白鑞金’s 湖庵

元ノラ猫タマと愉快な仲間たちの日記・エッセイ・コラム。

「国際協定よりも、強行採決が最優先」 蓮舫代表(4)

2016年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム

「『十人の賢者は百人の愚者よりもたやすく一網打尽にすることができる』このすばらしい真理(こういう真理を提供されれば、百人の愚者は、いつでも諸君に喝采をおくるであろう)が自明なことのように見えるのは、ひとえに諸君が議論をすすめるあいだに、一つの問題から別の問題にとびうつったおかげなのである。諸君は、『委員会』が一網打尽にされること、『組織』が一網打尽にされることを論じはじめ、またひきつづきそれを論じてきたのだが、いまや『底ふかくに』ある運動の『根』を一網打尽にする問題にとびうつってしまったのだ。もちろん、われわれの運動を一網打尽にすることができないのは、ひとえにそれが底ふかくに何十万、何百万という根をもっているからであるが、いまここでの問題は全然そのことではないではないか。『底ふかくにある根』という意味でならば、われわれのあらゆる手工業性にもかかわらず、いまでもわれわれを『一網打尽にする』ことなどできないのだが、それにもかかわらずわれわれはみな、『《組織》』が一網打尽にされて運動の継承性がまったく破壊されることを嘆いており、また嘆かないわけにはいかないのである。だが、諸君が、《組織》が一網打尽にされる問題を提起したからには、そしてそれからそれないというのであれば、私は諸君に言おう。十人の賢者は百人の愚者よりもずっと一網打尽にしにくい、と。そして、諸君が『反民主主義的』だとかなんとかいって、どれほど私に反対するよう民衆をけしかけようと、私はこの命題を擁護するであろう。すでに再三指摘したように、組織の方面で『賢者』と言うときには、もっぱら《職業革命家》──自分をそういう職業革命家にそだてあげるしゃが学生であろうと労働者であろうと、それはどちらでもよい──という意味に理解しなければならない、そこで、私はこう主張する。(1)確固たる、継承性をたもった指導者の組織がないなら、どんな革命運動も永続的なものとはなりえない。(2)自然発生的に闘争に引きいれられて、運動の土台となり、運動に参加してくる大衆が広範になればなるほど、こういう組織の必要はいよいよ緊急となり、またこの組織はいよいよ永続的なものでなければならない(なぜなら、そのときには、あらゆる種類のデマゴーグが大衆の未熟な層をまどわすことがいよいよ容易になるからである)。(3)この組織は、職業的に革命的活動にしたがう人々から主としてなりたたなければならない。(4)専制国では、職業的に革命的活動にしたがい、政治警察と闘争する技術について職業的訓練をうけた人々だけを参加させるようにして、この組織の成員の範囲を《狭くすれば》するほど、この組織を『一網打尽にする』ことはますます困難になり、また(5)労働者階級の出身であると、その他の社会階級の出身であるとを問わず、運動に参加し、そのなかで積極的に活動できる人々の範囲が、ますます《広くなる》であろう」(レーニン「なにをなすべきか?・P.182~184」国民文庫)


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「私は、わが『経済主義者』、『テロリスト』、『経済主義的テロリスト』に、これらの命題を論駁してみよう、お勧めしたい。いま私はこれらの命題のなかの、最後の二つに立ちいって論じることにしよう。『十人の賢者』と《百人の愚者》と、どちらが一網打尽にしやすいかという問題は、要するに、最も厳格な秘密活動が必要なときに大衆《組織》が可能であるかという、さきに検討した問題に帰着する。それなしには政府にたいする確固たる、継承性をたもった闘争などとうてい問題にならないあの高度の秘密性を、広範な組織にあたえることは、けっしてできないであろう。また、いっさいの秘密の機能をできるだけ少数の職業革命家の手に集中するということは、これらの革命家が『みなのかわりに考える』だろうということでも、民衆が《運動》に活発に参加しないだろうということでもけっしてない。その反対に、こういう職業革命家は民衆によってますますたくさん送りだされてくるであろう。なぜなら、そのときには、民衆は、幾人かの学生と経済闘争をおこなう労働者とが集まって『委員会』をつくるだけでは不十分で、多年にわたって自分を職業革命家にそだてあげることが必要なのだということを知るであろうし、また手工業的なやり方のことばかりでなく、まさにこのようなそだてあげについて『考える』ようになるだろうからである。《組織》の秘密の機能を集中するということは、けっして《運動》のいっさいの機能を集中するということではない。『十人の』職業革命家が非合法文書の仕事の秘密の機能をその手に集中すれば、それによって、この文書への最も広範な大衆の積極的参加は少なくならずに、かえって十倍も《強まる》であろう。そうすることによって、そしてただそうすることによってのみ、非合法文書を読んだり、それに寄稿することが、またある程度までそれを配布することまでが、《ほとんど秘密の仕事でないようになる》ことができよう。なぜなら、警察は、何千部もまきちらかされる出版物の一部一部について、だらだらした裁判沙汰や行政措置をおこなうことがばかげていて不可能であることを、まもなく理解するだろうからである。そして、これは出版物にかぎったことではなく、デモンストレーションにいたるまで、運動のいっさいの機能にあてはまることである」(レーニン「なにをなすべきか?・P.184~185」国民文庫)

