兵藤庄左衛門、批評

芸術、芸能批評

民俗芸能 2

2012-05-04 16:20:53 | 舞台芸能批評
・ビデオ「寺野三日堂祭礼 ひよんどり 静岡県指定無形民俗文化財」引佐町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.2、'94、30分
 寺野は浜名湖北の都田川上流引佐町渋川の北の山地集落で44戸である。村の起こりは伊豆の人が三河を経て寺野の地に入り開発したという。その先祖伊藤右衛門の墓がある。観音堂(三日堂)のある草笛山宝蔵寺には井伊直親が伝える青葉の笛がある。
毎年正月三日にひよんどり(火踊り)は行われる。
12月下旬練習開始、御手洗井戸の清掃、松明作り、絵馬札刷り。12/28各戸で餅つき、大きい鏡餅(ト餅)を観音堂に供える。ト餅の上にお白餅を載せて本尊に供えられる。踊り用の面は17面伝わり「ねこざね」が珍しい。がらん祭りで御神楽を奉納する。
観音堂でのひよんどりは松明を持って謡うのでひよんどりと云われる。禰宜・楽頭・摺鉦・笛等の楽人が座す。
・ 順の舞(禰宜の舞) :古い巫女の舞の形残す。五行を拝する。
・ 万歳楽:
・ 三つ舞:三拍子、三人、扇や鉦を持つ。
・ 片剣の舞:
・ 片剣のもどき:先ほどのものを滑稽化する。
・ 両剣の舞:
・ 両剣のもどき:
・ 火王の舞ともどき:禰宜が舞う。
・ 矛の舞:しゅし芸。
・ 粟穂の舞:
・ 杵の舞:田遊びに多い。
・ 女郎の舞:道化。
・ 翁の舞:
・ 獅子の舞:
・ 鬼の舞:奥三河の花祭りに似ている。
・ ねこざねの舞(しずめの舞):終了
終了後芋がら入り汁かけ飯を再現し供食した。雨乞い呪術と関係する。午後2時に始まり午後6時に終了した。かつては旧正月三日夕刻に始まり徹夜で行った。
安永8年、次第書「田遊び」では、「1.水口、2.田打、3.畦塗、4.苗草取り、5.苗草入れ、6.種蒔、7.鳥追、8.麦米搗、9.田植、10.稲刈、11.稲ぶら」であった。

・ビデオ「小国神社の田遊び 静岡県指定無形民俗文化財」森町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.3、'94、30分
 
・ビデオ「法多山の田遊祭 静岡県指定無形民俗文化財」袋井市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.4、'94、30分
 
・ビデオ「日向の七草祭 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.5、'94、30分
 
・ビデオ「藤守の田遊び 静岡県指定無形民俗文化財」大井川町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.6、'94、30分
 
・ビデオ「山名神社天王祭舞楽 静岡県指定無形民俗文化財」森町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.8、'94、30分
 
・ビデオ「横尾歌舞伎 静岡県指定無形民俗文化財」引佐町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.9、'94、30分
 
・ビデオ「人形三番嫂 静岡県指定無形民俗文化財」賀茂村教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.10、'94、30分
 
・ビデオ「沼田の湯立神楽 静岡県指定無形民俗文化財」御殿場市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.11、'94、30分
 
・ビデオ「有東木の盆踊 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.14、'94、30分
 
・ビデオ「天宮神社十二段舞楽 静岡県指定無形民俗文化財」森町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.18、'94、30分
 
・ビデオ「焼津神社獅子木遣 静岡県指定無形民俗文化財」焼津市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.19、'94、30分
 
・ビデオ「御船神事 静岡県指定無形民俗文化財」相良町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.20、'94、30分
 
・ビデオ「清沢の神楽 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.22、'94、30分
 
・ビデオ「三島大社お田打ち 静岡県指定無形民俗文化財」三島市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.24、'94、30分
 
