白鑞金’s 湖庵

元ノラ猫タマと愉快な仲間たちの日記・エッセイ・コラム。

アニメで交流、日ロの「懸け橋」に 元国後島民の3世(2)

2016年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム

スターリンがただ単なる勤勉な官僚であるだけでなく同時に党内の問題児として大々的に姿を現わしたのはいわゆる「グルジア問題」を巡ってだった。「グルジア」に関して、なぜ、こうも話がもつれているのか、というレーニンの抱いた疑惑。それは必ずしも「グルジア問題」に限らず、もっと広く大きく深い意味での「被抑圧民族排外主義」と接続しており、その元凶とも言うべき人物はレーニンの側近だったという注目すべき形を取って明確化される。「一九二二年年末・覚え書のつづき」にこうある。

「一九二二年十二月三十日。──私は、悪名高い自治共和国の問題──公式にはソヴェト社会主義共和国同盟の問題とよばれているが──に十分力づよく、また十分するどく干与しなかったので、ロシアの労働者にたいして大きな罪をおかしたようにおもわれる」(レーニン「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて~覚え書のつづき~」・「レーニン全集36・P.715」大月書店)


E.H.カーの言葉を借りれば、「ロシア労働者」に対するレーニンの自己批判という形を取らざるを得ない。 ここにレーニンの並々ならぬ覚悟がある。

「彼は覚書を口述し、自分が早期に効果的に介入できなかったことについて『ロシア労働者の前で真剣にとがめられるべきだ』と告白した」(E.H.カー「ロシア革命~レーニンからスターリンへ~・P.90」岩波現代文庫)


BGM6

レーニンは続ける。

「この問題がおこったその夏には、私は病気中であった。だが、そのあとの秋には、自分の健康が回復して、十月と十二月の総会ではこの問題に干与できるだろうと、法外な期待をいだいていた。ところが、私は十月の総会(この問題のためにひらかれた)にも十二月の総会にも出席できなかったし、こうして、この問題は私の手をほとんどまったくすどおりしてしまった」(レーニン「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて~覚え書のつづき~」・「レーニン全集36・P.715」大月書店)

BGM7

ジェルジンスキー、オルジョニキーゼの名はここで出てくる。二人ともグルジア問題を担当していた。

「私は、同志ゼルジンスキーと話し合うことができただけであった。彼は、カフカーズからやってきて、グルジアでこの問題がどういう状態にあるかを私に話してくれた。私はまた、同志ジノヴィエフとも二、三の会話をかわすことができたし、この問題についての私の懸念を彼に述べた。グルジア事件『調査』のために中央委員会が派遣した特別委員会の長である同志ゼルジンスキーから私が聞いたことから、私はこのうえなく大きな懸念をいだかざるをえなかった。同志ゼルジンスキーが私に告げたように、オルジョニキッゼが腕力をふるうという行きすぎをやるところまで事態がすすんだとすれば、われわれがどんな泥沼にはまりこんだかは想像にかたくない。明らかに、この『自治共和国化』の企ては根本的にまちがっており、時宜をえないものであった」(レーニン「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて~覚え書のつづき~」・「レーニン全集36・P.715~716」大月書店)

BGM8

ロシア全土を束ねる組織の中央は、いわば「無頼漢/愚連隊/チンピラ」、そして「ずぼら」で「高慢」な態度に乗っ取られてしまっている、と言わんばかりの先鋭的な指摘。

「自分の機関について自分のものとして責任を負うと言えるようになるまでは、われわれがこういう措置をとるのを待つべきであったということは、疑いをいれない。ところで、現在では、われわれは、正直なところ、その反対のことを言わなければならないのである。すなわち、われわれが自分の機関とよんでいるものは、実際には、徹頭徹尾われわれと無縁なものであり、ブルジョア的なものとツァーリ的なものとの混合物であって、他国の援助もなく、軍事的な『業務』と飢えとのたたかいとが主要なものであったこの五年間には、それを克服することはまったく不可能であった、と言わなければならない。こういう事情のもとでは、われわれが自分の弁明に持ちだしている『同盟からの脱退の自由』が、ロシアの典型的な官僚のような、真にロシア的な人間、大ロシア人の排外主義者、実質上卑劣感で暴圧者であるものの攻撃から、ロシア国内の異民族をまもる力のない、一片の反古(ほご)となってしまうことは、まったく当然である。この排外主義的な大ロシア人のやくざものの大海のなかでは、わずかなパーセントしか占めないソヴェト的労働者とソヴェト化された労働者とが、牛乳のなかに落ちたはえのようにおぼれてしまうことは、疑いをいれない」(レーニン「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて~覚え書のつづき~」・「レーニン全集36・P.715~716」大月書店)

BGM9

「この措置の弁明として、民族的心理や民族的教育を直接に取り扱うもろもろの人民委員部が独立にもうけられたではないか、と言うものがある。しかし、ここでの問題は、はたしてこれらの人民委員部を完全に独立なものとすることができるかどうかということであり、また第二の問題は、真にロシア的なデルジモルダどもからほんとうに異民族をまもる措置を、われわれが十分に心をつかって講じたか、ということである。私の考えでは、われわれはそういう措置をとろうとおもえばとれたし、またとるべきであったにもかかわらず、とらなかったのである。このばあいには、スターリンの性急なやり方と行政者的熱中が、さらに評判の『社会民族主義者』にたいする彼の憎しみが、致命的な役割を演じたとおもわれる。総じて憎しみは、政治では、通常、最悪の役割をはたすものである」(レーニン「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて~覚え書のつづき~」・「レーニン全集36・P.716~717」大月書店)

「スターリンの性急なやり方と行政者的熱中」。前者(「性急なやり方」)は交渉相手に対して脅迫的、後者(「行政者的熱中」)は党内で周囲から官僚主義的評価を高めんがため、と取れる。そもそもソヴェトの「自治共和国化」はスターリンの提案による。が、その草案段階にあった大ロシア中心主義的偏向性のため、レーニンによる批判・修正を受けた後に採択された経緯がある。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« アニメで交流、日ロの「懸け... | トップ | アニメで交流、日ロの「懸け... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。