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ところで「経済主義的テロリスト」とはなんぞや?しっくりくる用語がこれといって見当らなかったので取りあえず考えたらしい。

「『スヴォボーダ』を形容する語としては、おそらく、この用語のほうがその一つまえの用語よりも正しいだろう。なぜなら、『革命主義の再生』のなかではテロリズムを擁護し、ここで検討している論文のなかでは『経済主義』を擁護しているからである。意図はたいへんよいが、運がわるい!──これが総じて『スヴォボーダ』について言えることである。きわめてすぐれた素質ときわめてりっぱな意図──しかも結果は混乱なのだ。この混乱は、主として、『スヴォボーグ』が組織の継承性を擁護しながら、革命的思想と社会民主主義的理論との継承性を認めようとしないために生じたものである。職業革命家を復活させようとつとめながら(『革命主義の再生』)、そうするために、第一に刺激的テロルを、第二になるべく『わきから駆りたてられ』ない『中程度の労働者の組織』を提案する(『スヴォボーダ』第一号、六十六ページ以下)のは、ほんとうに、自分の家を暖めるために、この家そのものをとりこわして、薪にするようなものである」(レーニン「なにをなすべきか?・P.186~187」国民文庫)

日本は木の国である。その国がTPPに飲み込まれるとはどういうことか。例えば「農協」(JA)にこう聞いてみたい気がする。「ほんとうに、自分の家を暖めるために、この家そのものをとりこわして、薪にするようなもので」はないのかと。

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「『十人』の試練を経た、わが国の警察にひけをとらないほどに職業的修練をつんだ革命家が、仕事のいっさいの秘密な方面──ビラの作成、おおよその計画の作成、各市区、各工場街、各学校にたいする指導者部隊の任命、等々──をその手に集中すれば、それによって、デモンストレーションへの大衆の最も積極的な、また最も広範な参加は、少なくならないばかりか、反対に大いに増大するであろう(私は、私の見解が『非民主主義的』だといって意義をとなえる人がいるだろうことを知っている。だが、このまったく愚かしい反論には、のちほどくわしく答えよう)。最も秘密な機能を革命家の組織に集中することによって、広範な公衆を目あてとした、したがってできるだけきまった形をもたず、できるだけ秘密でない他の多くの組織──労働組合も、労働者の自習サークルも、《他のあら》ゆる住民層のなかの社会主義的および民主主義的サークルも、その他のいろいろなものも──の活動の広さと内容とは、弱められずに、かえって豊富になるであろう。このようなサークル、組合、組織は、いたるところに、《きわめて大》量に、またきわめて多種多様な機能をもって、存在しなければならない。しかし、それらを《革命家》の組織と《混同して》、この両者のあいだの境界を抹消するのは、また、大衆運動に『奉仕する』ためには専門的に社会民主主義的活動に全身をささげた人々が必要であり、そういう人々は忍耐とがんばりを発揮して自分を職業革命家に《そだてあげ》なければならないのだという意識──そうでなくとも信じられないほどぼんやりしてしまっている意識──を、大衆のあいだから消滅させるのは、ばかげた、有害なことである」(レーニン「なにをなすべきか?・P.185~186」国民文庫)

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「そうなのだ、この意識は進じられないほどぼんやりしてしまっているのだ。組織の面でのわれわれの基本的な罪は、《われわれが、自分の手工業性によってルーシ〔ロシアの古名〕の革命家の威信を失墜させた》ことである。理論上の問題ではだらけてふらふらしており、視界は狭く、大衆の自然発生性を引き合いにだしては自分の無気力を弁明し、人民の護民官に似るよりも労働組合の書記に似ており、敵にさえ尊敬をいだかせるような大胆な計画を提出する能力がなく、自分の職業的技術──政治警察との闘争──にかけては未経験で不器用で、──おやおや!これは革命家などではなく、どこかのみじめな手工業者だ」(レーニン「なにをなすべきか?・P.187」国民文庫)

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これまでの論旨は勿論だが、次はレーニン自身の苦い経験が籠った切実かつ重い言葉だ。

「どうか実践家のひとりでも、私がこういう辛辣なことばを吐いたことで、気をわるくすることのないように願いたい。なぜなら、こと訓練不足にかんするかぎり、私は以上のことばをまっさきに自分自身にくわえているのだからである。私はあるサークルで働いていたことがあるが、このサークルははなはだ広範な、包括的な任務をとりあげていた。──ところで、このサークルの成員であったわれわれはみな、有名な格言を言いかえて、われわれに革命家の組織をあたえよ、しからばわれわれはロシアをくつがえすであろう!とも言えるようなこの歴史的時機に、自分たちが手工業者でしかないことを自覚して、胸がいたいほど苦しみ、悩まなければならなかった。そして、それ以来、私は、当時自分の感じたあの焼きつくような恥ずかしさを思いだすおりがますます頻繁になるにつれて、その説教によって『革命家の聖職をはずかしめ』、われわれの任務が、革命家を手工業者に低めるのを弁護することではなくて、手工業者を革命家に《引き上げる》ことであるのを理解しない偽社会民主主義者たちを、いよいよにがにがしく思うようになったのである」(レーニン「なにをなすべきか?・P.187~188」国民文庫)

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