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足利学校@2015/05/04

2015-05-06 | 旅行・地域
あしかがフラワーパークの後は、
折角足利にいるので、『日本最古の学校』足利学校へ。

足利学校最初の門、入徳門の額

ここをくぐり抜けて、学校内へ。

入徳門の脇にある、「史跡 足利学校」の銘版

緑錆?がかっていて、よく見えません。
写真だからよく見えないのではなく、
本物もよく見えませんでした(苦笑)。

入場料を支払うと、この様な入学証が

学生証じゃ無いんですね(笑)

学問を学ぶところということで、孔子立像。


学校の校舎敷地に入る前に、その手前にある
旧足利学校遺蹟図書館に立ち寄り。

何か展示物があるのかと思いきや、
本当に図書館でした(苦笑)。
ただ、この建物自体は大正4年に建てられたもので、
足利市の重要文化財に指定されているそうです。

一瞬、拍子抜けのところはありましたが、
気を取り直して、学校門から学校の校舎敷地に入ります。


更にその奥に、杏壇門があります。

これは、孔子廟の門という位置づけになります。

杏壇門を抜けると、孔子廟


孔子廟の中には、孔子木造が鎮座

入って近くにあった、孔子の石像とは違う顔立ちです。

そして、その隣には足利学校創設者説のある小野篁の木像。

本当に小野篁が創立者だとすると、
830年代に学校が成立していたことになりますね。
凄いな。
もっとも、足利学校の創立時期については諸説あって、
本当のところは、どうだかわからないようです。

先に進みます。
此処から先は、嘗て小学校が設置されていたところで、
小学校の移転後に、復原されたところになります。

南庭園です。

書院庭園の形式を持つ、築山泉水庭園だそうです。

その南庭園に面して、方丈があります。


方丈に上がります。
『学校』の扁額と

『杏壇』の扁額

『学校』の扁額は、孔子廟と並んで古いものらしく、
寛永八年から伝わるもの。
いま学校門に掛かる扁額は、この扁額を下に複製したものだそうです。
『杏壇』の扁額は、紀伊和歌山藩十代藩主徳川治宝に寄るものだそうです。
この扁額は、明治二十五年の足利町(当時)に発生した大火の際、
黒焦げになってしまったそうです。
確かに、文字が殆ど読めないほど、黒焦げ。
いま杏壇門にかかっている扁額は、これを下に複製したものだそうです。

これは、上杉憲実の木造。

上杉憲実は、「足利学校中興の祖」なんだそうです。

これは、脇階段にある、儒学者達の像。

左から孟子、曾子、孔子、顔子、子思子
顔子、子思子と言うのは知りませんでしたが、
何れも、孔子の子孫の様ですね。

玄関を通りすぎて、行くと仏殿の間。

真ん中には須弥壇。
そして須弥壇の左側にある位牌は、東照大権現と言うか、
徳川家康の位牌。

その隣は、尊牌の間
徳川家歴代将軍の位牌が安置されています。
一列横に並んでいるんですが、それだと分かり難いので、
右半分から。

左から、
第7代徳川家継「有章院殿贈正一位大相国」
第6代徳川家宣「文昭院殿贈正一位大相国」
第5代徳川綱吉「常憲院殿贈正一位大相国」
第4代徳川家綱「厳有院殿贈正一位大相国」
第3代徳川家光「大猷院殿贈正一位大相国」
のこり左半分。

左から。
一番左は、徳川家の将軍の位牌ではなく、
「桂昌院殿従一位仁誉興国光公大姉」と書いてある、
女性の位牌。
これは、綱吉の生母桂昌院の位牌だそうです。
そして順に、
第11代徳川家斉「文恭院殿一品大相国公」
第10代徳川家治「浚明院殿贈正一位大相国」
第9代徳川家重「惇信院殿贈正一位大相国」
第8代徳川吉宗「有徳院殿贈正一位大相国」。
第11代徳川家斉だけ、院号以外も、
書いてあることが変わっていますね。
何で?
彼だけ、家康、秀忠以外で唯一、生前に
従一位太政大臣になっていたからでしょうかね?

先ほど南庭園がありましたが、こちらは北庭園

南庭園と同じく、築山泉水庭園だそうですが、
こちらのほうが格式が高いそうです。

こちらは書院

中にはいることが出来ないので、入口から撮影。
南庭園に面しており、庠主(校長)の接客の間として
使われていたそうです。

孔子立像と、その背後の額


方丈・書院。庫裏は繋がっています。
ッて言うか、庫裏に有る入口から、方丈に上がるんですけどね。
そしてその庫裏には、足利学校に関連する史料類。
史料の多くは国宝ですが、展示されているのは複製。
外来光も入るし、実物は展示できないよね。

外に出ます。

庫裏の横に木小屋

薪や農具などの置き場のほか、漬物などの食料品を保管した建物だそうです。

これは、土蔵

重要なものを保管しています。

これは、衆寮

僧房または学生寮として使われたそうですが、
それほど大きくはないですね。
寮として生活するには狭いかも。
中は、こんな感じ。

狭いです。

これは、裏門の裏。

敷地の裏ではなく、だいたい学校門の並びにあるんですけどね。
こちらは、裏門の表(笑)。

ここから入ると、北庭園の築山の裏辺りに出ますが、
庫裏とか方丈に向かうには、こちらの方が便利かもしれません。

こちらは、学校敷地裏手に有る歴代庠主(校長)のお墓。

室町時代、関東管領上杉憲実再興の後、
明治の廃校までに、23代の庠主が居たそうなんですが、
そのうち17代の庠主の墓があります。
庠主の名前がわかるのは8基あり文字が判読されていますが、
残りの9基は不明だそうです。

その歴代庠主のお墓の横には、
元足利学校代官茂木家累代の墓もありました。

庠主と代官の関係って、今の学校校長と教育委員会の関係?

以上で、足利学校の体験入学(笑)は終了。
すごく昔から続いている非常に貴重なものだという事が、
よくわかりました。
でも、なんで、都(京都)から離れた足利の地だったんでしょうね?

補遺
これは、帰り際。

足利学校って、濠に囲まれています。
少しお城を思わせますね。


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足利学校 http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/ashikagagakko/
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