白鑞金’s 湖庵

元ノラ猫タマと愉快な仲間たちの日記・エッセイ・コラム。

自由律俳句──二〇一七年四月十九日(1)

2017年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇一七年四月十九日作。

(1)壊れそうで壊れぬもう春の夕暮れ

(2)柳の馬場でお茶にしようか

(3)京大病院に駐車場が足りない顔面蒼白

(4)たちどころに雲行き

(5)雨上がりの治療薬にも色々

(6)肩でぜいぜい星が出ている

☞「一九六〇年六月十五日夜わが同盟の最も勇敢で、最も有能な活動家、同志樺美智子は、群がる官憲の棍棒と泥靴の下、二十二歳の若き生命を奪われた。同志樺は、わが同盟が創立される以前から、すぐれたプロレタリア前衛の一人であった。日本共産党東大教養学部細胞にあって、彼女は、くさりきったスターリニズムにたいするはげしい闘争の中心的な存在であり、そして学生大衆の反帝闘争の惜しむことなき組織者であった」(共産主義者同盟「同志樺の死をいたむ」・「新左翼理論全史・P.127」流動出版)


BGM1

団塊以前の世代で一杯な高齢者病棟。数少なくなった子どもたちにどうしろと言うのか。へりくだって問えばよいのか。それで構わないなら幾らでもへりくだる。しかしたとえそうしたとしても「暖簾に腕押し」。

「学生運動の内部で日本共産党による分裂破壊活動が進められてきた昨年五月、同志樺は、一日も休むことなく、おどろくべき英雄主義と献身的情熱によって、日共東大細胞に代る同盟細胞を組織し、全学連の拠点、東大文学部におけるスターリニズムの反革命を完全に粉砕したのである」(共産主義者同盟「同志樺の死をいたむ」・「新左翼理論全史・P.127~128」流動出版)

BGM2

六〇年安保と共に発言した日本の文化人の中で、少なくともまともに生き残ったノーベル文学賞受賞者は大江健三郎たった一人という有り様。

「同志樺の精力的な活動と、何者にもひるまぬ戦闘性は、敵権力からの憎悪の的であった。だからこそ一月の羽田闘争で、彼女は、敵権力の報復を受けたのである。しかし、同志樺は、いかなる弾圧にも屈しなかった。獄中にあって同志樺は、いささかもひるまず、権力との闘争を闘いぬき、釈放後の周囲からの圧力にも、さらに不屈の革命的活動をもって応えたのであった」(共産主義者同盟「同志樺の死をいたむ」・「新左翼理論全史・P.128」流動出版)

BGM3

その事実がどこまで影響力を持ち得ているか。浅田彰や田中康夫や中沢新一、そして東浩紀。その後ともなるとようやく國分功一郎と千葉雅也。人文科学フィールドで、グローバル・スタンダード線上で十分な議論に耐えられあるいは上回り得る人材であると同時にマスコミでその名が出れば、それこそ知名度も影響力もある、一般大衆にも知られた人々。その余りの少数ぶり。にもかかわらず、たったそれだけの人材ですら、日本政府は多少なりともたじろぎを隠し切れずにいる。

BGM4

「本年一月以降、同志樺をとりまく周囲の条件は、物質的にも、精神的にも最悪のものだった。だが、この時にこそ、同志樺は、そのエネルギーのすべてを注ぎ、不眠不休で、安保闘争の最後の勝利を準備したのである。文学部学友会の副委員長として、同盟東大細胞文学部班の中心的存在として、同志樺の超人的活動は、羽田闘争以降の困難な時期に、人々をふるい立たせ、はげましてきたのだ。それは、いかなる人をも感動させずにはおかぬものだった。そして六月十五日、最後の戦闘にも、おそれず、彼女は、デモ隊の先頭部にあって、権力の暴圧に、一歩もひかかなったのだ」(共産主義者同盟「同志樺の死をいたむ」・「新左翼理論全史・P.128」流動出版)

理系文系を問わない。専門的フィールドでは何人もいる。しかし難を言えば、それら専門家の言葉はなぜか世論一般に対して一挙に影響力を与えるほどの力がないことだ。専門性の高さが一般大衆のキャパシティを越えてしまっているから、と言って済ませてしまうことはなるほど可能なのではあっても。可能だからといって、本当にそのまま済ませておこうとしている「先進諸国」など日本を措いてない 。知らないふりは限界に来た。このことは資本主義が決定したことであって、どこか何かの「謀略」とか「根回し」という低劣な次元のやりとりに問題の核心があるのではという種の論説など、遥か高みの頭上から嘲笑いをもって見物されてきたようだ。

BGM5

話を進めたいと思う。樺美智子の死に関して、次の「解題」に目を通しておくことは有意義だろうと考える。

「【解題】五月十九日の安保条約批准の強行採決から一か月後の自然成立を目前にして、反安保闘争は盛り上がりをみせていた。国民会議も六月十日にハガティー米大統領秘書官を包囲する現地闘争を展開していたが、実力闘争の主軸はブントの指導する全学連(主流派)であった。六月十五日全学連のデモ隊二百名近くは国会南通用門を二時間の激闘の後に突破し、『国会構内抗議集会はわれわれの権利だ!』と叫びつつ、構内集会を実現した。これに対して機動隊は警棒の雨を降らせ、素手の学生一千名が重軽傷をおい、樺美智子の二十二歳の若き生命が奪われた。女子学生虐殺の悲報に接した学生や労働者、市民たちは、翌十六日から十八日の自然成立までの三日間、南通用門での『樺美智子虐殺抗議、岸内閣打倒』の抗議集会を中心に戦闘的なデモを展開し、全学連の隊列は四万名にもふくれあがった。一方日本共産党は樺美智子の死の責任は『トロツキスト』(全学連指導部)にあるとして反トロキャンペーンに血道をあげた」(共産主義者同盟「同志樺の死をいたむ・解題」・「新左翼理論全史・P.127」流動出版)

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