白鑞金’s 湖庵

元ノラ猫タマと愉快な仲間たちの日記・エッセイ・コラム。

自由律俳句──二〇一七年五月二十三日(5)

2017年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

さて女性の側だが、その場は「田植」である。今は既にただ単なる「風物詩」化しつつあるわけだが。

「『わしゃ足が大けえてのう、十文三分をはくんじゃが──』『足の大けえもんは穴も大けえちうが──』『ありゃ、あがいなことを、わしらあんまり大けえないで』『なあに、足あとの穴が大けえって言うとるのよ』『穴が大けえと、埋めるのに骨がおれるけに』『よっぽど元気のええ男でないとよう埋めまいて──』『またあがいなことを──』」(宮本常一「女の世間」・「忘れられた日本人・P.126~127」岩波文庫)


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「これも田を植えながらの早乙女たちの話である。植縄をひいて正条植をするようになって田植歌が止んだ。田植歌が止んだからと言ってだまって植えるわけではない。たえずしゃべっている。その話のほとんどがこんな話である」(宮本常一「女の世間」・「忘れられた日本人・P.126~127」岩波文庫)

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「『この頃は田の神様も面白うなかろうのう』『なしてや──』『みんなモンペをはいて田植えするようになったで』『へえ?』『田植ちうもんはシンキなもんで、なかなかハカが行きはせんので、田の神様を喜ばして、田植を手伝うてもろうたもんじゃちうに』『そうじゃろうか?』『そうといの、モンペをはかずにへこ(腰巻)だけじゃと下から丸見えじゃろうが田の神さまがニンマリニンマリして──』『手がつくまいにのう(仕事にならないだろう)』『誰のがええ彼のがええって見ていなさるちうに──』『ほんとじゃろうか』『ほんとといの。やっぱり、きりょうのよしあしがあって、顔のきりょうのよしあしとはちがうげな』『そりゃそうじゃろうのう、ぶきりょうでも男にかわいがられるもんがあるけえ──』『顔のよしあしはすぐわかるが、観音様のよしあしはちょいとわからんで──』『それじゃからいうじゃないの、馬にはのって見いって』」(宮本常一「女の世間」・「忘れられた日本人・P.127」岩波文庫)

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「こうした話が際限もなくつづく」(宮本常一「女の世間」・「忘れられた日本人・P.128」岩波文庫)

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「『見んされ、つい一まち〔一枚〕植えてしもうたろうが』『はやかったの』『そりゃあんた神さまがお喜びじゃで──』『わしもいんで(帰って)亭主を喜ばそうっと』」(宮本常一「女の世間」・「忘れられた日本人・P.128」岩波文庫)

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「女たちのこうした話は田植の時にとくに多い。田植歌の中にもセックスをうたったものがまた多かった。作物の生産と、人間の生殖を連想する風は昔からあった。正月の初田植の行事に性的な仕草をともなうものがきわめて多いが、田植の時のエロばなしはそうした行事の残存とも見られるのである」(宮本常一「女の世間」・「忘れられた日本人・P.128」岩波文庫)

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「そして田植の時などに、その話の中心になるのは大てい元気のよい四十前後の女である。若い女たちにはいささかつよすぎるようだが話そのものは健康である。早乙女の中に若い娘のいるときは話が初夜の事になる場合が多い。『昔、嫁にいった娘がなくなく戻ったんといの』『へえ?』『親がわりゃァなして戻って来たんかって、きいたら、婿が夜になると大きな錐(きり)を下腹へもみ込うでいとうてたまらんけえ戻ったって言ったげな』『へえ』『お前は馬鹿じゃのう、痛かったらなして唾(つば)をつけんか、怪我をしたら<親の唾、親の唾>って疵口(きずぐち)へつばをつけるとつい痛みがとまるじゃないか。それぐらいの事ァ知っちょろうがって言うたんといの』『あんたはどうじゃったの』『わいらよばいど(夜這奴)に鉢を割られてしもうて──』『今どうじゃろうか。昔は何ちうじゃないの、はじめての晩には柿の木の話をしたちう事じゃが──』『どがいな話じゃろうか』『婿がのう、うちの背戸に大きな柿の木があって、ええ実がなっちょるが、のぼってもよかろうかって嫁に言うげな、嫁がのぼりんされちうと、婿がのって実をもいでもえかろうかちうと、嫁がもぎんされって、それでしたもんじゃそうな──』」(宮本常一「女の世間」・「忘れられた日本人・P.128~129」岩波文庫)

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「私は毎年の田植をたのしみにしているのである。そこで話される話は去年の話のくりかえされる事もあるが、そうでない話の方が多い。声をひそめてはなさねばならぬような事もあるが、隣合った二人でひそひそはなしていると『ひそひそ話は罪つくり』と誰かが言う。エロ話も公然と話されるものでないとこうしたところでは話されない。それだけに話そのものは健康である。そのなかには自分の体験もまじっている」(宮本常一「女の世間」・「忘れられた日本人・P.129」岩波文庫)

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「このような話は戦前も戦後もかわりなくはなされている。性の話が禁断であった時代にも農民のとくに女たちの世界ではこのような話もごく自然にはなされていた。そしてそれは田植ばかりでなく、その外の女たちだけの作業の間にもしきりにはなされる。近頃はミカンの選果場がそのよい話の場になっている。全く機智があふれており、それがまた仕事をはかどらせるようである」(宮本常一「女の世間」・「忘れられた日本人・P.129」岩波文庫)

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「無論、性の話がここまで来るには長い歴史があった。そしてこうした話を通して男への批判力を獲得したのである。エロ話の上手な女の多くが愛夫家であるのもおもしろい。女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福である事を意味している。したがって女たちのすべてのエロ話がこのようにあるというのではない」(宮本常一「女の世間」・「忘れられた日本人・P.129~130」岩波文庫)

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「女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである」(宮本常一「女の世間」・「忘れられた日本人・P.130」岩波文庫)

恐らく始まりは、田植歌を伴った大いに「健康」なエロ話だった。強引な近代化を成し遂げて先進国入りした日本からは、そのような「健康」な風景はもう消滅してしまった。消えた。どうなったか。ただ単なる「エロ話」だけが切り離された。切り離された「エロ」は、このような「法的な」切り離しが行なわれると同時に「ただ単なるエロ」でしかなくなったのである。日本では天皇とも深い関係を持つ理論なのでもう少し言い換えることもできる。多分こう言うのがふさわしい。明治維新以降の急速な近代化に伴って、集団で行なっていた田植と田植歌はだんだん消滅してきた。並行して、田植のために注ぎ込まれた労働力もただ単なる商品交換のための一商品と化した。労働はただ単に「辛い」ものへと変容し、さらに田植歌の中に含まれる性行為を礼讃する部分は黒塗りにされ「不健康」なものとして「タブー領域」へ叩き込まれることになった。そして田植歌自体すらとうとう「不健康」な「意味=価値」を持つものとして一般社会から遠ざけられるか、あるいは意味=価値を別のものに置き換えられた上で流通していると。

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