白鑞金’s 湖庵

元ノラ猫タマと愉快な仲間たちの日記・エッセイ・コラム。

知事訪米前に埋め立て承認撤回を トランプ政権発足で沖縄の識者が緊急シンポ(1)

2017年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム

29日琉球新報から。

知事訪米前に埋め立て承認撤回を トランプ政権発足で沖縄の識者が緊急シンポ

トランプ米政権発足を踏まえ、沖縄が基地問題にどう対処するかについて討議する緊急シンポジウム「沖縄はどうすべきか-安倍政権の対沖縄政策に対抗するために」(主催・沖縄対外問題研究会=代表・我部政明琉球大教授)が28日午後、那覇市の沖縄大学で開かれ、約200人が参加した。翁長雄志知事に対し、辺野古埋め立て承認を撤回し立場を明確にして30日からの訪米に臨むべきだとの声が上がった。
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鉄は熱いうちに鍛えろと言う。世界中で定着している言葉だ。もっとも、地方的地域的特色は様々であり、その点には十分な配慮を必要とすることは当然だろう。

「いまやことばから行動に移るときである。『わが党はいま民主主義会議で事実上、自分たちの大会を開いており、その大会で(好むと好まざるとにかかわらず)革命の運命を決しなければならない』。決定はひとつしか考えられない──武力革命である。蜂起にかんするその最初の手紙でレーニンはさらに注釈を加える。『問題なのは、蜂起の『日』でも、狭い意味でのその『瞬間』でもない。それを決めるのは労働者や兵士など、大衆と接している人々の共通の声だけである』。しかし、その二、三日後(当時の手紙には普通、日付がない──忘れたせいではなく、秘密保持のためである)、レーニンは明らかに民主主義会議が瓦解しはじめているという印象のもとで、行動への即時移行を主張し、その場で実際的計画を提起する」(トロツキー「ロシア革命史4・P.371」岩波文庫)


BGM1

前回、問題は「日」や「瞬間」にあるのではない、という言葉に関する箇所を拾ってみた。さらにもう一つこうある。「『わが党はいま民主主義会議で事実上、自分たちの大会を開いており、その大会で(好むと好まざるとにかかわらず)革命の運命を決しなければならない』」。

「問題は、わが党が、いま民主主義会議の席で、事実上、《自分の大会》をひらくということであり、その大会が《革命の運命》を決定し《なければならない》(このむとこのまざるとにかかわらず、決定しなければならない)ということである」(レーニン「ボリシェヴィキは権力を掌握しなければならない・一九一七年九月十二~十四日」・「レーニン全集26・P.5」大月書店)


BGM2

「自分たちの大会」とある。なぜレーニンは広大なロシアにおいて、既に「大多数」の支持を得ている「自分たちの大会」と名乗り上げることができたのか。こうだ。

「(一九一七年)七月三~四日には、蜂起するのはまちがいであっただろう。われわれは、物理的にも政治的にも、権力を維持することができなかったであろう。ピーテル(ペテルブルグ)がときにはわれわれの手中にあったとはいえ、権力を物理的に維持することができなかったであろう。なぜなら、その当時には、われわれの労働者と兵士は、ピーテルを占領するために《たたかおう》とは、また《死のう》とはしなかったろうからである。それほどの『憤怒』はなかった。ケレンスキー《にたいしても》、ツェレテリ=チェルノフ《にたいしても》、それほどのにえたぎる憎悪はなかった。われわれの仲間は、エス・エルやメンシェヴィキまでがいっしょになっておこなったボリシェヴィキ迫害の経験によって、まだ鍛えられていなかった。七月三~四日には、われわれは、政治的に権力を維持することができなかったであろう。なぜなら、《コルニーロフ陰謀の起こるまえには》、軍隊や地方がピーテルに進撃してくるおそれがあったし、また進撃したろうからである」(レーニン「マルクス主義と蜂起」・「さしせまる破局、それとどうたたかうか 他・P.162~163」国民文庫)


BGM3

ところが、あ、っと言う間もなく事情は大きく動いた。

「いまでは、状態はまったく違っている。革命の前衛、人民の前衛であり、大衆の心をひきつける能力をもつ《階級》の多数者が、われわれについている。人民の《多数者》がわれわれについている。というのは、チェルノフの辞職は、農民がエス・エルのブロックからは(そしてエス・エルそのものからも)《土地を得られない》ということを示す唯一の前兆ではけっしてないが、そのもっともいちじるしい、もっとも明白な前兆だからである。これこそ、革命が全人民的な性格をもっているということを示すかんじんの点である。《帝国主義全体》も、メンシェヴィキとエス・エルのブロック全体も、未曾有の動揺に陥っているのに、われわれは自分のすすむべき道をしっかりと知っている党であるという有利な地位にある」(レーニン「マルクス主義と蜂起」・「さしせまる破局、それとどうたたかうか 他・P.163」国民文庫)

