白鑞金’s 湖庵

元ノラ猫タマと愉快な仲間たちの日記・エッセイ・コラム。

市政報告会60回…請求の経費全て架空 富山政活費不正(1)

2016年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム

15日朝日新聞から。

市政報告会60回…請求の経費全て架空 富山政活費不正

富山市議会の政務活動費約695万円を不正取得した自民会派前会長の中川勇氏(69)=議員辞職=は、実際には開いていなかった市政報告会に、開催したように装った資料を添付して政活費を請求していた。
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社会的な次元の近さや遠さというものは次のような関係の中でもまた見えてくるものだ。順を追って引用してみよう。

「『毛を毮(むし)られたにわとりみたいに見えるわ』『誰が、僕がか』『ええ』『ひどいことを言う』『いつもそうだわ』『いつも?』『ええ、わたしの部屋に入ってきたときは、いつも。帰るときには、人間にちかくなっている。そして、その間の時間、わたしはうんといじめられてしまう。なにか厭なことがあった時にだけ、わたしのところへ来るの?』私は黙って、考え込んだ。厭な事の痕跡は、私の身のまわりから追い払っておいたつもりだった。痛め付けられた男が、痛めつけられた女たちの町へ安息を求めに歩み込んでゆく、という姿勢を私は拒否して置いたつもりだった。酒に酔った男が、放蕩(ほうとう)の心持にそそのかされて、ぶらぶらとその町に歩み込んでゆく姿勢になっているつもりだった。しかし、秋子の言葉で、その姿勢は脆(もろ)く崩れ去った。秋子の眼に映っている私の姿勢が、私の脳裏に浮かび上がってくる。背を跼(かが)め、脚を投げ出すような歩き方で、私は店の前に佇んでいる秋子の方へ歩み寄ってゆく。毛を毮られたにわとりのような恰好で、彼女の部屋に這入(はい)り、にわかに兇暴になって彼女の軀を貪(むさぼ)り食う」(吉行淳之介「娼婦の部屋」・「娼婦の部屋/不意の出来事・P.11~12」新潮文庫)


BGM1

明晰な意識の素描。冷ややかな客観性。かつて「遊郭」は別世界だった。日常の中の非日常。「遊郭」と言っても吉行淳之介が行く場所は決して敷居の高いところではない。低いところだ。その姿勢を「低劣」と呼んでもよい。吉行淳之介には自覚がある。

BGM2

「最初の頃、私は毛を毮られたにわとりのようになって、その町に歩み入った。娼婦の軀に軀を寄添わせて、傷口を舐(な)めている姿勢だった。その頃は、その町と私との間に、落差は無かった。私にとって、娼婦はかなしく懐かしく、心を慰めてくれる存在だった」(吉行淳之介「娼婦の部屋」・「娼婦の部屋/不意の出来事・P.28」新潮文庫)

BGM3

娼婦であることは低劣なことだろうか。主人公の社会的な地位の高さ/低さに並行する形で娼婦の側もまた高くなり低くもなる。このことには社会的な存在価値の上下変動とはまた違う問いかけがある。交換される金銭の多寡は娼婦の高級下級を決める。しかし金銭をもってしては暗黙の売買春制度を廃止することはできない。その意味では暗黙化した売買春制度は「金で買えないもの」の一つだ。次のセンテンスで吉行淳之介はこう述べる。

「いま、私のその町での姿勢は別のものになってしまった。袋小路のバアで、私が秋子に感じた痛ましさと興ざめた気分とは、そのまま私がその町を見る眼の裏側に貼り付いてきた。私が秋子に感じた痛ましさは、その痛ましさに私が軀を寄添わせてゆく種類のものではなかった。私は一段高い、安全な場所に立って、その痛ましさを眺めているのだった。それに伴って、私とその町との間には落差ができてしまい、また、その町は私の眼の前で色褪(あ)せかかっていた」(吉行淳之介「娼婦の部屋」・「娼婦の部屋/不意の出来事・P.28」新潮文庫)

非常に意識的だと言わねばならないだろう。

「私は一段高い、安全な場所に立って、その痛ましさを眺めている」。こう書くためには自分で自分自身を相当突き放さないと書こうにも書けないだろう。書かないという手もあるが。

BGM4

当時はどうだったのだろう。書かなかった人々。もし、書かないという場合、レーニンの次の言葉が重くのしかかってきたに違いない。

「ブルジョア民主主義は、中世にくらべれば、大きな歴史的進歩であるが、つねに、せまい、切りつめられた、いつわりの、偽善的なものであって、金持にとっては天国であるが、被搾取者、貧乏人にとってはわなであり、いつわりである」(レーニン「プロレタリア革命と背教者カウツキー」・「プロレタリア革命と背教者カウツキー 他・P.28」国民文庫)


「ブルジョア民主主義」。むしろ今は「『マスコミ』民主主義」と言ったほうがいいかも知れない。

BGM5

吉行淳之介は「確信犯」として書いたと言える。高慢な態度には違いない。エンゲルスに言わせれば「男社会の品性を増々卑しくさせつつ」。だがそれは同時に読者に対する皮肉な問いかけとして取り残されたままだ。

「私の勤めている会社は、しだいに社業が盛運に向いはじめていた。そうなると、社員の私が接触する対象は、しだいに私にやさしくなり、屈辱感にさいなまれる体験はしだいに寡(すくな)くて済むようになってきた。私は、それをげんきんなことだ、と他人事のように笑って済ましてはいられなかった。私と娼婦の町との間に落差ができたのも、また、それに伴う出来事といえるのである」(吉行淳之介「娼婦の部屋」・「娼婦の部屋/不意の出来事・P.28~29」新潮文庫)

BGM6

「そういう具合に私の姿勢が変化してからは、女たちは私に冷たくなりはじめた。私の変化を知って冷たくなった、というのではない。そういう姿勢の前では、初めて会う女でも娼婦特有の意地悪さや冷たさを示すのである。その意地悪さや冷たさは、以前には私の殆ど経験しなかったものだった。私は娼婦の町の苦い味を、しばしば味わわなくてはならなかった」(吉行淳之介「娼婦の部屋」・「娼婦の部屋/不意の出来事・P.29」新潮文庫)

マスコミは必ずしも世相を直に反映しない。が、当時の「遊郭」は世相を直に反映させていたことが読み取れる。問いかけは宙吊りにされたままなのだが。

BGM7

「この町は私を必要としなくなっており、また、私もこの町を必要としなくなってしまった」(吉行淳之介「娼婦の部屋」・「娼婦の部屋/不意の出来事・P.32」新潮文庫)

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