの台座を見ると、「安永4年4月10日」と読み取れます。

安永4年は、西暦1775年江戸中期ですな。
240年もの風雨に晒されて、やせ細った…?
それはないだろうな… 

もともとこんな風に作られたと考えるのが自然だと思います。

上に載せた写真、よく見ると良く撮れていますので、お顔のアップを載せて、「その5」を終わりにしたいと思います。

例によってなかなかはかどらない 

つづき:2016/12/13 2016年師走の仙台旅行記(その6)

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