新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

6年ぶりの鹿児島旅行記 #2-2

2017-06-14 23:53:33 | 旅行記

「6年ぶりの鹿児島旅行記 #2-1」のつづきです。

8:30になろうかなるまいかという時刻、ホテルから歩いてすぐのレンタカー屋さんへ行き、予約していたレンタカーを借り出し、すぐにフェリーターミナルに向かいました。

ホテルで入手した桜島フェリーリーフレットで、フェリーターミナルの場所はだいたい把握していたのですが、

信号待ちの時間を利用して、クルマのナビにフェリーターミナルを目的地として設定しました。
ナビ取説を見なくとも、なんとかなるものですな

でも、私にとっての一番課題は、ナビの操作ではなくて、初めてのフェリー利用方法でした。

フェリー運賃車長で決まることは知っていましたが、自分のクルマの車長をどうやって示すのか?(車検証をすぐに見せられるように準備しました)、どこで運賃を支払うのか? そのとき、クルマどこに置けばよいのか? などなど判らないことばかり…。

そんなことを考えるうちに、フェリーターミナルに到着し、標識に従ってクルマを走らせると、係員さんが手招きで合図してくれました。

その合図のままにクルマを進めると、、、そのままフェリー乗船

乗船して(すぐに係員さんが輪留めを設置してくれた)、あれれ? どうすりゃ良いのだ? 戸惑っているうち、気がつくとフェリー出港していました 蛍の光が流れるわけでもなく、ドラが打ち鳴らされるわけでもなく…

さて、航海の間、どうすりゃ良いのでしょうか?
クルマをロックして、船室に行く?

周りを見渡すとドライバーのほとんどは運転席に座ったままです。

考えてみれば、この航海所要時間はわずか15分
たった15分しかないのに、わざわざ船室に移動する必要はなかろう、と納得した私は、右舷から桜島を眺めたり左舷から仙巌園探したりして時間を過ごしました。

そうこうしているうちに、フェリー桜島港に着岸し、3列に乗船していたクルマは、係員さんの指示に従って下船していきます。

なんともスムーズです

15分おきに運航されているフェリーですから、これほどスムーズに乗船・下船させないと回らないのでしょうなぁ。

それはそうと、運賃どこで、どうやって支払うのだ? と思いながら車列に続いてクルマを動かすと、フェリーターミナルの出口に、有料道路の料金所のような施設がありまして、クルマに乗ったまま、そこで運賃を支払う仕組みでした。
車長係員さん目分量のようで、私が用意した運賃1,600円を差し出すと、そのままゲートを通過し、なんともあっけなく初めてフェリー渡船終了しました。

ちなみに、桜島フェリー身一つで利用した場合の運賃は、驚異160円
乗船時間15分からすれば、それ相応かも知れませんが、鹿児島港から桜島港まで移動するにしては(他の交通手段を使うことと比べれば)かなりお安い

なんてったって、鹿児島中央駅前レンタカー屋さんを出発して桜島に到着するまで、たった30分ですぞ

う~む…と唸りながら、私は桜島の南側のメインルート・R224ではなく、途中までR224並行する「スーパーマグマロード」を走り出しました。

桜島港から2kmほど走ったところで、「烏島展望所」という看板と駐車場を見つけて、ここで「観光その1」を決行しました。

「烏島展望所」で、まず目についたのは、こちらの石碑

石碑

「烏島埋没所」と刻まれています。どういうこと?
そもそも、「烏島」といいながら、ここは桜島の一部だし…

理解できないまま、駐車場の周りを見渡すと、展望台がありましたので、そこまで行ってみることにしました。

展望台

こなれていないというか、いかにも溶岩が固まった風の岩の横を通って、展望台に…。

噴煙をたなびかせる桜島を背景にして、石碑がありました。

「烏島この下に」の石板があり、その左側にこんな碑文が…。(実際はカナ書き&漢数字)

烏島は高さ約20メートル 周囲およそ500メートル 玄武岩質岩石から成る島であった
大正3年「西暦1914年」1月13日 桜島西腹から流出した溶岩は18日遂に此の島を埋没して終った
茲に碑を建てて其の跡を示す

だそうで、このが建てられたのは、昭和26(1951)年だとか。

さらに、もっともっと新しい説明板もありました。

「薩英戦争砲台跡」というこの説明板によれば、

烏島は、かつて桜島の沖に浮かぶ小島でした。
嘉永3年(1850年)頃、島津家27代当主島津斉興は、海防体勢を強化するためここに砲台を築きました。
文久3年(1863年)の薩英戦争時には3門の大砲が配備されており、イギリス艦隊に砲撃を浴びせました。
特にイギリス艦隊が桜島小池沖から、この烏島砲台のすぐ横を南下して撤退していったため、この間は双方激しい砲撃戦を交えました。
大正3年(1914年)の桜島大噴火で、島の周りは流れ出た溶岩で埋め尽くされました。
海を隔てた1つの島が溶岩で埋もれてしまうというこの現象は、火山史上でも非常に珍しいものです。

だそうです。
ここにあった大砲集成館で造られたものだったのでしょうか?

薩英戦争の話と、烏島が埋まった大正期の噴火の話との脈絡がなくイマイチの説明ではありますが、この場所が溶岩でできていて、その下に埋まっているというのは、ちょっと凄い話です

なにせ、「標高約20m、周囲約500m」だったというほんの小島周辺が、いまやこんな眺めなんですから

溶岩威力驚く一方で、きっと溶岩ゴツゴツ状態だったはずの「新桜島」が、わずか100年でこれほどまでにで覆われていることに、自然の再生力のようなものが感じられてただただ驚くしかありませんでした。

上に載せた写真アップすると、、、、

鹿児島中央駅付近が見えましたとさ。

つづき:2017/06/16 6年ぶりの鹿児島旅行記 #2-3

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