白鑞金’s 湖庵

元ノラ猫タマと愉快な仲間たちの日記・エッセイ・コラム。

自由律俳句──二〇一七年五月三日(1)

2017年05月03日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇一七年五月三日作。

(1)イザヤ・ベンダサンを殺す側の論理

(2)姫瓜匂う降り出しそうな

(3) 霞を込めて街路灯ふいにひと筋薄紅がかる

(4)からっぽの五月を端から端まで

(5)どこへ隠したか自分を探す廃屋

(6)梅雨しのぎ炎天の犬が涎る

☞学生時代のことだ。文章読本は読んでいるかと問われたことがあった。読まない、と正直に答えた。ではその文体とか文章は何かの読書から学んだ部分が多いのだろうか、と聞かれた。そして、もし、読書しながら文体とか文章の作り方について身に付いたものがあったら、あつかましいかも知れないが教えてはくれまいか、というやり取りだったと記憶している。

BGM1

何例になったか。全部を思い出すことは土台無理な話だ。なので、そのうちの幾つかから、今も記憶に残っている箇所を上げておこう。

「よく『論理が噛みあわない』という人がある。抑圧者と被抑圧者、『平等な』星の下のシアワセな人と不平等な星の下の“異常人間”が論争するとき、この『噛みあわない』という声は、たいてい抑圧者の側から出てくる。噛みあわない?当り前だ。いったいどうして、ニクソンとホー=チミンの間で『噛みあう』ような論争が可能なのか。オオカミとヒツジと、どこで『噛みあう』論争が可能なのか。抑圧者が『噛みあった』と認めるのは、ヒツジがオオカミの論理を認めたときだけなのだ」(本多勝一「不平等の星の下の異常人間」・「殺す側の論理 P.67」朝日文庫)


BGM2

「論理は一貫していなくてはならないし、一貫していないものは論理ではない。ふつうそれはペテンとかイカサマとかいう」(本多勝一「『インディアン大行進』に現れたアメリカ民主主義の正体」・「殺す側の論理 P.72」朝日文庫)

BGM3

「『反省』とは何か。それは『行動』で示す以外にはありえないことなのだ。『謝罪』とは何か。これもまた『行動』によってしか表すことの不可能な概念なのだ。行動のともなわぬ“反省”や“謝罪”を定義すれば、すなわちそれは『免罪符』にほかならぬ。これほどキラクな行為はない。真の反省や真の謝罪は、実はキラクには決してできない種類のものである」(本多勝一「『反省なき民族』のために」・「殺す側の論理 P.86」朝日文庫)

BGM4

「弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。つけ加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう」(村上春樹「風の歌を聴け・P.8」講談社文庫)


BGM5

「僕たちが認識しようと努めるものと、実際に認識するものの間には深い淵が横たわっている。どんな長いものさしをもってしてもその深さを測りきることはできない。僕がここに書きしめすことができるのは、ただのリストだ。小説でも文学でもなければ、芸術でもない。まん中に線が1本だけ引かれた一冊のノートだ。教訓なら少しはあるかもしれない」(村上春樹「風の歌を聴け・P.12」講談社文庫)

BGM6

「俺のなかにT町と海辺の町をつかいわけている二人の男が棲(す)んでおり、その二人の男をみつめているもう一人の男が棲んでいる。生活の糧(かて)を得る仕事はなにひとつせず、二人の女の前で自分に都合のよい嘘(うそ)を並べたてながら、二つの町を往復している男。いつからこうなったのか、そして現にこうして生きていながら、どこにも安住できる場所がないとは、これはどういうことだろう。ただひとつ俺にもはっきりわかっているのは──彼は自分のなかに女を愛するという不治の病をみていた。彼の母はこれを癒(い)えることのない病だと言った。彼はときおり歩いてきた方角をふりかえっては、そこに病んできた亡骸(なきがら)を見出(みいだ)し、にがい気持になった」(立原正秋「あだし野・P.8~9」新潮文庫)


BGM7

「いまも彼は、海棠の花が落ちて行くのを視つめながら、一方では、自分を蝕(むしば)んでいる苛酷(かこく)なものを視ていた。この苛酷さには容赦がないのだ、と彼はときに不気味な恐怖を感じることがあった」(立原正秋「あだし野・P.67~68」新潮文庫)

BGM8

「こういう俺の人生だったら、どんなに面白かったろうと、そう思う、そう思われる人生を、砂馬はちゃんと自分のものにしていた。俺の生きられなかった人生を、砂馬は生きた。そしてそれ以上のことを砂馬はしている」(高見順「いやな感じ・P.33」文春文庫)

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