白鑞金’s 湖庵

元ノラ猫タマと愉快な仲間たちの日記・エッセイ・コラム。

猫は我欲をあぶり出す(解決編)

2017年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム

「盗まれたものが『芥川龍之介全集』(ちくま文庫)でなかったらこの犯罪の動機はまったくの迷宮入りとなってしまっていたでしょう。

『芥川龍之介全集』(ちくま文庫)


まず第一に、盗まれたものが芥川全集でなければならない必然性を考えてみましょう。例の少年にはその動機がまったく欠けています。とすればただ単なる衝動的犯行でしょうか。一見すればそう見えなくもない。第二に、他の誰かから頼まれたというケースです。その場合、たとえ頼まれたとしても断わることができます。しかし断われない場合も当然あります。何か弱味を握られている場合です。少年には何か弱味がなかったでしょうか。盗んででも芥川全集を持っていかなくてはならない相手がいたかどうか。この点を考えてみましょう。捜査に協力することを断わった上で学校に頼んで少年の成績表を見せてもらいました。すると中学一年から二年へ上がると同時に飛躍的に成績が上昇していることに気付きました。うなぎ昇りと言ってもいいでしょうか。ちょっと考えにくいほどの上昇率です。ところで試験問題はどうでしょうか。少年が芥川にならって読書量を増やしたとします。その結果が試験問題に反映したと考えられるでしょうか。答えは否です。中学や高校の試験問題は特定の作家の小説を幾ら大量に読み込んだとしても、それがすぐに試験結果に反映されるような仕組みにはなっていないからです。大学受験の半分は受験技術習得のための努力量が反映されるのであって、ただ単に特定の作家の作品をたくさん読んだからといってもそれが大学受験への早道になるなどということはほとんどすべての場合で考えられないでしょう。受験勉強が受験技術習得のための予備校化している問題はもうずっと昔から指摘されてきました。今なお改善されたとは言えません。皆さん、誰しも御存知のはずです。では少年の飛躍的な成績上昇の原因はどこにあるのか。中学一年から二年へ上がる時、学校ではクラス替えがあったようですね。おそらく二年から三年へ上がる時もまたあるのでしょう。さて、問題です。容疑者とされた少年がもし三年になってもまだずっと成績上昇という目を見張らんばかりの快挙を再び皆さんの目に見せてくれるでしょうか。クラス替え次第ということになりはしないでしょうか。なぜそうなるのか。こうです。少年の弱味を握っていたのは他の誰でもない今のクラス委員長だからです。クラス委員長の実家はこの辺りで知らない人はいないほどとても恵まれた教育環境のようですね。しかも大量に毛の多い血統書付きの猫まで飼っていらっしゃる。制服に付着する猫の毛の量もさぞかし大量になることでしょう。だからこそクラス委員長は猫の毛をしっかり払い落してから外出することにしている。几帳面なのでしょう。ところが猫の毛というものは、ほんの少しなら接触した他人の衣服にも付着してしまいます。すべての毛を払い落すことはできないほど繊細なものですから。少年の衣服に付いていたほんの少量の猫の毛は、今のクラス委員長と接触した時に偶然付着したものではないでしょうか。でもなぜクラス委員長と接触しなければならなかったのか。試験問題について多くのヒントをもらうためです。クラス替えと同時に飛躍的な成績上昇が見られたのはその結果なのです。少年にすればクラス委員長があたかも神か何かのように映って見えたことでしょう。それ以降少年はクラス委員長から頼まれることなら何でもはいはいと言いなりになるようになった。芥川全集の万引き。それもその一つなのではなかったでしょうか。芥川作品に引き寄せられる中学二年生。早熟といえば言えるでしょう。逆に犯行を頼まれた少年にすればただ単に学校の成績を上げてくれるというだけでもありがたい絶対的存在です。二人の関係がうむも言わせぬ上下関係へ変貌するまでそれほど時間はかからなかったに違いありません。ところで、クラス委員長の実家は経済的に恵まれているのにわざわざ芥川全集、それも文庫版を隠れて手に入れる必要があっただろうか、そう思われるでしょう。当然です。クラス委員長の実家には恐らく、とても立派な芥川全集が飾られているでしょう。しかしそれは持ち出すのに手間のかかる大きなサイズです。一冊だけ引き抜くと目立ってしまって見た目に格好よくないという点も考慮せねばなりません。抜けや欠けが一切ないという点は経済的に恵まれた家にとって抜き差しならない大切な信仰箇条なのです。だから文庫であるというだけでなく、その訳注の綿密さに定評のある『ちくま文庫』版に白羽の矢が立ったと見るべきでしょう。クラス委員長は訳注の綿密さを知っていたに違いない。ところが容疑者となった少年はそんなことまったく知らないし興味もない。ただ成績表のグラフの推移だけがいつも問題だった。経済的にも教育面でも二人の少年の将来を考えさせずにはおかない要素がまだまだ幾らも見えてきそうです。今回の事件はただ単なる『万引き』という言葉では収めることのできない怖いほどの深さをたたえてはいないでしょうか」(’17.6.30)

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