・ビデオ「三島囃子 静岡県指定無形民俗文化財」三島市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.29、'98、30分
 三嶋大社社頭の競り合いでのシャギリとは演奏合戦のこと。三嶋は伊豆の国府で東海道五十三次の宿場として栄えた。8月15日から3日間、三島夏祭り、シャギリは地元でチャンチキと云われてきた。先年まで三嶋大社夏祭りと云われてきた。三嶋大社の例大祭は、820年前の8月17日源頼朝が挙兵したことと関連する。庶民の祭りとシャギリでは、中世以後庶民の祭りとなっていった中で、囃子も登場するようになっていき、三島囃子は16世紀前半の史料に登場する。練習風景と市内のまつりでは、三島囃子保存会により5月初旬から練習が始まり、夏祭りまでに市内各所で祭りがある。三島周辺の川原ヶ谷、谷田、夏梅木、梅田、大場の5つの村のキタカタという若い衆が三島囃子を伝えてきた。三島周辺のお囃子では、沼津大瀬まつり、富士宮秋祭り、御殿場ヨシダサン等御殿場や田方に関連は明確ではないが、類を同じくするお囃子が伝わっている。現在の三島夏祭りと当番町では、前日に山車を出し掃除飾りつけをする。8月15日早朝、出陣式をする。向かう先は三嶋大社で社頭でお祓いを受ける。三島囃子の曲目と演奏では、シャギリ「昇殿・荷崩し・四丁目・速・雷電・屋台・鎌倉・切りばやし」、囃子「松はやし・祇園はやし・吉野はやし」が知られる。伝えられるシャギリは8曲である。昇殿はゆったりと荘重な曲である。荷崩しは調子のよい曲である。四丁目シッチョウメはオウドウ、コドウともに聴かせどころがあり終盤に一緒に演奏し盛り上がる難しい曲である。速は急テンポの曲である。各曲とも演奏される状況がおよそ決まっている。雷電は笛がなく激しいテンポである。屋台は別名喧嘩囃子で競り合いの時に奏する勇壮な曲であり、相手のテンポに惑わされたら負けである。鎌倉はテンポ緩やかで哀愁を帯びる。切りばやしは最後に奏する短いけじめの曲である。囃子は6曲あったといわれるが今は3曲である。シャギリと囃子は明確に違い、演奏される場も違った。囃子はシャギリに対しゆっくりした曲調で、三味線・大鼓・小鼓が加わる。松ばやしはゆっくりしていて秋を思わせる。祇園ばやしは優雅な曲である。吉野ばやしは陽気な曲調である。三島囃子の楽器と技術では、大太鼓オードーは撥を軽く転がすように反動を利用して打つ。小太鼓コドーは撥を軽く八の字に持ち反動を利用して打つ。摺鉦は半身に構え手のひらと撥を打つタイミングでチャンとチキを使い分ける。篠笛は七つ穴で四本調子や五本調子といい、右利きは右に構え、シャギリのみ使う。大鼓オーヅーは左脇に構え右手で打ちしらべという握り紐の具合で音色を変える。小鼓は右肩に構え右手の人差し指と中指で打つ。しらべという握り紐の具合で音色を変える。三味線はお囃子のみ使う。演奏方法は先輩から後輩へ直接伝えていくが、受けて側の符丁としての楽譜がある。守り伝えられる三島囃子では、近年子供シャギリが参加するようになるなど、後継者育成が図られ文化財にも指定された。

