白鑞金’s 湖庵

元ノラ猫タマと愉快な仲間たちの日記・エッセイ・コラム。

自由律俳句──二〇一七年六月十七日(1)

2017年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇一七年六月十七日作。

(1)無重力に遊べば夏空の青み

(2)水辺の開かれ蝉のしぐれる

(3)融けそうなまかせる

(4)襟のボタンが静けさの宿り

(5)風が絹の花を仕上げる

☞ここ数日間日本の政治はまるで素人の寸劇でも見せつけられているようで、非常に重い気分に支配されていたが。ともかく幾らかの教訓を得ることくらいはできただろう。しかしそれを今後十分に活かすことができるかどうかはまた別問題だ。コジェーヴによる「主人と奴隷の弁証法」。人間的《公民》への「進化」。

「これはつまり、(承認を求める闘争において)主人として《死ぬ》ことだけはできるが、《生きて》主人たることはできないということだ。さらに言えば、主人が歴史のなかに現れるのは、消滅するためにのみである。奴隷が存在するためにのみ主人は現存在する」(コジェーヴ「法の現象学・P.280」法政大学出版局)


BGM1

「なぜなら、奴隷は、潜在的にしか人間的でなく、変化しうるし、変化したいと思うからであり、またこの変化のなかでかつそれによって自らを人間的に現実存在させ続けることができるからである。奴隷が人間的であるのは、彼が主人の人間的現実と尊厳(価値)を承認する限りでのことである。奴隷のなかには、人間的なものの《理念》があるのだ」(コジェーヴ「法の現象学・P.280」法政大学出版局)

BGM2

「しかし奴隷は、人間的なものとして《承認され》ていない以上、顕在的に人間的《である》のではない。だから奴隷は、自分を承認させようとし、自分が今あるのとは別物になろうとする。主人が奴隷になりたいと思うことはありえないが、奴隷は、主人になりたいと思うことができるし、主人が承認されるように承認されたいと思うことができる」(コジェーヴ「法の現象学・P.280~281」法政大学出版局)

BGM3

「しかし、実際には、奴隷が(もう一度闘争を行うことで、つまり生命を賭けることを受け入れることで)それに成功するとしても、奴隷は主人になるのではない。なぜなら、主人は、自分を承認する者を承認しないが、これに対し奴隷は、他者の承認からスタートするからである。だから奴隷は、自分を承認せよと彼が(闘争によって)迫る者を承認しているだろう。だから、奴隷は、主人ではなく、いわば公民(Citoyen)になり、公民としてあるだろう」(コジェーヴ「法の現象学・P.281」法政大学出版局)

BGM4

「十全かつ決定的に満足を得る(befriedigt)のはこの公民であり、公民だけである。なぜなら公民だけが、彼自身が承認する者によって承認され、彼を承認する者を承認するからである。だから、人間存在として真に顕在的に実現されるのは公民だけである。したがって、主人は、奴隷が存在するためにのみ現存在すると言ってよい。なぜなら奴隷は、人間的現実の顕在態たる公民の潜在態にほかならないからだ。したがって、人間が主人と奴隷とのアンチテーゼのなかでのみ生まれるとすると、人間が十全かつ顕在的に自らを実現するのは、公民のジンテーゼのなかでのみである。公民は、他者によって承認される限りで主人であるが、彼自身がこれらの他者を承認する限りで奴隷である。これはつまり、公民は主人でも奴隷でもないということだ。つまり公民は、潜在態なき顕在態でも、顕在態なき潜在態でもなく、顕在化された潜在態であるのだ」(コジェーヴ「法の現象学・P.281」法政大学出版局)

BGM5

「だから人間は、公民である限りでのみ《現実的》である。主人と奴隷は、実際に純粋な状態で現実存在することのない論理的『原理』であるにすぎない。しかし公民は、主人たることと奴隷たることとのジンテーゼであり、このジンテーゼは、潜在態から顕在態への移行、すなわち進化である。この進化は、人類の歴史にほかならず、主人たることと奴隷たることとの完全な中和、決定的均衡に達し、それに達するまでにいくつかの中間段階を経る。これらの段階においては、この二つの構成要素のどちらかが優位する。そして、どちらが優位するかに従って、(相対的な)貴族的主人性や(相対的な)ブルジョワ的奴隷性について語ることができる」(コジェーヴ「法の現象学・P.281~282」法政大学出版局)

BGM6

「ところで、世界史のこのような弁証法は──とりわけ──法と正義の理念の弁証法でもある。主人たることと奴隷たることとが公民たることのなかで融合するのと同じように、(多かれ少なかれ)貴族的な正義と(多かれ少なかれ)ブルジョワ的な正義とは、いつの日か、厳密な意味での公民、つまり普遍等質国家の公民のジンテーゼ的正義のなかで融合するだろう」(コジェーヴ「法の現象学・P.282」法政大学出版局)

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