白鑞金’s 湖庵

元ノラ猫タマと愉快な仲間たちの日記・エッセイ・コラム。

伊万里市長「再稼働反対は民意」 九電に不信感示す(2)

2017年01月03日 | 日記・エッセイ・コラム

レーニンは生前、急速に進行していく官僚主義的傾向を阻止しようと何度も繰り返し釘を刺している。

「当然のことながら、われわれは政治的戦いの時期に慣れており、われわれはみな政治的=軍事的闘争のなかできたえられてきた。したがって、これまで現在のソヴェト権力がしてきたことは、この任務への接近にすぎない。いまやこの任務は、列車を別の軌道に切りかえることを必要としている。だがこの列車は、何千万の人々をはこばなければならない。ところによってはレールもないようなときに、こうしたものを別のレールに切りかえることは、熱心な注意、知識、非常に大きなねばり強さを必要とするものである。農民と労働者大衆の文化水準が任務に応じるほど高くなく、同時にわれわれがほとんど99パーセントまで軍事的=政治的任務に慣れている結果、われわれのあいだには、官僚主義の復活がみられるようになった。このことは、だれもがみとめている。ソヴェト権力の任務は、古い機構を、それは『十月』に一掃されたように完全に一掃すること、そして権力をソヴェトにうつすことにあるが、しかしわれわれはすでに綱領のなかで、われわれのあいだに官僚主義の復活がみられること、真の社会主義社会の経済的基盤はまだないことを、みとめている。文化水準、読み書きの能力、一般により高度な文化は、労働者・農民大衆のあいだにはない。こういうことになったのは、軍事的諸任務が、プロレタリアートの精鋭をみな吸収してしまったためである。プロレタリアートは、軍事的諸任務のために巨大な犠牲をはらったし、何千万人の農民をこの任務にささげなければならなかった。また、ブルジョア的見解にみちみちた分子を活動に引きいれなければならなかった。だからこそ、われわれは綱領のなかで、党綱領というような文書のなかで、官僚主義が復活したこと、それにたいする系統的な闘争が必要なことを、述べなければならなかったのである。ソヴェト機関に復活した官僚主義が、党組織のなかにも有害な影響をおよぼさずにはおかなかったことは、わかりきったことである。なぜなら、党の上層部は、ソヴェト機構の上層部でもあるからである」(レーニン「わが国の内外情勢と党の任務」・「レーニン全集31・P.424~425」大月書店)


BGM6

レーニンの指示は細かい。というより、ある程度信頼できる人間でない限り、どれほど細かいと笑われようが、指示一つ与えるのにも注意深くあらねばならない。政治だから特に、というわけでは必ずしもなく、当時はまだ将来的展望について党内ですら様々な意見が闘わされていたからでもある。一九一七年十月革命で「蜂起」が議題になった時でさえ、実は、始めからレーニン一人が神格化されていたわけではほとんどない。むしろ様々な意見の衝突が幾度かあった、と後にトロツキーは明かしている。

「もしも十月だけの一ヶ月にボリシェヴィキ党上層部でおこなわれたすべての協議、討論、個別的論争が速記録にとられていたならば、子孫は、いかに緊迫した内部闘争によって、革命に不可欠な決断的な姿勢が党上層部で形成されていったかを確認できるはずである。速記録は同時に、革命政党が内部にいかに民主主義を必要とするかを示したはずである。闘いへの意志は買いだめできるものではないし、上から指示できるものではない。それはその都度、自主的に一新し、鍛えなければならない」(トロツキー「ロシア革命史4・P.425~426」岩波文庫)


BGM7

指示が細かいことにはもっともな理由があった。長年に渡ってロシア全土を苦しめ抜いてきた挙句、レーニンらによって既に打倒されたはずの官僚主義が、何と党の内部から甦ってきたからである。ヘーゲルを熟読していたレーニンにとって、それは間違いなく最大級の怖れと慎重さを欠くことなく対処するほかない、あるまじき事態の勃発だった。武装蜂起・暴力革命を敢行してまで外部へと排除したものが、今度は内部から生い育ってくるだけでなく、そして両者は遂に敵対/闘争へ発展するし、この闘争は不可避であるという歴史の弁証法。

「実のところ、第三節全体を通じて、わかりきったことが優位をしめしている。これではなんにもならない。こうしたことをこのように無内容にくりかえすことは、有害であり、吐き気を、退屈を、反復にたいする嫌悪の情を、よびおこすであろう。そうするかわりに、たとえ一つの《郡》でもよいから、取りあげ、そして、《ばかげた共産党的組合遊びで》農民を怒らせるのではなく、『協同組合化』をどう援助するか──どのように、またどういう点で、われわれはまさに《事実上》、農業の改善を援助したか、また援助しなければならないか等々を、《実際的な》分析によってしめしたほうがよい。主題をこのように取扱うのはよくない。有害な取扱いである。きまり文句で、だれでもうんざりしてしまうだろう。きまり文句は官僚主義を《はびこらせ》、それを鼓舞する」(レーニン「政治局員のために同志モロトフへ」・「レーニン全集33・P.240」大月書店)