・ビデオ「猿舞 静岡県指定無形民俗文化財」島田市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.32、'98、30分
 島田市東光寺は中心部から約3km山あいに入った集落で43戸約170人が住んでいる。天台宗池沢山東光寺の裏山には日吉神社が鎮座している。神仏分離令で寺と神社を分けた。
 猿舞は猿踊りといわれ、今から300年前の元禄年間には生まれていた。例祭日は毎年4月14日であるが、以前は比叡大社の申の神事に合わせ4月のにの申の日に行われていた。2月24日舞人の依頼で集落内の8歳から12歳までの少年2人を決める。練習は地区公会堂で3月9日から約1ヶ月行う。楽人は笛6人、太鼓1人である。猿面は視野が狭いが回転する舞なので少年には難しい。4月13日前日神職からお祓いを受ける。舞台設営を行う。神輿や道具の手入れを行う。幟も立て祭りの準備が着々と進む。夕刻祭り宿のお宅に一行が伺い、前夜祭を行い、直会も行う。以前は東光寺谷川で禊を行っていた。神輿の見張りもする。4月14日当日、神社で遷座式を行う。神輿を東光寺に下ろす。その隊列は決まっている。境内の御旅所に神輿を安置する。関係者一同は神事を受ける。猿田彦の持つ榊は魔除けになる。二つの猿面は雄と雌がある。楽人は準備の間、その時用の曲を演奏する。舞は三種である。「双々の舞」は二人で舞い、幣束と神楽鈴を持つ。「扇の舞」は雄猿が舞い両手に扇を持つ。「本舞」は再び二人で舞い右手に神楽鈴、左手に幣束を持つ。激しい動きを見せる。舞が終わると注連縄を切り走って神輿を還御し、還御式をして祭りを終了する。類似行事として千葉山日吉神社の例祭が4月第2日曜日にあり、2匹の猿像を祀るだけでなく、他にも類似している。

・ビデオ「三熊野神社の地固め舞と田遊び 静岡県指定無形民俗文化財」大須賀町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.35、'98、30分 
三熊野神社は大須賀町横須賀の城下町にあり、かつては港町だった。遠州に熊野三山を祀ることにし本宮が三熊野神社、新宮が浜岡の高松神社、那智が小笠神社とした。熊野三山を勧請し横須賀の雨垂の洲崎付近に着き、このときに粟飯神事を行ったというので今でも粟飯を供える。三社市でも賑わった。三熊野神社を支えたのは農業や漁業によっていた西大渕の人たちである。正月に豊作を祈り地固め舞と田遊びを行ってきたが、大正期に4月に行うようになった。西大渕や今沢の青年たちが正月や3月から練習を行う。祭りが近づくと作り物の準備をする。ツトッコという大漁を祈る飾り物もある。4月第1土曜日が宵祭である。神輿担ぎの人たちと神社でお祓いを受ける。終わると宮篭りする。別火といって家族とは火を別にして過ごす。大祭前日松葉採りして田遊びの準備する。当日朝タチザケといって清めの酒を飲んで神社に向かう。三熊野神社では神事のあと神輿の渡御を行う。先頭は獅子神楽でネンネコ様などもある。途中御旅所によりミコダキの神事もある。ミコダキは人形で杉山家が保管し、1年に1度このときに抱くと子宝に恵まれるといわれる。田遊び用の人形に子授け霊力があるといわれるのは、相良「蛭ヶ谷の田遊び」、藤枝滝沢などに伝わる。ネンネコサマは穀霊で今は別行事のようだが、田遊びの一つだった。
『地固め舞』:神輿担ぎが頌歌人になり、西大渕の青年が舞う。「金太刀」:刀を持ち結界を築き魔除けとする。「木太刀」:模型の太刀を持つモドキ舞である。鳥追いの頌歌。「金薙刀」:結界の舞。「木薙刀」:モドキ舞。鳥追いの頌歌。「手杵」:飾った立て杵を持つ。頌歌はない。「竹弓」:一定の決まりの竹の弓を持ち後ろに頌歌人がたつ。「木弓」:これも一定の決まりの木の弓を持つ。「散米」:頌歌人が米をまく。ツトッコを手にいわしの豊漁も祈る。ツトッコは魔除けになるといわれる。
『田遊び』:境内で今沢の青年による「代掻き」が始まる。「田植え」:松葉をまきながら田歌を歌う。松葉を田に刺すとよいといわれる。「クライレ」:馬が駆けると田遊びも終わる。いつ伝わったか定かでないが、神社に伝わる江戸期の絵図によりほぼこの頃形式が定まったようだ。ただ長い間に変化し簡略化した。「法田山の田遊び」に影響された同じ文化圏の芸能と考えられる。

