白鑞金’s 湖庵

元ノラ猫タマと愉快な仲間たちの日記・エッセイ・コラム。

アニメで交流、日ロの「懸け橋」に 元国後島民の3世(3)

2016年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム

「私はまた、これらの『社会民族主義者』の『犯罪』事件を調査するためカフカーズに行った同志ゼルジンスキーもやはり、この点では真にロシア人的な気分をしめしただけではなかろうかと、危惧しており(よく知られていることであるが、異民族の出身者でロシア人化したものこそ、真にロシア人的な気分の点でつねに度をすごすものである)、また、彼の特別委員会の公平ぶりは、オルジョニキッゼの『武勇伝』で十分に特徴づけられるのではなかろうかと、危惧している。どんな挑発、それどころかどんな侮辱があったからといってけっして、このようなロシア人的な武勇伝をやってよいことになるものではなく、同志ゼルジンスキーは、この武勇伝にたいして軽々しい態度をとった点で、とりかえしのつかない罪をおかしたものだと考える。カフカーズの他のすべての市民にとって、オルジョニキッゼは当局者であった。オルジョニキッゼには、彼やゼルジンスキーが弁明を持ちだしているような激昂に駆られる権利はなかった。その反対に、オルジョニキッゼには、自制心をたもつ義務があった。ところが、普通の市民にはだれひとりとして、いわんや『政治』犯の被告にはそういう自制心をたもつ義務はないのである。ところで、実際のところ、社会民族主義者は政治犯として告発された市民ではなかったか。また、この告発がなされた全状況からみて、この事件はそういうものと特徴づけるほかなかったではないか。ここでおこってくるのは、重要な原則問題である。それは、国際主義をどう理解するかという問題である」(レーニン「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて~覚え書のつづき~」・「レーニン全集36・P.717」大月書店)


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次にもう一点。レーニンは国家建設事業に当たって「ロシア的」な「気分」、「気取り」などを重要な問題点として上げている。一度ならず、こんなふうに批判している。一九二〇年六月十二日。

「同志諸君、われわれがポーランド戦線で成功をおさめたにもかかわらず、現在なお、われわれが全力を傾けることを必要とするような情勢である。現在の対ポーランド戦争がそうであるが、このような状況のもとではじまった戦争でもっとも危険なのは、敵をみくびり、われわれのほうが強いと安心していることである。これはもっとも危険なことであって、敗戦をまねきかねない。これがロシア人の性格のもっとも悪い特質であって、いくじがなく無気力なことがその現れである。たいせつなことは、物事をはじめるだけでなく、耐えぬき、持ちこたえなければならないということである。だがわが同胞のロシア人にはこれは不得手である。ただ長期にわたってまなびとることによってはじめて、あらゆるためらいや動揺にたいしてプロレタリア的な、規律ある闘争をおこなうことによってはじめて、このような堅忍不抜によってはじめて、ロシアの勤労大衆に、このろくでもない習慣を捨てさせることができる」(レーニン「農村活動の責任組織者第二回全ロシア会議での演説」・「レーニン全集31・P.165」大月書店)


勝利が見えた時、その時こそ、あぶない。ロシア人気質と言ってしまえば、それまでだが、他民族にも同様に言えることには違いない。国家/国民/都道府県民/市民、だけだろうか。あるいは個々人の頭の隅に至るまで、そういう気分に陥っている場合がないだろうか。人間というものはその環境と共にその内部から「も」成長してくる。

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「われわれはコルチャック、デニキン、ユデニッチを打ちやぶったし、しかもみごとに打ちやぶったが、彼らにとどめを刺すことはできなかったので、ヴランゲリをクリミアにのこしてしまった。われわれは言った。『もう、いまではわれわれは強くなった!』と。そこで、ずぼらで、だらしなさが、たくさん現れてきた。だが、そのあいだにもヴランゲリはイギリスの援助を受けている。この援助は商人を通じてあたえられており、それを証明することはできない。数日前、ヴランゲリは部隊を上陸させ、メソトポーリを占領している。なるほど、最新の情報によれば、われわれは同地を奪還したということであるが、ここでもわれわれは、自分が強かったからこそもっとも恥さらしな仕方でこの都市を手ばなしたのであった。ユデニッチ、コルチャック、デニキンを撃破したというので、ロシア人はその正体をあらわしはじめ、休息し、仕事はふしだらにされてしまう。そのあとで、このように自分がだらしないために、何万人という自分の同志が破滅させられるのである。これこそ、ロシア人の性格の特質である」(レーニン「農村活動の責任組織者第二回全ロシア会議での演説」・「レーニン全集31・P.165~166」大月書店)