「人民の《多数者》がわれわれについている」、と言明することが可能となった。

BGM4

十月二十日になると事態はもう決定的となったことが白日のもとに晒される。

「革命の七ヶ月がすぎた。国民は、数えきれないほど何回も、エス・エルにたいする信頼を表明し、選挙では彼らに大多数をゆるし、エス・エル党にむかって、われわれを導いてくれ、われわれは君たちに指導権をゆだねる、と言ってきた!労働者・農民・兵士代表ソヴェトでは、一九一七年三月以来《メンシェヴィキ》とブロックをつくって(同盟して)行動しているエス・エル党は、何ヶ月も《大多数》を占めていた!五月六日以来、エス・エルとメンシェヴィキの党員は、『カデット』と《いっしょに》、『カデット』と《ならんで》、『カデット』と《同盟して》大臣や次官の職にあったし、《いまもその職にある!!》カデットや《地主との》この連合(同盟、協定)の結果は、『デーロ・ナローダ』自身が認めている。革命の七ヶ月、民主的共和制の七ヶ月、エス・エルとメンシェヴィキのソヴェト支配の七ヶ月は、土地委員にたいする『きわめて多くの』《告発──旧司法機関》への、旧裁判所への、ツァーリ・地主の裁判所への告発をもたらしたし、タンボフ県その他の県の農民の《蜂起》をもたらした!これが、農民がエス・エル党を信頼した結果である。そしてエス・エル大臣エス・エリ・マスロフの新しい土地法案は、エス・エルが農民を売り渡したことをいまいちど証明しているのである」(レーニン「『地主はカデットと馴れ合った』・一九一七年十月二十日以降執筆」・「レーニン全集41・P.574」大月書店)


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だがしかし、一九一七年九月二十九日時点。ボリシェヴィキ中央委員会での態度はまだ煮え切らないものに感じられた。中央委員会委員らは皆それぞれの支持者の代表者として態度表明しているのであって、それら支持者のまったく感知しないところで勝手に決断できない事情もあったようだ。そのことが、正式な「大会決議」を経てからでないといけない、という「官僚主義的傾向」という空気としてボリシェヴィキ党内にも存在したわけである。レーニンも中央委員会のメンバーの一人である。そのトップという地位にあるわけではない。独断専行することはできない。従って地下活動の場から呼びかけるとともに、他のボリシェヴィキ派有力活動家に向けてせっせと手紙を送り届けていた。もっとも、中央委員会宛てのものは内容において一層痛烈なものにならざるを得なかったようだが。

「われわれは、ありのままを明言しなければならない。わが党の中央委員会と党上層部のなかには、ソヴェト大会を《待つ》ことに賛成し、権力をただちに掌握することに《反対》し、蜂起をただちにおこすことに《反対する》潮流または意見があるという真実を、みとめなければならない。この潮流または意見は、《克服》されなければならない。もしそうしないなら、ボリシェヴィキは永久に《物笑い》となり、党として《おしまいになってしまうであろう》。なぜなら、こういう時機をとりにがして、ソヴェト大会を『待つ』ということは、《完全な愚行》か、でなければ《完全な裏切り》だからである」(レーニン「危機は熟している・一九一七年九月二十九日」・「レーニン全集26・P.72」大月書店)

BGM6

「ソヴェト大会を『待つ』ということは完全な愚行である。なぜなら、それは《何週間も》むだにすることを意味しているが、いまは、何週間かが、それどころか何日かが《すべて》を決定するばあいだからである。それは、権力の掌握を臆病にも《断念する》ことを意味する。なぜなら、十一月一~二日には、権力の掌握は不可能になるだろう(政治的にも、技術的にも。おろかにも『日取りをきめられた』(『権力の掌握』を決定するために、十月二十日にソヴェト大会を召集するということは、おろかにも蜂起の『日取りをきめる』こととどういう点でちがうのか??いまなら、権力を掌握できるが、十月二十~二十九日には、敵はわれわれにそれを掌握させないであろう)蜂起の日にそなえて、敵はカザックを集結するであろう)からである」(レーニン「危機は熟している・一九一七年九月二十九日」・「レーニン全集26・P.72~73」大月書店)

大会を待っていたら、その前に「敵はカザックを集結するであろう」。そうなれば「蜂起」のチャンスなど二度とやって来ないに違いない。むしろボリシェヴィキの命運の側が尽きてしまうことになる。