・ビデオ「三社祭礼囃子 静岡県指定無形民俗文化財」大須賀町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.36、'98、30分
 三熊野神社は大須賀町横須賀の城下町にあり、かつては港町だった。遠州に熊野三山を祀ることにし本宮が三熊野神社、新宮が浜岡の高松神社、那智が小笠神社とした。
 三熊野神社の祭礼で江戸囃子が行われるようになったのは江戸中期1700年代である。ネリは町衆が三熊野神社祭礼においてツケとしてネリを行ったことから起こった。大須賀の人たちはネリきちと自称するほど山車のネリと囃子が好き。稽古は正月から行われる。祭りは4月第一週金曜がソロイ(宵宮前夜)、土曜が宵宮(朝祭り)、日曜が本祭である。
宵宮午前8時、山車供養順籤引きを神社で行う。神社の前で囃子に合わせひょっとこ面の男が踊り、次に女の子はおかめ面の踊り、最後はひょっとこ面の踊りとなる。本殿を廻って境内に山車が勢ぞろいする。山車をネリといいネリの上部を山車という。囃子は小太鼓二つ、大太鼓、笛は珍しい太くて長い物使用、摺り鉦、ネリは囃子にあわせ軽く足踏みし山車を蛇行させる。境内に勢ぞろいすると当番町が三社囃子を奉納する。「馬鹿囃子」「昇殿」「鎌倉」「四丁目」「お馬」「やたした」「若林」など全曲を披露する。奉納祭が終わると役回りで各町内会所を廻る。自分の会所に戻ると提灯に付け替える。夜祭は自分の町内より東または西に向かう。
 本楽は神輿行列があり、山車は止まり通過を待つ。夜まで引き回し、最後に境内に集まる千秋楽。旗を返し手打ちして終わる。江戸囃子はすでに滅んだが、当所のものは最も古い江戸囃子を残しているかもしれない。
 チーネリ(9月)蓮池は子供だけで山車を引き、大祭のジュニア版である。正月、5月などにある。

・ビデオ「富士宮囃子 静岡県指定無形民俗文化財」富士宮市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.37、'98、30分
 富士宮祭りは11月3日から5日までの3日間、浅間大社の祭りで19台もの屋台が出て勇壮に囃し舞う。富士宮市は富士山南麓に位置し富士山本宮浅間大社が鎮座する門前町で、甲州との交易の中継地としても栄えた。中世以来富士講の道者による登山修行の山の麓として栄えた。江戸期末期1860年代には町方衆の祭りとして行われていたことが分かる。富士宮囃子同様江戸から伝わって来た御囃子には「大東町八坂神社の祇園囃子と祭礼行事」、「大須賀町三社祭礼囃子」がある。祭り前に会所開きがある。19町が各組織を作り実行委員会が統合するシステムになっている。祭り前日山車屋台の点検整備をする。当日各町内ごと出発式を行い宮参りで浅間大社に向かう。屋台から太鼓をはずして行進する。
 御囃子は「にくずし」(祭りの気分を盛り上げる軽妙な音楽)で始まり、「屋台」(勇壮な曲調で競り合いの時に奏する。2種の切り替えがあり一の玉、二の玉と呼ぶ。各町内ごと曲調が微妙に違い持ち味となっている)。「昇殿」(競り合いに勝った側が奏する。)が奏される。キンドと鉦は基本のリズムを刻み、ゴオドは笛と調子を合わせ緩急をつける。打ち手は演奏の綾を工夫してつける。切り替え終了などの全体の指揮は笛がつける。宮参りして御幣を持ち帰る。祭り囃子も奉納する。競り合いは本来出会ったときどちらが道を譲るかを囃子で決めていたことに由来する。屋台が町内の境を越える前に会所に挨拶し、迎える町内も役員が境に出向き迎え、競り合い等について打ち合わせする。立会人を立てそこを境界線とし10分ほど囃子あい屋台もぎりぎりまで近づき相手を圧倒しようとする。その後手打ちし手踊りを披露する。
 2日目、浅間大社前や門前商店街で競り合う。提灯が点り夜祭の雰囲気が出て、共同祭事が行われ、手踊りも行われる。3日目競り合いと手踊りが各所で行われる。祭り後御幣を返し、手打ちで終わり。会所でザシキッパライという納会を行う。
 