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さらに次のような点でも。

「ソヴェトの法律は非常にすぐれている。なぜなら、それは、すべての人々に官僚主義や事務渋滞とたたかう可能性をあたえているからである。どの資本主義国でも、労働者や農民にこういう可能性があたえられているところはない。ところで、この可能性は利用されているであろうか?ほとんどだれひとりそれを利用してはいない!そして、農民ばかりか、共産主義者の圧倒的な部分さえ、ソヴェトの法律を利用して事務渋滞や官僚主義や、さらに賄賂(わいろ)のような純ロシア的現象とたたかうことができないでいる。なにがこの現象とのたたかいを妨げているのか?われわれの法律がか?われわれの宣伝がか?その反対である。法律はいくらでも書かれている!どうしてこの闘争に成功がえられないのであろうか?宣伝だけでこの闘争をおこなうことはできないからである。この闘争は、人民大衆自身がそれをたすけるときにだけ、なしとげることができる」(レーニン「新経済政策と政治教育部の任務」・「レーニン全集33・P.64」大月書店)


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さて、民族問題だが、「つづき」がある。

「一九二二年十二月三十一日。──抑圧民族の民族主義と被抑圧民族の民族主義、大民族の民族主義と小民族の民族主義とを区別することが重要である。このあとのほうの民族主義にたいして、われわれ大民族に属するものは、歴史的実践のうちで、ほとんどつねに数かぎりない強制の罪をおかしている。それどころか──自分では気づかずに、数かぎりない暴行や侮辱をおかしているものである。わが国ではどんなに異民族をばかにしているか、ポーランド人をよぶのに『ポリャーチシカ』としか言わず、タタール人のことは『公爵(クニヤジ)』とよび、ウクライナ人のことは『ホホル』〔とさか〕とよび、グルジア人その他のカフカーズの異民族のことは『カプカーズ人』とよんで嘲弄するばかりだということ、こういうことについての私のヴォルガ時代の記憶をよびおこすだけで十分である」(レーニン「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて~覚え書のつづき~」・「レーニン全集36・P.718」大月書店)

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「だから、抑圧民族、すなわち、いわゆる『強大』民族(その暴行にかけて強大なだけだ。デルジモルダ式に強大なだけだ)にとっての国際主義とは、諸民族の形式的平等をまもるだけでなく、生活のうちに現実に生じている不平等にたいする抑圧民族、大民族のつぐないとなるような、不平等をしのぶことでなければならない。このことを理解しなかったものは、民族問題にたいする真にプロレタリア的な態度を理解せず、実は小ブルジョア的見地にとどまっているのであり、したがって、たえずブルジョア的見地に転落せざるをえないのである。プロレタリアにとってはなにが重要か?プロレタリアにって重要であるばかりか、ぜひとも必要なことは、プロレタリア階級闘争にたいする異民族の最大限の信頼を確保することである。このためにはなにが必要か?このためには、歴史上の過去に異民族が『強大』民族の政府からこうむった不信、疑惑、侮辱を、異民族にたいするその態度により、その譲歩によってなんとかしてつぐなうことが必要である」(レーニン「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて~覚え書のつづき~」・「レーニン全集36・P.718~719」大月書店)

なぜわからないのか。どうしてもっと慎重になれないのか、と。

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「グルジア民族にかんする当面のばあいは、われわれが特別に慎重に、用心ぶかくふるまって、譲歩することが、問題にたいする真にプロレタリア的な態度にとって必要な典型的な例である。問題のこの側面を不注意に扱い、『社会民族主義者』という非難を不注意に投げつけるグルジア人(ところが、彼自身がほんとうの、真の『社会民族主義者』であるばかりか、粗暴な大ロシア人的デルジモルダなのだ)は、実はプロレタリア的階級連帯の利益をそこなうものである。なぜなら、民族的不公正ほど、プロレタリア的階級連帯の発展と強固さを阻害するものはなく、また平等の侵害──たとえ不注意によるばあいでさえ、たとえ冗談としてさえ──ほど、自分の同志であるプロレタリアによってこの平等が侵害されることほど、『侮辱された』民族の人々の心にするどくひびくものはないからである」(レーニン「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて~覚え書のつづき~」・「レーニン全集36・P.719」大月書店)

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ここで再びスターリンとジェルジンスキーはこっぴどく譴責されている。

「見せしめのために同志オルジョニキッゼを処罰し(私は個人的には彼の友人のひとりであり、国外の亡命地でいっしょに活動したことがあるだけに、こういうことを言うのは非常に残念である)、またゼルジンスキーの特別委員会の資料を全部あらためて追審し、調査する必要がある。これは、そのなかに疑いもふくまれている大量のまちがった偏見にとらわれた判断を訂正するためである。この真に大ロシア人的・民族主義的なカンパニア全体にたいしては、もちろん、スターリンとゼルジンスキーに政治的責任をとらせなければならない」(レーニン「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて~覚え書のつづき~」・「レーニン全集36・P.720~721」大月書店)

このような事態に至るまで、何が正しかったか、そして同時に、何が正しくなかったか。膨大な研究がなされてきた。第一次大戦とロシア革命の時代。何があったのか。ともかく、レーニンの言葉を中心に探しに行ってみたいと思う。

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