なお、「外部へと排除したものが、今度は内部から生い育ってくる」と述べたが、まったく別のところでフロイトも似たようなことを言っていたと思い返す読者がいるかも知れない。「内界で否定されたものが《外界から》再び戻ってくる」(「シュレーバー症例」一九一三年・フロイト著作集9・P.338・人文書院)。「まさにこの内的反復強迫を思い出させうるものこそ無気味なものとして感ぜられると見ていいように思う」(「無気味なもの」一九一九年・フロイト著作集3・P.344・人文書院)。「(反復)強迫や禁令に悩む者は、自分では何も知らないでいる一つの《罪責意識》、ここで出会う言葉のもつ抵抗感を乗りこえて、これを排除することによって表出しなければならぬような、そういった一つの罪責意識の支配下に立っているような振舞をするといえる」(「強迫行為と宗教的礼拝」一九〇七年・フロイト著作集5・P.381・人文書院)

BGM8

「第四節の冒頭はとくにまずい。それは難解な論文であって、大会のためのテーゼではない。さらに『法令による指令』、これが起草者の提案するところである。それは根本的に正しくない。われわれがいまなお『法令による指令』をもてあそんでいるからこそ、官僚主義はわれわれを窒息させるのである。これ以上に悪質で有害なことを、起草者はなにも考えだせないであろう。さらに、ロシア共産党大会で、『第九回ソヴェト大会の諸決定を実現すべきだ』と言うことは、このうえもない醜態である。そのためにテーゼを書くとは!!この節全体が、適当ではない。分りきったこと。空文句。だれでもうんざりするような願望。これこそ《こんにち》の『共産党的官僚主義』である。そうするかわりに、たとえ一つの郡についてでも──たとえ一つの郷についてでもいい──《実際の》経験の資料を取り、それをアカデミックにではなく、実践的に研究するほうがよい。親愛な共産党的官僚主義者諸君、《まさにこれこれのことをしてはならず》(具体的に、実例をあげ、場所を名ざし、諸事実を正確に指摘して)、《まさにこれこれのこと》をすべきである(おなじく具体的に)と言うことを学びたまえ」(レーニン「政治局員のために同志モロトフへ」・「レーニン全集33・P.240~241」大月書店)

だから例えば、これまでにない種類の、新しい「かのように見える」政治家が出てきたとしよう。時として一般大衆の目には大変新鮮に映る場合が少なくない。さらにその政治家のスローガンが「官僚主義的な組織を打倒する」という主旨を前面に押し出していたとしよう。というのも、特に政治経済に関連の深い組織は他の組織に比べて幾らか暗く深い政治性を根に持っており、しかもそれは余りに長く続いてきたためにただ単なる利権団体化して世間から嫌がられてしまっているからなのだが。従ってその対抗馬は、一見、テレビ映りはいいかも知れない。もしかしたら当選したりもする。しかしもし当選したらしたで、では一体何をどうやって政治運営していけばいいのか。もっと門戸を広げようとして公募制を導入したとしよう。その当選者の中から再び官僚主義的傾向が芽生え、繁茂し出すのは目に見えている。どんな政治家でも政治家である限り、政治活動を行うに当たってまったく何一つ行政に依存しないわけにはいかないというリアル過ぎる日常生活を土台に据えている以上、官僚主義的傾向はさらに大きくものを言う。今でも予言的と言うほかない小説、カフカ「城」が描かれたのはまぎれもない一九二〇年代前半のことだ。

カフカ「城」(新潮文庫)


BGM9

「一九二二年十月三十一日。──結びにあたって私は、なお一つだけ問題を取りあげておこう。それは、形式的には諸君の日程にも、問題の一覧表にものっていないが、しかし私がとくに関心をもっており、また諸君の全員もおなじく関心をもっているにちがいないと考えられる問題である。それは、われわれの国家機構の問題であり、古いが永遠に新しい問題である。一九一八年八月に、われわれはモスクワにおけるわれわれの機構の調査をおこなった。われわれはモスクワには国家およびソヴェト職員が二十三万一〇〇〇人いるという数字を得た。この数字は、中央の職員をも、モスクワ地方職員、市職員をもふくむものであった。われわれは、われわれのふくれあがった機構を縮小したものと信じ、それはもうとっくにすくなくなったにちがいないと信じて、最近、一九二二年十月に、もう一度この調査をおこなった。ところが、二十四万三〇〇〇人という数字が出たのである。諸君、これが、あらゆる縮小の総結果なのである。この実例は、研究と比較のためのいっそう大きな数字を必要とするであろう」(レーニン「第九次全ロシア中央執行委員会第四会期での演説」・「レーニン全集33・P.410~411」大月書店)