・ビデオ「平野の盆踊り 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.39、'98、30分 
 毎年8月14日保存会の人たちにより踊られる。平野は静岡市中心部より20km安倍川を遡り山に入ったところで台地状の平坦な所、白髭神社があり背後に真富士山がある。向かいは見月山の尾根で今川氏家臣の末高氏の館跡と墓がある。黒部沢が安倍川に合流する所が昔の村である。お茶と山葵が主要生産物である。
 大正8年の盆踊り詞章本をはじめ数多く残っている。これらの詞章により中世から近世にかけて流行った小唄の影響が分かる。女踊りに使われる締太鼓には元禄風の模様がついていて歴史の古さを感じさせる。右回りの円陣を組み男女別々に踊る。途中編み笠をかぶった踊り手が登場する。最後は2列向かい合いなぎなた踊りで締めくくる。安倍川流域に広がっていたが、現在平野と有東木だけ残る。
 8月5日七夕の準備をする。6日朝庭に供え、7日川に流す。7日早朝「川原施餓鬼」をする。水難者供養のため、ふせん米をまき川原地蔵に詣でる。寺で「山門施餓鬼」もする。戦没者供養もかねる。夕方「七夕送り」で安倍川に飾りを持っていくが今は流さない。畑に短冊を少し刺して虫除けとする。公民館で盆踊り練習が始まる。後継者不足が問題だった。タイコンサン(女踊りの太鼓打ち)は昔婿取りがやった。男踊りのタイコンサンはかつて調子を揃える花形だった。歌と踊り両方知らないと打てない。8月13日盆の準備。14日朝から墓参り準備、供える「あらいあげ」はなす角切りに米混ぜ朴の葉に載せる。夕方浴衣に着替える。庄屋から寺への道行も再現された。「ささらおどり」をし子供神輿で行進した。寺では「十王さんのお祭り」をする。境内で盆踊りが始まる。はじめは「男踊りのささらおどり」で調子に合わせて歌出しさん(歌手)が歌うが、昔は踊りながら歌う。腰や膝を曲げながら踊る。女のタイコンサン先頭に男踊りの輪に入り交代する。「六つうちこきりこ」はこきりこを立て腰を落とし左右にゆるやかに回す。前に出る時こきりこを打ち鳴らす。中踊りで張り笠を被った男が登場する。「くるまおおぎ」は開いた扇の端を持ち扇を返す所作がある。「かつぎささら」はこきりこを立て左右に腰を回しながらゆったりと踊る。途中でささらを束ねて持ち肩に担ぐ所作がある。娯楽が少ない昔は盆踊りが他の村との交流の場だった。平野でも他村から見物人が来た。男踊りの「こきりこおどり」は腰の落とし具合と回し方がささらおどりに似ている。こきりこを担いだり振り下ろしたりする所作が入る。「送り出し」で盆踊りの最後となり、昔は川原まで送り出し、ふさなどを流した。16日オショウロンサンが帰る日、盆飾りも片付け、供え物を川に流す。