BGM7

トロツキーは言う。

「レーニンはその政策にたいして伏せておいていいとは考えない。『私は中央委員会からの辞任を要請するほかないし、そうする。そして党の下部での、また党の大会でのアジテーションの自由を保留するほかない』。その件がその後どんな正式な手続きを経たかは記録では不明である。少なくとも、レーニンは中央委員会をぬけなかった。辞任願はレーニンにあっては決して一時的な怒りの所産などではありえなかったが、かれはそれによって明らかに、必要な場合には中央委員会の内部規律をまぬがれる可能性を留保しようとしたのである。レーニンは四月のときと同じように、下部に直接訴えることで自分の勝利が保障されるということを疑わなかった。しかし、中央委員会にたいする公然たる反逆の態度は、臨時大会の準備を前提とするし、したがって時間を必要とした。しかし、まさに時間がなかった。レーニンは万一にそなえて辞任願をそのままにしておき、しかし、党の適法性の境界から完全に踏み出すことはせずに、もうもっとずっと自由に党内の作戦方針にたいする攻撃を展開しつづける。かれは自分の中央委員会あての手紙をペトログラードとモスクワの委員会に送るばかりでなく、コピーが各地区のもっとも頼りになる活動家たちの手もとに届くような措置をとる。十月はじめ、レーニンはもはや中央委員会を無視して、ペトログラードとモスクワの委員会に直接書き送る。『ボリシェヴィキにはソヴェト大会を待つ権利がない。すぐに権力を奪取しなければならない──ぐずぐずすることは犯罪である。ソヴェト大会を待つことは、子どもっぽい手続きごっごであり、恥ずべき手続きごっこであり、革命にたいする裏切りである』」(トロツキー「ロシア革命史4・P.379~380」岩波文庫)

BGM8

レーニンはレーニンなりの自前の戦略を思い描いている。トロツキーにはそれが手に取るようによくわかる。だがトロツキーはソヴェトの代表者なのであり、レーニンの配下あるいは部下ではない。れっきとした中央委員会のメンバーの一人だ。レーニンの言葉を中心として事態は展開していくだろう。しかしまだ重要な周囲で幾つかの諸条件が整っているとは言いにくい部分がある。トロツキーは武装蜂起に反対ではない。だが蜂起のために無条件に賛同を得るに足る環境が整うまでにはもう一押し必要だと考えていたふしが見られないだろうか。次に上げる文面だけでレーニンの考えは十分トロツキーの頭の中には入っていたに違いないからだ。

「いま権力を掌握しないで、『待つ』ということ、中央委員会でおしゃべりをし、『機関』(ソヴェトの)『奪取の闘争』や『大会のための闘争』にとどめるということは、《革命をほろぼすこと》を意味する」(レーニン「危機は熟している・一九一七年九月二十九日」・「レーニン全集26・P.74」大月書店)

BGM9

「私が民主主義会議の開会いらい、右に述べた趣旨でおこなってきた強い主張にたいして、中央委員会は、《回答さえせずに》ほうっておき、私の論文から、予備会議に参加するという恥ずべき決定や、ソヴェトの幹部会内でメンシェヴィキに席をあたえたこと、などのような、ボリシェヴィキのはなはだしい誤りを指摘した箇所を《削除している》ので、私はこれを、中央委員会がこの問題を討議することさえのぞんでいないことを『遠まわし』にほのめかしていることであり、私にだまっていろ、隠退してはどうかとすすめる遠まわしのほのめかしであると、解しないわけにはいかない。こうして、私は、《中央委員会の辞任願いを提出》せざるをえない立場におかれている。私はこの願いを提出するが、党の《下部》や党大会で煽動する自由を保留する。というのは、私の深い確信によれば、もしわれわれがソヴェト大会を『待ち』、現在の時機をとりにがすなら、われわれは革命を《ほろぼす》ことになるからである」(レーニン「危機は熟している・一九一七年九月二十九日」・「レーニン全集26・P.74」大月書店)

BGM10

「ボリシェヴィキには、ソヴェト大会を待つ権利はない。彼らは《いますぐ権力を掌握》しなければならない。そうすることによって、ボリシェヴィキは、世界革命をすくい(なぜなら、そうしなければ、すべての国の帝国主義者が取引をむすぶ恐れがあるからである。ドイツの銃殺事件のあとでは、彼らは互いに折れあい、《われわれに対抗して団結するだろう》)、ロシア革命をもすくい(そうしなければ、真の無政府の波が《われわれよりも》強力になるかもしれない)、屠殺(とさつ)場にいる幾十万の人々の生命をもすくうことになる。ぐずぐずすることは犯罪である。ソヴェト大会を待つのは、子供らしい手続き遊び、恥ずべき遊びであり、革命を裏切ることである」(レーニン「中央委員会、モスクワ委員会、ペトログラード委員会、ピーテルとモスクワのソヴェトのボリシェヴィキ派への手紙・一九一七年十月一日」・「レーニン全集26・P.135」大月書店)

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