「結び」にしてはやや長い気がしなくもない。

「われわれが、一九一八年に、いわば最初の改革のまっ最中にこのような調査をおこなったときには、われわれは、率直に言って、この調査の結果からほとんどなに一つ役にたつものは引きだせなかった。それどころではなかったのである。内戦はわれわれに自由な時間を一分間ものこさなかった。いまはわれわれは、そういう研究がなされるものとおもう。非常に多くの欠陥をもっており、二倍をはるかに越えるものにふくれあがっており、われわれのためにではなく、われわれに反対して働いていることの多いわれわれの機構──たとえわが共和国の最高立法機関の演壇からであろうと、この真実を言うことをおそれる必要はない──は、改善されるであろうと、われわれは確信している。それを改善するためには、多くの労力と能力が必要である。われわれは、まさにどういう点が改善されなければならないかという問題を非常に真剣に研究する手がかりをもっているが、しかしいまのところ、それは手がかりにすぎない。すなわち、個々の論文や、個々の地域的調査がそれである。もしわれわれの全員が、これまでふつうははらわれてきたよりもはるかに大きな注意をこの問題にはらおうという決意をいだいて、空騒ぎやごたごたしたことに費す時間をもっとすくなくしようという決意をいだいて──ところで、われわれはみな、しばしばこういうことに途方もなく大きな時間をさいている──、この会議から去っていくなら、またもしわれわれが真にわれわれの機構を研究し、何年も何年もそれを研究するなら、それは、すばらしく大きな成果となるであろうし、われわれの成功を保障するであろう」(レーニン「第九次全ロシア中央執行委員会第四会期での演説」・「レーニン全集33・P.410~411」大月書店)

BGM10

日増しに頭痛の種と化してくる官僚主義。次は党大会ほど巨大な場ではない。しかしちょっとした短文の中でも厳しく指摘される点に緊張と不安の高まりが見られる。

「一九二二年十一月二十二日。親愛なる同志諸君!現在のもっとも重要な当面のこれから数年間のもっとも重要な任務は、ソヴェト機関を縮小し、組織をいっそう完成し、事務渋滞と官僚主義とを絶滅し、不生産的な出費をへらすことによって、ソヴェト機関を系統的に小さくし、安あがりにすることである。この方向にむかって貴組合は大きな仕事に当面している。ソヴェト従業員労働組合第五回全ロシア大会の成功と実り多い活動とをいのり、大会がソヴェト機関の問題を特別に討議するよう希望する」(レーニン「ソヴェト従業員労働組合第五回全ロシア大会議長団へ」・「レーニン全集33・P.463」大月書店)

BGM11

政治、経済、教育、都市と地方の格差など、あれこれについて。こうある。

「われわれがこの問題を研究するとき、またわれわれが、この問題を提起し、審議し、それを実行にうつすために、ありとあらゆる労働者団体を──極力その官僚主義化を避けながら──創設するとき、そのときはじめて、われわれは、前進しはじめるであろう(しかもそのときには、われわれはきっと百倍もの早さで前進しはじめるであろう)。一九二二年一月二日」(レーニン「日記の数ページ」・「レーニン全集33・P.486」大月書店)

BGM12

しかしその何年か前のこと。最も動きの鈍かったロシアの農民大衆が、ようやく重い腰を上げてボリシェヴィキ支持に回った。理由は日常生活にとって最も重要な部分に触れている。振り返ってみる必要があるだろう。

「革命の七ヶ月がすぎた。国民は、数えきれないほど何回も、エス・エルにたいする信頼を表明し、選挙では彼らに大多数をゆるし、エス・エル党にむかって、われわれを導いてくれ、われわれは君たちに指導権をゆだねる、と言ってきた!労働者・農民・兵士代表ソヴェトでは、一九一七年三月以来《メンシェヴィキ》とブロックをつくって(同盟して)行動しているエス・エル党は、何ヶ月も《大多数》を占めていた!五月六日以来、エス・エルとメンシェヴィキの党員は、『カデット』と《いっしょに》、『カデット』と《ならんで》、『カデット』と《同盟して》大臣や次官の職にあったし、《いまもその職にある!!》カデットや《地主との》この連合(同盟、協定)の結果は、『デーロ・ナローダ』自身が認めている。革命の七ヶ月、民主的共和制の七ヶ月、エス・エルとメンシェヴィキのソヴェト支配の七ヶ月は、土地委員にたいする『きわめて多くの』《告発──旧司法機関》への、旧裁判所への、ツァーリ・地主の裁判所への告発をもたらしたし、タンボフ県その他の県の農民の《蜂起》をもたらした!これが、農民がエス・エル党を信頼した結果である。そしてエス・エル大臣エス・エリ・マスロフの新しい土地法案は、エス・エルが農民を売り渡したことをいまいちど証明しているのである」(レーニン「『地主はカデットと馴れ合った』」・「レーニン全集41・P.574」大月書店)

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 伊万里市長「再稼働反対は民... | トップ | 伊万里市長「再稼働反対は民... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。