・ビデオ「西浦の田楽 国指定重要無形民俗文化財」水窪町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.42、'98、65分
 西浦は水窪町最北端で峠を越えれば長野県である。住民は段々畑を耕し生計を立ててきた。村を貫く道は秋葉街道として交易の文化の道だった。その西浦ニシウレの観音堂に伝わる旧正月18日の観音様の祭りが西浦田楽である。旧正月17日の御開帳から始まり、お神酒を供える。15日にお神酒のオニグス造りを別当の女性が米で仕込む。開帳後、面等の道具を出しサイカヅクリというとりものをする。23戸の家が世襲で能衆として信仰行事である能を伝える。能衆は別火の食事(家族とは別の火で料理すること)をとる。その後別当屋へ向かい途中神寄せをする。宿にする家にも挨拶する。別当屋では縁側から出入りし日常とは違うことを示す。秋葉講では清酒で火難をきよめる。別当祝いの稗酒やオオバンという味噌田楽が振舞われる。別当祝いの稗酒造りは旧正月7日別当の女性によって仕込まれる。御神酒上げは高杯にトクワカで神寄せする。拝んで笹のトクワカ取りをする。肴は大根である。能衆の稗酒造りは旧正月11日でそれから第一回の秋葉講を行う。これが一連行事の最初である。別当の庭上がりで登拝道や本堂に火を灯し祀る。続いて能衆が庭上がりをしお堂に参拝する。「喜平地の団子供え」、観音堂では灯明を灯す。旧正月18日早朝別当屋で「天狗祭り」を行う。内容は別当にしか伝えない。灯篭をつけたりニュー木を集めたりする。「西浦神楽の奉納」。幕屋に火を点し暖める。「楽堂の組立」。「クゾナワ張り」。「正月17日別当の法印墨造り)「松明の積み上げ」(積み上げ方にしきたりがある。)「クライレ」日没後呼び掛けを合図に全行事が終わるまで脱がない草鞋を履いて集まる。別当屋に集まり庭上がりする。
地能33番の始まり、1「庭ならし」全員で太鼓に合わせ謡う、稗団子を喜平地が主要メンバーに配る、2「御子舞」舞う順番は上組能頭・別当・中組能頭、松明の火は神の火から人の火となる、3「地固め」13尺の槍で地面を掘る、4「もどき」、5「つるぎ」真剣を持つ、6「もどき」木太刀、7「高足」五方を回り松明の前で舞う、8「もどき」滑稽に舞う、9「猿舞」雄猿が仕事をし雌猿が食事を持ってきて問答し雄が舞う、10「ほだ引き」松明の中から1本抜き引き合い願い事を掛ける、11「舟渡し」観音の灯明を舟に移し松明に渡す、12「鶴の舞」3人がそれぞれ舞う、13「出体童子」4人で舞う、ここまでが神鎮めである、ここから田遊びになる、14「麦つき」口上を述べて始まる、15「田打ち」も同様である、16「水口」水干や米を奪う、17「種蒔き」別当が五方に大豆を蒔く、18「よな蔵」狂言風に牛飼い・芝刈・踏み込み・種籾・買い付けまでを演じる、19「鳥追い」ささらを持った4人が鳥追い唄に合わせ舞う、20「殿舞」7人の能衆が持った道具を別当が吟味する、21「惣とめ」花ささら・はんごいつきの2段構成、22「山家惣とめ」ねんねんどうし・まんま(ご飯で子授けがあるといわれる)・稗酒(ねんねんどうしの小便)、ここまでが豊作祈願、クライレ(能衆の夜食、芋と大根の煮付けとご飯)、23「種おり」養蚕の祈願で五方に向かい唱え事をする、24「桑取り」桑の木を持つ、25「糸引き」手に持つのは芋で作った繭、26「餅つき」雨降りで幕屋に移動する、水干を餅に見立ててつく、ここから田楽・猿楽になる、27「君の舞」問答する、ささらも加わる、28「田楽舞」主要メンバーの田楽・能衆の田楽・願主の田楽の3部構成、29「仏の舞」6つの観音面が登場し別当が鰐口を打つ、30「治部の手」以後33番まで面は変わるが振り付けは似ている、31「のたさま」、32「翁」笛は能衆以外でも吹ける人が吹く、33「三番叟」。
はね能、面をつける幕屋別当、役柄に定めはない、12番まであり、うち4番までと最後は決まっているがあとの決まりはない。閏年に限って13番の閏舞がある。謡いは別当が担当する。1「高砂」、はね能の最初と最後は16拍子になる。2「しんたい」初心者はしんたいから舞いを覚える、3「梅花」1・2・3は躍動的男性的な舞、4「観音の御法楽」鬼を退治する田村の舞、5「山姥」謡曲山姥の謡いで舞う、6「さおやま」、7「鞍馬」鞍馬天狗の謡いで舞う、8「猩々」親孝行な息子を讃える、9「野々宮」諸国を巡った僧が伊勢神宮を見て感激する、10「閏舞」4人で舞い閏年のみ行う、11「八島」謡曲八島で舞う、12「べんけい」謡いは橋弁慶で牛若丸が登場する。
神送りである「獅子舞」、「しずめ」、「火の王」を鎮める、「水の王」を鎮め神々は帰る。
毎年旧正月18日は観音様のお祭り。村の役は世襲制で守る。

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